2015年7月23日木曜日

反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。

【歴史事件簿】
パールハーバーの誤算(1) 
日米はなぜ開戦に至ったのか…米も欲した満鉄利権、確執は満州での“すれ違い”から始まった


真珠湾

  今から74年前の昭和16年12月8日、旧日本軍はハワイ・真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を攻撃し、太平洋を舞台にしたアメリカとの戦いに突入する。当時、 アメリカの生産力が日本の10~20倍もあったため日本の軍部の中にも対米戦に消極的な声もあったのだが、なぜ踏み切らなければならなかったのか。その原 因は、真珠湾攻撃の36年前に日露戦争の講和を仲介したアメリカとのすれ違いから始まっていた。

ターゲットは満州
 明治33(1900)年6月、欧州列国が相次いで清国に進出する中、山東省で起きた排外運動「義和団の乱」がまたたく間に北京へと拡大していった。
 このため日本など8カ国が現地に住む自国民保護を目的に軍隊を出して乱を鎮めたまではよかったが、各国は兵を引き揚げさせたのに対しロシアは兵を満州に送り込んできた。
 そんなロシアに強い危機感を持ったのが日本とアメリカだった。
 南北戦争後、欧州にならい支配力を広げたいアメリカはハワイ、フィリピンに続いて狙ったのが満州であり、日本も本土をロシアから守る防衛線として満州が必要だった。
 そしてロシアの進出を抑えるため、明治37年に起きた日露戦争で日本を資金援助したアメリカが、日露両国の講和締結に積極介入したのも、満州の利権が欲しかったからにほかならなかった。
 そこで講和締結後、アメリカの鉄道王、エドワード・ヘンリー・ハリマンは日本がロシアから得た権益のうち、新京(長春)から大連間を走る鉄道(南満州鉄道)の共同経営を1億円の財政援助とともに持ちかける。
明治36年の国家予算が約2億6千万円という時代の1億円である。首相の桂太郎はハリマンの提案を歓迎して受け入れる。

 ところが、ハリマンとすれ違いに帰国した外相・小村寿太郎は反対する。多くの国民の犠牲を払って得た権益をアメリカと分けると他国に足もとを見られるというのが理由だが、最終的には奪い取られるといった疑いを持っていたとみられる。

 結局、桂は小村に従うのだが、突然の破棄にハリマンの怒りは収まりがつかなかった。以後、日本とアメリカは対極の立場をとるようになる。

対立深める日米
 こと満州のことになるとアメリカの態度は執拗(しつよう)だった。明治42年、日露両国が握る満州内を走る鉄道の権益を中立化させて自分たちを含む共同管理を提案したほか、清国と満鉄に並走する鉄道建設なども計画するが、失敗に終わる。

 それでも諦めないアメリカは大正11年、ワシントンに主要9カ国を集めた軍縮会議を開催すると、日英同盟破棄や清国崩壊後に成立した中華民国への進出の抑制など日本の弱体化を狙った合意を引き出す。
 さらに満州を治める張作霖(ちょうさくりん)政権と満鉄に対抗する鉄道建設と同時に、満鉄とつらなる大連港に対抗し、大連と渤海(ぼっかい)湾を隔てた対岸に位置した葫芦島(フールータオ)に貿易港の建設も計画。中国の抵抗もアメリカの支援のもとで強まっていった。
 そんな中、昭和6年に奉天郊外で起きた満鉄爆破事件に端を発した中国との武力衝突(満州事変)に続いて、6年後には北京郊外の盧溝橋(ろこうきょう)で中国・国民党軍との紛争が発生するなど戦線は拡大する一方だった。
そんな強気の姿勢を崩さない日本に業を煮やしたアメリカは、「中国でのアメリカの権益が日本軍に侵害された」として14年に日米通商航海条約破棄を通告する。

 つまり、資源に乏しい日本にガソリンや鉄など戦争継続に必要な物資の輸出を禁じたことで日本の弱体化を図ろうとしたのだ。

 はじめは動揺を隠せなかった日本だったが、東南アジアの資源地帯に目をつける。当時、協調関係にあったドイツがフランスに勝ち、フランス領インドシナ(仏印=現在のベトナム・ラオス・カンボジア)がパックリ口を開けて待っていたからだ。
 だがアメリカにとっても仏印は、中国側に物資を送る輸送ルート上にあったたため、日本軍の仏印進駐を強硬に反対する。

ニイタカヤマノボレ
 昭和15年、日本軍はそんなアメリカのいらだちを知りながら北部仏印に進駐すると、ドイツ、イタリアと軍事同盟を締結。16年には南部仏印に進出したことでアメリカとの対決姿勢はさらに鮮明となった。

 そんな状況下、連合艦隊司令長官の山本五十六大将は、アメリカと戦うならばまずハワイのアメリカ太平洋艦隊を潰し、その後の戦いを優位に進めるしかないとして航空機による攻撃を計画する。
 航空母艦(空母)6隻と航空機400機という世界でも類例のなかった機動部隊を編成すると、対米交渉中にもかかわらず、宣戦布告直後の奇襲攻撃を狙って11月22日、ハワイに進路をとった。
 それから10日後にあたる12月2日、荒れ狂う太平洋上を進む空母「赤城」の艦橋内で、機動部隊の指揮をとる南雲忠一中将は依然として定まらない対米交渉の行方を気にしながら、雨と波がたたきつける窓の外をみつめていた。
結果次第では引き返すことも考えられたが、午後5時半、ドアが開き、やや興奮の様子で入ってきた通信参謀が「長官、電文であります」と山口の連合艦隊から送られた電文を差し出してきた。

 南雲が「読め」と静かに指示すると、しっかりした口調で「本文、ニイタカヤマノボレ一二〇八(ひとふたまるはち)」と読み上げた。12月8日に開戦すべしとする内容だった。

 ニイタカヤマ(新高山)は、日本が当時、統治していた台湾の山(現在名は玉山)。標高が3、952メートルと富士山より高い、日本の最高峰だった。
 電文を聞いた南雲は隣の参謀長、草鹿龍之介少将の方を見て、「うまくいくのかな」と話しかけたともいわれている。
     ◇
当時の世相映した国策映画「潜水艦1号」
 対中戦争を進める日本は昭和14(1939)年に映画法を制定すると、「海軍爆撃隊」「燃ゆる大空」などといった、娯楽色を廃して軍国主義を強めた映画の製作を強制的に進めるようになる。「潜水艦1号」もそんな1本。
 アメリカと対決色を強めていった昭和16年5月に公開されている。明治43年、技術的に未熟の域にあった潜水艇の艇長として乗り込んだ久間勉大尉は沈没事故で生命が絶望視される中、冷静に艇内の様子を記録した精神力は当時の軍人の手本ともされていた。
 映画は、そんな佐久間大尉の故郷で育った少年2人のうち、1人がのちに潜水艦の設計士として最新鋭艦を設計し、もう1人が艦長としてその艦に乗り込んで試験航海に臨むといった内容になっている。
まだ戦闘シーンがあるわけではないが、「必ず米英と戦うときが来る」と艦内の居住性を廃して、武器などに重点を置いて新鋭艦開発を進める姿に、当時の緊迫した世相を垣間見ることができる。 
(園田和洋)=続く
産経WEST2015.4.10
http://www.sankei.com/west/news/150403/wst1504030046-n1.html

ハリマンとはまだケリがついてないような気がしないでもないんだが
日本を敗戦国のままにしておく装置

どういう経緯で日韓ヒュンダ・・日刊ゲンダイが記事にしたのかよく分かりませんが

差別? 予約拒否された外国人が憤るミシュラン寿司店の対応
鮨水谷

 ショッキングな話である。2015年の「ミシュランガイド東京」で2つ星を獲得した銀座の「鮨 水谷」が、予約をしようとした外国人に差別的な対応をしたという。実際に店側とやりとりし、「がっかりした」と話すのは、在日30年の中国人ジャーナリスト・莫邦富氏だ。

  今月8日、莫氏の秘書(日本人女性)が「水谷」に電話をし、5月12日に4人で訪れたいと伝えたところ、「空いています」との返事だった。ところが、連絡 先や氏名を伝えると、「えっ、海外の方ですか?」と聞かれ、日本在住であることを伝えても、「日本人は同行しますか」「調整が必要です」の一点張り。莫氏 本人が電話を代わり、4人とも中国人で、しかし自分は来日30年でジャーナリストとして仕事をしていること、今回の食事が莫氏側の招待であること、招待客 の1人は日本に留学経験があり、日本の政官界とも仕事をしている社長であることなど、本来なら伝える必要のない個人情報まで明らかにしても、「調整が必要 です」とハッキリしない態度だったという。

「水谷」はカウンター10席で、夜のおまかせコースが2万円からという超高級店。常連客によると「金持ちの白人がしょっちゅう来て、大声でしゃべっている」という。外国人を受け入れている店なのに、莫氏へのヒドい対応は何なのか? 莫氏の電話を受けた店の担当者に取材すると、こんな言い分だった。

「店の雰囲気づくりのため、海外の客と日本人客の比率を半々にしています。海外の客については予約をしたのに来ないなど、トラブルが多発したので、ホテルのコンシェルジュ、もしくはカード会社を通じた予約だけに限定しています」
 ただ、莫氏は海外からの旅行客ではなく、日本に永住している。「旅行客かそうでないかは、電話だけでは判別できません。海外の客には、一律でこういう対応をしています」
■外国人観光客増加を目指す日本の課題
  莫氏は、石川県や山梨県などのインバウンド(訪日外国人)誘致のアドバイザーの仕事もしている。 政府は東京五輪の2020年までにインバウンド2500 万人(14年は1300万人)を目指しているが、莫氏はそんな日本の高級店の不可解な対応に、こう憤る。「外国人客の困った事態があったのかもしれません から、『水谷』さんの立場は理解します。ただ、私は日本に永住していますし、そもそも外国人と日本人を分断する意識は差別としか言いようがありません。 『水谷』さんだけの問題ではなく、日本のインバウンド全体のイメージをよくするために、意識改革が必要なのではないでしょうか」

 水谷は、ケネディ米大使から予約電話があっても、「ホテルのコンシェルジュかカード会社を通して」と拒否するのだろうか?
日刊ゲンダイ2015.4.26
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/159356/1

ミシュラン掲載の高級すし店、外国人の予約拒否報道で反論
鮨水谷AFPBB

【4 月30日 AFP】中国人客の予約を拒否したと一部メディアで報じられた東京・銀座の高級すし店「鮨 水谷」はこのたび、AFPの取材に対して、同店が採用している 外国人向けの特別な予約システムについて説明し、対応に差別的な意図は無かったことを明らかにした。水谷は、高級レストランの格付けガイドブック「ミシュ ランガイド(Michelin Guide)」にも掲載されている名店だ。

 一部メディアは26日、日本在住30年の中国人 ジャーナリスト、莫邦富(Mo Bangfu)氏の日本人の秘書が、莫氏と招待客3人の計4人で予約をしようと名前と連絡先を店側に伝えたところ、対応した従業員から「調整が必要」と告 げられ、予約することができなかったと報じた。
 ミシュランガイドで2つ星を獲得している同店では、ホテルのコン シェルジュやクレジットカード会社を通じた外国人客の予約以外は受け付けていない「方針」だという。これは、事前に電話での再確認があることや再確認にも かかわらず来店しなかった場合のそれ以降の対応について説明することが難しいために設けているものだとしている。
  店側によると「予約を入れているのに来ないというケースは(日本人、外国人を問わず)ここ最近増えている」ため、日本語を話す客にも来店の数日前に電話で 予約の再確認を行っているという。同店の従業員の一人は、外国人客に決まりについて説明できるほど外国語に習熟したスタッフはいないと述べた。
 店では予約の「人数に合わせてネタを仕入れているし、(予約がいっぱいになれば)他に断る客もいる。それで来ないということになるとこちらも困る。こらちとしては差別ではないと思っている」と説明している。
 ミシュランガイドからコメントはでていない。(c)AFP
AFPBBnews2015.4.30
http://www.afpbb.com/articles/-/3046801?pid=0

『日刊ゲンダイによる都内某鮨店への批判と、とある常連客の反論』 ←オススメ
http://togetter.com/li/813703

JapanToday 2015.4.28
"Michelin-star sushi restaurant in Tokyo defends foreigner rules"
http://www.japantoday.com/category/national/view/michelin-star-sushi-restaurant-in-tokyo-defends-foreigner-rules

莫邦富氏はダイアモンドオンラインに連載を持っているようだ
『一観光客として体験した日本的サービス崩壊の予兆』2014.4.17
「男 性から、さらに現金2000円の支払いを求められた。2000円分の駐車サービス券を渡したよと言うと、あれとは別に2000円を払うんだと青年の語気が 荒くなってきた。どうしてと思わず確かめると、肩をいきなり押された。男が怒鳴った。「もういい。料金は要らん。さっさと出て行け」と。本当に110番を かけようかと思った瞬間だった。」
http://diamond.jp/articles/-/51767

『日本のサービス精神は細部に宿る失われつつある心に一抹の寂しさ』2012.8.23
「日本のよい伝統はそのまま残し、なくさないでほしいと強く感じた。JR各社にぜひお願いしたい。日本のサービスの良さと小さな親切は選手交代の対象にしないでほしい。」
http://diamond.jp/articles/-/23625

いずれも企業名名指し
これらを読んで浮かぶ言葉は「クレーマー」

【wiki】莫邦富 
莫 邦富(モー・バンフ、ばく ほうふ)は、中華人民共和国出身の経済ジャーナリスト・作家。上海外国語大学日本語学科卒業後、同大学講師を経て、1985年訪日。現代中国の問題や日中 関係について日本のメディアで積極的に発言している。「新華僑」や「蛇頭(スネークヘッド)」といった新語を日本に定着させたことで知られる。外国人研修 制度や技能実習制度のかかえる諸問題など、外国人労働者の人権問題にも積極的に関わる。外国人研修生権利ネットワーク共同代表

wikiに載っている著作43うち7冊がジャパンタイムズから出ているんですかそうですか
侮日新聞ジャパンタイムズのルーツ

外国人研修生権利ネットワーク共同代表
外国人研修生権利ネットワークHP
http://k-kenri.net/

共同代表の方
【wiki】大脇雅子 
社会党の元参議院議員
従軍慰安婦訪韓団でナヌムの家訪問している香ばしい人ですね

右のリンク集
移住労働者と連帯する全国ネットワーク
外国人研修生権利ネットワーク・福井
RINK/移住労働者の人権の部屋
アムネスティ・インターナショナル日本

案の定移住連(≒西早稲田2-3-18)ですか
移住連富坂キリスト教センター
【西早稲田ウリスト教】北星学園大学と従軍慰安婦

外国人研修生問題となるとこの人が関わっているだろうと思ったら
外国人研修生権利ネットワークの本安田浩一
http://k-kenri.net/books/index.html

寒さが厳しい岐阜の夜 ●安田浩一/資料:中国人実習生Aさんからの手紙

(´・ω・`)案の定ですな
ネトウヨを叩くお仕事4 反日左翼活動家安田浩一 
 『ネットとサヨク-反日ジャーナリストの闇を追いかけて-』 


「日本のよい伝統はそのまま残し、なくさないでほしいと強く感じた。」
もし本気でそう思うなら、名指しの差別糾弾で日本人を金縛りにするのは逆効果でしかないんだけど

政治的な意図をもって騒動にしてる可能性大なので正面から批判するのは馬鹿馬鹿しい気ガス


余談
乙武洋匡氏のイタリアンレストラン騒動を髣髴と
乙武騒動の使い道

【異論暴論】
正論5月号 実在が証明された「戦後の元凶」

米占領軍の日本洗脳工作「WGIP」文書、ついに発掘

 日本はひたすら周辺国の侵略に邁進(まいしん)し、アジア諸国を苦しめた悪い国だった…日本人に、戦争に対する罪悪感や東京裁判史観を植え付けたのは、米占領軍である。
 彼らは周到な洗脳宣伝工作「WGIP(ウォーギルトインフォメーションプログラム)」を練り上げ、実行した。私たちが今も「戦前」の出来事や価値観について、つい日本は悪かったと反射的に考えたり、「戦争」と耳にしただけで即座に遠ざけたりしてしまうのは、洗脳工作がもたらした果実にほかならない。
 そのWGIPについて記述した占領軍の機密文書の存在を実際に明るみに出したのが本論考だ。著者の近現代史研究家、関野通夫氏は、WGIP文書は存在が疑われているなどとする記述がウィキペディアにあることを見つけ、一念発起して文書を探し出した。

 今、永田町では議員が「八紘一宇」と口にしただけで「戦争賛美だ」とメディアに袋だたきにされてしまう。洗脳は今も猛威を振るっている。これこそWGIPの呪縛にほかならない。(安藤慶太)
産経ニュース2015.3.31
http://www.sankei.com/column/news/150331/clm1503310011-n1.html 
(自分もwikiの記述がずっと気になっていた)


GHQ、日本人洗脳工作の証拠 マスコミが守る「プレス・コード」の存在
WGIP関野道夫

 前回の連載で、GHQ(連合国軍総司令部)が日本の占領政策の1つとして行った、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の存在について触れた。戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付ける宣伝計画である。

 日本人で最初にこの言葉を使ったのは、保守派の論客、江藤淳氏である。1989年出版の『閉された言語空間』(文藝春秋)で、GHQの内部文書に基づくものだと主張している。しかし、江藤氏はその内部文書を公開することなく99年に亡くなった。

 私もWGIPという言葉は以前から聞いており、戦後の日本の状況を見れば、そのような計画が行われたことは確実と思えた。ただ、1次資料を入手できなかったので、今まで、この言葉の使用を避けてきた。

 しかし、近現代史研究家の関野通夫氏が 一念発起して、GHQの内部文書を発掘してくれた。意外なことに、WGIPについて記載した公文書は日本国内で保管されていた。あるルートを通じて、関野 氏と同じ内容の文書を入手したので、この「CONFIDENTIAL」(機密)のスタンプが押された英文を少しずつ読んでいる。

 読者の方々には、私も購入した関野氏の小冊子『日本人を狂わせた洗脳工作WGIP いまなお続く占領軍の心理作戦』(自由社、540円)の購入をお勧めしたい。

 GHQは、ラジオや新聞で流す情報を検閲などでコントロールし、戦後の日本人が「戦争は日本が悪かった」「連合国は悪い日本を懲らしめた」「愛国心は戦争に繋がる悪いものだ」と考えるよう、さまざまな方法で洗脳工作を行ったのだ。

 1945年9月21日に通達された正式名称「日本に与うる新聞遵則」は、通称「プレス・コード」と呼ばれる。WGIPの重要要素の1つである。新聞などの報道機関を統制するために、30個の禁止項目を定め、違反した場合は発禁などの処分が行えた。日本のマスコミは今でもこのプレス・コードを守っているように感じる。

  例えば、安倍晋三首相は、日本国憲法の草案を法律の素人のGHQ職員が英語で書いたという歴史的事実を、自身の公式サイトに記載し、国会でも話している。 ところが、マスコミはこれを無視する。プレス・コードの第3項で禁じられているからだろう。マスコミは日本国民の洗脳を解かれたくないらしい。

 ところで、第28項は「虚偽の報道」を禁止している。この項目だけは堂々と破るのかと思ったら、もともとGHQが虚偽の報道ばかりさせたから、最初から何も変わっていないと気がついた。

  ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、法学博士号・経営学修士号を取得 し、国際法律事務所に就職。83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、一躍人気タレントとなる。現在は講演活動や企業経営を 行っている。最新刊は『不死鳥の国・ニッポン』(日新報道)。
zakzak2015.4.25
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150425/dms1504251530001-n1.htm

5WGIP関野道夫
正論HP
『米占領軍の日本洗脳工作「WGIP」文書、ついに発掘』
→http://seiron-sankei.com/9089


【youtube】 【特別企画・対談】戦後70年の真実・GHQの洗脳工作と「21世紀の脱亜論」/西村幸祐+関野通夫
参考
戦後占領政策に追従した売国的言論人たち 

朴政権に衝撃「ベトナムに韓国軍慰安所」 TBS支局長『文春』でスクープ執筆 

  韓国に炸裂した、超ド級スクープの展開が注目されている。26日発売の『週刊文春』が、米国の公文書などから、韓国軍がベトナム戦争中にサイゴン(現ホー チミン)に「慰安所」を設けていた証拠を発見したとリポートしているのだが、朴槿恵(パク・クネ)大統領や韓国政府、韓国メディアが目立った反応をしてい ないのだ。絶妙のタイミングで発表された、米紙による安倍晋三首相のインタビュー。韓国は「慰安婦=日本の性奴隷」という事実無根の誹謗中傷を流している が、どう抗弁するのか。

 「このリポートは、慰安婦問題の大きな突破口になる可能性がある」

 慰安婦問題を徹底追及してきた、拓殖大学の藤岡信勝客員教授はこう語る。その解説は後述するとして、衝撃リポートの概要は以下の通りだ。

 筆者は、TBSワシントン支局長の山口敬之氏。赴任直前の2013年、外交関係者から「韓国軍がベトナムで慰安所を経営していた情報がある」と聞き、赴任後、ワシントン市内などの公文書館や、各地の米軍基地付属の図書館や資料館を訪ねて、関連する文書を精査したという。

 結果、サイゴン市の米軍司令部から、同市の韓国軍司令部に送られた書簡に、以下のような記述があったことが判明した。

 《(同市中心部の「トルコ風呂」という施設で)売春行為が行われていて、ベトナム人女性が働かされている》《この施設は、韓国軍による、韓国兵専用の慰安所である》

 米軍側は書簡で、韓国軍の施設と断定した根拠として、韓国軍大佐の署名入り書類に「韓国軍による韓国兵専用の慰安所である」と示されていたことなどを挙げていたという。

  さらに、山口支局長は、ベトナム戦争を戦った元米軍海兵隊幹部へのインタビューの結果、(1)韓国軍の慰安所は確かにサイゴン市にあった(2)サイゴン市 内にはさらに大きい別の慰安所もあった(3)これらの施設は内部が多くのブロックに分かれていて、1区画に20人前後のベトナム人女性が働かされていた- などの証言を得たとしている。

 まさに、足で稼いだ歴史的スクープといえる。

 韓国は、現在の朴大統領の父、朴正煕(パ ク・チョンヒ)大統領時代の1964年、ベトナム戦争に参戦。73年までの8年間で、延べ約32万人を派兵した。「最精鋭部隊を投入した」と伝えられてき たが、北岡正敏、俊明兄弟が現地調査のうえで執筆した『韓国の大量虐殺事件を告発する-ベトナム戦争「参戦韓国軍」の真実』(展転社)は、膨大な民間人虐 殺やレイプが行われたと指摘している。

 さらに、文春のリポートのようにベトナム人女性の慰安所まで設置していたとなると、韓国軍の本質・姿勢が問われることになる。慰安婦がどういう経緯で慰安所に連れてこられたのか、給料などが支払われていたのかなどは不明で、今後の取材・調査が注目される。

 朝日新聞が大誤報を認めたことで、日本の慰安婦問題の核心である「強制連行=性奴隷」は崩壊した。だが、朴大統領は「(慰安婦問題は)必ず解決すべき歴史的課題だ」などと、筋違いな要求を日本側に突きつけ続けている。

 今回のリポートが、慰安婦問題に与える影響について、前出の藤岡氏は次のように指摘する。

  「韓国軍は朝鮮戦争の際、性的サービス提供を業務とする女性部隊を編成していたとされ、ベトナムに軍直営慰安所を設けていたとしても、まったく不思議では ない。慰安婦問題をめぐり、朴大統領は日本政府に筋違いの要求を繰り返しているが、これで日本を非難する道理は完全になくなった。まずは、自国軍による他 国の女性への人権侵害の実態を徹底調査すべきだ」

 『ディス・イズ・コリア』(産経新聞出版)がベストセラーになっているジャーナリストの室谷克実氏も「意義あるリポートだ。米国の公文書から発覚したのだから、韓国も言い逃れできないはずだ」と強調する。

 くしくも、文春報道の翌27日、米紙ワシントン・ポストは、安倍首相のインタビュー記事を掲載した。

  同紙によると、安倍首相は、慰安婦が「人身売買(ヒューマン・トラフィッキング)の犠牲となり、筆舌に尽くしがたい痛みと苦しみを経験されたことを思う と、心が痛む」と発言。さらに、「女性の人権が侵害された」「21世紀を人権侵害のない最初の世紀とすることを願っている」と語ったという。

  「人身売買」という表現を使った理由について、政府高官は「特別な意味はない」としながら、「人身売買には日本語の意味として強制連行は含まれない」と指 摘している。米軍が1944年10月、ビルマ(現ミャンマー)で朝鮮人慰安婦20人を尋問した調書でも、「慰安婦は強制ではなく雇用されていた」と記され ている。

 なぜ、TBS記者による衝撃スクープが、同局で報道されず、他社の媒体に掲載されたのか。夕刊フジの取材に対し、TBSは「社内のやり取りについては、従来よりお答えしておりません」と文書で回答した。
zakzak2015.3.31
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150331/frn1503311140001-n1.htm


TBS支局長“左遷”のナゼ 『文春』で「韓国軍慰安所」スクープ
TBS山口敬之

  韓国軍がベトナム戦争中にサイゴン(現ホーチミン)に「慰安所」を設けていた-とするスクープ記事を「週刊文春」に掲載したTBSの山口敬之ワシントン支 局長が、同社から15日間の出勤停止処分を受け、営業局ローカルタイム営業部への異動を内示されていたことが25日、分かった。関係者の間では、取材の成 果を他社の媒体に発表したため左遷されたという見方も広がっている。
 記事は3月26日発売の文春に掲載された。山口氏が米国内で発見した公文書に「韓国軍による韓国兵専用の慰安所」の存在が明示されていたとする内容で、これを裏づける元米軍海兵隊幹部の証言も盛り込まれている。

  朝日新聞が大誤報を認めたことで、日本の慰安婦問題の核心である「強制連行」の根拠は崩壊したが、いまだに韓国は筋違いな「解決」を求め続けている。韓国 軍の慰安所の存在が明らかになれば、これまでの日本への批判は天に唾するものだったことが白日の下にさらされることになる。

 まさに「意義あるリポート」(ジャーナリストの室谷克実氏)といえるが、これだけの歴史的スクープをなぜ自社で報道しなかったのか。そして、なぜスクープを物にした有望社員が突然、異動の憂き目にあったのか。
  TBS関係者は「ローカルタイム営業部というのは関東ローカルの番組を扱う部署で、花形とは言いがたい。門外漢である記者、しかも海外支局長クラスを送り 込むというのは、嫌がらせとしか思えない」と述べ、今回の異動が出勤停止処分と併せた事実上の左遷であるとの見方を示す。

 TBS広報部は、夕刊フジの取材に「人事についての詳細は公表しておらず、お答えできない」としているが、憶測は広がるばかりだ。
zakzak2015.4.26
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150426/dms1504261140005-n1.htm

韓国軍のベトナム慰安所報道で処分、「左遷」 TBS山口敬之ワシントン支局長に激励の声相次ぐ

 韓国軍がベトナム戦争中に慰安所を開設していたことを週刊文春でスクープしたTBSの山口敬之ワシントン支局長が、この記事をきっかけに懲戒処分を受け、営業局に異動させられていたことが分かった。

「歴史的スクープ 韓国軍にベトナム人慰安婦がいた!」。週刊文春の2015年4月2日号は、こんなタイトルで7ページにわたる大特集を組んだ。

TBS山口敬之ベトナム慰安婦
山口氏はフェイスブックで説明

懲戒処分を受け、営業局に異動を命じられる

 その記事は、山口敬之支局長名で書かれており、アメリカの機密公文書まで調べた文字通りの調査報道だった。この記事は大きな反響を呼び、ネット上では、なぜTBSでは報じなかったのかも話題になった。

  記事によると、山口氏はアメリカに赴任する直前の2013年、ある外交関係者から、慰安所の未確認情報があり、米政府の資料などで裏付けられるかもしれな いと耳打ちされた。山口氏は、韓国に加害者の側面があることが分かれば、慰安婦問題の突破口になるはずだとの考えに共感し、この年9月から公文書を探す取 材が始まった。

 そして、14年7月になって、米軍司令部が「韓国軍による韓国兵専用慰安所」と断定する書簡を見つけた。今度は、当時を よく知る人物がいないかをリサーチし、米海兵隊の歩兵部隊長だった米国人男性(71)から決定的な証言を得た。サイゴン(現ホーチミン市)にその慰安所が あり、市内の別の場所には、1区画20人前後のベトナム人女性が働かされていたもっと大きな慰安所もあったというのだ。韓国兵のレイプや性病蔓延などを防 ぐのが理由だったというが、二十歳未満の少女も多かったともいう。

 記事が載った文春は3月26日に発売されたが、4月24日になって、 一部のネットメディアやブログで、山口氏が前日付で懲戒処分を受け、左遷・更迭させられたとの情報が出回った。また、山口氏は、自らの取材結果を報道する よう何度もTBSに求めたが、結局報道しない方向になったとの根拠不明の情報も流れた。

山口氏「寄稿に至る手続きが問題とされた」
 夕刊フジが4月26日になって、この情報を大きく取り上げ、ネット上でも騒ぎが大きくなった。

 その記事によると、山口敬之氏は、TBSから15日間の出勤停止処分を受け、営業局のローカルタイム営業部への異動を内示された。その理由について、「関係者の間では、取材の成果を他社の媒体に発表したため左遷されたという見方も広がっている」と伝えた。

  これに対し、山口氏はフェイスブックで、報道で問い合わせが多かったとして自ら説明した。そこでは、4月23日付でワシントン支局長の任を解かれ、営業局 への異動を命じられたのは事実だと認めた。また、懲戒処分もあったとした。その理由としては、「週刊文春への寄稿内容ではなく、寄稿に至る手続きが問題と されました」と明かした。そして、「見解の相違はありますが、今回の懲戒処分がTBSの報道姿勢に直接リンクするものではない」と言っている。

  フェイスブックでは、そもそもなぜTBSが報じなかったのかとさらに質問があったが、山口氏は、「会社が私の取材成果を報道しなかった真意は、私にはわか らない」と繰り返した。ただ、「事実は揺るぎなく、世に知らしむべきニュースと考えて公表に踏み切りました」と説明している。

 韓国の主 要メディアはほとんど記事を取り上げていないが、日刊紙「ハンギョレ新聞」だけは、「腹立たしいが、反論は困難...」だとして政府次元の解決努力を促し ている。山口さんは、その報道を取り上げ、専門家などからも「裏付けが必要」との指摘は出ていないとしており、自らの取材に自信を持っているようだ。

  ネット上では、山口氏について、賞賛や激励が相次ぎ、フェイスブックには1日足らずで1100を越える「いいね」が付いたほどだ。TBSに対しては、「こ の処分自体は当然のこと」と理解する向きも一部であるものの、「報道しない自由っていうやつか」「政府の圧力は散々批判してるのに、自分等がやってる矛 盾」といった批判や疑問が続出している。

 TBSの広報部では、J-CASTニュースの取材に対し、「人事の詳細については、お答えしておりません」とだけコメントした。
j-castニュース2015.4.28
http://www.j-cast.com/2015/04/28234229.html


かつてTBS報道特集は吉田清治氏を二度ばかり出して訂正や謝罪はしていないのだから
今でも赤い糸は生きてるのではないのか?
是非大々的に報道して欲しいと思うのだが


【youtube】 3 3【討論!】『慰安婦』『南京』中国謀略戦の真実桜H27 3 14 

4:12頃
(どこか一局でも株主になってまともな番組を作ってもらいたい、という話を受けて)
水間政憲氏「だったらTBSがいいですよ。今内紛が起きてるらしいですから。」

毎日新聞は以前は産経なんかより右だったと三輪和雄氏も言っていたので
中の人、頑張れ

参考
米公文書が暴いたベトナムの「韓国軍慰安所」 

「ロスジェネ世代」の仕事観、3・11の衝撃

齋藤麻紀子(フリーランス・ライター)

 遡ることいまから4年前、2007年1月1日、『朝日新聞』である連載が始まった。タイトルは「ロストジェネレーション――25~35歳」。バブル経済崩壊後に大人になり、「就職氷河期」を経験した世代、言い換えれば、ひと世代前まで当たり前のように入ることができた“職場”という場所から弾き飛ばされた世代だ。そんな彼らも、いまや働き盛りの30代を迎えている。

 ロストジェネレーション世代(以下、ロスジェネ世代)で マスコミがフォーカスしがちなのは、厳しい就職戦線に敗れ、「ニート」や「フリーター」になった層だ。しかし一方で、運よく職に就けた層も、ずっと“迷 い”のなかにあった。40代の「バブル世代」ほどお金に執着もなければ、20代の「ゆとり世代」ほどプライベート重視でもない。「何のために仕事をするの か」という漠然とした疑問を抱え、彷徨ってきた世代である。だが今回の震災を機に、その解を見出そうとしているロスジェネ世代もいる。被災地の取材で出 会った3人の仕事観に迫った。

利益を出しながら人の役に立てないか
 ロスジェネ世代の一人・川田信夫さん(仮名/35歳)は、仙台にある大手IT関連企業の子会社に勤めている。「最初に内定をもらった」という理由で入社して以降、一度も転職していない。

「会社以外の世界を知らない、平凡なサラリーマンです」

 川田さんは、自分のことをそう表現する。だがフリーターやニートを多く生み出したロスジェネ世代のなかでは、川田さんは数少ない“勝ち組”だ。しかし、そんな川田さんにも悩みがあった。仕事を通じて人の役に立っているとの実感が、これまで味わえなかったという。

  川田さんは、1年前までSE(システム・エンジニア)をしていた。仕事は、クライアントの要望に沿ってシステムを構築・改善すること。しかしながら、要望 に応えられないことも多かった。利益が出ないからだ。また要望によっては、ライバル会社の製品のほうがマッチすることもある。でも、そんなことは口が裂け てもいえない。もちろん、自社の利益を確保するためだ。

 利益を出しながら、人の役に立つことはできないものか――。

 希望の会社に行くことよりも、内定をもらうことを優先した就職戦線。そんなたいへんな時代に大企業に就職できた川田さんの悩みは、“贅沢な悩み”なのかもしれない。事実、川田さんも「営利団体である以上、利益を優先するのは当然のこと」と自分に言い聞かせてきた。

 そんなある日、今回の震災に遭遇。知人のなかには、津波被害で避難所暮らしになった人もいる。それどころか、死に瀕した人びとが、県内のみならずたくさんいる。

「何か、しなければ!」

 川田さんは焦った。しかし震災後、経営陣が真っ先に行なった仕事は、“売上げ&利益計画の修正”。多くの取引先が被災したため、財務状況にどの程度の影響が及ぶか、計算を始めたのだ。経営陣の興味対象は、やっぱりお金だった。

「営利団体なんだから、当然じゃないか」

 川田さんはいつものように自分に言い聞かせたが、今回ばかりは腑に落ちない。震災後、初めての出社日となった3月14日、デスクでパソコンに向かう自分に、猛烈な罪悪感が押し寄せた。サラリーマンである自分に、初めて疑問をもった。

 そこで、「困っている人の役に立ちたい」と、会社を休んで物資運搬のボランティアに行った。誰にでもできる単純作業だったが、人の役に立てているとの喜びがあった。そのせいか、心も少しだけ落ち着いた。

 さらに数日後、会社が地元復興プロジェクトを発足したという連絡が入る。震災直後は“経営計画の修正”に躍起になっていた役員だが、地元のためにひと肌脱ぐことを決めたのだという。偶然にも、川田さんはプロジェクト・メンバーに選ばれた。さらに、気持ちが落ち着いた。

「この会社にいれば、仕事を通じて地元に貢献できる。プロジェクトへの参加は、『やっぱり、この会社で頑張ろう』と思えるきっかけになりましたね」

 そしていま、仕事と利益との関係に思い悩んできた川田さんがビジネスの本質をみているのは、意外にも“儲け度外視でラーメンをつくる頑固おやじ”の存在だという。

「甘い考えかもしれませんが、利益の大きさとは、つまりはお客さんへの思いやりの大きさなのではないか、と考えるようになったんです」

 何のために仕事をするのか――迷いのなかにあった川田さんはいま、“営利団体が提供できる思いやり”について考えている。

つねにアウトプットする“生産者”に私はなりたい
「とにかく、何事も中途半端な人間でした」

 そう語るのは、仙台でNPO法人アスイクを運営す る大橋雄介さん(31歳)だ。現役で東京の某有名大学に入るも、「面白くない」と3カ月で退学。再度勉強して筑波大学に入学したが、「人生の目標がみえな い」と一転、脚本家をめざす。Wスクールで勉強を続けるも、やはり挫折。結局、新卒でネット上の求人広告を扱う代理店に入社した。求人広告のメインコピー をつくるのが、大橋さんの仕事である。

 大学卒業後、正社員としての職を得た大橋さんは、川田さん同様、恵まれているといえる。しかも社内での評価も、すこぶる高かったという。大橋さんの書くコピーは、クリック数やページビューを引き上げ、何度も社内表彰された。でも……。

「数字ではなく、求職者の顔がみたいんです」

 自分にとって仕事の目標は、数字や名誉でないことに気づいた。結局、この仕事もあっさりと辞めた。

 そして、転職を経てたどり着いたのは、「地域に貢献できる事業をしたい」という思い。東京のコンサル会社で3年間修業したのち、起業のため、一度だけ働いたことのあった仙台に向かう。2010年3月15日、震災の1年前のことだ。

  大橋さんの仕事人生において、重要なキーワードを挙げるとすれば、「生産」だろう。世の中のためになる価値を、自分の力で生産し続けること。そして、誰か に消費してもらうこと。この循環によって、自分の存在意義を実感する。大橋さんにとって仕事は、“人のため”でもあるが、“自分のため”でもある。

 しかし仙台に向かった大橋さんは、いまひとつ“人のため”になれなかった。

「大学からお金をもらい、大学生の就活支援をするというビジネスモデルを考えていました。就職率が上がれば、大学にも地域にもメリットがある。でも大学には、就活生を支援するお金の余裕がなかったんです」

  プレゼンからの帰り道、バスに揺られながら「仙台にきたのは、まずかったのでは」と、何度も思った。バス代すら惜しくなった。結局、週の半分は地元の NPOに通い、社会的企業の本質を勉強させてもらった。でも、自らのアウトプット先は見つからないまま、運命の3・11を迎えることになる。

「ああ、ここで死ぬんだ」

 仙台市内の古い建物にいた大橋さんは、阪神・淡路大震災のニュースで観た、潰れたビルの映像を何度も思い出した。しかし揺れが収まったあと、急に色濃くなったものがある。“生産者”としての使命感だ。

 「幸運にも生き残ったんだ。何か、しなければ!」

 震災当日から毎日、被害状況を確認し続けた。自らの強みとニーズを照らし合わせた結果、見出した道は、学校に通えなくなった子供の学習支援。イメージは、江戸時代の寺子屋である。

  「いまの日本において、教育は官の役割だと思われています。でも日本の識字率を上げたのは、民間が自発的に始めた寺子屋でした。私は、行政を待つのではな く、つねにアウトプットする“生産者”になりたい。アウトプット先がなくて時間を持てあましているほうが、辛いんです」

 社会学者メアリー・C・ブリントン氏は著書『失われた場を探して』(エヌティティ出版)のなかで、日本社会の特徴をこう語った。

 「日本の社会では、学校や職場、家庭生活などの安定した『場』に属することが人々のアイデンティティーや経済的な成功、心理的な充足感の源としてきわめて重要な意味を持ってきた」

 そのうえで、日本のロスジェネ世代の特徴を、「ロスト・イン・トランザクション(移行の途中で行き先を失った)」と評した。しかしロスジェネ世代に光を当てた『朝日新聞』は、その特徴をこう表現する。

 「時代の波頭に立ち、新しい生き方を求めて、さまよえる世代」

 あてもなく彷徨う危なっかしさと同時に、暗中模索ながらも前に進む強さを持ち併せているのが、ロスジェネ世代の特徴だ。仙台市内で震度6の恐怖を味わいながらも、すぐに生産者としての活動領域を見出した大橋さんに、義理のお母さんはこんなメールを送ったという。

 「雄介君が仙台に行ったのは、このためだったんだね」

自分の時間を差し出せば被災者が一歩を踏み出せる
 自分なりの「場」を求めるのが日本人なら、欧米人は「カメ」――そう語るのは、前出の社会学者・メアリー氏だ。「カメが背中に家を背負ってあちこち場所を移動するように、アメリカ人は、前の職場で身につけたスキルと専門技能を携えて次の職場へと移っていく」と語る。

 その意味で、南三陸町の避難所でボランティア・リーダーを務めた渡辺啓さん(37歳)は、欧米型かもしれない。あの日、関東の会社でかつてない地震を経験した渡辺さんは、すぐに物資をまとめ、親戚の多くが住む南三陸に向かった。

 現地で愕然としたのは、「生きるために生きる」被災者の姿だ。物資の仕分け、水汲み、薪割りで、あっという間に1日が終わっていた。

 「これじゃあ、仕事を探しにいく余裕もない。いつまで経っても、自立できないじゃないか」

「自立」は、渡辺さんの仕事人生のキーワードといってもいい。自分にできることを提供し、対価をもらう。ホームページの制作などで、大学時代から自分でお金を稼いできた渡辺さんは、仕事を通して、つねに「自分には何ができるのか」と問い続けた。

  当時、渡辺さんは建設関連の会社で営業企画を担当していたが、震災を機に会社を退職、南三陸町にある避難所のボランティア・リーダーになった。物資の仕分 け、水汲み、薪割りなどの実務を行ないながらも、避難者の要望をとりまとめ、避難所を統括する。さらには、南三陸町戸倉地区にある避難所の情報収集や問題 解決機能も請け負った。業務領域はきわめて広い。

 だがボランティアには、報酬が支払われない。幸い、渡辺さんの活動には多少の支援金が出たものの、その額は微々たるものである。

 さらにリーダーの仕事は、被災者から感謝される仕事でもないのだという。

 「いま、この避難所では何が必要ですか」

 そう問うても、東北の人は教えてくれない。

 「ほかの避難所もたいへんなんだから、何もいらない」

 米粒ひとつ、よこせとはいわない。「気高い」「奥ゆかしい」と渡辺さんは表現するが、運営側としてはたいへんだ。

 「では、私が必要だと思うものを、私の責任で調達します。それならいいですね?」

 避難者の声なき声に耳を傾け、必要なものを調達する。だから、感謝の声を聞くことはあまりない。「まるで海賊」だと、自身の仕事を表現する渡辺さんだが、日々の充実感は計り知れないという。

「私の時間を差し出すことで、避難者が一歩踏み出すための時間を生むことができる。こんな働き方もあるんだ、と思ったんです」

 事実、渡辺さんが避難所に入ることで、出稼ぎに行く人や、瓦礫撤去の仕事に就く人が出てきた。避難所からみえる瓦礫の山は、日を追うごとに小さくなっていく。

「以前の仕事では、一部のお客様の満足度を上げることに精いっぱいでした。でもいまは、間接的であれ、町の復興に携わっているという実感があります。べつにデカイことをしたいわけではありませんが、この場所のほうが、なぜか自分の居場所だと実感できるのです」

 7月末、避難者数は16人にまで減った。でも渡辺さんは、まだ現地にいる。しばらくは、エリア全体のボランティア・ニーズを収集・解決する機能を受け持つのだという。当面は貯金や寄付、団体からの支援金で生活するつもりだが、その働き方にまだ明確な答えはない。



  ロスジェネ世代は、バブル経済からの転換という、日本が初めて立ち向かう局面で犠牲になった世代だ。しかし彼らは、決して無気力な世代ではない。阪神・淡 路大震災のときに真っ先にボランティアに駆けつけたのも、当時、大学生だった彼らだった。その後のITバブルも、事業と社会貢献の両方を追求するソーシャ ル・ビジネスも、牽引役の中心はロスジェネ世代だ。社会やビジネスの枠組みが壊れたとき、彼らは率先して“新たな解”を探してきた。

 千年に一度といわれる大規模災害になった東日本大震災。家や工場などの物的資産のみならず、古い常識や価値観までも流されてしまった未曾有の震災の陰で、彼らはいま新たな働き方をつかもうとしている。
PHP Biz Online 衆智2011.10.11
http://shuchi.php.co.jp/article/388

齋藤麻紀子氏=菅原彩加さんのAERA記事を書いた人なのですよ
「震デレラ」に魔法をかけたのは誰? 不思議なベンチャー 

ロストジェネレーション(ロスジェネ)という言葉は朝日新聞の連載からだったのか

そしてロスジェネとAERAというとどうしてもこの人が浮かぶ

『ロストジェネレーションの逆襲(朝日新書)』 朝日新聞ロスジェネ取材班著
ロストジェネレーションの逆襲
http://honto.jp/netstore/pd-worklist_0602928709.html

ロスジェネ地方議員たちの挑戦 太田匡彦 著 115-163
ここに佐藤大吾氏の名前も
塩村文夏都議のTOKYO-ZEROの理事さんですね
2014衆院選インタビューにTOKYO-ZEROのお二人が雁首揃える

この本にNPO法人Rights(菅元首相の息子&青木大和氏が理事の)の高橋亮平氏も出ていたと
小4詐称青木大和のおかげでサヨク人脈が芋づる2 

p215
ロスジェネ逆襲太田匡彦高橋亮平佐藤大吾

「8.6バズーカー 原爆説」をデマだと言って出てくる人の動機


【ニコニコ動画】【無料】「ラッスンゴレライ」の陰謀論について考える 1/2 

この動画の解説文
2015年4月21日(火)に放送された、来場者数が9,000人を突破し、コメントも大荒れとなったニコ生のアーカイブ動画。信じるか信じないかはあなた次第…
アクセス稼げて嬉しいとつい本音がw
なので正面から批判するのも馬鹿馬鹿しいと思うが

モーリー・ロバートソン氏は数々の噂について検証してデマであると
検証はいいでしょう。自分もデマ混じってると思うんで
だが

この噂について
「(スマイリー・キクチ事件に触れて)匿名の書き込みと思って甘く見てたら最悪訴えられる場合もあるけどその覚悟あるの?」
「在日であることをカミングアウト出来ないのは差別があるから。出自を明らかに出来る人も出来ない人もそれぞれの事情」
「芸能界や財界には在日の人が沢山いて、そのような、在日陰謀論に加担するような思想を持っていてはお金稼げないしいいことないよ」
「敗戦後のドイツがうまくいかないのはユダヤのせいとなった。ユダヤ陰謀論と同じ。日本がうまくいかないのは在日のせいにして差別しても何も解決しない」

結局「差別」の問題に落とし込んでしまった
在日朝鮮人批判を封じたいんですかね

以前の氏の動画で
ももクロの黒塗りメイクを批判して
(参考→http://blogos.com/article/107385/ 
   そもそもNYTタブチヒロコ記者の火付けネタなんてどうでもええわい:筆者)
アメリカにはミンストレル・ショーという黒塗りメイクで黒人を嘲笑するコメディがあると説明しながら
「理屈抜きで、うわぁもうアウトって感じ~と思っちゃう」と言ってたが

アンタラの国が黒人奴隷使って、更に嘲笑するコメディやってた歴史なんか知らんがな
(注:モーリー・ロバートソン氏は日米ハーフで国籍はアメリカらしい)
その恐るべき歴史に配慮しろというなら多様性とか絶対に主張するなよ

差別・ハラスメント問題で
「当人が差別(ハラス)と感じたら差別(ハラス)」というヘリクツがあるので
(法治国家としてこのような主観による規制は極力なくすべきだと思うのだが)

差別と感じる黒人がいるから差別
一応こういうヘリクツが成立するとして
多くの人がこれは原爆ネタで侮辱だと感じたんだからアウトですね

よって
8.6秒バズーカー原爆説 ← 意図してないからOK と
モモクロ黒塗り ← 意図してないけどアウト
は同時に成立しない

  _人人 人人人人_
  >  論理破綻 <
   ̄Y^Y^Y^YY^Y

どっちでもいいからどちらかに統一しないと論として破綻しているということですね

 同様にデマと言って出た人が

『ネットのデマはなぜ無くならないのか?「8.6秒バズーカー」「翁長知事の娘」から考えるデマと寄生の関係』
古谷経衡 | 評論家/著述家
http://bylines.news.yahoo.co.jp/furuyatsunehira/20150424-00045120/
http://megalodon.jp/2015-0427-1616-43/bylines.news.yahoo.co.jp/furuyatsunehira/20150424-00045120/

古谷経衡氏は塩村文夏都議やじ騒動を「女性の人権問題」と擁護していた
古谷経衡塩村文夏
https://twitter.com/aniotahosyu/status/538235711678205953

『ネット保守からの塩村都議批判論とは?』
http://blogos.com/article/89288/

これも同じですね
8・6秒バズーカー原爆説 ← 意図してないからOK
都議会やじ ← 意図してないけどアウト
というダブスタ


そしてここからが大事なこと
この際なのでこれが常識になるまで拡散されるべきだと思う

モーリー・ロバートソン氏は「チョッパリ」という言葉すら知らないようなので(あるいはとぼけているのか)
話にならない

チョッパリと言えば原爆、放射能
俳句の枕詞のようにセットで罵ってくるという事実

昨日ちょっと書いたけど
NY韓人会キリスト教宣教師コメント放射能
拷問の証拠が見つかったニダ 

日々「放射能猿」と言って罵ってくるのが朝鮮人なんですよ
一体どれだけこれに類した言葉を投げつけられたか(もはや麻痺してハイハイワロスワロス
日本に関連する動画やニュースにどれだけ書かれているか

例)→月見櫓さん『韓国人は原爆がお好き』 
   http://fetia.blog34.fc2.com/blog-entry-67.html

なので
原爆ネタらしきものに遭遇したらまず疑え
反日思想で洗脳されきった彼らは危険だから


【youtube】「日本が朝鮮半島から搾取した」は大嘘!「ひと目でわかる『日韓併合』時代の真実」を、著者水間政憲が徹底解説【前編】

3:43~
水 間政憲氏「実際戦争をしないためにはどうしたらいいか。それはただ平和を祈るだけとか戦前の軍の批判をするとか、それで戦争止められるっていうような単純 なものじゃないんですよ。で、先の戦争は軍部の独走でも何でもなくね、実際は1919年のパリ講和会議、あそこで人種差別撤廃決議案が完全に英米によって 否決されて、その恨みをかって徐々に徐々に日本は・・包囲網ですよね。植民地解放なんてとんでもないことだったと思うんです。イギリスにとってはね。だか らフーバー大統領が15年戦争の枠の前に就任してその後ルーズベルトなんですけど、アメリカの最高責任者ですよ。日本を刺激しなかったら日本から攻撃され ることはなかっただろうと、そういう風な総括をしてますんでね。
正しく戦争とは何かって言ったら情報戦に負けた結果が日米開戦に至ってるんですね。だから情報戦に負けるってことは日本が言うべき時に言わない、報道しなかった、強く国際社会にアピールできなかった、それが原因なんですよ。」

慰安婦強制連行はなかった
南京大虐殺はなかった
竹島は日本領(そして犠牲になった竹島の漁師がいること)
在日特権はあった

タブーがあっても言わなきゃいけない(そもそもなぜタブーなのか
日本人の人権だけが棄損され放題なのが当然な現状はおかしいと言わなきゃいけない
おかしいことはおかしいと声を上げなきゃいけない

そこに言及せずして日本人が差別しているとだけ言う人は
本気で差別や人権を考える気はないのだろう

一方の言説のみを問題視する人間こそが差別主義者だ

そうでないなら是非日本人がどれだけ「放射能猿」と罵られているか問題にして下さいな

参考
「ミヤネ屋、吉本擁護に偏りすぎ」記事検証 
 (思えばここで西早稲田を知ったんだったな・・
吉本興業と統一協会 

蛇足
メディアリテラシー、ネットリテラシーについてちょっとだけ
ネットのデマは確かに多いし問題がないとも思ってないが
そもそもネットはメディアの合わせ鏡みたいなもので
メディアが形成してきた「報道とはこういうもの」「批判とはこういうもの」「言論とはこういうもの」
という意識をそのまま引き継いでいるせいだと思う
ネットのやってることはメディアがやってきたこと

今過渡期だから徐々に改善されていくと思う
スキあれば規制しようとする輩の思惑に引っかからないよう努力も必要だろう(自分も含め

「3.1運動後、日本の警察が性的拷問」~アメリカ教会連合会の文書発見
NY韓人会キリスト教宣教師3.1独立運動拷問

3.1運動以降、日本帝国主義の警察が当時の韓国(朝鮮)の女子学生を対象に、性的拷問までしたという事実を記録したアメリカ教会連合会の文書が発見された。

26日(現地時間)にアメリカを訪問する安倍晋三日本総理が、過去の日本軍の慰安婦強制動員を含む植民地の歴史に対する認定と謝罪を拒否する中、日帝時代に日本の警察が組織的に女性の人権を踏み躪った事実が、アメリカの宣教師によって確認されたのである。

ニューヨーク・マンハッタンのニューヨーク韓人教会の倉庫で最近発見された『韓国の状況(The- Korean Situation)』というタイトルの27ページの文書は、1919年の3・1運動以降から翌年3月まで 韓国人の独立運動を紹介して、日本の無慈悲な鎮圧状況を暴露している。ニューヨーク韓人教会は ニューヨークで展開された、独立運動の拠点だった

こ の文書は『アメリカ教会連合会(Federal Council of the Churches of Christ in America)』の 『東洋関係委員会(The Commission on Relations with the Orient)』が作成した二番目(Number2) の書類に表示されている。文書が作成された日時は1920年6月頃と分かった。

報告書形式のこの文書は、韓国に滞在した宣教師が伝えた独立運動の現況と日本の対応、外国での独立運動などを盛り込んでいる。

特に注目される部分は、警察署で韓国女性に対する性拷問が数多くあった事を指摘している部分である。

文書には、「日本警察が行った拷問および残酷行為には、若い女性と女子学生を裸にして尋問して拷問し、虐待する行為が含まれている」と書かれている。

引き続き、「このような状況では強姦に対する処罰が成り立たない(No charge is made of rape- under these conditions.)』と指摘した。直接の言及はないが、警察署で強姦まで行われた事が 推測される部分である。

宣教師は具体的な性的拷問件数を要請したが、日本は「正確な統計資料がない」と回答した事が記録されている。

日本の無慈悲な弾圧を目撃した宣教師は、日本政府に残虐行為を中断して欲しいと要請している。

しかし報告書は、「1919年10月と11月に以前行われていなかった新たな拷問が大幅に増えた。 女性に対する待遇は人道主義的な事とかけ離れている」と記述して、逆に酷くなった事を示唆した。

16歳の男子5人が日本の警察にこん棒で殴られ、セブランス病院に入院した事例も紹介されている。

アメリカ宣教師の口からアメリカ教会連合会が作成したこの文書は、韓国人の主張ではなく外国人が直接作成したという点から、日本の非人間的な蛮行を客観的に伝える貴重な資料と見られる。

また日本の様々な顧問を恐れずに、若い学生たちまで独立運動に乗り出したという事実が具体的な数値とともに記述されていて、「韓国を侵略したのではなく韓国人の希望によって支援した」という 日本側の主張もデタラメという事を表している。

独立記念館のホン・ソンピョ責任研究委員は26日、聯合ニュースとの国際電話を通じ、「日本の蛮行を伝えるため外国で作られた説得力のある実証報告書だ」とし、「アメリカ教人が状況を把握 して抗議をした位、日本の苛酷行為が深刻だった事を示唆している」と話した。

日本軍慰安婦問題が国際社会の公憤を買う中、性拷問を記述した資料が追加で発見された事に よって、日本に対する国際社会の圧迫がさらに強まる見込みである。

NAVER/ニューヨーク=聯合ニュース(韓国語)2015.4.26
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=104&oid=001&aid=0007553723
翻訳はこちらから
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1430015059/

3.1独立運動にキリスト教宣教師が加担してデタラメ拡散した証拠か
と自分は思ったのだが
スレッドを見ると「ワープロソフトで作った文章っぽいなぁ」というコメントも多かった

(´・ω・`)確かにそこから疑わなきゃいけない物件だわね・・修行が足りんかった

3.1独立運動にキリスト教会が関わってたのは事実
その流れで西早稲田2-3-18が反日運動の拠点なんです
朝鮮人+キリスト教=
中の村田春樹氏の動画を見ればわかるが
日本人が拷問していたというのは嘘でございます
(ラジオ体操してたわけだし)

大体その日本帝国主義の警察というのが・・


【youtube】「日本が朝鮮半島から搾取した」は大嘘!「ひと目でわかる『日韓併合』時代の真実」を、著者水間政憲が徹底解説【後編】

11:03~
「忠清南道の群長12名のうち8名が朝鮮人。」
「警察はトップは違いますけどあと朝鮮人ですよ。こんな体制で強制連行できるわけないでしょと。で、道議会議員81%は朝鮮人ですよ。昭和8年の選挙の当選者の81%。」


【youtube】【水間政憲】ひと目でわかる「慰安婦問題」の真実[桜H26/10/23]
4:20~

「たまたま朝鮮総督府の写真帖の付録としてみつけたんですよ。」
「この面っていうのは村ですね。で、日本人(内地人)は100。朝鮮人は約44896で すよ。これはどういうことかというとほぼ100%。1970年の千田夏光の週刊新潮の論文。あれだと面長に強制的に慰安婦にされたっていう記述あるんです よ。で、これ巡査も含まれてるんですね。公吏だから。となるとほぼ100%が朝鮮人ってことになるんですよ。だから農村で女子が誘拐されたりって記事沢山 ありますけど、そこで官憲が強制連行って言った場合朝鮮人の犯罪ですね。」

水間政憲面公職者朝鮮人

こういう状態なんで、日本人の官憲が組織的にやったなんてことはありえないんですね

自分が問題だと思ったのは・・・
再びスレッドから

3 :HONEY MILKφ ★@\(^o^)/:2015/04/26(日) 11:24:59.75 ID:???.net
コメント出したら大反響でした^^
NY韓人会キリスト教宣教師コメント放射能
毎度おなじみ放射能猿

だけど彼らは日本人の官憲が組織的に強制連行して拷問したと思いこんでいるのだから
「放射能猿」と罵ってきてもある意味当然なわけですね

日本人への偏見に基づく差別をなくすために
正しく朝鮮人批判をやらなければいけない
日本人の朝鮮人批判を「差別」といって封じてしまうことが正に争いを生むわけですね

それが今の「嫌韓」に繋がったわけですね 

読むたびに目からウロコが落ちる佐伯啓思氏の本から
世界を知る「コスモポリタン」という自己特権化
 日本の対米「自発的従属」構造


日本という「価値」
佐伯 啓思
エヌティティ出版
2010-07-29


序章 岐路に立つ日本 より

p8~11
日本の価値の根本を想起せよ

  萩原朔太郎は、昭和15年(1940年)に出版された『帰郷者』というエッセイ集の中で次のようなことを述べている。明治以来、日本の知識人は西洋を理想 とし、西洋化することを近代日本の目標とみなしてきた。しかし、長年の夢から覚めて、あこがれの西洋が蜃気楼に過ぎないことを知った知識人が日本の現実に 戻ってきた時には、「昔あったすべてのもの・・・すべての日本的なる美しいもの、懐かしいもの、床しいもの・・・は、跡形もなく消滅している」。すべては 「無」に帰してしまった、というわけだ。「戦後60年」の日本の精神も、ある意味ではこれと同様のものなのではないだろうか。占領国アメリカを理想化し、モデルとしてつき従った日本の知識人が、夢から覚めてみれば、すでに「日本的なもの」は、取り返しもつかぬほどに破壊されていた、ということである。「無」とはニヒリズムである。ニヒリズムとは、高い価値を自ら設定できず、自ら信じてもいないことを信じているように自らを欺くことである。

 戦後日本の基礎は、アメリカ占領政策によって植えつけられた、自由、平等、民主、人権、ヒューマニズム、平和主義などを価値として受け入れた。私は、これらが間違っているというのではない。ただ、これらは、他者から与えられたものゆえに、自らの深い心情とも、日本文化の潜在力とも決して結びついてはいない、 といいいたいのである。と同時に、これらの価値は、決して無用ではないのだが、ニーチェ的にいえば、決して「高い価値」ではないのである。ここで高い価値 とは、崇高さや美意識や理想や友情や義や愛、いずれにしても、人々が自らの生命をかけても守ろうとする価値のことである。

 だが、戦後日 本が平和主義と人権主義を掲げたとき、その意味は、生命以上の価値を拒否するというものであった。とすれば、もはや、崇高さや美や理想や義などという「高 い価値」は不要となる。いってみれば、行動の規範を与える高い理想も倫理も存在しなくなる。このニヒリズムの中で登場するのは、ただ経済的利益の自由気ま まな追求というだけではなく、そのことの意味さえも措定できない、無目的で「無・意味」な経済利益追求でしかない。貧困国が経済成長を追求し、政情不安な 国が社会安定を求めるのは当然のことである。しかし、ここまで豊かになった国が、経済活動の意味や目的を自らに説明できない、というのは悲しいことではな いか。

 もともと、日本文化の中には、物質的幸福よりも、人々の精神的なつながりや質素な生活のもたらす安寧を重視するところがある。生 活の中に様々な形で美を持ち込むことを好む。資本にものをいわせた巨大なものよりも繊細で優美なものを愛好する性癖がある。巨大ビルよりも簡素で素朴な建 物への愛好がある。個人的利益追求よりも安定した社会の漸進的変化をよしとする傾向がある。激しい自己主張よりも控えめな態度に価値をおく。これらは、 「日本的なもの」の美質であるが、これはまた、今日のアメリカ型金融資本主義や個人主義的競争社会、ITに席巻された社会とはまったく異質なものといわざ るをえない。

  そのことをわれわれは深く自覚する必要があるだろう。今日の世界は、表面上はアメリカ型のグローバリズムによって支配されたかに見えているが、そのことの限界に誰もが気づき始めている。この混沌とした世界で、どの国も、その国のよってたつゆえんを確認しようとするであろう。政治にせよ経済にせよ、その基盤になるものは精神的文化であるほかない。要するに「価値」の問題へと回帰することになるであろう。「よってたつゆえん」とは、その国民にとっての精神的価値のことであり、それは、即席に植えつけられるものではなく、まさしく歴史伝統の中で保持され育成されてゆくほかないものだ。

  日本の政治も経済も社会も、「その国がよってたつゆえん」を見失っている。それを支える精神文化を見失っている。しかし、それが全く消失したわけではな い。日本社会の再建は、日本人がいまだ潜在的に保持している、死生観、自然観、歴史観といった日本の価値の根本を想起することによってのみ可能となるであ ろう。

2009年6月

この文が書かれた2009年から既に6年が経っているにも関わらず
未だ夢から覚めない
あるいは見るべき夢を演出するのに躍起になっている輩がいるわけで

こんな輩の見せる幻に惑わされて
すべての日本的なる美しいもの、懐かしいもの、床しいものを跡形なく消滅させられてたまるか

と思いちまちまとブログを綴る日々でございます

輩というのは例えば

ハフィントンポスト2015.3.27
『ミス・ユニバース日本代表の宮本エリアナさんは、「ハーフ」への偏見と闘っている』

宮本エリアナハフィントンポストHAFUhttp://www.huffingtonpost.jp/2015/03/26/miss-universe-japan-not-japanese-enough_n_6952690.html

宮本さんが選ばれたことを不満に思う人たちがいる一方で、彼女を応援する人たちもいる。その一人、ドキュメンタリー映画『ハーフ(HAFU)』の共同監督の西倉めぐみ氏はNBCニュースで次のように語っている。

「今年のミス・ユニバース日本代表に宮本エリアナさんが選ばれたことは、『日本人とは何か』という定義を広げるための大きな一歩です」

        

宮本エリアナHAFU多様性ハリス鈴木絵美
宮本エリアナHAFU多様性ドキュメンタリ
http://www.glocol.osaka-u.ac.jp/research/ashikoku2013chirashi.pdf

org
http://blog-jp.change.org/post/104656869575/change-org-c-2500-30
http://www.asahi.com/shimbun/company/csr/mm/a.html
change.orgに出資しているアリアナ・ハフィントン氏と朝日新聞・木村伊量元社長
=ハフィントンポスト日本版は朝日系

「多文化共生」は表向きでこの人達がやろうとしてることは日本文化破壊

「よってたつゆえん」が揺らいでいるとこのような
日本が破壊されようと別にどうでもいい輩が跋扈するわけですね

侮日に関わる人はずっと追及しますよ  

趙甲済(チョガブジェ)氏の本を読んでみた 
「私も貝になりたい」朝鮮人BC級戦犯 補足

朝鮮人BC級戦犯で記事を探してみた

韓国・朝鮮人元BC級戦犯「戦後70年機に謝罪と補償を」

【東京聯合ニュース】日本による植民地時代に捕虜収容所などで働き、戦後にBC級戦犯として処罰された朝鮮半島出身者でつくる「同進会」李鶴来(イ・ハクレ)会長(90)は1日、聯合ニュースとのインタビューで「日本政府を相手に60年間(謝罪と補償を求める)運動をしてきたが進展がない」とした上で、「われわれはでたらめな要求をしているのではなく、当然のことを言っている」と訴えた。

 李氏は戦時中にタイの捕虜収容所の監視員として働かされ、戦後、連合国による裁判で死刑を宣告された。8カ月間死刑囚として収容されていたが減刑され、計11年服役した。サンフランシスコ講和条約により日本国籍も剥奪されたため、恩給などを受けることもできなかった。

 東京都内で同日行われた同会設立60周年の記念行事に出席した李氏は「日本人は私たちに戦争中と戦争後に、青春と生命、戦後処理まですべてのことを(投げ出すよう)強要した」とした上で、「それにもかかわらず、なにも補償も支援もしないのは容認できない」と訴えた。 

  また「私たちが経験した不条理に対して立法措置を迅速に行い、すでに亡くなった人たちの悲痛きわまる絶叫を治癒し、名誉回復をしてほしいと要求してきた」 と説明。その上で「今年は戦後70周年で、韓日国交正常化50周年、そして同進会の設立60周年であるため、国会議員や関係者に問題解決の努力を訴える」 と強調した。 

 設立当時(1955年)54人だった同会のメンバーは現在5人しか残っておらず、李氏が最も若いという。

 今後の計画については「主に日本の国会を相手にした運動を強化する」とした上で、韓日両国政府と国民に協力を訴えた。
BC級戦犯李鶴来同進会

聯合ニュース2015.4.1
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2015/04/01/0400000000AJP20150401003400882.HTML

写真でたどる苦難の歩み 
韓国・朝鮮人BC級戦犯問題、「日本政府は亡くなった友人たちの無念を晴らし、名誉を回復すべきだ」

  戦時中、日本軍に捕虜の監視要員などとして動員され、戦後の軍事裁判で「BC級戦犯」とされた韓国・朝鮮人の問題を伝える写真パネル展が二十六日から、中 野区で始まる。パネル約四十枚を通じ、軍への動員の状況や軍事裁判の経緯、釈放後の当事者の状況などを説明する。(杉戸祐子)

 パネル展の題名は「パネル写真と映像でたどる戦後69年目の韓国・朝鮮人BC級戦犯者問題-長すぎる苦難の歩みといま-」。

 戦後の軍事裁判では日本軍の末端で捕虜の監視などにあたった韓国・朝鮮人百四十八人が有罪判決を受け、二十三人に死刑が執行された。釈放された人も恩給などの補償を受けられなかった。

 展示は当事者や遺族でつくる韓国・朝鮮人元BC級戦犯者「同進会」と支援者による「同進会を応援する会」の主催。

 同進会の李鶴来(イ・ハンネ)会長(89)は「釈放後、孤立無援の中で自殺した友人もいる。日本人と同じ戦犯でありながら、補償から排除されているのはあまりにも不条理だ」と話す。

 戦後七十年近くが経過し、同進会が発足した一九五五年に約七十人いた当事者会員は五人が残るのみ。李会長は「日本政府は亡くなった友人たちの無念を晴らし、名誉を回復すべきだ」と訴える。

 パネル展は、中野駅南口の「なかのZERO」本館地下展示ギャラリーで二十九日まで。午前十時~午後七時(二十九日は午後五時)。二十九日には関係映像上映会なども行われる。いずれも入場無料。
BC級戦犯李鶴来同進会2

写真パネルを指して説明する同進会の李鶴来会長=中野区で
東京新聞2015.2.26
記事期限切れのため引用はこちらから
http://awabi.open2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1398478064/


同進会を応援する会BC級戦犯有田芳生
https://twitter.com/kbcqouensurukai/status/461035892254068736

「右派の論客」趙甲済氏の著書から辿ったらなぜか太平洋戦争犠牲者遺族会とか有田芳生先生とか

これでは趙甲済氏も左派批判とか出来んと思うんですけどねぇ
右も左も・・(嘆息

趙甲済(チョガブジェ)氏の本を読んでみた 続き

偶然手にした本に上坂冬子氏と捕虜収容所が出て来て驚いた
『貝になった男』の告白

朝鮮総督府・封印された証言
趙甲済(チョ・カプチエ)
洋泉社
2010-09-24


第六章 私も貝になりたい
もう一つの悲劇、朝鮮人BC級戦犯
(初出『月刊マダン』1982年5月号)

p192・193
  1942年6月22日、3000余人の朝鮮人青年が日本陸軍の軍属として、釜山西面(ソミョン)の臨時軍属教育隊に入営した。彼らに与えられた任務は捕虜 の監視である。3000余人のうち相当数は軍属の志願者であった。その年の5月、陸軍省が朝鮮で軍属の募集を始めたときに掲げた条件は、「2年契約で月給50円」だったからだ。面長(村長もしくは町長)の月給が55円の 時代である。「米英崇拝思想の一掃」のために、マレーシアで捕らえた連合軍捕虜1000人を朝鮮に連れてきて市街を更新させ、『京城日報』と『毎日新聞』 が「朝鮮の徴兵制に感激の波濤きわめて高く!」「一度死んで皇恩に報いん!」「行こう、戦場へ、学徒兵よ!無敵皇軍の精鋭たれ!」 と叫ぶ時代であった。

 こうした状況で、ある軍では朝鮮人軍属の競争率が10倍にのぼった。その一方で多くの場所では志願を装った強制動員が実施された。面単位で募集人員が割り当てられ、面書記ばかりか巡査までが動員され試験免除の志願者が量産された。
(給料は良かったんですね)

p194
  卞鐘尹(ピョンジョンユン)たち朝鮮人軍属は初めは傭人の資格だった。日本軍の軍属は文官、雇員、傭人に区分され、傭人は軍にやとわれた労働者のようなも のだが、後に雇員に昇進することもできた。彼らは軍属ではあったが、釜山の西面教育舞台に入るとすぐに、軍人とまったく同じ義務と責任が強制され、過酷な 訓練を強要された。二カ月の訓練が終わると、1942年8月15日、朝鮮での勤務者70人を除いた軍属全員は朝鮮総督府の政務総監に見送られ、ぶりすべん 丸など10余隻の船に次々と乗船した。黄色の星一つの軍帽をかぶり、背嚢を背負った彼らの目的地はシンガポール、タイ、インドネシアなどである。

  卞鐘尹をはじめとする1400余人の軍属を載せた輸送船3隻が、ジャカルタ外港に着いたのは釜山出向25日後のことであった。彼らはそうして、ジャワの捕 虜収容所に配属されたのだった。当時、この島には8万2618人の連合軍捕虜がいた。オランダ、インドネシア軍捕虜が6万6000人で最も多く、その他、 オーストラリア、英国、米軍捕虜などがいた。卞は「派遣第三分所」に配属された。この収容所はアンボン島、セラム島、ハルク島、フローレス島を管掌した が、彼はフローレス島に勤めることになった。

p195
  この島の捕虜収容所には、オランダ軍がほとんどで、2000人の捕虜がいた。所長は日本軍の大尉で、その下に下士官4人、通訳1人、朝鮮人軍属70人がお り、結局捕虜を直接扱う任務は朝鮮人らに与えられたのである。1943年にさしかかると、日本軍が守勢に追いやられ、南洋の連合軍捕虜らは工事現場に駆り 立てられた。フローレス島では飛行場建設工事が始まった。崔基展はこのように語る。
「捕虜らと常に顔を合わせるのは我われ朝鮮人軍属でした。作業 命令は建設隊から下ってきましたが、今日は何メートル掘るのに捕虜何名が必要だというふうでした。すると我われは捕虜の代表に人員の手配を指示します。捕 虜の隊長は病人が多くてとてもそんなには出せないとがんばるけれど、我われにはどうしようもありません。命令の理由を挙げて有無をいわせずにやらせるしか ないでしょう。作業のノルマをこなすことができなければ、日本の軍人から我われだけいじめられるのです。しかたなく捕虜を酷使しなければならなかったので す。我われが命令に唯唯諾諾とした分だけ、捕虜に苦労をかけましたね・・・・。」

p197・198
 李鶴来はタイの泰緬鉄道建設の 現場の捕虜収容所に配属された。この鉄道はタイとミャンマーのジャングルをつなぐ415キロの鉄道で、1942年7月から1943年10月にかけて建設さ れた。人踏未踏の密林を1日1キロずつ切り拓く「鉄道史上例のない世紀の突貫工事であった。その間、日本軍1000人、捕虜1万3000人、労務者3万 3000人など、合計4万7000人の死者を出した。捕虜は4人に1人、労務者は2人に1人の割合で死んだ。名画「戦場にかける橋」のモデル(映画のあら すじは架空で、鉄橋は爆破されたことはない)となったこの生き地獄の工事現場でも、朝鮮人軍属は直接捕虜を追い立てる役を引き受けなければならなかった。
(参考→タイでもやらかしてた吉田清治。そして宇都宮徳馬

p199
  朝鮮人軍属らは二年勤務の契約で雇われていたから、1944年6月には故郷へ帰れるものとばかり思っていた。しかし、太平洋戦線のあちこちで配送する日本 軍は約束を守らず、彼らを引き止めたのだった。これがすべての災難の始まりであった。日本が約束を守ってさえいれば、朝鮮人軍属らは戦犯という名の汚名を 着ることはなかったろう。

p200・201
  日本の降伏で捕虜収容所の状況は一変した。捕虜を監視した人びとが捕虜となり、捕虜だった人びとが告発者となった。祖国では歓声で迎えた光復(解放)が朝 鮮人軍属たちにとっては災難のはじまりとなってしまった。南洋の捕虜収容所では、いわゆる「首実験」が連日行われていた。日本の軍人と軍属らは1日に2度 ずつ、この顔合わせの審判台に引き出されていた。彼らは列をなして顔を上げ、至近距離では心臓をどきどきさせ、捕虜出身の連合国軍人の指差しを待たなけれ ばならなかった。

「あいつにムチ打たれた」「あいつが医薬品と食糧をきちんと与えなかった」。こんな調子で捕虜の指差し告発を受けた軍属 は、その瞬間から被疑者となる。ジャワだは朝鮮人軍属の正面と横顔の写真を貼り出し、その下に身上の明細と勤務地を記載し、「この者に虐待された者は申告 せよ」という公告を数カ月続けた。加害者を探し、復讐心に燃える連合軍人と目の前で体面させられる軍属たちは、文字どおり首を大に乗せられて確かめられる ような切迫感を感じた。

「それは裁判でも捜査でもなく、有無をいわせぬ復讐でした」
  私が国際電話で当時の状況を聞くと、李鶴 来は東京からそのように答えた。タイの収容所の「首実験」で加害者ときめつけられた李は、まもなくシンガポールのチョンギ刑務所に送られた。捕虜の待遇が 過酷だった泰緬鉄道の現場で、戦犯が大勢出たのは、人間の復讐心に照らして当然のことだった。120人の泰緬鉄道関係者が起訴され、111人が有罪判決を 受けた。死刑が21人、終身刑が16人であった。このうち朝鮮人軍属が33人(起訴35人)もいた。13人は死刑宣告を受けた(のちに4人は減刑され る)。李鶴来も死刑宣告を受けた。

 起訴事実は「捕虜に対して食糧及び医薬品をきちんと支給せず、病んだ捕虜を仕事場に送り、部下が捕虜を虐待するのを傍観した」というものだった。これに対し、李は「食糧や医薬品の補給に軍属である我われがどのように関与できるのか」と反問する。
「裁 判は1時間もかからなかった。私を捕虜収容所の分所長だと間違えて死刑を宣告するほど、拙速な裁判だった。日本人の弁護士がいることはいたが、朝鮮人には 関心すらなかった。あらゆる手順が形式にすぎなかった」 李は軍事裁判の結果に不服で、嘆願書を出したが、彼が分所長ではないことが明らかになり、重労働 20年に減刑されたという。

p205
  被告人の行為が悪行であったことには間違いない。だが、死刑という極刑に値するほどの悪行だったのだろうか?きわめて稀に軍属が捕虜の死刑執行をしたこと があった。しかし、日本の軍人の命令によって引き金を引いたり、日本刀を振りかざしたり、銃剣で刺した「代理執行」であり、「自分の意志による殺人」では ありえなかった。卞鐘尹がいたグロドック刑務所で銃殺された台湾出身の日本軍人のトンジャンウンは遺書の末尾でこのように記している。

「この裁判を『正義』といわず、『報復』というならば、私の死刑には不満がない。しかし、殴って蹴った行為が悪いとしても、果して死で償わなければならないほどの罪なのか。彼ら(オランダ人)は非戦闘員のインドネシア人を射殺しても3年半の懲役刑だけで終わる。何らの利害関係もないインドネシア人を2人撃ち殺して懲役8年を受けたオランダ人もいる。そして、この刑務所の中で彼らは我われをいかに虐待したか。何が正義か!?これが何の裁判か!」

  李鶴来は「宣告が下される前に、我われは量刑があらかじめ分かるくらいで、証拠採択のようなことはまったくなかった」といっている。弁護士と検事の間で火 花を散らす攻防戦が行われたニュールンベルク裁判や東京裁判のような手続きは、大物戦犯にだけ適用され、彼ら無視けらほどの命には望めない夢だった。しか も、軍人でもない末端の雇人であるにもかかわらず、外国の戦場で重すぎるほどの負担を背負わされることになった韓国人に、新生祖国の力はまったく届かな かった。かといって、過去の義理を忘れず彼らを弁護してくれるような日本でもなかった。南洋の刑務所のあちこちで1人2人と孤立したまま「正義の剣と秤」 はどのように裁断するのか、皆目分からない状況で日々を送った朝鮮人軍属たちの気持ちは、今となっては推しはかるしかない。

p209・210
  連合軍の現地法定で死刑宣告を受け、処刑された日本軍人および軍属は合計908人だった。最も多い処刑者を出したのはオランダ法廷で275人、2番目が英 国法廷で255人、そして中国法廷で175人、米国法廷で167人、オーストラリア法廷で136人、フランス法廷で33人、フィリピン法廷で17人、連合 国軍事裁判法廷で14人の順である。この他、64人が自決したり、獄中で病死した。処刑された人びとのうち、朝鮮人は23人、台湾人は26人だった。朝鮮 人23人は、洪思翊(ホンサイク)中将を除き、すべて軍属である。

 有期刑を宣告された125人の朝鮮人軍属の運命も穏やかなものではな かった。彼らは1950~51年の間、シンガポール、インドネシアなどの監獄から東京の菅も拘置所に移されたが、サンフランシスコ講和条約発効直後の 1952年6月には、韓国人および台湾人の戦犯29名(台湾人1名)は籍は日本から韓国(または中国)に変更された。それなのに、引き続き日本国によって 拘束されているのは不当だ」というのが請求の要旨であった。

p213
  こうした呼びかけにもかかわらず、釈放請求は棄却された。棄却の論拠になったのは講和条約の第一条であった。この条文は既に連合軍法廷で刑が確定した人間 を赦免、減刑、仮出所させる権限は、その刑を課した政府の決定及び日本国の勧告があってこそ行使できると規定していた。要するに、日本は連合国が宣言した 量刑の執行を委ねられたにすぎないというのだった。結局、韓国人戦犯たちは日本人戦犯ととともにその後6年以上も拘禁生活を送り、順々に釈放されていっ た。

p214
  釈放後も、韓国人の元戦犯らは差別待遇を受けた。日本人の戦犯処刑者の遺族らに対しては日本政府が恩給を支給しているが、韓国人は外国人という理由で除外 された。韓国人戦犯66人は1956年8月14日、首相官邸前で座り込みのデモをし、「処刑者には1人当り500万円ずつ、戦犯釈放者には服役期間1日に つき500円ずつ支給してほしい」と要求したが、日本政府はこれに対して一瞥もくれず、何も答えなかった。

p215
  1966年8月5日、彼(卞鐘尹氏の息子である卞光洙氏:筆者)は『韓国日報』の記事で父の卞ら韓国人で処刑された者14人の遺骨が日本の江西省の倉庫と 東京の照栄院に保存されていることを知った。これらの遺骨は日本の遺骨収集団が持ち帰った日本人戦犯の遺骨に混ざっていたが、遺族が見つからず、10年間 も日本に放置されたままになっていた。

p216
 在日韓国人の戦犯釈放者の集りの同進会がこの遺骨をめぐって日本政府に謝罪と補償を要求し始めたからだった。
 同進会の会員らは「韓国出身の戦犯刑死者らの遺骨送還に関する請願書」を国会に提出するなど、さまざまな形で一種の処刑者復権運動を繰り広げていた。
 彼らは「日本は兵役の義務がなかった韓国人を強制的に徴用し、軍属の契約期間2年を守らず、講和条約発効後も引き続き韓国人を拘禁してきたことを認定し、これに見合った誠意と礼儀で遺骨を送還せよ」と要求していた。
 日本のBC級戦犯処刑者の遺族には少なくとも年100万円ずつ支給されていたが、同進会の会員たちのこの運動は、お金を目的とするのではない。李鶴来は「お金は二次的な問題で、我われが問題にしているのは人間の生命を扱う彼らの態度だ」と断言する。

p218
1965年に発表された日韓条約は、彼ら戦犯をあまりにも冷淡に無視する両国の姿勢を最終的に確認するものとなった。日本の戦後補償として、日本軍に連行されて戦士した韓国人遺族らは30万ウォンずつ受け取ったが、戦犯の処刑者らにはこの補償も適用されなかった。
 日韓条約は1945年8月15日以前に発生した請求権に対してのみ補償をすると規定し、解放後に処刑された戦犯に対する補償の道を制度的に封じたからだ。「請求権に対する両国の問題はこれで完全かつ最終的に解決されたのである」と明示し、将来の希望や可能性までも断ち切ってしまっている。

p219
 上坂冬子の計算によれば、遺族らが要求する韓国人の戦犯処刑者に対する「誠意」と「礼節」には300万円あれば十分だという。
  日本政府の予算の支出手続きがどれほど難しいかは分からないが、また日程時代の軍国主義の責任を民主主義の日本国がそのまま引き受けなければならないとは 主張できないにしても、3000人の朝鮮人軍属が嘗めた受難、憂憤、恨み、悔しさの思いに照らし、1人300万円の金をケチる経済大国の論理とは何なのだ ろうか?

p221
 彼(卞光洙氏:筆者)の人生は教師生活と、父の無念の死の真実を明らかにするための努力に捧げられた。教師生活で稼いだ金の大半が日程による被害の真相究明に投じられ、彼の家は彼が先頭に立って結成した太平洋戦争犠牲者遺族会忠清北道支部の事務室を兼ねている。会員は現在300人ほどだが、当時父と夫を失った人びとの生活の苦しさはいうまでもないところであり、ほとんどの経費を卞支部長が自分の懐から出して、事務室の一間も持てなかった。
  彼は太平洋戦争の犠牲者として日本に今もなお住んでいる人びとの集まりである東進会の関係者らとともに日本政府を相手に26回にわたって「韓国・朝鮮人 BC級戦犯の国家補償などの請求」を進めた。この裁判は1996年に始まり、1999年に東京の最高裁判所で棄却判決を受けたことによって終わった。


何と最後の最後に植村隆元記者の義母の太平洋戦争犠牲者遺族会が出てくるとは・・・
太平洋戦争犠牲者遺族会
そして引用した部分が数か所あるとして挙げられているのが
内海愛子・村井吉敬両氏の共著『赤道下の朝鮮人叛乱』(勁草書房)

内海愛子氏まで
アンブロークンの裏の赤い人脈(改定復刻版)


(´・ω・`)一体何のための条約なんだい?と小一時間・・(嘆息 
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