2015年7月23日木曜日

反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。

【韓国の反応】みずきの女子知韓宣言(´∀`*) さん
こちらで趙甲済(チョ・ガブジェ)ドットコムというサイトを知ったので
→http://oboega-01.blog.jp/archives/cat_568760.html

結構期待して著書を読んでみた

訳者あとがきによると
p280
  著者の趙甲済氏については、日本では最もよく知られた韓国のジャーナリストだといっても過言ではないであろう。彼のことを一部では、韓国の「右派の論客」 と決めつけているようだが、けっしてそんな枠にはまるような方でないことが、本書を読めば十分にうなずけるはずだ。敢えて彼の特長をいうと、足で稼ぎ、根 拠となる原点によってきちんと調べ尽くすジャーナリストである。裏づけのないことは書かない「実事求是(じつじぐぜ)」のジャーナリストだといえる。

ところが・・
結論を先に言うと「だめだコリア( ゚Д゚)・・・絶句」

朝鮮半島と朝鮮人には関わったら負けですねハイ

朝鮮総督府・封印された証言
趙甲済(チョ・カプチエ)
洋泉社
2010-09-24


はじめに

(うち最後の部分)
p9
  日本帝国主義の36年間は、ただ暗黒と圧制だけの時期ではなかった。韓国の近代化を主張した主導層のほとんどすべてが、日本帝国主義の時代に呻吟しながら も、同時に実力を養ったのだ。日本帝国主義の時代にも、幸福があり、誇りがあり、学びがあった。この時代を生き抜いてきた人びとの労苦と悩みに対する理解 なくして、一方的な「左翼的な」見方で彼らを簡単に断罪することは、人間の存在に対する冒瀆であろう。古い理念で目がくらみ、歴史のごみ箱の隅を突く者た ちが、なぜか「良心家」として見られている。今の韓国社会の一部にはそんな風潮がある。

日帝時代を客観的に見る著書なのかと期待する言葉だが

第一章 朝鮮総督府行のスロウ・ボート
(村上春樹のパクリですな)
初出『月刊朝鮮』1984年8月号

第一章で趙甲済氏は元朝鮮総督府官吏を訪ねて取材している
取材内容はそのまま書かれている印象だが、その合間の趙氏の言葉で
「圧政を敷いた張本人たちの呆れた言い訳」と映る

p16
  南米に逃亡したナチスドイツの虐殺者を追跡するイスラエルの諜報機関員ほどではないにしても、民族弾圧の加害者を尋問する捜査官の気持ちで臨もうと内心決 めていたので、彼らの気まずそうな表情にかまわず、私は質問を始めた。総督府に携わった人びとをめぐる私の探検はこのように始まった。

p19
  元総督府電気事業者関係者たちは1981年、『朝鮮電気事業史』を編纂した。600ページを越える対策で、韓国電力、国立中央図書館など、韓国内の関係機 関に数百冊を寄贈した。北朝鮮にも「在日朝鮮人科学者協会」という朝鮮総連傘下の団体を通じて100部寄贈したという。こうした事業には「我われはあなた 方の国で収奪ばかりしたのではない。こうしたいいこともした」ということを知らせる意味が込められている。

p37
(元特高警察首脳の言葉:筆者)
  「韓国が併合されたのは同情を禁じえませんが、朝鮮統治の目的は植民地的な支配ではなく、内地延長主義として、究極的には両民族の混然一体化でした。36 年間の朝鮮統治が朝鮮人の民生向上に何らの助けにならなかったとはいえないと思います。日本の予算で朝鮮総督府に支出された補助金が、年2千数百万円にの ぼり、水利灌漑、鉱工業の発達など、李朝末と旧大韓帝国時代に比べて大変な向上があったのも事実です」
「敗戦時、全羅南道知事の職責にありながら、朝鮮人と仲よく最後の決着をつけて退くことができたのも、総督府時代の私の行動が朝鮮人の間で相当評価されたためではないでしょうか」

 彼のいろんな説明やいい訳じみた話はともかく、八木(信雄氏:筆者)が20年間、植民地支配と弾圧に中心的な役割を果たしたというのは厳然たる事実である。

p45
(中 央日韓協会付属研究機関の:筆者)友邦協会の出版物はきわめて具体的な分野を扱っており、朝鮮近代史研究で欠かすことのできない第一次資料と評価されてい る。研究会の開催約600回、朝鮮語の講習会約800回、研究会の録音テープは約400本・・・・。こうした活動を通じて総督府の元官吏たちが伝えようと しているメッセージは何だろうか?
 おそらくそれは、朝鮮総督府の統治の決算を通じて植民地統治を弁護することである。
(そういう意図もあるかもしれないけど日本人は記録好きなんですよ・・)

p47・48
 水田(直昌氏・元友邦協会理事長:筆者)の朝鮮統治擁護の要点も八木のそれと同じである。目的はよかったが、方法が悪かったし、植民地統治を通じて韓国は物質的にきわめて大きく進歩したという話だ。彼は次のようにいっている。
「英国はインド予算の三分の一を本国の国防費に回していた。逆に、日本は朝鮮の国防費として、21億円を本土の予算から持ち出した」
 要するに、朝鮮の国防まで日本が引き受けたのに、搾取とは何たるいい草かというのだった。さらに水田はこんなこともいっている。
「敗戦で、朝鮮の日本政府財産が奪われたのは致し方ないとしても、居留民の私有財産まで根こそぎ没収されたのはひどかった。国交正常化のとき、韓国に対する補償金額が少ないといわれたが、この私有財産の金額を懸案するならばけっしてそうでもない」
 水田は私有財産没収によほど恨みがたまっていたのか、帰国後、大蔵省の依頼で、朝鮮内の日本人の没収財産の金額を調べた。その結果、法人財産約556億円、個人財産約250億円だったという。1984年の換算で約200兆円にのぼるが、しかしそれが皆、朝鮮の地と水と空気、朝鮮の血と汗で築き上げられたということに対しては、一言半句も口にしなかった

p57
当 時、日本では松原(寛氏:筆者)のような過酷な体験をした引揚者による北朝鮮脱出記がたくさん出版されていた。たとえば、『恐怖の半島』という本の表紙の 宣伝文は「拷問と牢獄の生活を耐え忍んで帰国した日本人(前朝鮮総督府警察官)の血涙の記録!」と絶叫している。解放直後の朝鮮半島をあたかも収容所群島 のように描いているが、36年間の圧制を2年間の苦労話で相殺するということなのだろうか。私としては納得できないものがあった。

p65
 こうした交流の記録を目にした私は総督府の元官吏の日本人たちに尋ねてみた。
「あ なた方は一視同仁の本当の意味を活かすために、朝鮮人のために働いたというが、その結果として親日派が生まれました。あなた方が育てたという優秀な朝鮮人 官僚や、あなた方の恩恵を受けた人たちは、解放後には親日といわれて反逆者に追いやられ、なかには命を落とす人さえいました。これについてはどう思います か?」
 しかし、この問いへの彼らの返答はそっけないものだった。
「まことに申し訳ないと思う」
(´・ω・`)親日派が糾弾されることまで日本のせいですかそうですか・・

p78・79
 森田(芳夫氏・『朝鮮終戦の記録 米ソ両軍の進駐と日本人の引揚』1964の著者:筆者)は、これだけは必らず記事に書いてくれ、とつけ加えた。

「本を書きながら、私が感激に堪えず涙を流した資料があります。8月15日午後3時、京城放送局を通じて安在鴻(アンジェホン)先生がなさった演説のくだりです。
『最 後に国民の皆さんにおかれては、格別に留意され、日本の居留民の感情を刺激しないようにしてください。40年間の総督府統治は既に過去のものになりまし た。日朝両国民の政治形態がいかに変遷しようとも、両国の国民は同じアジアの民族として結ばれている国際条件の下で、自主互譲の精神で各自の使命を遂行し なければならない運命に置かれているということを正しく認識しなければなりません。皆さん、日本にいる500万の朝鮮同胞が日本でまったく同じような受難 の生活をしていることに思いを致すとき、朝鮮にいる百数十万の日本人住民の生命と財産を安全に守ることが必要だというのは、聡明な国民の皆さんにおかれて は、十分理解してくださると疑いません』
(韓国内が)激昂し、混乱したその瞬間でも、このように落ち着き払い、理性的な演説がなされるとは、ほんとうに驚きました。この演説のお蔭で、数多くの日本人は受難を免れました」

 この8・15の混乱のときの日本人に対する韓国人の態度と、関東大震災のときの朝鮮人に対する日本人の態度を比較すると、韓国人の道徳的優越性が鮮明に表れている

再び はじめに から
p4
韓 国は今やっと、日本帝国主義の植民地支配の後遺症を克服し、さらには経済面で失速気味の日本を追いぬかんばかりの勢いを手にしようとしている。韓国を代表 するサムスンはソニーを含む日本の大手電機メーカー8社を束ねても勝る企業に成長した。日本の若者たちは軍隊体験がある韓国の若者の覇気を仰ぎ見ている。 韓国の躍動的な民主主義、活力と冒険心があふれる経済は、静かで内向きな日本のそれとは様相が異なっている。今や韓国と日本とは対等な関係で協力、競争し ている。

そして 訳者あとがき から
p283
日本の若者が韓国に学ばねばならない時代

 韓国は、サムスン電子などの国際的活躍に代表されるように、今やそのバイタリティにおいて、かつてとは逆に日本を圧倒している観もある。かえって日本が韓国に学ばなければならなくなりつつあるようだ。
 その一例として、日本のガラパゴス化(内向き化)といわれる風潮を挙げることができる。それはどうしても若者に目立つ。
  例えば、昨今の日本では若者の自己中心主義や社会常識の欠如、ミーイズム(私生活主義)やマイホーム主義、冒険心や忍耐力、新しい環境への適応力の低下な どが、企業や官公庁の現場でも問題になっている。その延長線上に起きているのが、日本の経済や社会全体の「ガラパゴス化」ということだ。つまり自分の殻の 中に閉じこもるということだ。
 そればかりでなく、少年犯罪やモラルの低下、若者の無気力、さらには引きこもり、ニート、パラサイト、一部のフリーターのように根なし草的な若者の万円は日本では韓国とは比べものにならないほど深刻である。

訳者は
姜昌萬(カンチャンマン)・統一日報の社長

民主党政権の確変リーチでホルホルしてたんですね


(´・ω・`)日韓友好を信じて尽くして来た人達は
これを読んでどう思うんでしょうね・・・(嘆息

追記2015.5.19
この本に、朝鮮独立を支援してきた日本人は結局不平等条約を結び、親日の独立活動家達を裏切った
という内容のことが書かれていたのだが

【youtube】第12話 朝鮮の非礼と征韓論の真相はこれ!【CGS 宮脇淳子】清の属国だった朝鮮にそもそも外交権がなかった
なので清と条約結んだら、その属国と対等の条約は結べないわけですね

趙氏の本を読んでいると、立派な独立国に日本が侵略して行ったように書かれているんですが
そもそも侵略するだけの何かがあるわけでなし
何もないとこを侵略するメリットを誰か教えれ
まるでパラレルワールドの歴史(まぁ今更ですが

降伏文書にサインする日本、<日本屈辱写真展>話題 

2001年から「大韓民国歴史正しく広報」事業を進めてきたワールドピース自由聨合(理事長アン・ジェチョル)が光復70周年をむかえ、大韓民国が日本帝国主義者などから解放される過程と大韓民国建国に関連した各種貴重資料を、大型写真展を通じて公開する。

今回の展示会は<光復70周年記念歴史探訪(1943年~1945年)写真展1次展示会で、ワールドピース自由聨合はこれから毎月、歴史的考証を経た写真資料を通じて大韓民国の建国過程を詳細に知らせる計画だ。

アン・ジェチョル理事長は「今回公開する写真は、私が長い時間かけて調査し購入した資料で、これまでよく見てきた写真は決してない。過去、大韓民国と日帝の姿を生き生きと伝える歴史の現場へみなさんをご招待する」と明らかにした。

アン・ジェチョル理事長は「この中の原爆投下で焦土化した日本の姿や日本軍が降参文書に署名する姿など、私たちの隣人の日本の自尊心を傷つけうる内容なので、公開を迷ってきたが、最近の歴史に逆らう日本政治家たちの言動を見て関連資料一切を公開する決心をした」と伝えた。

自分たちの誤りを反省するどころか、かえって誤りを隠して合理化する日本の政治家たちのふるまいを眺めて、日本帝国主義者らが周辺の多くの国と国民はもちろん、自国民さえも途方もない苦痛と悲嘆にひたらせたことを想起させるために今回の写真展を企画したという。

広島原爆
▲原子爆弾投下で廃墟になった日本、広島(1945年10月12日)

ミズーリ号調印梅津美治郎
▲東京湾に停泊した米戦艦ミズーリ号船上で聨合軍代表のマッカーサー将軍一行が見守る中、日本軍を代表して降伏文書に署名する梅津 美治郎、日本陸軍参謀総長(1945年9日2日)

朝鮮総督府調印
▲朝鮮総督府で降伏文書に署名する阿部信行、朝鮮総督府最後の総督と上月良夫(左側)陸軍中将、山口儀三朗(右側)海軍提督(1945年9月9日)

ソウル中央庁連合軍歓迎式典
▲ソウル中央庁で行なわれた聨合軍歓迎行事(1945年10月20日)

ニューデイリー(韓国語) 降伏文書にサインする日本、<日屈辱写真展>話題
https://www.newdaily.co.kr/news/article.html?no=243264
翻訳はこちらから
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1429099880/

「自尊心を傷つけうる」「屈辱」
( ゚Д゚)ポカーン

分からん・・・写真を公開して屈辱を与えうると思う神経が・・・

スレにも
162: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん 2015/04/15(水) 22:12:22.95 ID:1H69tcCJ.net
おまえら
地団太ふんでやれよ

167: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん 2015/04/15(水) 22:15:52.27 ID:jrVWCB5Q.net
>>162
そんなこと言われても

(´・ω・`)だよねぇ・・韓国人とは怒るポイントが何か違うんだわ、とつくづく

しかしそれでちょっと分かった
彼らが原爆や放射能ネタが大好きな理由が
2ne1hateyou1キャプチャ
2ne1hateyou2キャプチャ韓国が震災の時にしてくれた10のこと

彼らは「どうだ悔しいだろう」と思ってやってるわけですね
ところが我々が怒るのは悔しいからではなく
原爆で亡くなった人を冒涜しているからなんですね

朝鮮人の被爆者だっているのに・・と思うのは日本人の感覚で
「自家の祖先の霊魂だけが神さまであり、他家のは全部ゴースト」by古田博司教授
何もないとこを侵略するメリットを誰か教えれ

(´・ω・`)やれやれ・・
とりあえずちっとも「ワールド・ピース」ではないんでその名称が滑稽ですわね

余談
今ピースといえばこの人達
ラッスンゴレライ原爆の像
http://matome.naver.jp/odai/2142715529047062201 

ミトラmemo31 阪神淡路大震災とオウム真理教① 続き



p140~144
オウム幹部刺殺の謎

殺しを命じた「ある人」
 徐裕行被告(30)がオウム真理教の「科学技術省」長官・故村井秀夫氏を刺殺したことに一点の疑義もない。彼は衆人環視の中で包丁を振るった。
 では、徐被告は実際に山口組直系羽根組若頭・上峰憲司被告(47)の指示で村井を刺殺したのか。

 初公判(東京地裁、7月25日)での検察側冒頭陳述は、かなり具体的に上峰被告による殺害の指示について言及している。
 事件3日前の4月20日、徐被告は上峰被告に呼び出され、「上祐、青山、村井の誰でもいいから一人を包丁でやれ」「組のためにやるんだ。ある人がお前に期待してるんだ」と言われたという。いずれも徐被告の供述に基づいた陳述にちがいない。

  徐被告には自分が羽根組の組員という意識があり、「ある人」とは羽根組・羽根絵美組長(その後、引退して組を解散)を指すと考えたらしい。しかし徐被告が 羽根組の構成員だったかどうか、検察側ははっきりしたことを言っていない。おそらく羽根組長と盃した事実がなく、組名簿にも名がなく、あえて断定を避けた にちがいない。

 しかし羽根組長と親しかった山口組の関係者によれば「徐被告は日本名が田中という姓で、羽根組に登録していた」という。事実とすれば、上峰被告が考えていた「ある人」と、徐被告の考えた「ある人」とが一致する可能性が高い。

 その他、冒頭陳述では関係者にして初めて供述できる生々しいシーンがある。
  たとえば21日、徐被告がテレビで上祐史浩 外報部長が青山の東京総本部にいることを確認、早く仕事を済ませて気を楽にしたいと思い、「今からでもいいですか」と上峰被告に電話すると、上峰被告は 「きょうは駄目だ。明日の夕方電話しろ」と指示した。あるいは上峰被告がレストランのテーブルに指先で「殺」という文字を書き、「これ(殺意があったとい うこと)は(警察に捕まっても)否定しろ」と指示した、などである。

 だが、上峰被告の方は全面的に徐被告への支持や事件への関与を否認している。そのためかメディアの一部には、上峰被告の冤罪説まで流れている。
 問題はどっちが事実なのかだが、前述の山口組関係者は「徐の供述は具体的で、まずでたらめを言っているとは思えない。上峰は今、関与を認めてしまえば後がない。ぎりぎりの瀬戸際で頑張っているのじゃないか」と見る。
「ふ つう若頭は親分に知らされずに、組の命運にかかわることは仕出かさない。親分は知らされているとみるのがこの世界の常識だ。羽根組の場合はどうか。上峰は 宮崎の右翼で、食いっぱぐれて宮崎を出て、羽根の世話になったようだ。まだ上峰に右翼の線が生きているのなら、右翼関係の指示ー命令が考えられる。そうで なければ、やはり組長の指令があったと見るのが順当だろう」

 つまり上峰は右翼か暴力団かは分からないが、とにかく上の人間を守るために知らぬ存ぜぬで、突っ張りつづけていると見る。
「山口組の直系組長クラスでは、引退すると、若い者を連れて歩かない。若い者を持ってはならんのだ。もちろん若い者もカタギになり、元の親分にそれまで通り仕えたいというのであれば、話は別だ。しかし、それも2、3人が限度だろう。
 羽根は今もって若い者を身近に置いている。それに少なくとも私は羽根について『状』(除籍や破門の通知」が出ているとは聞いてない。このあたりも何かすっきりしないところだが、まさか羽根本人に、実際のところはどうなんだとも聞くわけにいかない」

 この関係者はしかし、たとえば羽根元組長が覚醒剤でオウム真理教とつながることはあり得ないとしている。長らく三代目組長の田岡一雄に仕えていただけに、シャブ嫌いの田岡にみっちり仕込まれている、というのだ。

  では、山口組の他の直系組長が叔父貴ー甥の関係になる上峰被告に、殺しの依頼をすることはあり得るのか。山口組の系列では何人かがオウムの信者になってい るし、根強く関係が噂されている系列の組織もある。そうした人間なり組なりが一つのカモフラージュ策として、系統を別にする上峰被告に村井氏の殺人を依頼 した可能性はあるのか。

 山口組の関係者はこれもあり得ないと否定する。
「若頭補佐クラスなら、自分の仕事として内緒で、外の人 間からの頼まれ仕事をやるかもしれない。しかし同輩の組の若頭を、その組の親分に知らせないで使うことはあり得ない。後で分かれば大問題になるし、事前の 段階でも、その親分は誰それが自分のところの若頭に仕事を頼んだと知ることになる。若頭が報告するからだ。内緒でよその組の若頭に仕事を頼むケースはあり 得ない」

 山口組系列では、関東に(主として事業面で)進出する者たちが「関東親睦会」をつくっている。その規約の第一条は、「この会は 山口組各組相互間(の連絡・調整)を計る為、関東に有る各団体傘下組員に至るまで、加入し、常に横の連絡を取って、関東地区における山口組発展のため協力 すること」と定めている。加入は計51団体で、当然、羽根組の名もある。この「関東親睦会」を舞台に上峰被告と、他の山口組系の人間が出会い、謀議し、徐 被告を実行行為に走らせたことはないのか。

 筆者は依然、村井の殺害は、オウム上層部の発注による村井の口封じを狙った依頼殺人と見てい る。しかし上峰被告の否認で、指示・命令系統を上にも横にもたどれない。しかも羽根組や上峰被告、徐被告には確としたオウムとのつながりが出ていない。上 峰被告については分離裁判になり、95年秋に初公判が予定されている。

 初公判の場で背後関係が明確に出るのかどうか。警視庁は暴力団犯罪の摘発に得手でなく、たいてい実行犯を罰するだけですませているだけに、この件もオウムの謎としてうやむやに終わるかもしれない。
カネと暴力と五代目山口組140141

カネと暴力と五代目山口組142143
カネと暴力と五代目山口組144145

http://i.imgur.com/0gVg3lk.jpg
http://i.imgur.com/gZY1853.jpg
http://imgur.com/R1NcF3b 

報道ステーションで古賀茂明氏が「圧力のせいでやめさせられるニダ」とおっしゃって
外国特派員協会で会見までしたわけですが
じゃぁ同様にこちらも騒いで下さいよと
「日本人のみなさん、日本人が作った慰安婦の映画の上映が、在米韓国人勢力により全米から圧力をかけられている現状を知っておいて下さい。彼らのロビー活動はモンスター級。これでは解決など、ありえない。」
https://twitter.com/YujiroTaniyama/status/588202880626257921

スコッツボロ事件
アメリカ合衆国南部のアラバマ州で1931年に起こった黒人少年に対するでっち上げ裁判事件。 13歳の最年少者を含む9名の若い黒人が、貨物列車内で2人の白人女性を強姦(ごうかん)したかどで逮捕投獄され、ただちに死刑判決を受けた。この裁判 を、人種差別体制を象徴する事件だと考えた共産党は、全国黒人向上協会(NAACP)とともに無罪釈放運動に取り組み、国際的な問題にした。「被害者」自 身が強姦の事実を否定、連邦裁判所が裁判のやり直しを命じ、大統領が釈放を要請したにもかかわらず、結局、アラバマ州裁判所は最高99年という長期刑を言 い渡した。しかし妥協が成立、50年までには全員が釈放された。
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%84%E3%83%9C%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6-1551437

SCOTTSBORO GIRLS Trailer - スコッツボロー・ガールズ

スコッツボロー谷山2
トレイラー→https://www.youtube.com/watch?v=bqmWOSV--mE
谷山雄二朗氏のサイト→http://japanbroadcasting.net/CWU-Free-Speech.html

【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】
濡れ衣払拭 個人の挑戦

 「20万人の強制連行」「性奴隷」「終戦間際の虐殺」など、日本国の濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)と不名誉を晴らしたいと本当に思えば、個人だってここまでできる。そう実感したのが、谷山雄二朗氏が全編、英語で語った作品『スコッツボロガールズ』だった。

  私はこれをDVDで観(み)たが、作品の題名を氏は1931年に米国アラバマ州スコッツボロで起きた事件からとっている。白人女性2人が黒人青年9人に強 姦(ごうかん)されたと訴え、8人に死刑判決が下された。証拠は女性の証言のみ、物証はなかった。後に女性の1人が被害話を嘘と認め、被告人らは50年に 釈放されたが、全員の無罪確定は事件からなんと70余年後だった。

  谷山氏は黒人青年らの濡れ衣の苦しみと日本人の慰安婦問題の苦しみに共通性を見いだし映画の題名をつけた。氏は41歳、日本で生まれ豪州、タイで育ち、英 語は極めて流暢(りゅうちょう)だ。言論の自由を尊び差別を憎む。氏は少年時代に受けた人種差別の記憶があるからこそ、「今になっても、偽善や、どうみて も筋が通らないことに対し、黙っていられないのかも」と語っている。

 なぜ人は事実に目をつぶり偏見を抱くのか。氏はこうも訴える。

 「僕がチャレンジする慰安婦問題は(海外では)超アウェーの議論になるでしょう。だって国際社会では今や『慰安婦=セックス奴隷』ですから」。しかし、「もう傍観できない。日本人として反撃キックオフ、それしかない」

 氏は韓国人の言い分を聞くべく、まず、ソウル郊外にある元慰安婦のための施設、ナヌムの家を訪ねる。しかし、そこで摩訶(まか)不思議な体験をする。大阪の在日の人々に阻まれ、門前払いされたのだ。彼らは一体そこで何をし、何を隠そうとしているのか。

 日本大使館正面に設置された慰安婦像前の集会で歌や踊りに熱中する韓国の若者にも氏は問う。金学順氏の「貧しさゆえに14歳で母親に売られた」とのハンギョレ新聞の告白記事を読んだことがあるかと。彼らは読んでいない。金氏は女子挺身隊の名の下に連行されたとの「朝日」の記事を信じているのであろう。

 谷山氏は別の元慰安婦、文玉珠氏の残した貯金通帳の拡大コピーを示し、東条英機首相の月給が800円だったとき、彼女が2年間で2万6145円を貯金したことを明らかにする。ソウルでは1000円で家が買えた時代に26軒分の資産を2年で蓄えた女性を奴隷と呼ぶのは無理だと、これは誰でもわかる。

 こうした情報はすでに大半の日本人が共有する。問題は、しかし、当の韓国をはじめ諸外国の人々が恐らく、ほとんど知らないことだ。だからこそ全情報を英語で発信する谷山氏のように、国際社会にあらゆる面で事実を知らしめる具体策が急がれる。

 1944年10月1日の米軍による慰安婦の調査書や94年1月24日のオランダ政府の調査書は、日本が活用すべき一次資料である。

 ビルマで働いていた朝鮮人慰安婦20人を米軍が実態調査した結果、彼女らは強制連行の犠牲者でも、性奴隷でもなかったことが明確にされている。これも多くの日本人にとっては、いまや常識であっても、アメリカ議会の選良でさえ、知っているのは極めて少数である。

 94年1月24日のオランダ政府の調査報告書は日本人として気の重くなる内容も多いが、詳細な事実関係を踏まえている。

  報告書はインドネシアのスマランの慰安所を「最悪のケース」と断じ、同時に日本軍の上官が、現地の日本軍が女性たちを強制したことを知ると、同慰安所を直 ちに閉鎖させたこと、さらに責任者が戦後死刑に処せられたことも明記している。同件は、女性たちへの強制が日本軍の方針ではなかったことを、オランダ政府 が逆に証明する結果になっている。

 調査は全体の結論を、200~300人のオランダ系女性が働いていた、内65人は売春を強いられたが、大多数(majority)の女性は強制ではなかったとまとめた。

 スマランの事例は戦時の性犯罪であり、強制連行問題とは明確に分けて考えるべきものだ。ところが、両者を意図的に混同する議論や論点のすり替えがとまらない。

 朝日新聞は吉田清治氏の嘘を認めたうえで、慰安婦問題の「本質」は女性の人権問題だと強弁する。韓国も朝日の論調に同意する。

 ではなぜ、韓国政府は韓国当局が100万人もの女性が売春に身を落としていると発表した自国の現実を正そうとしないのか、なぜ、気の毒な女性たちに救いの手を差しのべないのか。谷山氏のこの問いかけに、私は同感である。

 もうひとつ、私たちが改めてしっかりと見据えるべきことは慰安婦問題をはじめとする歴史問題がおよそいつも日本人によって提起されている点である。どれも火元は日本であり、朝日はそのすべてに関わっている。

 挺身隊と慰安婦を同一の存在として報じた植村隆元記者、南京事件を捏造(ねつぞう)報道した本多勝一氏らの説明責任とともに、一連の問題に日本はなぜ筋立てて反論できなかったのかが、私たちが自問すべき最重要の点であろう。

 谷山氏はドキュメンタリーの最後で、日本にいわれなき非難を浴びせる韓国やアメリカにすさまじい憤りを爆発させている。その憤りこそ、大半の日本国民が、実は国内に向けて抱いている思いであることを、私は実感している。

 政権与党も外務省も含めて私たちの国は、一体どこで、なぜ、何を、間違えたのか。その失敗を認識して、初めて、有効な反撃作戦が可能になると思う。
産経ニュース2014.10.6
http://www.sankei.com/politics/news/141006/plt1410060007-n1.html

本当に戦っているのはどちらだろう 



「カネと暴力と五代目山口組」溝口敦(著)  2007/5/29出版
第五章 阪神淡路大震災とオウム真理教
初出誌
羽根悪美組長の引退の引退(『特冊新鮮組』(95.7.2)
オウム幹部刺殺の謎(『特冊新鮮組』95.9.17)

p136~139
羽根悪美組長の引退

羽根組とオウムの接点
 山口組直系羽根組の組員がオウム真理教にかかわった責任を取り、組長・羽根悪美こと羽根恒夫(43)が5月12日にヤクザの足を洗って引退、羽根組の解散も決めた。
 山口組は94年4月14日、オウムについて直系組に緊急通達を出していた。
 ①系列組織にオウム入信者がいるかいないか調べよ、②入信者がいたら、オウムを脱退するか、組から除籍するか明確にせよ、③もし入信者がいたら、速やかにブロック長に報告せよーーという内容である。

 羽根組の組員によるオウム関与は4月23日、同組組員ともされる徐裕行(29)がオウムの「科学技術省」大臣・村井秀夫(35)を刺殺したことである。当初、単独犯を主張していた徐だが、5月11日になって警視庁公安部は、徐に犯行を支持したとして羽根組幹部の上峰憲司(47)を逮捕し、ついで12日には徐の小学校時の同級生でもある羽根組組員・高英雄(29)を逮捕した。

 見られる通りオウムに対する組員たちのかかわりは親じゃとしてではない。
「羽根さん自身は5年前に刑務所を出てからずっと比叡山の偉い坊さんに教えを受け取ったし、地元が伊勢やから伊勢の本宮さんも尊崇しとった。そんなオウムみたいなとこの信者とちがうし、若い者もオウム会員なんて話は聞いたことがあらへん」(山口組系のある組長)

 だが、通達を出した山口組本家としては、信者だろうとなかろうと、オウムのような世間を騒がせる宗教とは一切かかわるな、が真意だっただろうから、羽根の引退もしかたないことではあった。

  問題は羽根組の組員がなぜ村井殺しに動いたかである。いずれオウム首脳に直接、間接に頼まれたからだろうが、そもそものつながりは、一節に、山梨県上九一 色村のオウム化学プラントで製造した覚せい剤の売り捌き利権からとも囁かれている。羽根組がオウムから覚せい剤を仕入れていたというのだ。

 もちろん山口組本家としては、組員が覚醒剤や麻薬の類に触ることを表向き厳禁している。つながりが発覚すれば、引退、解散になるのは当然としても、
「羽根さんは絶対シャブに触るような人とちがうで。だいたい三代目(田岡一雄組長)のボディガードでお側近く仕えとった人やし、三代目がともかくシャブ嫌いやったから、組の若い者にもシャブなんかやらせるもんやない。

 しかし正直いうて羽根さんとこはシノギがええことなかったーー。カネに苦しい余り、ひょっとして若い者にシャブ触らせたんかいな、いう気がしないでもないわ」(前出の組長)
 羽根はヤクザとしては堅い方だった。昔堅気で、カネ儲けはうまくない。生活を地味で、出所後は酒をタバコもやめた。しばらくして酒をほんの少し復活した程度だったという。関西の警察筋も羽根組の堅さは認めている。
「三重で羽根組がシャブいろうとる(弄っている)という話は聞いたことがない。いろうとるんは山口組の別の組です」

 ただオウム真理教とのつながりが三重ではなく、関東で生まれた可能性はある。羽根組長は殺人未遂で8年、カチコミで3年半、併せて11年ちょっと服役して、5年前、出所したばかりだが、刑をつとめた場所としては福島刑務所が長かった。
「だ から所内で、よう関東の若い者と知り合うたようですわ。『おやぶん、わしが出た後、子分にして下さい』『ええやろ、子分にしたるわい』いうんで、関西の組 としては子分に関東の子が多いわけやね。それとあと、むすびついたんはこれかなて、わしが内心疑うてるんは羽根さんの姐さんのことや。姐さんはどっちかと いうと情にもろい、ええ人やけどな」(前出の組長)

 羽根夫人は徐や高被告と同じ国籍である。それで彼らとすんなり気心が通じる面があったのではないか。また夫人は自分で宝石の商売もしている。オウム真理教も関連会社に宝飾店があり、そのつながりかーーという推測である。

 このところオウム真理教のニュース一色に染められたのは暴力団の世界も同じである。組長としては、ついついあらぬことも想像しがちなのだろう。
「しかし羽根さんも可哀相な人や。ええこと何もなかったんとちゃう?」
 組長は暗澹とした顔つきになった。
  羽根組長はもともと中西組(中西一男組長、山口組最高顧問、03年拍子)の若い衆だったが、大阪戦争の75年9月、パトカーの張り付け警備を押して、敵側 の松田組・樫忠義組長宅に拳銃弾3発を撃ち込んだ。これで田岡に可愛がられ、翌76年直系組長に取り立てられたが、78年、田岡のボディガードを勤めてい た際、田岡を狙撃される「ベラミ事件」をひき起こされた。これで羽根組長は、自分がついていながら親分を撃たれた、と責任を感じ、前記の通り殺人未遂事件 で都合11年余も服役することになる。
 刑務所を出てきて5年後、今度は引退、解散である。

「羽根さんは五代目(渡辺芳則組長) とも、カシラ(宅見勝若頭)とも、決してええことなかったわ。ただ出所して間もなく、羽根組が山形あたりだったか、よその組と抗争になったとき、山口組本 部のある幹部が『とりあえず手元にある分だけやけど、使ってや、カネやったら、なんとしてもこさえるさかい、頑張ってや』って、黙って500万円置いて いってくれた。よほど嬉しかったらしく、『あの男はほんま軍師やな』ていうてましたな」

 羽根組が解散になったとはいえ、山口組とオウム真理教とのつながりが具体的にどうだったか、いっこう明確になっていない。一連のオウム事件のうち、残された最大のナゾが村井刺殺事件かもしれない。
「カネと暴力と五代目山口組」136137
「カネと暴力と五代目山口組」138139

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古田博司教授といえば「非韓三原則」
非韓三原則 
非韓三原則(古田博司教授)

【正論】
「侵略」といえなかった朝鮮統治 筑波大学大学院教授・古田博司

  普通わが国の人々は、明治になってはじめて西洋を知ったことを喜ぶべき出来事として記憶にとどめている。だが、知ったのは西洋ばかりではなかった。東洋と も、この時はじめて顔を突き合わせたのである。東洋といえば支那・天竺(てんじく)だと、書物からイメージしていた人々が汽船に乗って海を渡り、やっと東 洋を見ることができた。

《古代に固定されていた李氏朝鮮》
 明治時代の経済学者・福田徳三は李氏朝鮮を目の当たりにして、まるで平安の藤原時代のようだと言った。土地の所有権ナシ、商店ナシ、行商人のみアリ。今の北朝鮮のような世界である。さぞかし驚いたに違いない。
戦後のマルクス学者たちは、世界各地はみんな発展していなければならないし、それは一定の段階を踏んで進んでいくのだと信じていたので、福田に朝鮮差別のレッテルを張りつけて退けた。だが今では、福田の方が正しかったことを研究が明らかにしている。

  シナ地域と朝鮮半島は全く対等ではなかった。今で言えば、先進技術国の隣に極貧国があるようなものである。朝鮮には一次産品以外売るものがなかった。シナ の針や染色衣料などの高度な技術品を得ようとすれば、米・布が流れ出し、飢餓輸出になってしまう。12世紀からは銀が流出し、2世紀あまりで朝鮮半島の銀 山は掘りつくされてしまうのである。

 だから、李朝になると朝鮮半島の経済はずっとシナ地域に対して防衛的になった。特権商人 が対馬との交易でシナの白糸と日本銀を交換する。その日本銀で朝貢使節に下人や馬夫身分で200人、300人単位でついてゆき、支配階級のために北京で高 度な技術品や芸術品を買い付けるのである。人数分ご褒美もくれるのでこれも売り物になった。女真族がシナ地域の征服者になり清朝を開くと、大きな貢物を要 求されたので、この供給も彼らの仕事になった。
こんなことをしていたので、李氏朝鮮は18世紀まで古代に固定されていた。これがガラガラと崩れてゆく。17世紀以来の商人ギルドは、支配階級自らが他の商人たちと個別に結託したので穴あきになり、他方民間では自前の染料がないので民衆は白衣姿、結局針一本作れない技術水準のまま、近代日本に併呑された。

《格差ゆえに施した近代化政策》
  日本がやってきたとき李朝の国庫は空だった。王は「そちたち好きに計らえ」と、5人の大臣に国を丸投げした。この史料は実録、王室日記をはじめ3カ所から 出ている。日本が統治したのは当時、西洋列強が角突き合わせる時代だったので、その安全保障ゆえだった。近代化政策を施したのは、あまりに格差がありすぎ たからであり、放置したのではかえってコストがかかりすぎるためだった。

 だから朝鮮半島に関しては「侵略」などというのは無 理である。明・清代にはシナ地域との圧倒的な格差のため、朝鮮の経済をシナ経済の末端にしないように意識して経済の発展を抑制していたが、19世紀末に近 代日本が来ると貿易の自由化が始まり、あっという間に日本に呑(の)み込まれた。もし過去の歴史をさして、「侵略」以外の何かしらの言葉をもって置きかえ るならば、「不運」というのが妥当と思われる。これからの未来だが、朝鮮半島の経済は中国経済の末端に連なることになるだろう。
ここで、もう一つ気がついたことがある。日本を除く東アジア地域、西洋に比しての「東洋」だが、この地域に世界的に孤立した特徴がある。それは、ここのみが無神論地域だということだ。彼らの伝統では、自己の血族でない霊魂は祭ってはならない自家の祖先の霊魂だけが神さまであり、他家のは全部ゴーストなのである。これがまさに、彼らに靖国神社が理解できない理由となっている。

《国史を凌駕する宗族の歴史》
 日本には古来神さまがいる。日本人は元旦には神社に初詣に行き、家に神棚のある人は手を合わせるだろう。だが、なぜ宗教としての自覚が希薄なのか。それは恐らく隣国が特異な無神論地域なため、宗教的な確執や葛藤を経験していないからではあるまいか。

  隣国では、社会の基本単位が男系血族による宗族である。だから共同の意識が地縁にまで及ばない。物理的に一族のために蓄財し、精神的に宗族の歴史が一番大 事なので歴史認識にこだわるのであろう。国は不運の歴史ではあっても、自家の歴史は立派だったと思いたい。後者の意識が前者を凌駕(りょうが)し、ついに 国史まで偽造するに至った。これを国家的規模で行ったのが、北朝鮮の金家の「革命伝統」であり、韓国では金泳三大統領時代に始まる「歴史の立て直し」政策 であった。
 韓国では1990年代以降、テレビの時代劇では奴婢(ぬひ)まで色物を着るようになり、外出禁止だった李朝・京城の夜を提灯(ちょうちん)を持って出歩くようになった。不運だった「隠者の国」はケバケバしく彩られ「自尊者の国」へと変貌した。
 以後、韓国人の現実像と歴史像は乖離(かいり)し、言うこととやることがちぐはぐになっていくのである。(ふるた ひろし)
産経ニュース2015.4.15
http://www.sankei.com/column/news/150415/clm1504150001-n1.html 

以前「彼らに神はあるのか」と書いたことがあったが
荒涼 
やっぱりなかったのか・・・(_-ω-)_

当時の朝鮮の画像を見ると
「ここを侵略する・・・だと・・・!?」と誰でも思うわぬ
もし朝鮮総督府で働けと言われたら

こんなアホな話に長年付き合わされた日本かわいそうすぐる
『二十五年!朝鮮は何を得たか?』 京城日報社 編 昭和11年
朝鮮は変はった緒言
近代デジタルライブラリ http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1231243

「禿 山に白衣ーーこれが朝鮮の昔の姿であり、象徴であった。それが、今日は如何?緑の山々、色とりどりの服装、過ぐる25年間に、朝鮮の面目は一変した。通り すがりに見るだけでも、これだけの目に立つ変化がある。この著しき変化は、山や服装の上ばかりではない。精神文化に於ても、物質文化に於ても、世界史上に 比類のない躍進を遂げている。教育、農業、工業、商業、貿易、林業、鉱業、水産、鉄道、通信、警察、衛星、其他社会萬般の事象、悉く想像以上の発達と変化 を遂げている。過去25年間の朝鮮統治の努力の如何に大なるものであったかを思はねばならぬ。また知らねばならぬ。」

(´・ω・`)全くその通りざんす

追記2015.4.26

【youtube】併合前の朝鮮半島(実録映像) 

先日米共産党に協力した在米日系人のことを書いたところ
アメリカ共産党に属した在米日本人グループ
コメント欄で教えてもらった

47newsTBS吉田清治報道特集
http://www.47news.jp/CN/201410/CN2014100101001916.html

このうちの91年の動画
TBS報道特集:1991年12月「証言 従軍慰安婦」
カールヨネダミッチナ慰安婦尋問2最近で言うとテキサス親父さんが慰安婦像に紙袋かぶせたことで有名になったビルマのレポート
【wiki】日本人戦争捕虜尋問レポート No.49
これがカール・ヨネダ氏だった

ちなみにこれが写真の裏
カールヨネダミッチナ慰安婦尋問2写真裏
韓国国史編纂委員会電子資料館http://archive.history.go.kr/viewer/?cogId=000000905086
→http://japanese.joins.com/article/566/172566.html

TBS吉田清治報道特集カール・ヨネダ

カール・ヨネダ氏の証言
「結局売春なんかを強いられるとは思ってなかったんです。船に乗せられて、それで戦地に送られて。結局自分がこう危険だと思ってて、逃げる方法ないわけです。兵隊にいつもカンシャされているからね(と聞こえるが監視されて、だろうか:筆者)朝鮮は長いこと日本の植民地として弾圧されてきたからね。」

(´・ω・`)弾圧って・・・

ちなみに動画には清水澄子氏も出てくる→河野談話の立役者 清水澄子
TBS吉田清治報道特集清水澄子
「ホントにあの政府が人間としての良心をもってこの問題に誠意をもって当たるならばですね、やっぱ自らの手で事実を解明すべきだと思いますが」

(´・ω・`)良心・・・どんだけ厚い面の皮

米共産党に関わっていた一人、宮崎与徳
ソ連の勲章45年ぶりに授与 ゾルゲ事件の宮城の遺族に
宮崎与徳のめいソ連勲章

 太平洋戦争直前に発覚したゾルゲ事件に連座し獄死した沖縄県出身の画家、宮城与徳(1903~43年)に対しソ連が65年に授与を決めた勲章がロシアで保管されていたことが分かり、ベールイ駐日ロシア大使が13日、都内のロシア大使館で45年ぶりに遺族に勲章を授与した。
 遺族は、宮城のめいで米ロサンゼルス在住の徳山敏子さん(81)で、授与されたのはソ連の2等祖国戦争勲章。
 米国で共産党に入党した宮城は帰国後、ソ連スパイ網の中心人物リヒャルト・ゾルゲの組織に入り、近衛文麿首相のブレーンだった尾崎秀実とゾルゲの間で連絡役を務めたとされる。戦後になって、ゾルゲらの活動は反戦平和活動だったと再評価する見方も出ている。
 授与式でベールイ大使は「世界をファシズムから解放するのに貢献した一人」とたたえた。65年に授与しなかった理由については当時は遺族を見つけることができなかったと説明した。
 沖縄県在住のフリーライターを通じて勲章を探していた徳山さんは「勲章を両手に取るまで半信半疑だった。名誉回復につながったと思う」と話した。
47NEWS2010.1.13
http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010011301000710.html

(´・ω・`)またロサンゼルス・・・・

なぜグレンデールに慰安婦像が立ったのか
繋がってる話じゃないかと思えてくるわけですよ
つまり基本的には日韓関係の話がなぜ米側に飛び火したのか
それは米在住の協力者がいなければ不可能なわけで

吉田清治氏は上海臨時政府に関わっていた
→ 吉田清治の正体は? 

そこで気になるのが
「後に右翼の大物として名を馳せた田中清玄らが、秘密機関的性格を持つ技術部を新設、武器の収集をはじめるようになる。そして1929(昭和4)年10月、軍事委員会を設置、党の自己防衛のための武器、将来の武装蜂起のための軍事内細胞の確立および武器の収集と貯蔵を決定した。
 田中清玄が上海に渡航、武装革命のための特別行動隊の組織、武器輸送の組織について話を進めたという。」
日本共産党 幾多の粛清を経て、生き残る公明なる秘密結社

【wiki】田中清玄
オットー大公とハイエクとの親交田中は池田成彬の紹介で、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーと 鹿島守之助と親交をむすび、ハプスブルク=ロートリンゲン家家長のオットー大公を紹介された。オットー大公は戦前にオーストリア皇位継承権を放棄して、反 ファシズムを表明、戦後は欧州統合運動の推進役となった。経済学者フリードリヒ・ハイエクにはオットー大公から紹介された。田中はオットーに勧められ、 1961年自由主義運動を推進するためにハイエクが組織したモンペルラン・ソサイエティーに入会した。ハイエクは社会主義とケインズ経済学の両方を批判し ていて、田中は、とくに人為的な信用によって一時的に景気を上昇させても、それによっておこる相対的な価格体系の混乱はやがて景気を反転させるという思想 に共感していた。1974年2月10日、ハイエクのノーベル賞授賞式ではパートナー役をつとめる。メインテーブルに招かれた日本人は田中清玄だけだった。 1978年、田中は来日したハイエクを伊豆の自宅に招き、奈良に付き添って刀工の月山貞一のところを訪れたり、ハイエクと人類学者・今西錦司の対談を企 画。1991年12月4日にはオットーと宮沢喜一首相の会談を実現させた。


カレルギー伯といえば
創価学会池田大作カレルギー
「友愛」を手繰ったら恐ろしい箱が出て来た
サイモン・ウィーゼンタール・センターと仲良しな某宗教団体・・・
【拡散希望】サイモン・ウィーゼンタール・センターと創価学会と中国共産党


参考
しばやんの日々 さん
『アメリカまでのびていたゾルゲ諜報組織の「赤い糸」』
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-236.html

この糸を手繰り寄せて作ったのが「従軍慰安婦強制連行」ではないのだろうか

余談
カリフォルニアって言っても広いじゃん
とお思いでしょうが実はこの3カ所はとても近い
SGIサイモンウィーゼンタールグレンデール
マークしてある場所 SGI international
赤い星 simon wiesenthal center
そしてグレンデール


【youtube】やまと新聞 水間政憲の「国益最前線レポート」#5後編 

東京裁判松井石根A級戦犯無罪

冒頭から
水 間政憲氏「松井大将の起訴されたものの、白丸が無罪。黒丸が有罪なんですよ。で、A級戦犯で処刑された人達は大体5個か6個以上。平和に対する罪。これは 事後法なんですね。実際はこんな法律はなくて。東京裁判でA級戦犯としたもののメインが平和に対する罪。これで起訴したのをA級戦犯と言ってるんですよ。 A級戦犯の36の訴因があって、その36の訴因の中でA級戦犯の有罪無罪をこれ、白黒で表してるんですけど、松井大将は36のうち全て無罪なんですよ。だ からA級戦犯じゃないんですよ。法的にはね。東京裁判の判決で東京裁判なかったんだってこと証明するには決定的なね面白い資料なんです。どういうことかと 言うと松井大将は戦時国際法の中のたった1つ。55の訴因の中のたった1つが有罪で処刑されてんです。で、A級戦犯では無罪ですんで、中国に関わったA級戦犯はいないんですよ。だから中国はA級戦犯問題だ問題だって言ってんだったら中国に関わった将軍A級戦犯にいないんですよ。東京裁判でA級戦犯無罪にしといて何で南京大虐殺あったのと。南京大虐殺あったら平和に対する罪、これが無罪あるわけない」

【歴史戦第9部 南京攻略戦 兵士たちの証言(4)】
「虐殺は終戦後、米軍放送で知った」 絞首刑の松井石根大将

 南京攻略戦で旧日本軍を率いた元司令官の大将、松井石根(いわね)にとって「南京大虐殺」は寝耳に水だった。戦後、東京裁判で松井はこう証言している。

 「(大虐殺は)公的な報告を受けたことがなく、終戦後米軍の放送で初めて知った」
 戦勝国による追及が始まる中で現れた「南京大虐殺説」。その責任者として松井は昭和23年11月12日、戦犯として死刑判決を受け、12月23日に絞首刑に処せられた。70歳だった。
 「松井大将は清廉潔白だった」
 元陸軍第36師団歩兵第224連隊の少尉、内貴(ないき)直次(93)は戦後、松井の元私設秘書、田中正明から幾度となく聞かされた。田中は11年に松井に随行し中国を訪れた。戦後は近現代史の研究者として活動、平成18年に94歳で亡くなるまで虐殺説に反論した。
昭和18年夏ごろ、南京に約1カ月間滞在した経験のある内貴自身もこう言う。

国際法に留意
 昭和12年7月、日中戦争が勃発すると、予備役だった松井は上海派遣軍司令官に就任。上海、南京攻略戦で軍を率いた。南京攻略を控え、松井は部下に「注意事項」を示し、何度も軍紀・風紀の徹底を図り、捕虜を正しく扱うことや、住民に公正な態度を取ることを指示。顧問として法学者を南京に帯同しており、国際法に注意を払っていたこともうかがえる。
(→【wiki】南京城攻略要領

  12年12月17日に南京に入城した松井は、当時の様子をつづった日記を基にした供述書で「巡視の際、約20人の中国兵の戦死体を見たが、市内の秩序はお おむね回復した」といった内容を述べている。一方で入城後に一部の兵による軍律違反の報告を受けており、法廷でこうも証言した。

 「南京入城後、非行が行われたと憲兵隊長から聞き、各部隊に調査と処罰をさせた」

 非行件数はどの程度なのか。松井の部下は裁判前の尋問で「10か20の事件だった」と述べている。だが、判決はこう断罪した。

 「自分の軍隊に行動を厳正にせよと命令を出したが、何の効果ももたらさなかった。自分の軍隊を統制し、南京市民を保護する義務と権限をもっていたが、履行を怠った」

  また、南京攻略後に松井が帰国したことをめぐり、検察側は日本が南京での多数の不法行為の責任を問い、司令官の職を解き召還したという構図を持ち出した。 松井は「それは理由にはならない。自分の仕事は南京で終了したと考え、制服を脱いだ」と明確に否定したものの、反論は一切聞き入れられなかった。
 「南京で2万の強姦(ごうかん)、20万人以上の殺害があった」と断定した東京裁判だが、松井に対する判決では「南京陥落から6、7週間に何千という婦人が強姦され、10万人以上が殺害」とそれぞれ数を引き下げた。
蒋介石と親交
 もともと松井は、孫文が唱えた「大アジア主義」に共感し、志願して中国の駐在武官を務めたほどだった。中華民国トップの蒋介石とも親交があり、蒋が日本で暮らした際には生活の支援をした。その蒋が喧伝(けんでん)した「大虐殺説」によって松井は命を落とした。

 松井は昭和15年、上海と南京の土を使い、静岡県熱海市に興亜観音像を建立。日中両軍の戦死者を弔い続けた。戦後、傷みだした建物などを保護しようと、陸軍士官学校58期の元将校らが「守る会」(平成23年解散)を設立、田中が会長を務めた。

 58期の元少尉の和田泰一(89)は、「普通は敵兵の慰霊はしない。だからこそ、松井大将の思いを残さなければと皆が感じていた」と語り、こう続けた。

 「当時の記録を読めば事実は別にあることは明らかなのに大虐殺説を許してきた私たちの責任も大きい」

 戦前・戦中を全否定するような風潮の中で大虐殺説は日本人にも「定説」としてすり込まれていった。

 昭和21年春、松井は収監前夜、親しい人を集めた席で次のような言葉を残した。
 「願わくば、興亜の礎、人柱として逝きたい。かりそめにも親愛なる中国人を虐殺云々(うんぬん)では浮かばれない」(敬称略)



  【戦犯】連合国は戦争指導者らを通常の戦争犯罪ではない「平和に対する罪」(いわゆるA級戦犯)として、東京裁判で裁いた。東条英機、広田弘毅両元首相、 松井石根大将ら7人が絞首刑、16人が終身禁錮刑の判決を受けるなど途中死亡者ら3人を除く25人全員が有罪となった。
 ドイツで行われたニュルンベルク裁判では有罪となった19人のうち16人までが「人道に対する罪」に問われた。日本ではこの「罪」はだれにも適用されなかった。=第9部おわり
産経ニュース2015.2.18
http://www.sankei.com/life/news/150218/lif1502180008-n1.html


【wiki】松井石根
脚注2
^ 松井は東京裁判でA級戦犯容疑で起訴されて有罪判決を受けたが、「a項-平和に対する罪」では無罪であり、訴因第55項戦時国際法又は慣習法に対する違反 罪。で有罪となったため、実際にはB級戦犯(BC級戦犯参照)である。しかし、世間では東京裁判が日本の戦争犯罪人を裁く裁判として強く印象に残っている こと、東京裁判は「a項-平和に対する罪」によって有罪判決を受けた被告で殆ど占められたために「東京裁判の被告人=A級戦犯」という印象が強く、松井石 根がA級戦犯であるという事実に反する認識が浸透している。


松井石根大将南京入城

辞世の句
「天地も人もうらみずひとすじに 無畏を念じて安らけく逝く」
「いきにえに尽くる命は惜かれど 国に捧げて残りし身なれば」
「世の人にのこさばやと思ふ言の葉は 自他平等に誠の心」

余談
個人的に気になるところ
松井は孫文の大アジア主義に強く共鳴し、辛亥革命を支援。陸軍参謀本部宇都宮太郎は三菱財閥の岩崎久弥に10万円の資金を供出させて、これを松井に任せ、孫文を支援するための元金に使わせた。その後も中国国民党の袁世凱打倒に協力した。
宇都宮太郎=宇都宮徳馬氏の父親 

話題になっている台湾映画『KANO』
kano予告編
公式サイト→http://kano1931.com/

脚本/プロデューサー魏徳聖氏インタビュー字幕書き起こし
kano魏徳聖
【youtube】【台湾チャンネル】第76回、「KANO」の魏徳聖プロデュ―サーが語る台湾の心・台湾のAIIB参加問題・他[桜H27/4/11](なぜか動画埋め込みが出来ない)

22:28~
今日は本当に嬉しいです
「KANO」の日本上映は
公開期間が長く反響も良かった
そして今日もここに招かれた訳ですから
作品が評価されたということでしょう
そこで今日はもっと深い話ができるかも知れません
台湾人の内面的な話などです

ーー「海角七号」に次いで「KANO」も日本人を感動させました
ーー台湾や日本での反響をどう受け取りますか?
もともと期待はしていました
日本公開がうまく行けば
大きな注目を集められるかと
日本の皆さんに台湾史を伝え日本と台湾の間には
共通の思い出があるのが理解されると期待していました
現在 台湾と日本はそれぞれ危機に直面していますが
今後もお互い色々な形で励まし合うことができるでしょう

ーー日本時代をどう評価しますか?
好いか悪いかは断定しにくいですね
あの時代は台湾人が中心ではありませんでした
つまり二等国民だった訳です
ただ 台湾の近代化建設の過程で
日本は大きなものを与えてくれました
特に衛生やインフラ建設の面においてです
そうした事もまたこれらの映画を作った理由なのです
もう一度 歴史の好い面と悪い面を考えてみたいと思ったのです
そうしたことが理解できてはじめて
自分自身と和解できるのです
大切なのは他人とではなく
自分自身と和解すること

少しわかりにくいですが
たとえば私があなたの土地に侵入しながら
あなたに一番好い物を与えたとします
それが好い事か悪い事かは判断が難しい
ただ少なくとも現在の台湾から言えば
それもかつての歴史の一部なのです
あの時代の歴史には悲しい面があると同時に
美しい面もあったはずです

ーーたくさんの日本人が「KANO」に涙しました
ーー台日間に横たわる情感を直視することになった訳ですが、これは予想されましたか

それは予想外でした
しかし誰でも一つの物語から
得る物がそれぞれあるものです
スポーツの好きな人はスポーツの精神を吸収し
ビジネス志向の人はチームワークを学ぼうとしたかも知れません
政治 民主や歴史に関心がある人は
更に歴史や文化的な情感の融合を感じ取ったのではないでしょうか
同じ物語から角度次第で色々な思考を得られるのです
これが映画の魅力でしょう
我々はただ一つの物語を組み立てるだけで
作品の色々な効果はその後の自然な発酵を待つのです

ーー次回作が期待されていますがまた台日関連のテーマを扱いますか
次は台日とは直接関係ありません
少しは触れますが直接とは言えません
舞台は400年前のオランダ時代の台湾で
オランダと台湾へ来始めた漢人と
沿海部の原住民平埔族(へいほぞく)との物語です
当時は日本人も台湾に渡航していたので
物語に関係はしますがしかしその程度になりそうです

ーー台湾に対する思いをお聞かせ下さい
台湾は私の家です
私が育った場所であり守って行くべき場所です

ーー台湾人としての誇りは?
辛いですね
誇りはありますが 辛い 本当に辛い
自分ではわかっていてもはっきり物を言えない事が多い
はっきりと言う力に欠けているのです
多くの台湾人は独立自主の思考を持てずにいる
何のせいかと言えば・・・・
とにかくとてもやるせない
自分自身が何者であるかはっきりしないまま
他人から支持を得られますか?
自分自身を助けられない人を誰が助けてくれるのか
”天は自ら助くる者を助く”です
先ず自分を助けないと
しかし私たちはそうした面がとても弱く
いつも他人の支援を待ってしまう
または他人にすり寄ろうとしたがる
相手にすり寄れば他の人を敵に回すことになるのに
これはとてもおかしなことです
そこでいつも言うのです
「孤児も大人になれば孤児ではない」と
大きくなっても孤児のままではみじめ過ぎます
孤児も大きくなれば家庭を築かなくてはいけない
そして自分の子を孤児にしてはいけない
そうすることが今の私達の使命です
すっかり大人なのにまだ孤児と自称して
周りに援助を求めることが使命ではない

ーー自分自身で立ち上がれということですね
そうです
先ず自分が立ち上がること
他人に養ってもらおうと考えていてはだめなのです

ーー「KANO」は広い支持と同時に圧力も受けました
今後も理想を貫き圧力には屈しませんね
屈する屈しないではなく
ただやりたい事を続けるだけです
圧力などは感じません
あちら(政府)も映画を撮るなとは言っていません

ーー今後もあなたの表現方法で撮るのですね
私がやりたい事は幾つもありません
それらさえ成し遂げればそれで完了です
それ以上語るべき物語もありません
つまり自分が構想している物語を撮り終えたら
それで満足だということ
映画作りの目的は自分が語りたい話を語ること
他人に語れと言われて語ることではありません
そんなことをさせられるなら今の仕事は止めます
もっと儲かる仕事はいくらでもあるのですから

ーーあなたの台湾への貢献にはとても大きいものがあります
そのような事まで考えていません
好い題材があればそれを書いて撮る
それだけの単純な話です
映画を学んだ者としては
好い題材があれば撮らないと後悔しますから

ーーファンの皆さんに最も伝えたいメッセージは?
「海角七号」「セデックバレ」「KANO」の三作品が
伝えたいのはただ一つ
それは台湾のつまり私たち自身の
歴史や文化とは何かを
根本から正しく理解しようということ
そしてその上で それらを受け容れ 自分の体の一部にしようということです
そこでぜひ これらの作品を見てほしいのです
悲しい話もエキサイティングな話もありますが
台湾人には誇りある過去が
あったということをお分かりいただけるでしょう
過去を誇りにして未来へ向かいましょう

ーーあなたや台湾を応援する日本の皆さんにも一言
皆さんのご支持に感謝しています
私達の作品からもお分かりのように
私達はただの友人ではなく親友なのです
今後台湾を巡り何が起こるかわかりませんが
どんな時でも強く支持して下さい



とても穏やかに語る魏徳聖氏
本土の人の話す中国語と同じとは思えない(失礼)
台湾の誇りは、と問われて
「很辛苦」(とても辛い)と答えた

偶然にもこの中に「和解」という言葉があった
「歴史和解」「対話」「記憶」「謝罪と賠償」
どこかの国のお得意の言葉だが
災厄をもたらした「歴史の和解」
魏氏はそのような文脈ではなく「自分自身との和解」と言った

歴史の和解と声高に言う人達に問いたい
これほど差しのべられた手を見て見ぬふりする理由は?

在日台湾同郷会会長 岡山文章氏
kano在日台湾同郷会会長2
今後台湾人は孤立感を味わなくていいでしょう

kano在日台湾同郷会会長3
すでに友人の存在を知ったのですから

我々にはまだ友人たる資格があるだろうか・・・・

施光恒(せ てるひさ)さんがいいことを言ってたので書き起こし

【youtube】【施光恒】おはよう寺ちゃん 活動中 2015年4月10日回
天皇皇后両陛下 パラオ・ペリリュー島慰霊について
14:18~
寺=寺島尚正氏
施=施光恒氏

寺「施さん、今回の両陛下の慰霊についてどういう風にお考えになってますか?」

施 「そうですね、私これはちょっと大きな枠組みで見てみたいと思うんですけれども、日本文化において慰霊の文化、慰霊というのは非常に大切だと思うんです ね。あのよく日本の道徳というのは恥の文化だと言われますよね。ま、よく人の目を気にするとかですね。世間の目を気にしすぎて主体性がないとか、何かそう いう風に割と悪く言われることも多いんですけれどもこれ実は恥の文化ってことをよく分かってないんですね。そういう批判っていうのはですね。あの、日本の 道徳というのは過去の人々と言いますか、つまりもう亡くなった人ですね。死者の観点っていうのをとるっていうのが非常に大切だと思うんですね。

民俗学者の柳田國男という人がいますけれども、日本人の死生観の特徴というのは、常に死者を身近に感じて、よく言われるのが、草葉の影から見ているとかですね、死んでも人は遠くに行かないで我々を見守っているって意識することが日本人の死生観の根幹にあるんだ、ということなんですね。つまり、恥の文化において意識すべき他者の視点というのは身近な人々とか同時代の人とか世間様とかそれだけじゃなくて、過去の、亡くなった人々のことにも思いを常に馳せるということによって日本の道徳っていうのは歴史性をもってくるん ですね。人は、人からどう見られているかだけじゃなくて、過去の人が今の我々を見てどう思っているだろうかと認識することによってですね、人は自分を歴史 的存在として捉えて、これから我々の時代に何をどうやっていくか、将来のためにどうしていくべきかに考えが向くようになると思うんですね。要するに長期的 視野が日本人に備わってくると。

日本の道徳においては死者っていうものを大切にする。それを常に身近に感じて慰霊していくっていうのは非 常に大切だと思うんですね。ただあの、戦後の現代の日本人っていうのはそれを忘れがちなんですね。ですからこの戦後70年という節目の年にですね、天皇皇 后両陛下がこうやって過去の戦没者に対するお気持ちを示されたというのは、これ結構大切なことだと思うんですね。そして我々一人一人が70年目の節目に歴 史っていうものを考えて思いを馳せて、そして我々が今何をすべきかってことを考える。こういうことが政治的にどういう立場をとろうと大切だろうと思います ね。」


ちょうどBSフジプライムニュースで
『若宮元朝日主筆再登板 櫻井よしこと戦後対談』を見たばかりで
→http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d150409_0

若宮啓文氏は想定通り靖国ではなく国立慰霊施設を作れとおっしゃるわけですが
櫻井よしこさんは
「分祀して、まぁいろんな方が無宗教の施設を作ったらいいではないかと言うんですけれども、どの国に宗教なしの、まるでドンガラのようなただのスペースの中で御霊を慰めることが出来るのか、私は理解できません」
と言ってくれた
(ドンガラ=中身のなくなった容器)
櫻井よし子BSフジプライム
この時に舌打ちの音が入ってしまった
アナウンサー2人は収録に慣れているだろうから、これは若宮氏の舌打ちだろう

死者の視線を失った人間はもはや日本人とはいえない何か、ではないだろうか

ゴブリン若宮
                         (まぁゴブリンなんですけどね)
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