反日はどこからくるの
反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。
サッカーWC日韓共同開催の黒幕
五輪日韓全面協力はデマ? この最後に
「ただ皇族にアクセスできる力がWC日韓共同開催や日韓交流おまつりなどの一連の流れを仕組んで来たという事実が垣間見えるだけだ」と書いたが
その一端を書いておこうと思う
http://www.jcie.org/japan/j/pdf/ty/20120512asahishimbun.pdf(pdf注意)
日韓の文化交流 故人の貢献胸に充実を
韓日フォーラム代表幹事・韓日文化交流会議委員長 鄭求宗
日本の民間国際交流に尽くしてきた山本正・国際交流センター理事長を亡くし、お付き合いをさせていただいた韓国人の一人として、一つの時代を失ったような喪失感にかられている。
山本氏は、日韓フォーラムの代表理事として、知識人交流にも情熱的に取り組んだ。私は1997年、韓日フォーラムのメンバーの一人となり、2002年から は韓国側の代表幹事を務めた。日本側の代表幹事である山本氏と10年間、汗を流してきただけに、悲しみはいっそう深い。
韓日・日韓フォーラムは90年代半ば、「02年サッカーワールドカップ日韓共催」を提案、実現させた。00年代の初めには、「羽田ー金浦」の直行路線の開設を日韓両政府に促し、これも実現した。こうした提言を取りまとめ、政府や関係機関にかけあったのが山本氏だった。日韓友好に寄与した役割は計り知れない。
葬儀・告別式には日帰りで出席することができた。鳩山由紀夫元首相はじめ、日韓フォーラムのメンバーだった前原誠司さんや加藤紘一さんなど多くの政治家、各界の著名な方々が出席した。山本氏の生前の貢献がしのばれた。
思えばここ数年、日韓交流に力を尽くした人が次々と亡くなっている。09年には、日韓文化交流会議座長を務め、高句麗の古墳壁画の再発見と保存に力を入れ、世界文化遺産の指定に功績のあった平山郁夫先生が亡くなった。
10年には、在韓日本大使館広報文化院長の高橋妙子公使が3年の任期を終えて帰国。間もなく死去した。高橋院長は日本の「新時代外交官」として韓国の文化 人、芸術家の心に深く刻まれている。11年には日韓文化交流委員の一人として両国文化のコラボレーションを進めて来た市川森一氏も失った。
こうした方々を相次いで失った空虚感はあまりに大きい。両国の文化、人的な交流は今後も携わっていく私たちに託された責任の重さを、あらためて思う。
そんななか、日本政府が財政赤字のために、海外における文化芸術や交流にかかわる予算をカットするのではないか、といううわさが韓国まで聞こえてくる。気掛かりでならない。
東日本大震災からの復興や、福祉予算の拡大に苦心する日本政府の立場は理解できる。しかし、日韓の交流を担ってきた人びとをなくしたうえ、予算まで大幅に 削られたら、両国の文化人の交流は委縮してしまう。そうなれば、日本がこれまで積み重ねてきた海外との「絆」まで失いかねない。日本政府に一考を求めた い。 朝日新聞2012.5.12
人が亡くなったというのに、震災後だというのに、「おい日本金渋るなよ」という素晴らしい追悼記事でございますね
→村八分でさえ難しい
「02年サッカーワールドカップ日韓共催」を実現させた日韓フォーラム
http://www.jcie.or.jp/japan/gt/kjf.html
公益財団法人 日本国際交流センター
日韓フォーラム
日韓フォーラムは、1993年に行われた細川総理と 金泳三大統領との日韓首脳会談に基づき設置された民間レベルの政策協議のためのフォーラムで、Korea Foundationが韓国側事務局を、当センターが日本側事務局を務める。日米間の民間レベルの会議である「下田会議」をモデルとし、「未来志向」の新 しい日韓関係の在り方を検討するために、両国の政治家、経済人、学者、ジャーナリストなどのオピニオン・リーダーの参加を得て、政治、経済、文化など幅広 い分野にわたり両国の交流の推進を図る。 1993年以来、毎年開催されている。
ここには1996年第4回から2013年第21回のサマリーが公表されている
http://www.jcie.or.jp/japan/nenji98/g19.htm
第六回 日韓フォーラム
日本
小和田恆 日本側議長、外務省顧問、元外務事務次官
最後にあの若宮啓文 朝日新聞政治部長のお名前がありますね
小和田恆氏は第10回まで議長を務めている
そして第10回の時の肩書は (財)日本国際問題研究所理事長
http://www2.jiia.or.jp/ABUS/enkaku.php#a2
公益財団法人 日本国際問題研究所 歴代所長
鹿島守之助氏の名前がありますね
→「友愛」を手繰ったら恐ろしい箱が出て来た
平岩外四東京電力相談役←小沢一郎後援会会長
http://www.cpdnp.jp/blog/blog.cgi?show_type=id&&blog_id=9
公益財団法人 日本国際問題研究所 軍備・不拡散促進センター
チュチェ思想研究所主催の日朝国交正常化促進セミナーに参加した明石康氏
→徐は主体思想研究会員
http://www.jcie.or.jp/japan/gt/kjf/05.html
第13回日韓フォーラム
若宮啓文 朝日新聞社論説主幹
五百旗頭真 神戸大学教授←田母上俊雄氏の後に防衛大学校校長に
田中均 前外務省外務審議官←日朝国交優先・拉致問題軽視
http://www.jcie.or.jp/japan/gt/kjf/2009.html
第17回 鄭在貞 東北亜歴史財団理事長
ここに至ってはもう理解が出来ない
東北亜歴史財団の下に独島研究所、更にその下部組織がVANKだというのに
→竹島と韓流
ちなみにその上の田麗玉ハンナラ党議員はその著書が盗作
→更に救いようのない人達
これらを見ると暗澹たる気持ちにならざるを得ない
【まとめ】
▼日韓WC共同開催は日韓フォーラムが提案、実行
▼日韓フォーラムの議長は小和田恆氏(第10回まで)
追記2013.10.12
http://www.jcie.or.jp/japan/gt/kjf/06.html
第14回日韓フォーラム
徐勝 立命館大学法学部教授兼韓国学研究センター所長
→韓国民主化運動という赤化運動
追記2013.12.19
岡田克也週刊ビデオメッセージ(2006年8月29日号)
http://www.katsuya.net/message/2006/08/29.html
参考
従軍慰安婦問題の黒幕 ←山本正
日本を敗戦国のままにしておく装置
「ただ皇族にアクセスできる力がWC日韓共同開催や日韓交流おまつりなどの一連の流れを仕組んで来たという事実が垣間見えるだけだ」と書いたが
その一端を書いておこうと思う
http://www.jcie.org/japan/j/pdf/ty/20120512asahishimbun.pdf(pdf注意)
日韓の文化交流 故人の貢献胸に充実を
韓日フォーラム代表幹事・韓日文化交流会議委員長 鄭求宗
日本の民間国際交流に尽くしてきた山本正・国際交流センター理事長を亡くし、お付き合いをさせていただいた韓国人の一人として、一つの時代を失ったような喪失感にかられている。
山本氏は、日韓フォーラムの代表理事として、知識人交流にも情熱的に取り組んだ。私は1997年、韓日フォーラムのメンバーの一人となり、2002年から は韓国側の代表幹事を務めた。日本側の代表幹事である山本氏と10年間、汗を流してきただけに、悲しみはいっそう深い。
韓日・日韓フォーラムは90年代半ば、「02年サッカーワールドカップ日韓共催」を提案、実現させた。00年代の初めには、「羽田ー金浦」の直行路線の開設を日韓両政府に促し、これも実現した。こうした提言を取りまとめ、政府や関係機関にかけあったのが山本氏だった。日韓友好に寄与した役割は計り知れない。
葬儀・告別式には日帰りで出席することができた。鳩山由紀夫元首相はじめ、日韓フォーラムのメンバーだった前原誠司さんや加藤紘一さんなど多くの政治家、各界の著名な方々が出席した。山本氏の生前の貢献がしのばれた。
思えばここ数年、日韓交流に力を尽くした人が次々と亡くなっている。09年には、日韓文化交流会議座長を務め、高句麗の古墳壁画の再発見と保存に力を入れ、世界文化遺産の指定に功績のあった平山郁夫先生が亡くなった。
10年には、在韓日本大使館広報文化院長の高橋妙子公使が3年の任期を終えて帰国。間もなく死去した。高橋院長は日本の「新時代外交官」として韓国の文化 人、芸術家の心に深く刻まれている。11年には日韓文化交流委員の一人として両国文化のコラボレーションを進めて来た市川森一氏も失った。
こうした方々を相次いで失った空虚感はあまりに大きい。両国の文化、人的な交流は今後も携わっていく私たちに託された責任の重さを、あらためて思う。
そんななか、日本政府が財政赤字のために、海外における文化芸術や交流にかかわる予算をカットするのではないか、といううわさが韓国まで聞こえてくる。気掛かりでならない。
東日本大震災からの復興や、福祉予算の拡大に苦心する日本政府の立場は理解できる。しかし、日韓の交流を担ってきた人びとをなくしたうえ、予算まで大幅に 削られたら、両国の文化人の交流は委縮してしまう。そうなれば、日本がこれまで積み重ねてきた海外との「絆」まで失いかねない。日本政府に一考を求めた い。 朝日新聞2012.5.12
人が亡くなったというのに、震災後だというのに、「おい日本金渋るなよ」という素晴らしい追悼記事でございますね
→村八分でさえ難しい
「02年サッカーワールドカップ日韓共催」を実現させた日韓フォーラム
http://www.jcie.or.jp/japan/gt/kjf.html
公益財団法人 日本国際交流センター
日韓フォーラム
日韓フォーラムは、1993年に行われた細川総理と 金泳三大統領との日韓首脳会談に基づき設置された民間レベルの政策協議のためのフォーラムで、Korea Foundationが韓国側事務局を、当センターが日本側事務局を務める。日米間の民間レベルの会議である「下田会議」をモデルとし、「未来志向」の新 しい日韓関係の在り方を検討するために、両国の政治家、経済人、学者、ジャーナリストなどのオピニオン・リーダーの参加を得て、政治、経済、文化など幅広 い分野にわたり両国の交流の推進を図る。 1993年以来、毎年開催されている。
ここには1996年第4回から2013年第21回のサマリーが公表されている
http://www.jcie.or.jp/japan/nenji98/g19.htm
第六回 日韓フォーラム
日本
小和田恆 日本側議長、外務省顧問、元外務事務次官
最後にあの若宮啓文 朝日新聞政治部長のお名前がありますね
小和田恆氏は第10回まで議長を務めている
そして第10回の時の肩書は (財)日本国際問題研究所理事長
http://www2.jiia.or.jp/ABUS/enkaku.php#a2
公益財団法人 日本国際問題研究所 歴代所長
鹿島守之助氏の名前がありますね
→「友愛」を手繰ったら恐ろしい箱が出て来た
平岩外四東京電力相談役←小沢一郎後援会会長
http://www.cpdnp.jp/blog/blog.cgi?show_type=id&&blog_id=9
公益財団法人 日本国際問題研究所 軍備・不拡散促進センター
チュチェ思想研究所主催の日朝国交正常化促進セミナーに参加した明石康氏
→徐は主体思想研究会員
http://www.jcie.or.jp/japan/gt/kjf/05.html
第13回日韓フォーラム
若宮啓文 朝日新聞社論説主幹
五百旗頭真 神戸大学教授←田母上俊雄氏の後に防衛大学校校長に
田中均 前外務省外務審議官←日朝国交優先・拉致問題軽視
http://www.jcie.or.jp/japan/gt/kjf/2009.html
第17回 鄭在貞 東北亜歴史財団理事長
ここに至ってはもう理解が出来ない
東北亜歴史財団の下に独島研究所、更にその下部組織がVANKだというのに
→竹島と韓流
ちなみにその上の田麗玉ハンナラ党議員はその著書が盗作
→更に救いようのない人達
これらを見ると暗澹たる気持ちにならざるを得ない
【まとめ】
▼日韓WC共同開催は日韓フォーラムが提案、実行
▼日韓フォーラムの議長は小和田恆氏(第10回まで)
追記2013.10.12
http://www.jcie.or.jp/japan/gt/kjf/06.html
第14回日韓フォーラム
徐勝 立命館大学法学部教授兼韓国学研究センター所長
→韓国民主化運動という赤化運動
追記2013.12.19
岡田克也週刊ビデオメッセージ(2006年8月29日号)
http://www.katsuya.net/message/2006/08/29.html
参考
従軍慰安婦問題の黒幕 ←山本正
日本を敗戦国のままにしておく装置
コメント
いったいどこまで入り込んでいるのやら…
韓国の国家予算の規模を考えた場合、韓流は韓国一国だけで出来ることではなくて、説明がつかないんです。
説明のつかない理由の一端がこれなんでしょうね。
いつも、自分にはない新たな視点をご教授頂き、
ありがとうございます。
と言いつつも、これってもう手遅れなんでしょうかね…
もはや外患誘致といレベルではないんですね…
おはようございます。
>もはや外患誘致というレベルではない
そうなんですよね
根が深すぎてどこからどこまでを断罪していいか分からなくなります。