2015年7月23日木曜日

反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。

まるで国家ぐるみの壮大な詐欺!? 「朝鮮総連ビル」のひどいインチキ〈週刊新潮〉

 拉致問題をチラつかされ、足元を見透かされたのか。「朝鮮総連ビル」を山形の倉庫会社が買収したのはご存じの通りだ。しかし、それは、本拠地奪還を目指す朝鮮総連の目論見通りだったのである。日本は国家ぐるみで、インチキに乗せられたというほかないのだ。

 ***

 誰しも、隠れ蓑ではないかと疑念を抱いたに違いない。

 今年の1月下旬、朝鮮総連ビルを約44億円もの資金を投じて買い取った『グリーンフォーリスト』(山形県酒田市=稲村武治代表)は、年間売上わずか2000万円に過ぎない倉庫会社だった。やはり予想に違わず、朝鮮総連のダミーであることを裏付ける動きを見せ始めたのである。

「3月23日付の官報に、グリーン社による公告が載っていたのですが……」

 と明かすのは、公安関係者だ。

「簡 単に説明すると、『千代田管理』という新会社を会社分割によって立ち上げ、関東地域における不動産賃貸事業の権利義務を承継させるので、もし異議のある債 権者は1カ月以内に申し出るようにというもの。関東地域の不動産とは、要するに朝鮮総連ビルのことで、月々2000万円と言われる賃料を受け取る家主とし ての立場を、新会社にバトンタッチしようとしているのです」

 なぜ、わざわざ、こんな手間をかける必要があるのか。

 そこには、朝鮮総連ビル奪還に向けたシナリオがあるという。

「元銀行マンである稲村代表が8年前に設立したグリーン社は、酒田港の倉庫で大手運送会社などから荷物を預かる仕事もしている。ですが、ビルの買収に関しては、あくまでも総連の意向に沿ったかたちで、所有者として前面に立ったわけです」(同)

 そもそも、44億円の買収資金も自己資金では賄えず、朝鮮総連に用立てられているのである。

「総連の直系団体『白山出版会館管理会』が不動産を売却して得た約17億円を借り入れたり、あるいは、パチンコ業者などの在日商工人が香港にプールしていた資金を還流させたりして調達したと見られています」(同)

 ところが、早くもグリーン社が朝鮮総連ビルから手を引くための作業が進められ、会社分割はその一環だという。

「実 は、官報に公告が出される前から、総連傘下に新たな企業が設立されるという情報が流れていました。その企業名が、千代田管理でした。総連は、グリーン社か ら千代田管理に賃貸事業のみならず、ビルの所有権も移譲させるというシナリオを描いている。そのうえで、そこの会社の株式を系列企業に買い取らせ、本拠地 の完全奪還を成し遂げようと目論んでいるのです」(同)

 言うまでもなく、千代田管理は完全なぺーパーカンパニー。実際には存在しない東京・文京区内の番地が、会社設立の住所地になっている有り様だった。

 あらためて振り返ってみると、1990年代の後半から、朝銀信用組合の破綻が相次ぎ、1兆4000億円にのぼる公的資金が投入された

 大人から子どもまで、国民1人あたり1万円以上を負担した計算になる。

  朝銀信用組合から不良債権を引き継いだ整理回収機構は、そのうちの約627億円分について、実質的に他人名義や架空名義を使った朝鮮総連への融資だったと 判断し、返還を求める訴訟を起こした。結果、整理回収機構が全面勝訴したものの、朝鮮総連は返済する素振りさえ見せなかったために、2012年7月、朝鮮 総連ビルの競売を申し立てたのである。

 13年3月に実施された1回目の入札では、池口恵観法主の最福寺が45億円超で落札したのに、代金を調達できずに取得を断念。

 続いて、半年後に行われた再入札では、競り落としたモンゴル企業に書類の不備が見つかり、売却は許可されなかった。

■シナリオ通りの役者
 結局、次点の不動産会社『マルナカホールディングス』にお鉢が回ってくることになり、購入最低価格ギリギリの22億l000万円で落札することができたのである。

 政治部デスクの話。

「当初、総連側は、“棚ボタ落札”だとして、マルナカを非難し、東京地裁、さらには東京高裁から売却を認める決定が出されても、執行抗告で抵抗しました。すると、最高裁が昨年6月、売却手続きを停止する執行停止決定を行い、ビルの売却は一時中断されることになったのです」

 表向き、菅義偉官房長官などは、“司法に政治は介入できない”などと中立の立場を保っていた。だが、その時期、日朝政府間で、拉致被害者の再調査について外交交渉が進展中だった。

「総連トップの許宗萬(ホジョンマン)議長は、 金正恩第一書記から“本部ビルを死守せよ”との指示書を受け取っていたとされ、日本政府は本音では北朝鮮を刺激したくはなかった。そこで、日本政府の意を 汲んだ格好で動いたのが、自民党の山内俊夫元参院議員でした。最高裁で、マルナカヘの売却手続きの再開が11月に認められると、総連側の意向を踏まえつ つ、グリーン社に転売する仲介役を務めたのです」(同)

 グリーン社の稲村代表は倉庫業のほかに、元中国大使館員の在日中国人と組んで輸出入やコンサルタント業務などの会社も経営している。それらの人脈から、許議長とも親密な関係を築き、毎年恒例のレセプションパーティーにも招待されるようになっていたという。

 端から、朝鮮総連のシナリオ通りの役者が揃った出来レースだったのだ。

「一般企業ならば、落札された競売物件から追い出されもせず、居座り続けるなんてことは不可能です」

 と、東京基督教大学の西岡力教授が指摘する。

「日 本政府としては、朝鮮総連ビルで譲歩すれば、拉致問題の進展に繋がると判断したのでしょう。ですが、相手に恩を売ったつもりでいたのに、なんの見返りも得 られなかった。逆に、交渉カードを失ったうえ、朝鮮総連が企てたインチキな手口に国家ぐるみで丸乗りしてしまったと言うほかない状況なのです」

 挙げ句、焦げ付いた債権はほとんど回収できず、朝鮮総連ビルは元の鞘に。これでは、北朝鮮に舐められっぱなしではないのか。
※「週刊新潮」2015年4月23日号
http://www.gruri.jp/article/2015/04280815/

元中国大使館員の在日中国人
というのはあの例の・・
今更筒井商店1
この時から池口恵観法主の名前が出ていたわけで

有田芳生ツイッター朝鮮総連逮捕拉致
https://twitter.com/aritayoshifu/status/597900469730553856

有田芳生先生も筒井商店事件の時にご活躍なさってるんですよね
今更筒井商店2 永田町の怪文書 

参考
今更筒井商店3 筒井商店の目的 
週刊文春・総連本部転売で10億円提供した中国人女性の正体 
事実上買い戻した朝鮮総連

23朝鮮総連
 

三・一独立運動を支えた宗教団体 続き

ニューヨーク韓人教会は ニューヨークで展開された、独立運動の拠点だった
→ 拷問の証拠が見つかったニダ 
というニュースがあったので
独立運動を支えた海外拠点について再びこちらの本から





p101
(簡単にまとめ)
1918年1月 ウィルソン大統領 十四か条の平和原則で民族自決を提唱

1917年8月 万国社会党大会@ストックホルム
 上海に亡命していた申圭植らが朝鮮社会党として独立を要望
1917年9月 世界弱小国同盟会議@ニューヨーク
 在米同胞を代表して朴容萬が派遣される
 シベリアにいた亡命人士たちはロシア革命に刺戟されて「全露韓族中央総会」を組織

p102・103
  三・一独立運動を前後した頃は、海外における独立運動が最高潮に達していた。中国の東北地方、旧北満州や沿海州にはその頃朝鮮人が200万ほど在留してい た。満州における独立運動はまず国内から移動してきた義兵を中心として展開された。その後1910年、新民会の流れをくむ耕学社が創設された。初代の社長 は李相龍であった。国内において日韓併合は避けられないものと見て満州に独立運動の基地を造り、そこに軍官学校も設立することにしたの であった。そして遼寧省柳河県三源堡鄒家街に兵農生活の基地を造った。多くの難関を越えてここでは韓族会がうまれた。これは三・一独立運動後、上海に樹立 された臨時政府に合流した。満州は1930年代になって日本の支配がその全域に及ぶまでは、朝鮮独立運動のもっとも重要な基地であった。

 満州では武力抗争を展開し、しばしば国内にまで浸透しては、日本の守備隊などを襲撃した。これに比べれば、中国とアメリカにおける独立運動はおもに外交運動の形で展開された。申圭植は同胞組織として同済社を結成し、1918年、呂運亨、金九、徐丙浩などは新韓青年党を結成した。

 アメリカへの移住民が 急速に増えたのは、砂糖きび農場で働くハワイ移民の事業が始まってからであった。この移民は1903年に始まるが、統監府の干渉によって1905年まで続 いては絶えた。7226名の移民がハワイに定着し、1300余名はメキシコに定着した。そこに亡命志士や留学生が渡米してきたために、彼らのあいだに政治 意識が高まった。初期の亡命指導者には安昌浩、鄭翰景、朴容萬のような優れた人物がいた。こうしてハワイには1903年に新民会、7年には合成協会が組織され、またサンフランシスコには3年、桑港親睦会が組織された。

  一方、王政復古を唱える人びとは1907年、サンフランシスコで大同保国会を結成した。その翌年、その会員張仁煥、田明雲などは統監府の米人顧問スティー ブンスをサンフランシスコ、オークランド駅で暗殺した。紆余曲折をへて1909年にはハワイと米国本土の同胞が合同して国民会を結成し、外交、宣伝、資金 の募集に努めた。1919年三・一独立宣言以後、上海に臨時政府が組織されてからはこれに資金を送って支援した。安昌浩はこの国民会を指導するとともに、1913年、ロサンゼルスで民族革命収容団体、興士団を組織した。これは国内に地下組織としてあった新民会の後身ともいうべき団体であった。

  大戦が終わりに近づくにつれて、アメリカ在留の同胞の動きが活発になった。1918年10月、彼らは30万円の独立運動資金の募集を開始し、パリの講和会 議には李承晩、鄭翰景、閔チャ(王ヘンに賛:筆者)鎬を朝鮮民族代表として派遣することを決議した。アメリカ当局はかれらの出国を許可しなかったが、この ことが東京で発行される『ジャパン・アドバタイザー』(Japan Advertiser)に発表されて、日本に留学中の朝鮮人学生たちに刺戟を与えた。

1919年1月22日、高宗死去
 日本が韓相鶴を使って毒殺させたという噂が流れたため、抵抗運動が高まった
p105
三・一独立運動は国内外の同胞、とくに指導者たちが同時に共同の計画の下で推進したものであった。1918年11月、既に満州の山岳地帯で武力闘争をしていた呂準、柳東説、金佐鎮、申八均、徐一など重光団に属する39名が大韓独立宣言書を 発表した。1919年2月には、上海の新韓青年党は金奎植をパリに、張徳秀を日本に、金徹、徐丙浩を国内に、呂運亨をロシア領に送って独立運動を指揮する ようにした。その間に日本留学生は東京で、1918年12月に李光洙をして独立宣言書、決議文、民族大会招集請願書を起草させて、その日本語及び英語訳を 完成した。その間彼らは宋継白を国内に送って連絡を取らせ、東京で起草した朝鮮青年独立弾の宣言文を伝えた。李光洙は1月31日神戸を発ち、2月5日には 上海に到着して宣言書をアメリカ系の『チャイナ・プレス』(China Press)とイギリス系の『ノース・チャイナ・デイリ・ニュース』(North China Daily News)に伝えた。

上海臨時政府樹立運動
p115
  もっともはやく臨時政府への動きを示したのは、沿海州中心の露領移住民たちであった。この頃沿海州と黒龍州一体に住んでいる朝鮮人移住民は50万を超えて いて、彼らのあいだで亡命志士たちが啓蒙運動、愛国運動をおこなっていた。1917年にはウラジオストクで全露韓族会を組織してそれまでの諸団体を統合し た。この全露韓族会は19年2月に大韓民国議会と改称され、その代表をパリ講和会議に派遣するまでに至った。


p119
  臨時政府の統合は1919年5月25日にアメリカから安昌浩が到着することによって活気をおびるようになった。9月6日に至って漢城政府の優位を認めた統 合におたがい合意し、参謀部総長柳東説のほかは漢城政府を構成した閣僚をそのまま受け継ぐことにした。安昌浩は上海に赴任してくるとき、アメリカ在住の同 胞による義援金2万5000ドルを持参してきたために、当分のあいだ臨時政府の実質的な代表として活動した。臨時政府の庁舎を求め、初版の業務も開始し た。国内の組織としては地方に至るまで臨時政府の指令が通ずるように連通制を設けた。4000万円の愛国公債も発行した。独立運動の記録を残すために臨時 史料編纂会も設けられた。そこで機関紙『独立』(後に『独立新聞』と改題)が発行され、1921年には韓日関係資料集4巻が編集された。

 臨時政府の活動のなかでもっとも重要なことは外交であった。三・一独立運動以前、すでに新韓青年党代表としてパリで活動していた金奎植は臨時政府成立後、その代表として1919年5月12日、講和会議に独立嘆願書を提出した。それは日韓併合が欺瞞と暴力によるものであるために無効であることを説明し、日本統治の残忍性を暴露し、三・一の民族的抗争と臨時政府の成立に言及し、独立の必然性を強調したものであった。しかしこの嘆願書の本会議への提出は阻まれ、各国代表に個人的に渡して訴えるという方法を取るしかなかった。

  臨時政府の外交活動の舞台はおもにアメリカであった。李承晩、徐載弼など亡命志士たちがアメリカ議会などに接触した。特に1921年11月のワシントン軍 縮会議には臨時政府代表として全権大使李承晩、副使金奎植を派遣した。代表が会議に参加することはできなかったが、国内の愛国志士372名の署名による独 立建議書を提出したことは、日本統治に対する大きな警告であった。臨時政府の外交活動が少なからぬ共感を呼び起こしたのは中国においてであった。21年に は漢口、長沙等に韓中互助団ができたし、広東には韓中協会ができて、韓国独立を支援することになった。

【wiki】金奎植
上海臨時政府李承晩・金奎植
李承晩・金奎植

上海臨時政府金奎植・呂運亨・許憲
米ソ軍政当局者と(1947年5月・右から二番目が金奎植)右端が呂運亨・左端が許憲

個人的にはこの人が気になった
【wiki】安昌浩 
キリスト教徒
アメリカ・ロシアに韓国人連携団体を設立
カリフォルニア州に銅像(←

参考
間島問題と韓流ドラマ 

親日派の人だと聞いて読み進めていたらどうもおかしい・・・
と思ったら自分が著者を間違えてた 
(間違えたのはこちらの方→【wiki】池東旭 名字が同じなだけでした

というわけでよりによってT・K生氏の本を手にとってしまった
つか明石書店ってとこで気づけ自分
【wiki】池明観  
池 明観(ジ・ミョンクワン、1924年 - )は、韓国の宗教政治学者、評論家、クリスチャン。「T・K生」の名で1973年-1988年に雑誌『世界』に『韓国からの通信』を連載した。

略歴
1924年、平安北道(現在北朝鮮)生まれ。ソウル大学卒業、徳成大学で教える。韓国において雑誌『思想界』主幹。1967年-1968年、NY Union theological seminaryに留学し、帰途来日。1972年、来日、東京女子大学教授を勤め、韓国の民主化運動を支援。 1993年、韓国に帰国。韓国翰林大学校教授を経て、同日本語学研究所所長。2004年-2005年、国際日本文化研究センターへ日文研外国人研究員とし て京都滞在。2005年5月10日、「韓国現代史と日本について-1973年から1988年まで-」というタイトルで日文研フォーラムで対談(キャンパス プラザ京都)。家永三郎の教科書検定違憲訴訟を支援した。

金日成主席とツーショットの安江良介氏の岩波書店『世界』
→ ひたすらひれ伏せby東郷和彦 

大まかに言うと韓国は独裁のひどい国というプロパガンダで韓国民主化に一役買った方ですかね
(参考→韓国民主化運動という赤化運動




こちらの本から 三・一独立運動に関わった宗教団体
【仏教・天道教・キリスト教カトリック教会・キリスト教プロテスタント教会】
のうち仏教とプロテスタント教会に関する部分を引用
(参考→朝鮮人+キリスト教=

仏教
p90・91
  仏教は朝鮮王朝500年のあいだ、崇儒抑仏政策のために活気を失っていた。韓末の開港以来、日本の僧侶が来て布教しても、国内の僧侶にはまだ城内に入って 布教することが許されなかった。1895年に入城禁止令が解除されたのも、朝鮮に来ていた日蓮宗の僧侶佐野前励の上書という肝いりでようやく実現したとい われる。しかし、仏教が政府の支配から自由になることはとても難しかった。1908年3月、全国の僧侶代表52名が東大門外の元興寺に集まって圓宗宗務院 を設立した。しかしこの圓宗は日韓併合直後、その宗正李晦光を日本に送って日本曹洞宗管長石川素童と協議をさせ、圓宗と日本曹洞宗との連合を実現させた。

 その締盟約文第一条においては、朝鮮全体の圓宗寺院衆は曹洞宗と「完全且永久ニ」連合同名して仏教を拡張することが決められた。「完全且永久ニ」という日韓併合条約の語句がそのまま使われたことから見られるように、これは朝鮮王朝の廃仏政策によって弱体化した朝鮮仏教が日本仏教に隷属することを宣言した宗教における日韓併合とも呼ばれうるものといえた。曹洞宗は圓宗に顧問をおき、圓宗宗務院の設立認可のために尽力することになり、曹洞宗の布教師を受け入れることになった。

 圓宗のこのような売教的行為に憤慨した僧侶たちは1911年1月、全羅南道順川の松広寺に集まって圓宗を否定し臨済宗を建て、韓龍雲を 管長代理に選んだ。しかし総督府はその6月に寺刹令七条を公布し、7月にはその施行規則八条を公布した。これによって朝鮮仏教は30本山、30教区に分割 された。寺刹の併合、移転、寺刹の本末関係、僧規、法式などの寺法制定や寺刹の財産の処分などすべてが総督の許可なしにはおこなえなくなった。主な寺刹の 住職の任命もまた総督の許可をえなければならなかった。

 このように仏教が植民地権力に支配下に組み入れられるとともに臨済宗の動きも抑えられてしまった。しかし政教分離を主張する新進僧侶の抵抗は続けられた。そのなかで生まれた代表的な著作が1913年に発刊された韓龍雲の『佛教維新論』であった。韓龍雲は三・一独立運動に33人の民族代表の一人として参加し、若い僧侶たちを独立運動へと動かした。
(参考→迫害された朝鮮仏教

キリスト教プロテスタント教会
p93・94
  プロテスタント教会は1910年代においても活発であった。天道教がその活動を通して三・一独立運動の準備をしたように、プロテスタントキリスト教もその 日に備えていたといえるであろう。韓国のプロテスタント教会史は公式的には1885年4月5日、済物浦、今の仁川に上陸したアメリカの長老派宣教師H・ G・アンダウッド(Underwood)とメソヂスト宣教師H・G・アペンセラー(Apenzeller)の戦況によって始まった。朝鮮におけるキリスト 教は失意に陥っていた知識人や民衆のあいだに急速に広まった。独立と近代化への熱意がそこに集中されたかのようであった。1909年当時、教会が設立した 学校は長老派が605校、メソジストが200校でおのおの1万4708名と6423名の学生をかかえていた。1903年に設立された皇城基督教青年会は李 商在、尹致昊のようなかつて優れた開化派官僚であった人びとによって指導されていた。ここに若い意識のある青年たちが合流して、いわば抵抗的エリート層を 構成しうる場所であった。

 日韓併合当時、すでにキリスト教信者は20万を数え、その指導者は組織された進歩的な人びとの群であった。そのために総督府はその支配について心を悩まさねばならなかった。しかもその背後には世界キリスト教があって支援しているように見えた。 この教会は全国的に査経会というような集会をしばしば催した。そのなかには単に聖書研究のみではなく国史や生活指導、体育までも含まれていて、それは啓蒙 運動であり愛国運動でもあった。そのような集会や教会の教育機関によって全国的に多くの重要なリーダーが養成された。彼らは教育を通して近代的啓蒙精神を 植えつけられ、正義、民主、権利の思想に目ざめていった。

 (´・ω・`)次は海外における独立運動について
三・一独立運動を支えた海外拠点

187人の歴史学者(冷笑) 続き

日米歴史家、韓国メディアの"変化球"に困惑
なぜ「5月5日の日米声明」をネジ曲げるのか
福田 恵介 :東洋経済 編集局記者

 日本に対し「歴史の歪曲」を叫ぶ韓国メディア。そんな彼ら自らが、資料もきちんと読み込まず、「我田引水」としかいいようがない歪曲をしでかし、日米の研究者らがたいへん困惑している。

  5月5日、日本学や歴史学など、米国を中心に世界でも著名な研究者187人が「日本の歴史家を支持する声明」(原題:Open Letter in Support of Historians in Japan、米国のアジア研究者の交流サイト「H-ASIA」で読むことが可能)を発表した。これには、米マサチューセッツ工科大学のジョン・ダワー教授ハーバード大学のエズラ・ボーゲル教授入江昭名誉教授など、日本でも著名な研究者らが署名したものだ。
(→https://networks.h-net.org/node/22055/discussions/69206/open-letter-support-historians-japan)

  この声明は、「日本の多くの勇気ある歴史家が、アジアでの第二次世界大戦に対する正確で公正な歴史を求めていることに対し、心からの賛意を表明するもの」 であり、「日本と東アジアの歴史をいかに研究し、いかに記憶していくべきなのかについて」研究者らが共有する関心が発せられたもの、としている。声明は、 英文と日本文の両方で発表され、発表前には在米日本大使館を通じて日本の首相官邸にも送られている。

■ 安倍批判ではないのに「安倍批判」と断定
 この内容は、日本に向けられてはいるものの、東アジアの歴史に対し、安倍晋三首相はじめ日本政府を狙って批判・糾弾しているものではないことは全文を読めばわかる。

  「正しい歴史への簡単な道はない」「日本の研究者・同僚と同じように、私たち(声明を発表した研究者)も過去のすべての痕跡を慎重に天秤に掛けて、歴史的 文脈の中でそれに評価を下すことのみが、公正な歴史を生むと信じています」と呼びかけている。そして、「私たちは歴史研究の自由を守ります。そして、すべ ての国の政府がそれを尊重するよう呼びかけます」としている。

 さらに、「今年は、日本政府が言葉と行動において、過去の植民地支配と戦 時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会です」と位置づけ、「4月のアメリカ議会演説において、安倍首相は、人権という普遍的な 価値、人間の安全保障の重要性、そして他国に与えた苦しみを直視する必要性について話しました。私たちはこうした気持ちを賞賛し、その一つ一つに基づいて 大胆に行動することを首相に期待してやみません」としており、安倍首相の演説内容を批判しているわけではない。

 ところが、聯合ニュースの報道の中身は、日本たたきで終始する、いつもの韓国メディアの論調から外れていない。英文も日本文もどちらも十分に理解できない(と思われる)特派員が、都合のよい論調で、しかも原文の意味を歪曲して伝えているとしか言えないような内容だ。

 まず、「学者187人が安倍首相に対し旧日本軍慰安婦問題とこれに関連した歴史的な事実をねじ曲げることなく、そのまま認めるよう求める声明を共同で発表した」としているが、そんな内容はどこにも書かれていない。

 また、声明では「最も先鋭的な歴史問題の一つに慰安婦問題を挙げ」とし、「慰安婦にされた女性らの苦しみを被害国で民族主義的な目的に悪用することは国際的な問題解決を難しくし、被害女性の尊厳を冒涜することだ」と声明に記されていると記述している。

  だが、実際には、「元慰安婦の被害者としての苦しみがその国の民族主義的な目的のために利用されるとすれば、それは問題の国際的な解決をより難しくするの みならず、被害者自身の尊厳をさらに侮辱することにもなる」と書かれている。民族主義的な目的というのは、まさに韓国がしていることを指している。これは 英文を読んでもわかる。

■ 「恐ろしい暴力」が「むごい野蛮行為のいけにえ」に

 しかも、慰安婦制度の問題についてこの声明のなかでは、「この問題は、日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました」と明記されている。この部分を、聯合ニュースは都合よく外して報道しているのは間違いない。

  聯合ニュースの歪曲はさらに続く。報道では「大勢の女性たちが自らの意志に反してとらえられ、むごい野蛮行為のいけにえにされた証拠は明らかだ」としてい る。だが、声明では「大勢の女性が自己の意志に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、すでに資料と証言が明らかにしている通りです」とのみ記 されており、どこにも「むごい野蛮行為」「いけにえ」といった言葉はない。

 この声明は、タイトルに「日本の歴史家を支持する声明」とされているが、必ずしも日本だけに向けられたものではない。

  東アジアの歴史を考えるうえで、混乱をまねている問題を取り上げ、当事者・当事国が冷静な姿勢で、互いに敬意を払いながら誠実に話し合っているという事実 にも触れ、「過去の過ちについて可能な限り全体的で、でき得る限り偏見なき清算を、この時代の成果として共に残そうではないか」と結んでいるなど、非常に 傾聴すべき点が多い声明だ。

 この声明作成を手伝い、英文で作られた声明を日本語に翻訳する作業を行った早稲田大学政治経済学術院の浅野豊美教授は「この声明は、英文も日本文もともに正文であり、署名したすべての研究者に回付され検討されたもの。東アジアの歴史について、さまざまな多様性を許容しながら真摯に研究していこうという呼びかけであり、米国人研究者の常識に絞って作成された」と説明する。

 実際には、米ジョージタウン大学で日本史を教えるジョルダン・サンド教授が中心となってとりまとめ、英文・日本文で内容を熟考し、文面も日英で整合性がとれるように正確で慎重な作業が繰り返されたという。

■ 事実と異なる「我田引水のコメント」まで紹介
  実際に読めば、韓国メディアがよく使う「残虐Atrocity」「性奴隷Sex slaves」といった言葉はどこにも使われていない。また、「サンド教授はメディアの報道でゆがめられることは覚悟していた様子で、礼儀を失わないため にも、発表前に首相官邸にお送りした」(浅野教授)という。

 聯合ニュースの歪曲報道は、最後にも大々的に行われている。「声明発表を主導した米コネティカット大のアレクシス・ダデン教授が聯合ニュースとのインタビューに答えた」とし、「安倍政権がかつての河野談話の時のように過去の過ちに対する責任を認め、歴史歪曲や政争に用いることをやめるよう訴えかけるもの」と趣旨を説明したと報じている。

  ところが、「ダデン教授は署名者の一人であるが、内容を主導してはいない」(浅野教授)。聯合ニュースが報道したダデン教授のコメントはあくまでも個人的 見解であって、「このようなコメントは今回の声明に盛られた研究者の総意とはまったく違う。声明は韓国の民族主義的言辞をも戒めながら、安倍首相の良心に 誠実に訴え、平和や人権・民主主義という価値を追求してきた日本がこの問題の解決を主導すべきであり、また今年は絶好の機会と訴えている。このことは原文 を読めばわかるはずだ」と浅野教授は指摘する。

 韓国メディアは長期間にわたって日本や米国に特派員を置いている。歴代の特派員は、一部を除き決して短くない特派員生活を経験しているはずだ。

  だが、韓国内の「反日有理」という雰囲気に押されてか、冷静な発信という記者の基本がまったくできていないようだ。また、日本語であれ英語であれ、外国語 を上手に話す特派員も多いものの、日本に対してはその実力がとたんに発揮できないように身についているようだ。特に聯合ニュースは、韓国内のメディアを通 じてそのまま報道されるケースが多い。このようなメディアが影響力を持ち、韓国国民の対日世論に多大な悪影響を与えていることを日本でも理解したほうがい いだろう。
東洋経済オンライン2015.5.7
http://toyokeizai.net/articles/-/68890

この記事に対する反論文
『世界の日本研究者ら187名による「日本の歴史家を支持する声明」の背景と狙い - 小山エミ / 社会哲学』

『東洋経済』が引用するのは、声明に署名すらしていない浅野氏ただ一人。それだけを根拠として、韓国メディアの報道に「日米歴史家」が「困惑」しているというのは、それこそあきらかな捏造だ。「なぜネジ曲げるのか」と、こちらこそ聞きたい。

2015.5.9
全文→http://blogos.com/article/111771/

コメント欄で教えてもらったので転載
以前から勝手に応援している江崎道朗氏のFBから
参考→反日ネットワークの正体
アメリカのニュー・レフトに騙されるな

ニュー ヨーク州立大のハーバート・ビックス名誉教授とマサチューセッツ工科大のジョン・ダワー名誉教授ら日本研究者や歴史学者187人が、「日本の歴史家を支持 する声明」と題する文書を5日公表、戦後70年の今年を「過去の植民地支配と侵略の問題に立ち向かう絶好の機会」「可能な限り、偏見のない清算を共に残そ う」と呼びかけた。

この問題の背景については、既に拙著『コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾』で書いたが、要は、ジョン・ダワーらは、反日宣伝を行っている中国系・韓国系ロビーと連携している、ニュー・レフトと呼ばれる知識人たちであり、アメリカの一般的な対日認識とは相当なズレがあることを留意しておくべきだ。

このニュー・レフトの学者たちが、日本の戦争犯罪について追及するのはなぜなのか、以下、説明した部分を紹介する。

彼らニュー・レフトの主張を、アメリカの対日世論だと勘違いして「アメリカけしからん」と、反米感情を募らせることは、敵の思うつぼなので、十分に気をつけたいものである。

なお、歴史学者187人の中には、良識的な学者も多く、名前を連ねた学者すべてがニュー・レフトであるわけではないことも付言しておきたい。

●中国ロビーを支える左翼ネットワーク
厄介なのは、こうした反日活動が中国系・韓国系だけではない、ということだ。その背後には、ニュー・レフトと呼ばれる米国の知識人たちがいるのである。

 きっかけは、ベトナム反戦運動であった。米ソ冷戦下で南北に分断されていたベトナムに対して、米国は1962年に軍事介入を開始し、1965年2月に開始された米軍による北ベトナムへの、いわゆる「北爆」で一般市民の犠牲者が増えたことが報道されるや、左派勢力が全世界でベトナム反戦運動を起こした。

 当時、ベトナム反戦運動を繰り広げていた活動家たちは、ソ連の支援を受けた北ベトナムが勝利し、共産主義政権ができれば、東南アジア諸国にも次々に共産主義政権が誕生し、世界共産化が進むと考えていた。

  しかし1965年10月に起こったインドネシア共産クーデターは、スハルト将軍率いる陸軍によって阻止され、1967年には反共を掲げるアセアン(東南ア ジア諸国連合)が創設された。1968年には、北ベトナム側が大規模な南ベトナム侵攻作戦を実施し、米国に大打撃を与えたものの、直ちに共産ベトナムの誕 生というわけにはいかなかった。

 ニュー・レフトの指導者たちは、この事態を深刻に受け止めた。理論的指導者のひとり、ヘルベルト・マルクーゼ(カリフォルニア大学教授)は1969年、『解放論の試み』という新著の中で、アジア・アフリカ諸国での解放、つまり共産革命が進まないのは、現地での革命闘争を先進資本主義国(つまり欧米諸国)が豊富な資金と武器援助によって抑圧してしまうからだと分析し、アジア・アフリカの解放を実現するためには、現地での共産勢力を強化するよりも、先進資本主義国の弱体化が必要なのだと訴えた。

 このマルクーゼ理論を更に進めたのが、ピューリッツァー賞を受賞した『敗北を抱きしめて』などで有名なジョン・ダワー・マサツューセッツ工科大学教授ら であった。彼らは、ベトナムの“民主化”、ひいてはアジアの“民主化”を阻む米国の“帝国主義者たち”がアジアで影響力を保持しているのは、日米同盟と日 本の経済力があるからであり、日米同盟を解体し日本を弱体化することが、アジアの“民主化”を早めることになると考えた。

 では、どうしたらいいのか。

日 本の敗戦後、米国政府は当初、二度と米国に逆らうことができないよう大日本帝国を徹底的に解体するつもりであった。ところが、共産中国の誕生と朝鮮戦争の 勃発という事態を受けて米国は日本を東アジアの“反共の防波堤”とすべく占領政策を転換し、懲罰的な占領政策は取りやめる一方で、日米安保条約を結んで同 盟国に格上げし、日本の経済発展を支援するようにした。

こうした日本の戦後史を分析したダワー教授らは、「逆コース」が起らず、あのまま 徹底した民主化政策が実行されていれば、天皇制が廃止されて大混乱に陥った日本で共産革命が起こり、(アジアの民主化を妨害した)その後の日米同盟も、日 本の経済発展もなかったかもしれない――こう考えたのだ。

 そしてダワー教授らは1975年、以下のように主張した。

①占領政策のおかげで日本の民主化は進んだが、日本の官僚制を活用する間接統治と、「逆コース」によって占領政策が骨抜きとなった結果、「天皇制」に代表される戦前の専制体制は温存されてしまった。

②昭和天皇の戦争責任を不問に付すなど東京裁判が不徹底なものとなった上、日本自身もアジア諸国への加害責任を問わなかったため、現在の日本は「過去の侵略を反省できない、アジアから信頼されない国家」になってしまった。

③日本がアジア諸国から信頼される民主国家となるためには、もう一度、徹底した民主化(現行憲法の国民主権に基づく皇室の解体)と、東京裁判のやり直し、つまりアジア諸国への加害責任の追及を行うべきである。

④ そのためにも、民主化と加害責任の追及を行う日本の民主勢力(例えば、家永三郎氏のような「勇気」ある歴史家たち)を支援しようではないか(ダワー教授や ピックス教授は1999年、世界抗日連合カナダ支部や土井たか子元社民党党首らと連携して、家永三郎氏にノーベル平和賞を授賞させる運動を展開してい る)。

かくして、日本の加害責任を改めて追及することで日本を弱体化させ、アジアの民主化を促進するという世界戦略が米国のニュー・レフトの間で確立されていったのである。》
https://www.facebook.com/michio.ezaki/posts/788942777888888

 小山エミ氏によると
「そ もそも日本研究者たちの多くは、日本に好意を抱いているからこそ日本研究を専門に選んだのであり、「私たちの多くにとって、日本は研究の対象であるのみな らず、第二の故郷でもあります」と声明に盛り込んでいるのは嘘ではない。もしこれが反日学者による反日のための声明であったなら、これほど広範な支持を得 ることはなかっただろう。」
ということだが、「天皇制廃止」を目論んでおいて反日ではないとか、笑止千万

中指立てながら「仲良くしようぜ」と言ってるのと同じですね

参考
『全く評価できない日本研究者187名の「日本の歴史家を支持する声明」~初めに「より広い文脈」ありきでトップダウン的に議論をブレークさせる愚』
「残念ながらこの声明は、韓国や中国に政治的に利用される(すでに利用されています)以外に、影響力を発揮することはできないでしょう。」
木走正水(きばしりまさみず)2015.5.10
http://blogos.com/article/111814/

関連記事はこちらから→【アンブロークン the unbelievable BROKEN story】

『アンブロークン』を調べていくうちに
人肉食だとかの日本軍=残虐な資料の元がオーストラリアだと分かってきたわけだが
結局イギリスなのかしら 

それが読んでいた本に出て来たのでご紹介
著者はこんな方
【wiki】林博史 
林 博史(はやし ひろふみ、1955年4月6日 - )は、日本の歴史学者、関東学院大学経済学部教授。専攻は日本近現代史。日本の戦争責任資料センター研究事務局長。BC級戦犯裁判、慰安婦問題、沖縄戦研究などで知られる。2002年『沖縄戦と民衆』で伊波普猷賞を受賞。

( 一□一) 真っ赤だな~真っ赤だな~~♪


BC級戦犯裁判 (岩波新書)
林 博史
岩波書店
2005-06-21

p88~93

3 オーストラリア - 日本への強硬姿勢

 東京裁判の被告の選定過程で天皇裕仁の訴追を主張したのはオーストラリアだけであり、オーストラリアが日本に厳しい姿勢をとったことはよく知られている。オーストラリアが本格的に日本軍による戦争犯罪捜査を始めたのは、1943年6月と早かった。オーストラリアの北側のニューギニアやその周辺の島々で激しい戦いが繰り広げられていた時期である。

 オーストラリア政府は、クイーンズランド州最高裁判所長官だったウィリアム・ウェッブ(のちに東京裁判の裁判長)を長とする委員会を設置した。このウェッブ委員会は44年3月に450ページにわたる日本軍の戦争犯罪についての報告書をまとめた。欧米人の捕虜や民間人への残虐行為、住民の殺害、強かん事件などに加えて、日本軍将兵による人肉食の報告が目を引く。オーストラリア兵がその人肉食の対象にされたことは一般には伏せられていたが、関係者にとっては衝撃的なことだった。戦争犯罪を捜査するウェッブ委員会は第三次まで組織され、そこでオーストラリアの戦犯裁判への基本ラインが引かれていった。

  この委員会がBC級戦犯裁判について扱うかどうかも見当されたが、ウェッブらは天皇や政府・軍首脳のA級戦犯に関心を集中させており、BC級戦犯裁判は陸 軍に委ねられた。45年10月に「戦争犯罪人の裁判及び処罰を規定する法律」などが制定され、軍事裁判所によってBC級戦犯を裁くこととされた。これは基 本的にはイギリスの穿破裁判規定をベースにしたものだが、「平和に対する罪」もオーストラリア裁判で裁くことができるようにしていた。また戦争犯罪の例示として「人肉食」と「死体の切断」が追加されていることは、人肉食の衝撃の大きさを物語っている。

  陸軍はシンガポールと東京に戦争犯罪局を設置し、英米軍と協力しながら捜査を開始した。ニューギニアや東部インドネシアでは、派遣された陸軍の各部隊が操 作をおこなった。なおニュージーランドはオーストラリアの一員としてスタッフを派遣し、戦争追及に参加した。またヨーロッパでのオーストラリア人への犯罪 のケースをイギリスに任せる代わりに、ボルネオや上記の地域の捜査をオーストラリア軍が担当することになった。

 オーストラリア裁判の数 値はオーストラリア側の資料によると、296件924人である。モロタイとアンボンを別と考えると、計9カ所でおこなわれた。オーストラリア裁判は厳し かったという印象があるが、中国に次いで無罪も多い。裁判の性格も裁判地によってかなり違う。ラバウルを除くと、もっぱらオーストラリア軍捕虜(香港のみ 欧米系民間人も含む)に対する犯罪を裁いている。

 全体としては捕虜への犯罪が被告総数の81パーセントを占めている。ただインド人と中国人捕虜のケースを除くと556人(60パーセント)に下がるが、基本的には捕虜への犯罪が裁かれたと言ってよいだろう。

  ラバウル裁判はほかと違ってインド人捕虜や現地住民、中国人への犯罪が数多く裁かれている。ラバウルには第八方面軍(軍司令官今村均大将)司令部がおか れ、この地域の日本軍の拠点として終戦時、ラバウル周辺地区には約8万9000人の将兵がおり、オーストラリア陸軍の第一群によって武装解除された。この 地域にはたくさんのインド人と、数は少ないが中国人も日本軍の一員として連れて来られ、特設勤務中隊や野戦貨物廠などに配属されて労働力として使われた。 かれらは当初はイギリス軍などの一員だったが、マレー半島などで日本軍の捕虜となり、解放の代わりに日本軍に協力することを約束させられた者たちだった。 かれらは日本軍の将兵から当然のようにビンタなど私的制裁を受け、食糧を盗んだり、逃亡を図ったとして処刑された。そうしたインド人や中国人、あるいは現地の住民、華僑などが捜査当局に訴えた。

 長期にわたって駐留していた日本軍が戦後は丸ごと、ラバウル地区に拘留されている状態だったので、容疑者の摘発も容易におこなえる状況にあった。日本側は、そうしたインド人や中国人は日本軍の構成員であるから処罰したことは戦争犯罪に当たらないと主張し たが、オーストラリア当局はかれらを捕虜であるとして日本軍の弁明を退けた。当初は日本軍を信じ日本軍に加わったインド人も、インド方面とは関係のない太 平洋の島に連れてこられ、労働力として酷使されえ暴行を受け、しばしば仲間が処刑されたことから、日本軍に裏切られたという思いがあっただろう。

 ラバウル裁判は裁かれた人数が多いが、個々のケースを見ると、ほかではほとんど起訴されないような軽微な事件まで起訴されている印象を受ける。なおこのインド人捕虜の扱いについて、イギリスは当初はかれらへの犯罪を戦犯裁判で裁いたが、途中からイギリス本国の軍法務長の判断で、かれらは捕虜ではなく日本軍の構成員であると認定し、かれらを処罰した日本軍の行為は戦争犯罪には当たらないと判断した。その結果、47年以降、起訴されなくなった。英豪間で見解が異なり、裁かれた者には不公平感が残ることになった。

 オーストラリアは極東委員会の勧告に従わず、連合国のなかで最も遅くまで裁判をおこなった。 他国が裁判をすでに終わらせていた1950年6月から翌年4月まで、マヌス島で26件113人が裁かれた。オーストラリア政府が重大が犯罪のみを基礎する 方針だったが、裁判結果は、113人中44人が無罪で、死刑判決は15人に下されたが再審で確認されたのは5人にとどまった。マヌスでのほとんどの裁判で は、クイーンズランド州高裁判事のタウンレイが裁判長を務めた。民間の判事が軍事裁判所の裁判長を務めるのはめずらしく、それが裁判結果にも反映している とみられる。

 オーストラリアが、日本の戦犯処罰への強い意志を最後まで持ち続けた理由としては、次のような事情があったと考えられる。 オーストラリアは、国土のすぐ北側のニューギニア地域が激しい戦場となり、国土もたびたび日本軍による空襲や潜水艦による攻撃を受け、その軍事的脅威を身 近に感じ、さらに人肉食などの情報を通じて日本軍の残虐さに衝撃を受けた。他方、オーストラリアはほかの欧米諸国とは違って植民地の独立問題を抱えていな かったし、冷戦の影響も少なかった。オーストラリアにとっては日本の軍国主義復活こそが大問題であった。

 なおオーストラリア裁判は、裁判の運営の仕方がかなり乱暴だったという批判があるが、同時に、無罪判決は中国に次いで多く、比較的刑が軽いという側面もあった(拙稿「オーストラリアの対日戦犯政策の展開」)。

赤い人が書いた本にも関わらず色々突っ込みどころがあるなぁ・・
「イギリス本国の軍法務長の判断で、かれらは捕虜ではなく日本軍の構成員であると認定し、かれらを処罰した日本軍の行為は戦争犯罪には当たらないと判断」
何これ
不当裁判じゃないの

【wiki】ウィリアム・ウェブ
ウィリアム・ウェッブ

清瀬一郎の「この裁判(極東国際軍事裁判)はいかなる根拠において実施できるのか」という質問に対しても「後から答える」とだけ述べて休廷し、その後回答することはなかった。

連合国の汚点でございますね

歴史に向き合えw 

それぞれの違いをお楽しみください
続き→中指立てて仲良くしようゼと言う187人の歴史学者

「慰安婦を否定するな」…世界歴史学者187人が安倍首相に警告状
慰安婦問題声明187人世界の歴史学者187人が発表した声明書

  世界の歴史学者187人が6日(現地時間)、安倍晋三首相に対し旧日本軍の慰安婦など過去の歴史を歪曲せず直視することを促す集団声明を発表した。声明に はエズラ・ヴォーゲル・ハーバード大教授、アンドルー・ゴードン・ハーバード大教授、ブルース・カミングス・シカゴ大教授など権威ある東アジア・日本専門 家が多数参加した。旧日本軍の慰安婦被害者に対する謝罪を避けてきた安倍首相と慰安婦の強制動員を否定してきた日本の右翼に対し、国際歴史学界が警告状を 出したという評価が出ている。

 声明を主導したアレクシス・ダデン・コネチカット大教授は 「日本国内の史学者を支持する声明」と題した英語・日本語声明書を日本首相室に伝えたと明らかにした。学者は声明で、「戦後日本で実現した民主主義、軍に 対する文民統制、警察権の制限、政治的寛容などの歴史は、日本の科学の発展に対する寄与と他国に対する厚い支援とともに祝うべきものだ」としながらも「し かし歴史解釈の問題はこうした成果を祝ううえで障害になっている」と始めた。

 学者は具体的に「最も意見が割れている歴史イシューが慰 安婦問題」と指摘した後、「被害にあった国で慰安婦被害者の苦痛を民族主義的な目的のために悪用するのは国際的な解決を難しくし、被害女性の尊厳をさらに 冒とくするものだが、被害者にあったことを否定したり無視することも同じく被害者を冒とくすることだ」と明らかにした。これは被害国の韓国・中国などと加 害国の日本を同時に取り上げたものだ。

 しかし声明は実際の内容では、安倍政権の一部が主張してきた日本軍慰安婦否定論理に正面から反 論した。学者は日本軍慰安婦動員に強制性がなかったという主張に対し、「数多くの女性が自分の意思に反して連れて行かれ、ぞっとするような野蛮な行為を体 験したという証拠は明らかだ」とし「歴史学者は日本軍が女性の移送と慰安所管理に関与したことを証明する数多くの資料を発掘した」と一蹴した。続いて「重 要な証拠は被害者の証言にある」とし「たとえ被害者の話が多様で一貫性がない記憶に依存していても、被害者が提供する総体的な記録は説得力があり、兵士ま たは他の人たちの証言とともに公式文書によっても裏付けられる」と強調した。

 学者は慰安婦被害者の数が誇張されたという主張に対しても、「数字が数万人であれ数十万人であれ、日本帝国と日帝の戦場で搾取があったという事実は変わらない」と断言した。

 学者は「4月に安倍首相は米議会演説で普遍的価値である人権と人間安保の重要性および日本が他国に与えた苦痛に直面する問題に言及したが、このような情緒に称賛を送り、安倍首相がこれらすべてで果敢に行動することを促す」と明らかにした。

 今回の声名には米国・英国・ドイツ・豪州・オーストリア・カナダ・シンガポール・日本など世界の権威ある研究者が含まれた。日本関連著書でピューリッツァ賞を受賞したハーバート・ビックス米ニューヨーク州立大教授ジョン・ダワー・マサチューセッツ工大教授などとともに、日本学研究を発展させた功労で日本政府とジャパンファウンデーションなどから賞を受けたピーター・ドウス・スタンフォード大教授入江昭ハーバード大学教授も参加した。

 集団声明は、8月15日の第2次大戦終戦70周年を迎えて談話を準備中の安倍首相が米議会演説のように日本軍慰安婦など過去の歴史に対する明白な謝罪なく未来を述べる場合、世界の歴史学界と戦争をしなければいけないという予告だ、という指摘が出ている。
中央日報2015.5.7
http://japanese.joins.com/article/987/199987.html?servcode=A00&sectcode=A00

さらりと書かれているが
ジャパンファウンデーションとは悪名高き国際交流基金のこと
あの徳留絹枝氏も
国際交流基金・徳留絹枝 産経新聞の記事から 

アレクシス・ダデン コネチカット大教授
米公文書が暴いたベトナムの「韓国軍慰安所」

コメント欄に原文とは違うと書かれていたので探したら朝日新聞に訳文があった

日本の歴史家を支持する声明(全文)

 米国の歴史研究者らが公表した声明の全文は次の通り。(原文のまま)
     ◇

日本の歴史家を支持する声明

  下記に署名した日本研究者は、日本の多くの勇気ある歴史家が、アジアでの第2次世界大戦に対する正確で公正な歴史を求めていることに対し、心からの賛意を 表明するものであります。私たちの多くにとって、日本は研究の対象であるのみならず、第二の故郷でもあります。この声明は、日本と東アジアの歴史をいかに 研究し、いかに記憶していくべきなのかについて、われわれが共有する関心から発せられたものです。

 また、この声明は戦後70年という重 要な記念の年にあたり、日本とその隣国のあいだに70年間守られてきた平和を祝うためのものでもあります。戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民 統制、警察権の節度ある運用と、政治的な寛容さは、日本が科学に貢献し他国に寛大な援助を行ってきたことと合わせ、全てが世界の祝福に値するものです。

  しかし、これらの成果が世界から祝福を受けるにあたっては、障害となるものがあることを認めざるをえません。それは歴史解釈の問題であります。その中で も、争いごとの原因となっている最も深刻な問題のひとつに、いわゆる「慰安婦」制度の問題があります。この問題は、日本だけでなく、韓国と中国の民族主義 的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました。そのために、政治家やジャーナリストのみならず、多くの研究者もまた、歴史学的な考察の究極の目的で あるべき、人間と社会を支える基本的な条件を理解し、その向上にたえず努めるということを見失ってしまっているかのようです。

 元「慰安 婦」の被害者としての苦しみがその国の民族主義的な目的のために利用されるとすれば、それは問題の国際的解決をより難しくするのみならず、被害者自身の尊 厳をさらに侮辱することにもなります。しかし、同時に、彼女たちの身に起こったことを否定したり、過小なものとして無視したりすることも、また受け入れる ことはできません。20世紀に繰り広げられた数々の戦時における性的暴力と軍隊にまつわる売春のなかでも、「慰安婦」制度はその規模の大きさと、軍隊によ る組織的な管理が行われたという点において、そして日本の植民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた若い女性を搾取したという点において、特筆すべきもの であります。

 「正しい歴史」への簡単な道はありません。日本帝国の軍関係資料のかなりの部分は破棄されましたし、各地から女性を調達し た業者の行動はそもそも記録されていなかったかもしれません。しかし、女性の移送と「慰安所」の管理に対する日本軍の関与を明らかにする資料は歴史家に よって相当発掘されていますし、被害者の証言にも重要な証拠が含まれています。確かに彼女たちの証言はさまざまで、記憶もそれ自体は一貫性をもっていませ ん。しかしその証言は全体として心に訴えるものであり、また元兵士その他の証言だけでなく、公的資料によっても裏付けられています。

  「慰安婦」の正確な数について、歴史家の意見は分かれていますが、恐らく、永久に正確な数字が確定されることはないでしょう。確かに、信用できる被害者数 を見積もることも重要です。しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地 域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません。

 歴史家の中には、日本軍が直接関与していた度合 いについて、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいます。しかし、大勢の女性が自己の意思に反して拘束 され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです。特定の用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねることや、被害者の証 言に反論するためにきわめて限定された資料にこだわることは、被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度を取り巻く、より広 い文脈を無視することにほかなりません。

 日本の研究者・同僚と同じように、私たちも過去のすべての痕跡を慎重に天秤に掛けて、歴史的文 脈の中でそれに評価を下すことのみが、公正な歴史を生むと信じています。この種の作業は、民族やジェンダーによる偏見に染められてはならず、政府による操 作や検閲、そして個人的脅迫からも自由でなければなりません。私たちは歴史研究の自由を守ります。そして、すべての国の政府がそれを尊重するよう呼びかけ ます。

 多くの国にとって、過去の不正義を認めるのは、いまだに難しいことです。第2次世界大戦中に抑留されたアメリカの日系人に対し て、アメリカ合衆国政府が賠償を実行するまでに40年以上がかかりました。アフリカ系アメリカ人への平等が奴隷制廃止によって約束されたにもかかわらず、 それが実際の法律に反映されるまでには、さらに1世紀を待たねばなりませんでした。人種差別の問題は今もアメリカ社会に深く巣くっています。米国、ヨー ロッパ諸国、日本を含めた、19・20世紀の帝国列強の中で、帝国にまつわる人種差別、植民地主義と戦争、そしてそれらが世界中の無数の市民に与えた苦し みに対して、十分に取り組んだといえる国は、まだどこにもありません。

 今日の日本は、最も弱い立場の人を含め、あらゆる個人の命と権利 を価値あるものとして認めています。今の日本政府にとって、海外であれ国内であれ、第2次世界大戦中の「慰安所」のように、制度として女性を搾取するよう なことは、許容されるはずがないでしょう。その当時においてさえ、政府の役人の中には、倫理的な理由からこれに抗議した人がいたことも事実です。しかし、 戦時体制のもとにあって、個人は国のために絶対的な犠牲を捧げることが要求され、他のアジア諸国民のみならず日本人自身も多大な苦しみを被りました。だれ も二度とそのような状況を経験するべきではありません。

 今年は、日本政府が言葉と行動において、過去の植民地支配と戦時における侵略の 問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会です。4月のアメリカ議会演説において、安倍首相は、人権という普遍的価値、人間の安全保障の重要性、そ して他国に与えた苦しみを直視する必要性について話しました。私たちはこうした気持ちを賞賛し、その一つ一つに基づいて大胆に行動することを首相に期待し てやみません。

 過去の過ちを認めるプロセスは民主主義社会を強化し、国と国のあいだの協力関係を養います。「慰安婦」問題の中核には女性の権利と尊厳があり、その解決は日本、東アジア、そして世界における男女同権に向けた歴史的な一歩となることでしょう。

  私たちの教室では、日本、韓国、中国他の国からの学生が、この難しい問題について、互いに敬意を払いながら誠実に話し合っています。彼らの世代は、私たち が残す過去の記録と歩むほかないよう運命づけられています。性暴力と人身売買のない世界を彼らが築き上げるために、そしてアジアにおける平和と友好を進め るために、過去の過ちについて可能な限り全体的で、でき得る限り偏見なき清算を、この時代の成果として共に残そうではありませんか。

署名者一覧(名字アルファベット順)
ダニエル・オードリッジ(パデュー大学教授)
ジェフリー・アレクサンダー(ウィスコンシン大学パークサイド校准教授)
アン・アリソン(デューク大学教授)
マーニー・アンダーソン(スミス大学准教授)
E・テイラー・アトキンズ(北イリノイ大学教授)
ポール・バークレー(ラファエット大学准教授)
ジャン・バーズレイ(ノースカロライナ大学チャペルヒル校准教授)
ジェームズ・R・バーソロミュー(オハイオ州立大学教授)
ブレット・ド・バリー(コーネル大学教授)
マイケル・バスケット(カンザス大学准教授)
アラン・バウムラー(ペンシルバニア・インディアナ大学教授)
アレキサンダー・ベイ(チャップマン大学准教授)
テオドル・ベスター(ハーバード大学教授)
ビクトリア・ベスター(北米日本研究資料調整協議会専務理事)
ダビンダー・ボーミック(ワシントン大学准教授)
ハーバート・ビックス(ニューヨーク州立大学ビンガムトン校名誉教授)
ダニエル・ボツマン(イェール大学教授)
マイケル・ボーダッシュ(シカゴ大学教授)
トマス・バークマン(ニューヨーク州立大学バッファロー校名誉教授)
スーザン・L・バーンズ(シカゴ大学准教授)
エリック・カズディン(トロント大学教授)
パークス・コブル(ネブラスカ大学リンカーン校教授)
ハルコ・タヤ・クック(ウイリアム・パターソン大学講師)
セオドア・クック(ウイリアム・パターソン大学教授)
ブルース・カミングス(シカゴ大学教授)
カタルジナ・シュエルトカ(ライデン大学教授)
チャロ・ディエチェベリー(ウィスコンシン大学マディソン校准教授)
エリック・ディンモア(ハンプデン・シドニー大学准教授)
ルシア・ドルセ(ロンドン大学准教授)
ロナルド・P・ドーア(ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス名誉フェロー)
ジョン・W・ダワー(マサチューセッツ工科大学名誉教授)
マーク・ドリスコル(ノースカロライナ大学チャペルヒル校教授)
プラセンジット・ドアラ(シンガポール国立大学教授)
アレクシス・ダデン(コネチカット大学教授)
マーティン・デューゼンベリ(チューリッヒ大学教授)
ピーター・ドウス(スタンフォード大学名誉教授)
スティーブ・エリクソン(ダートマス大学准教授)
エリサ・フェイソン(オクラホマ大学准教授)
ノーマ・フィールド(シカゴ大学名誉教授)
マイルズ・フレッチャー(ノースカロライナ大学チャペルヒル校教授)
ペトリス・フラワーズ(ハワイ大学准教授)
ジョシュア・A・フォーゲル(ヨーク大学教授)
セーラ・フレドリック(ボストン大学准教授)
デニス・フロスト(カラマズー大学准教授)
サビーネ・フリューシュトゥック(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)
ジェームス・フジイ(カリフォルニア大学アーバイン校准教授)
タカシ・フジタニ(トロント大学教授)
シェルドン・M・ガロン(プリンストン大学教授)
ティモシー・S・ジョージ(ロードアイランド大学教授)
クリストファー・ガータイス(ロンドン大学准教授)
キャロル・グラック(コロンビア大学教授)
アンドルー・ゴードン(ハーバード大学教授)
ヘレン・ハーデーカー(ハーバード大学教授)
ハリー・ハルトゥニアン(ニューヨーク大学名誉教授)
長谷川毅(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)
橋本明子(ピッツバーグ大学教授)
サリー・ヘイスティングズ(パデュー大学准教授)
トム・ヘイブンズ(ノースイースタン大学教授)
早尾健二(ボストンカレッジ准教授)
ローラ・ハイン(ノースウェスタン大学教授)
ロバート・ヘリヤー(ウェイクフォレスト大学准教授)
マンフレッド・ヘニングソン(ハワイ大学マノア校教授)
クリストファー・ヒル(ミシガン大学助教授)
平野克弥(カリフォルニア大学ロサンゼルス校准教授)
デビッド・ハウエル(ハーバード大学教授)
ダグラス・ハウランド(ウィスコンシン大学ミルウォーキー校教授)
ジェムス・ハフマン(ウイッテンバーグ大学名誉教授)
ジャネット・ハンター(ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス教授)
入江昭(ハーバード大学名誉教授)
レベッカ・ジェニスン(京都精華大学教授)
ウィリアム・ジョンストン(ウェズリアン大学教授)
ジャン・ユンカーマン(ドキュメンタリー映画監督)
イクミ・カミニシ(タフツ大学准教授)
ケン・カワシマ(トロント大学准教授)
ウィリアム・W・ケリー(イェール大学教授)
ジェームス・ケテラー(シカゴ大学教授)
ケラー・キンブロー(コロラド大学ボルダー校准教授)
ミリアム・キングスバーグ(コロラド大学助教授)
ジェフ・キングストン(テンプル大学ジャパン教授)
ヴィキター・コシュマン(コーネル大学教授)
エミ・コヤマ(独立研究者)
エリス・クラウス(カリフォルニア大学サンディエゴ校名誉教授)
ヨーゼフ・クライナー(ボン大学名誉教授)
栗山茂久(ハーバード大学教授)
ピーター・カズニック(アメリカン大学教授)
トーマス・ラマール(マギル大学教授)
アンドルー・レビディス(ハーバード大学研究員)
イルセ・レンツ(ルール大学ボーフム名誉教授)
マーク・リンシカム(ホーリークロス大学准教授)
セップ・リンハルト(ウィーン大学名誉教授)
ユキオ・リピット(ハーバード大学教授)
アンガス・ロッキャー(ロンドン大学准教授)
スーザン・オルペット・ロング(ジョンキャロル大学教授)
ディビッド・ルーリー(コロンビア大学准教授)
ヴェラ・マッキー(ウーロンゴン大学教授)
ウォルフラム・マンツェンライター(ウィーン大学教授)
ウィリアム・マロッティ(カリフォルニア大学ロサンゼルス校准教授)
松阪慶久(ウェルズリー大学教授)
トレント・マクシー(アマースト大学准教授)
ジェームス・L・マクレーン(ブラウン大学教授)
ガビン・マコーマック(オーストラリア国立大学名誉教授)
メリッサ・マコーミック(ハーバード大学教授)
デイビッド・マクニール(上智大学講師、ジャーナリスト)
マーク・メッツラー(テキサス大学オースティン校教授)
イアン・J・ミラー(ハーバード大学教授)
ローラ・ミラー(ミズーリ大学セントルイス校教授)
ジャニス・ミムラ(ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校准教授)
リチャード・マイニア(マサチューセッツ州立大学名誉教授)
中村美理(ウェズリアン大学准教授)
ユキ・ミヤモト(デポール大学准教授)
バーバラ・モロニー(サンタクララ大学教授)
文有美(スタンフォード大学准教授)
アーロン・ムーア(マンチェスター大学准教授)
テッサ・モーリス=スズキ(オーストラリア国立大学教授)
オーレリア・ジョージ・マルガン(ニューサウスウェールズ大学教授)
リチャード・タガート・マーフィー(筑波大学教授)
テツオ・ナジタ(シカゴ大学名誉教授)
ジョン・ネイスン(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)
クリストファー・ネルソン(ノースカロライナ大学チャペルヒル校准教授)
サトコ・オカ・ノリマツ(『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』エディター)
マーク・ノーネス(ミシガン大学教授)
デビッド・桃原・オバミラー(グスタフ・アドルフ大学准教授)
尾竹永子(ウエズリアン大学特別講師、アーティスト)
サイモン・パートナー(デューク大学教授)
T・J・ペンペル(カリフォルニア大学バークレー校教授)
マシュー・ペニー(コンコルディア大学准教授)
サミュエル・ペリー(ブラウン大学准教授)
キャサリン・フィップス(メンフィス大学准教授)
レスリー・ピンカス(ミシガン大学准教授)
モーガン・ピテルカ(ノースカロライナ大学チャペルヒル校准教授)
ジャネット・プール(トロント大学准教授)
ロジャー・パルバース(作家・翻訳家)
スティーブ・ラブソン(ブラウン大学名誉教授)
ファビオ・ランベッリ(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)
マーク・ラビナ(エモリー大学教授)
シュテフィ・リヒター(ライプチヒ大学教授)
ルーク・ロバーツ(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)
ジェニファー・ロバートソン(ミシガン大学教授)
ジェイ・ルービン(ハーバード大学名誉教授)
ケネス・ルオフ(ポートランド州立大学教授)
ジョルダン・サンド(ジョージタウン大学教授)
ウエスリー・佐々木・植村(ユタ州立大学准教授)
エレン・シャッツナイダー(ブランダイス大学准教授)
アンドレ・シュミット(トロント大学准教授)
アマンダ・C・シーマン(マサチューセッツ州立大学アマースト校准教授)
イーサン・セーガル(ミシガン州立大学准教授)
ブォルフガング・ザイフェルト(ハイデルベルク大学名誉教授)
マーク・セルデン(コーネル大学上級研究員)
フランツイスカ・セラフイン(ボストンカレッジ准教授)
さゆり・ガスリー・清水(ライス大学教授)
英子・丸子・シナワ(ウィリアムス大学准教授)
パトリシア・スイッペル(東洋英和女学院大学教授)
リチャード・スミスハースト(ピッツバーグ大学名誉教授)
ケリー・スミス(ブラウン大学准教授)
ダニエル・スナイダー(スタンフォード大学アジア太平洋研究センター副所長)
M・ウイリアム・スティール(国際基督教大学教授)
ブリギッテ・シテーガ(ケンブリッジ大学准教授)
ステファン・タナカ(カリフォルニア大学サンディエゴ校教授)
アラン・タンスマン(カリフォルニア大学バークレー校教授)
セーラ・タール(ウィスコンシン大学マディソン校准教授)
マイケル・ティース(カリフォルニア大学ロサンゼルス校准教授)
マーク・ティルトン(パデュー大学准教授)
ジュリア・トマス(ノートルダム大学准教授)
ジョン・W・トリート(イェール大学名誉教授)
ヒトミ・トノムラ(ミシガン大学教授)
内田じゅん(スタンフォード大学准教授)
J・キース・ヴィンセント(ボストン大学准教授)
スティーブン・ブラストス(アイオワ大学教授)
エズラ・ヴォーゲル(ハーバード大学名誉教授)
クラウス・フォルマー(ミュンヘン大学教授)
アン・ウォルソール(カリフォルニア大学アーバイン校名誉教授)
マックス・ウォード(ミドルベリー大学助教授)
ローリー・ワット(ワシントン大学(セントルイス)準教授)
ジェニファー・ワイゼンフェルド(デューク大学教授)
マイケル・ワート(マルケット大学准教授)
カレン・ウイゲン(スタンフォード大学教授)
山口智美(モンタナ州立大学准教授)
山下サムエル秀雄(ポモナ大学教授)
ダーチン・ヤン(ジョージ・ワシントン大学准教授)
クリスティン・ヤノ(ハワイ州立大学マノア校教授)
マーシャ・ヨネモト(コロラド大学ボルダー校准教授)
米山リサ(トロント大学教授)
セオドア・ジュン・ユウ(ハワイ大学准教授)
吉田俊(西ミシガン大学教授)
ルイーズ・ヤング(ウィスコンシン大学マディソン校教授)
イヴ・ジマーマン(ウェルズリー大学准教授)
ラインハルト・ツェルナー(ボン大学教授)

こ の声明は、2015年3月、シカゴで開催されたアジア研究協会(AAS)定期年次大会のなかの公開フォーラムと、その後にメール会議の形で行われた日本研 究者コミュニティ内の広範な議論によって生まれたものです。ここに表明されている意見は、いかなる組織や機関を代表したものではなく、署名した個々の研究 者の総意にすぎません。
朝日新聞2015.5.7
http://www.asahi.com/articles/ASH575KGGH57UHBI01Y.html

英文
http://ajw.asahi.com/article/behind_news/politics/AJ201505070028

このごに及んでよく声明なんか出せるなぁ・・・・
日韓関係はもう修復しようがないんですが
ARE YOU GUYS ALL HAPPY NOW ?

慰安婦「20万人以上」明示せず 欧米研究者ら187人が声明 「中韓にも民族主義」と指摘

  【ロサンゼルス=中村将】欧米を中心とした日本研究者ら187人が、「偏見のない(過去の)清算を残そう」とする慰安婦問題などに関する声明を発表したこ とが分かった。声明は安倍晋三首相宛てに送付されたという。日本政府に過去の過ちを認めるよう促す一方、韓国側の主張を後退させた点でも注目される。

 声明には、ハーバード大のエズラ・ボーゲル名誉教授やマサチューセッツ工科大のジョン・ダワー名誉教授ら著名な学者が名を連ねる。一方で経歴から、日本研究者とはいえない人物の名前も含まれている。

 声明は「戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、政治的寛容さなどは祝福に値する」としながらも、「慰安婦問題などの歴史解釈が障害となっている」と指摘した。

 また、これまで責任の所在はすべて日本側にあるとしていた韓国側などの主張に対し、声明は「日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言にもゆがめられてきた」としている。

 慰安婦らが「女性としての尊厳を奪われた事実を変えることはできない」ともしているが、韓国側が「20万人以上」などと主張する慰安婦の数については、「恐らく、永久に正確な数字が確定されることはない」として明示を避けた

 また、元慰安婦の証言は多様で、記憶に一貫性がないものもあると認めた上で、「証言は心に訴え、それ以外にも公的資料によって裏付けられている」としているが、資料の詳細などに具体的に触れていない
産経ニュース2015.5.7
http://www.sankei.com/world/news/150507/wor1505070046-n1.html
学者の名に値しない声明ですね(知ってた

マサチューセッツ工科大のジョン・ダワー名誉教授
報道特集2015.5.2OA
 報道特集ジョンダワー敗北を抱きしめて
報道特集ジョンダワー「戦争の美化」
「戦争の美化」←アメリカに言え

名前は知っていたが本人を引っ張り出すあたりTBSは強力なツテでもおありなんですかねぇ
以前油井大三郎氏を出して来た時はびっくりしたわけだが

この人の名前をどこで知ったかというと
バンクーバー9条の会乗松聡子氏のサイトでございます
→ カナダの反日拠点 バンクーバー9条の会乗松聡子 

今また沖縄に災厄をもたらそうとしているようですが
この方々が平和を騙ると吐き気が致します 

「教職員の政治活動、取り締まり甘すぎる」自民、日教組監視を強化へ

日教組大会2014
平成26年3月に行われた日教組の臨時大会。「教育再生という名の教育改悪が進められようとしている」などと安倍政権批判が展開された=東京都千代田区(河合龍一撮影)

 統一地方選真っ直中の4月9日、自民党は日教組問題を議論する「教育問題連絡協議会」(会長・塩谷立政調会長代行) を党本部で開いていた。開催は21年7月以来、約6年ぶりのことで、自民党が野党に転落していた間は開かれていなかった。日教組は民主党支持団体の一つ。 改めて“敵陣”に目を光らせることで、保守政党としての矜恃を示すとともに、来夏の参院選に向けて民主党を弱体化させる狙いもちらつく。

■文科省と連携プレー
 「教職員の政治活動の取り締まりが甘すぎて話にならない。まだまだ選挙活動をしている人は多くいる。しっかり管理できる法律を作らなければならない。選挙活動をして懲罰を受けた人たちが、山梨では校長や教頭になったりしている」

 山梨を地盤とする宮川典子衆院議員(比例南関東)は協議会でそう発言した。別の議員は「日教組に入らない人は校長や教頭などの管理職になりづらい実態がある」と語った。文部科学省が用意した「最近の教職員団体の動向について」「各地の教育問題について」と題した資料も配布され、同省幹部が実態を報告した。党と同省が連携して日教組を牽制(けんせい)する格好となった。

 そんな文科省も「民主党政権時代は自民党が日教組の実態について報告を求めても、自民党の会合に来て報告をするのは及び腰だった」(文教族)という。自民党が協議会を野党時代に開いていなかったのは、そんな事情もあるようだ。

 もっとも、再開は自民党が政権に復帰したからという理由だけではない。

  「20歳以上」の選挙権年齢を「18歳以上」とする公職選挙法改正案が今国会に再提出され、来年夏の参院選から適用されようとしていることも大きい。自民 党内からは早くも「政治的中立性を守るための教員養成をしっかりやっていく必要がある」(中堅)との声が上がっている。

 この「各地の教育問題について」の中で、真っ先に記されているのは、大分県教職員組合が旅行業法に基づく登録をせず、5月に地元紙、大分合同新聞の広告で「慰安婦」問題の関連施設を見学する韓国旅行を募集した一件だ。観光庁は旅行業法に違反しているとして、旅行を企画した県教組と、手配した大分航空トラベルに改善を指導し、産経新聞が昨年7月22日付朝刊で報じて表に出た。

 旅行の対象は県内の中学生と保護者。見学先には、日本軍が強制連行し、性奴隷にしたとする韓国側の一方的な主張を表現した「日本軍『慰安婦』歴史館」が含まれ、下村博文文科相は「反日旅行をすることで子供たちにどういう教育的効果を狙っているのか。理解できない」と批判している。

 平成16年7月の参院選に向け、山梨県教職員組合(山教組)が政治団体を通じ校長、教頭、一般教員から組織的に選挙資金を集めていた問題もあった。このときも同年11月に産経新聞が報じた。山教組出身の現職、輿石東氏(現参院副議長)を支援するためなのは言うまでもない。この事実も、輿石氏の実名こそ記載していないが、「各地の教育問題について」にしっかりと書き込まれている。

■見えにくくなった実態
 文科省は折を見て各都道府県教委に対し、教職員の選挙運動の禁止に関する通知を出してきた。今年の統一選でも2月に通知を通じて「服務規律の確保」について指導を徹底させている。それでも、携帯電話の普及により、教職員の政治活動の実態は見えにくくなっているのが現実という。

 昨年10月1日時点の日教組の組織率は24.7%となり、過去最低を更新した。それでも油断するわけにはいかないのが自民党の本音だ。協議会幹部はこう語る。

 「日教組に対し常時監視態勢を作りたい」(政治部 坂井広志)
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20150505/plt1505051108001-n1.htm
思想以前に法律とかルール守って欲しいんですよ
これだけでもどうにかしてくれませんかね

かつて日教組批判しただけで大臣の首が飛んだことがありましたが

【youtube】衆議院議員 中山成彬氏「大臣職を投げ打っても伝えたい日教組の害毒」1/2 
【youtube】衆議院議員 中山成彬氏「大臣職を投げ打っても伝えたい日教組の害毒」2/2

まだ先は長い

参考
民主党と日教組の関係はどうなのか
「平和教育」という名の虐待
週刊新潮・「日教組」教研集会で発表された亡国の授業光景

参考 米議会演説にかける韓国ロビー 
    呼ばれてないのに(ry

時論公論 「在米韓国ロビーと慰安婦問題」

こちらはロサンゼルス郊外のグレンデールにある慰安婦像です。像の傍らにある碑文には、「旧日本軍によって20万人以上の女性が“性の奴隷”となることを強いられた」と記されています。アメリカではこうした慰安婦像が各地に建てられています。
在米韓国ロビーNHK1

こんばんはニュース解説「時論公論」です。
今、ご覧頂いたような慰安婦像を建てる運動を支えているのが全米に170万人いる韓国系住民です。彼らの運動は徐々にアメリカ社会に浸透し、政界にも支持を広げつつあります。今夜は、アメリカでの慰安婦をめぐる動きについてお伝えします。

これはアメリカの司法省が連邦議会に提出した報告書です。外国の政府や団体のためにロビー活動を行っている「フォーリン・エージェント」=「外国代理人」の活動が詳細に記載されています。
中を見てみますと、23のエージェントが韓国政府などからの依頼を受けてロビー活動を行なっていることがわかります。その報酬として支払われた額は、おととし一年間だけで4400万ドル、45億円あまりにのぼっています。
このうちワシントンにあるコンサルタント会社には6億円、ニューヨークのPR会社には4億5千万円が、いずれも韓国大使館から支払われています。
在米韓国ロビーNHK2

こちらは、こうしたロビー活動費の推移を示したものです。日本は2008年以降、少しずつ減っていますが、韓国はこの5年で2倍に増えています。
在米韓国ロビーNHK3

この2007年というのは、アメリカで慰安婦問題が注目を集めた年でした。
この年の7月、連邦議会 下院は、慰安婦問題を「20世紀最大規模の人身売買のひとつ」と決めつけ、日本政府に公式な謝罪を求める決議を採択しています。
この決議採択から7年。ことし1月には、外交政策に強い影響力をもつ下院外交委員会のロイス委員長が、グレンデールの慰安婦像を訪れ、花束を手向けました。アメリカでは再び慰安婦問題が関心を呼んでいます。

韓国政府や政府系機関によるロビー活動とともに、慰安婦問題で重要な役割を果たしているのが、民間の韓国系アメリカ人の団体です。
在米韓国ロビーNHK4KACE

私は先日、そのひとつであるKACEという民間団体を訪れました。事務所は、マンハッタンから地下鉄とバスを乗り継いで小一時間、韓国系住民が多く暮らす地区の一角にありました。周辺にはハングルの看板を掲げた店舗が数多く立ち並んでいます。
在米韓国ロビーNHK5KACE

ロサンゼルスでの暴動で韓国系住民がターゲットになったことに衝撃を受けた、ある韓国系アメリカ人によって この団体は設立されました。政治に積極的に参画することで韓国系住民の声を政治に反映させ、地位の向上を図ろうというのが目的でした。

選挙案内に韓国語を加えてもらうなどの働きかけを行った結果、2万5000人の韓国系住民が新たに有権者登録を行いました。当初は8%前後に過ぎなかった投票率も60%程度まで上がったと言います。地方レベルを中心に韓国系の議員も誕生するようになりました。
在米韓国ロビーNHK6

在米韓国ロビーNHK7

慰安婦問題にも意欲的に取り組みました。韓国系住民が通う教会を回って寄付を募るなど徹底した草の根活動を展開。わずか一週間で8000人分の署名を集めて議会に嘆願書を提出しました。ワシントンポストなど影響力のあるメディアに意見広告を載せたり、ユーチューブなど新しいメディアを活用したりして世論に訴えました。 

在米韓国ロビーNHK14

では、なぜ慰安婦問題だったのでしょうか?
「慰 安婦問題は日本と韓国だけの問題ではない。“人権”や“正義”といったアメリカの普遍的な価値に関わる問題だ」とこの団体の幹部は言います。しかし、韓国 系住民の地位向上という本来の目的が、どうして慰安婦問題につながったのか、彼らと話していてもなかなか納得できませんでした。
ワシントンで出会った韓国人研究者がヒントを提供してくれました。
「慰 安婦問題は、韓国系コミュニティーを統合する格好の材料だった。この運動によって韓国系住民はひとつにまとまり、政治的な発言力を強めることができたの だ」というのです。祖国愛の強い韓国系住民をひとつにまとめ、と同時に、「慰安婦問題はアメリカ人の問題でもある」と訴えて、アメリカ社会の関心を呼び起 こしていったのです。

こうした活動に韓国政府はどこまで関与しているのでしょうか?
この団体の幹部は「韓国政府や韓国大使館はまったく関わっていない。資金的な援助も一切受けていない」と断言しました。確かに、韓国政府が彼らを動かしているというよりは、むしろ韓国政府の側が彼らの活動や戦略に学び、後追いしたというのが実態に近いようです。

アメリカで存在感を高める韓国。
その背景にはアメリカ社会の大きな変化があります。アメリカではアジア系住民が急増しています。このうち韓国系は、かつては最大勢力だった日系を上回り、すでに中国系、フィリピン系などに次ぐ大集団になっています。
在米韓国ロビーNHK10

多民族国家アメリカは、よくメルティングポットやサラダボウルに例えられますが、このサラダボウルの中身が大きく変わってきているのです。
特 に韓国系は1世や1.5世と呼ばれる世代が中心で、祖国への想いが強く、特定の地域に固まって暮らしています。選挙区によっては、韓国系住民の票が当落の 行方を左右するところもあります。慰安婦像が建てられたり、日本海の呼称を見直したりする動きが出ているのは、こうした地域です。韓国系住民の「票の力」 がアメリカ政治を動かしているのです。

在米韓国ロビーNHK11

もうひとつ無視できないのは、知識人層への浸透です。
ア メリカの大学や研究機関などにいる韓国人研究者は8800人と日本人のほぼ2倍。留学生は7万人、一方、日本人留学生の数は8年連続で減り続けついに2万 人を割り込みました。ハーバード大学では293人の韓国人留学生に対して日本人は88人しかいません。彼らの一部は卒業後もアメリカに留まり、大学やシン クタンクなどで働きながらアメリカの政策決定に深く関与していくのです。ここでも日本人の内向き志向はマイナスに作用しています。
在米韓国ロビーNHK12

東アジア情勢に詳しいジョンズ・ホプキンス大学のケント・カルダー所長は、次のように指摘しています。
「アジア系住民の増加はアメリカの政策決定に大きな影響を与えている。残念ながら日本の存在感は、中国や韓国に較べると薄いと言わざるを得ない」
在米韓国ロビーNHK13

オ バマ大統領がきょう(23日)来日します。アメリカ政府は、慰安婦など歴史認識をめぐる問題については、表向きは中立の立場ですが、アメリカ社会への韓国 ロビーの浸透は、けっして無視できる要素ではありません。日本の立場を主張することももちろん必要ですが、果たしてそれだけで足りるでしょうか。
今 後、日本がどういう対応を取るべきかを考えていくためには、▽韓国系ロビーの活動ぶりや、▽慰安婦問題についてのアメリカでの受け止められ方、さらには▽ アメリカ社会の構造的な変化と政策決定に与える影響。まずはこうした現実を知ることが大切ではないでしょうか。現地を取材して強く感じました。
(出石 直 解説委員)
NHK時論公論2014.4.23
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/186202.html

慰安婦問題の片棒担いでるNHKが他人事のようにこんな放送していること自体が腹立たしいのだが
従軍慰安婦問題は北朝鮮の工作

ロサンゼルスでの暴動で韓国系住民がターゲットになって作られたKACE
それは知らなかったが
本来の目的が果たせてないような・・
『ボルチモア黒人暴動で韓人店舗22カ所が放火・略奪される。LAでも非常警戒令』2015.5.2
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1430316109/
『<米ボルティモア暴動>韓国人商人「20年やってきた店が…10万ドル以上略奪された」』
http://japanese.joins.com/article/775/199775.html?servcode=400&sectcode=430

【首相米議会演説】
中韓系反発しても「米の強力な同盟国は自由に発言すべき」ジョンズ・ホプキンス大のケント・カルダー氏
ケント・カルダー(ジョンズ・ホプキンズ大学

 米上下両院合同会議で安倍晋三首相が演説する意義を、日本専門家のケント・カルダー米ジョンズ・ホプキンス大ライシャワー東アジア研究所長に聞いた。(聞き手 加納宏幸)

 合同会議での演説は、米国との友好やその国の考え方を米国民に示す良い機会だ。イスラエルのネタニヤフ首相が今月行ったように、全ての主要な同盟国の首脳は演説している。韓国大統領は6回を数えるが、日本の首相は合同会議では演説していなかった。
 安倍首相にとって歴史的な機会であり、米議会もホワイトハウスもどのような発言をするかに関心を持っているだろう。
 近著「ワシントンの中のアジア」で触れたが、米国には200万人以上の韓国系、約400万人の中国系の米国人がおり、彼らは政治的に活発だ。戦後70年の節目に演説をすることに反対するだろうが、米国にとっての強力な同盟国は自由に発言すべきだ。
首相は演説で、日米同盟が強化されてきた過去の経緯に触れるとともに、未来に目を向けて日米の共通利益の強さを語ると思う。また、近隣諸国との和解を図り、その上で日米同盟を強調する内容となるのではないか。安全保障の観点から韓国との和解は重要だ。

 今後、ロシアが5月に予定する戦勝記念式典を皮切りにさまざまな戦後70年の行事があり、日本への批判が起こることもあるだろう。これに先立ち日米関係を堅固にし、意見を一致させ、米国が戦争に関する日本の感情を理解しておくことは非常に重要だと思う。
産経ニュース2015.3.20
http://www.sankei.com/world/news/150320/wor1503200068-n1.html

 

参考 在米韓国ロビーと慰安婦問題 
    呼ばれてないのに(ry

在米韓国大使館、反安倍ロビーか 活動費1870万円投入
安倍訪米

 韓国政府の看過できない動きが明らかになった。安倍晋三首相の26日からの訪米に合わせて、在米韓国大使館が、ロビー・PR活動費として15万6000ドル(約1870万円)を投入していたのだ。日米当局者は、国賓級待遇で訪米する安倍首相への、在米韓国系団体などの妨害工作を警戒しているが、大使館の動きにも重大関心を寄せているもようだ。

 司法省の文書によると、韓国大使館はPRなどを手がける「BGRガバメント・アフェアーズ」と 契約し、17日に司法省に受理された。契約期間は6カ月で、大使館は月額2万6000ドル(約310万円)を支払い、BGR社はメディアやシンクタンク、 個人などへの「戦略的なPR」を行うという。関係者によると、ロビー活動の一環として、慰安婦問題など歴史問題に関する韓国側の主張を広報・宣伝すること が目的とされる。

 安倍首相は今回の訪米で、28日にオバマ大統領と日米首脳会談を行い、翌29日には、日本の歴代首相で初めて、連邦議会の上下両院合同会議で演説する。演説では、日米同盟の深化と、日本が世界平和に積極的に貢献していく決意を全世界に向けて示す。

  これに対し、韓国系団体は「演説反対」の署名活動を展開し、23日には議会内で元慰安婦の1人も出席して記者会見を開催した。中国系団体と連携して、28 日と29日を軸にワシントンなどで抗議行動を予定しているうえ、安倍首相の訪問先で妨害工作を行う危険性が指摘されている。

 在米韓国大使館が後押しするロビー活動との関係は不明だが、米紙ワシントン・ポスト(電子版)は23日、米滞在中の元慰安婦のインタビュー記事を掲載し、「慰安婦、日本の謝罪を要求」との見出を掲げた。

  韓国系団体の動きについて、ジャーナリストの加賀孝英氏は本紙連載「スクープ最前線」(22日発行)で、米情報当局関係者の「安倍首相は米国が国賓級で招 待している。韓国系団体の暴走行為は米国の顔に泥を塗ることだ。米国は韓国に激怒して、あきれ果てている」との証言をリポートしている。
zakzak2015.4.24
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150424/frn1504241205004-n1.htm 
まぁ金額はしょぼい気はすれども

米下院の拍手の気まずい真実

「米国は隣人であり友人です。また、同盟国でありパートナーです。共に行きましょう」

李 明博(イ・ミョンバク)大統領の熱い演説に米下院本会議場は拍手喝采となった。李大統領は、45分の演説の間、45回も拍手を受けた。歴史的な韓米自由貿 易協定(FTA)締結を記念して行なわれた韓国大統領の上下院合同演説には、下院本会議場の435席がぎっしりと埋まった。3階の傍聴席中央にいた金潤玉(キム・ユンオク)夫人は、韓悳洙(ハン・ドクス)駐米大使のチェ・アヨン夫人とともに拍手して喜んだ。堅固な韓米同盟を確認するこの席は、韓大使が米議会の実力者であるジョン・ベイナー下院議長ナンシー・ペロシ民主党院内代表を駆け回って実現した。

ワシントン特派員だった記者は、2011年10月13日午後、下院本会議場が見下せる記者席で大統領の演説を取材した。国賓訪問と議会上下院合同演説を実現させた韓国大使は、疲れで唇がはれていた。 議会に出勤して議員にFTAを説得するのが日課だった。大使官邸で未明に起きて前日議員に送った電子メールの返信をチェックし、その日の1日の行動を整理 する。FTAに関して誤った米国メディアの記事があれば、その記者に電子メールを送って説得した。星を見ながら帰宅するのが日常だった。

し かし、この日「事故」が起きるところだった。午後4時に予定された李大統領の演説が迫ったが、下院本会議場の席はなかなか埋まらなかった。下院議員435 人と上院議員100人の計535人の上下院議員を対象とする大イベントなのに、関心がある議員は少数だった。韓国戦争に参加した「コリア・コーカス」の議員や下院外交委員会の議員ぐらいだった。韓国大統領の演説は上下院議員にとって大きな関心事ではない。記者席で心配していると、演説10分前に一団が本会議場に入ってきた。 ひと目で議員でないことが分かった。空席を埋めるために議会事務局の職員が補佐官(capitol staffers)を連れてきたのだ。年の若い大学生のインターンも見えた。それでも足りないと、傍聴席にいるべき人まで呼び出された。大統領に同行して いた韓国の長官や駐米韓国大使館職員も議員席に座った。辞職した金昌準(キム・チャンジュン)元連邦下院議員も本会議場の中央に姿を見せた。

議会事務局は空席を埋めるために動いた。下院には議員の手伝いをする高校3年生の「連絡係(page)」がいる。しかし、議会予算の削減でこのプログラムがなくなった。そのため、連絡係の代わりに補佐官とインターンを拍手部隊に動員した。45回の拍手には彼らの動員が大きな力になった。下院本会議場で韓国外交の現実を見るようだった。

駐米大使館は、李大統領の議会演説文を米国の演説原稿請け負い会社「ウェスト・ウィング・ライターズ(West Wing Writers)」に1万8500ドルで依頼し た。演説メッセージを決めるのに3500ドル、草案を考えるのに6000ドル、演説文の作成戦略を立てるのに3500ドル、韓国政府が作った最終演説文の チェックに5500ドルかかった。駐米大使館側は、「米国民の感情に合ったメッセージを伝えることが重要だ。効果に比べればこの程度の金額は何でもない」 と言ったが、すっきりしなかった。

朴槿恵(パク・クンヘ)大統領が来月5日から米国を訪問する。議会で上下院合同演説もする。国賓訪問よ りも格の低い実務訪問(working visit)という点を考えれば破格だ。米国でもなかった初の女性大統領だ。今回は演説原稿請け負い会社に依頼せず、外交官と大統領府演説担当秘書官がす るのがいいだろう。朴大統領も本会議場に鳴り響く拍手にこだわる必要はない。2年半前のきまりの悪さはまだ記憶に生々しい。
東亜日報2013.4.30
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2013043097688


韓国の大使って激務だなぁ・・・
例)→ 李明博大統領は親日路線だった(ヾノ・∀・`)ナイナイ 

日本を引きずりおろせば相対的に韓国の地位が上がるとかそういう世界観なんでしょうね

【wiki】韓悳洙
韓悳洙元駐米大使


【youtube】Lee Myung-bak speaks to a joint session of the U.S. Congress

李明博元大統領が話し出すのが18:00くらい
 李明博米議会スピーチまばらな席
15分前 まばら
 李明博米議会妻金潤玉浮かない顔の金潤玉夫人(韓国は夫婦別姓
李明博米議会李明博ナンシーペロシ
 ナンシー・ペロシ
慰安婦対日非難決議を通したナンシーペロシ訪韓  

パールハーバーの誤算(1)米も欲した満鉄利権、確執は満州での“すれ違い”から 続き


【歴史事件簿】
パールハーバーの誤算(2) 
職を賭した山本五十六の「奇襲」決断…開戦は宣戦布告30分後 綱渡りの全軍突撃命令

山本五十六

 昭和16年12月、ハワイに向かう空母6隻を中心とする機動部隊に8日の開戦を命じた連合艦隊司令長官の山本五十六(いそろく)大将だ が、宣戦布告から30分後の攻撃という綱渡り的なスケジュールには一抹の不安をもっていた。「ここで手順を間違えば…」。何度も外交手順に念を押したの は、赴任の経験を通してアメリカの力を十分にわきまえていたからにほかならなかった。そんな中、当初の予定の8日未明、広島・柱島沖に停泊中の戦艦「長 門」の作戦室にハワイ攻撃機から全軍突撃命令の電波が届いた。

航空機で真珠湾を
 山本が航空機による真珠湾攻撃を初めて口にしたのは昭和15年3月の合同訓練のとき。航空機隊による対艦魚雷攻撃の見事な成果に上機嫌の山本は「あれでハワイはやれないか」と、連合艦隊参謀長の福留繁少将に話しかけると、福留少将は不思議そうな表情を見せたという。
 日本が描いていた対米戦は日露戦争の日本海海戦のように、真珠湾から出てきた艦隊を度重なる潜水艦と航空機による攻撃で疲弊させた後、日本近海で迎え撃つというものだった。
 だが、留学や海軍武官としてアメリカに赴任した経験を持つ山本は底知れないアメリカの力を見ていただけに、思いも寄らない攻撃でハワイの太平洋艦隊を一気にたたくしか勝機はないとみていた。
そこで目をつけたのが、昭和5年以来開発に携わっていた航空機による攻撃だった。

大西瀧二治郎

 山本は16年1月、第11航空艦隊参謀長の大西瀧治郎(たきじろう)少将に作戦研究を命じる。大西はこの後、特攻隊の創設者として知られることになるが、当時から山本同様、海軍きっての飛行機通だった。

 山本に作戦立案の可能性を聞かれた大西と、大西が声を掛けた第1航空戦隊航空参謀の源田実(げんだみのる)中佐らが問題にしたのは、真珠湾の水深だった。
  通常、魚雷を抱く雷撃機(らいげきき)が高度100メートルから落とした魚雷はいったん水深60メートルまで沈むのだが、真珠湾の水深は12メートルしか ない。このままでは海底に突き刺さってしまうので、航空機が海面スレスレから魚雷を落とすことで差を詰めるしか方法がなかった。
桜島雷撃訓練
 そこで真珠湾と地形がよく似る鹿児島・錦江湾での訓練では、民家の屋根近くまで高度を落として飛んだことから、周辺の住民から「近ごろの海軍さんはたるんどる」といった声が出るほどだった。

アメリカの絶縁状
 当初、「投機的だ」と航空機による対艦攻撃の効果に疑問を持っていた海軍軍令部は山本の作戦に難色を見せていたが、「作戦を認めなければ連合艦隊司令長官を辞める」という山本の固い決意に驚き、渋々ながら認めたのが16年10月19日だった。

 一部にしか知らせず実施した猛訓練の結果、魚雷の深度を10メートルまで引き下げるまでに上達すると、出撃間近に考えた魚雷の両側に付けたベニヤ板のヒレが予想以上に浮上効果を上げ、問題を解決する。

 作戦は重大機密事項だけに、鹿児島で訓練を終えた艦隊は大分県・佐伯湾に集結後、北方四島の択捉(えとろふ)島・単冠(ひとかっぷ)湾に向かうが、ここまでは一部の艦隊首脳部にしか作戦のことは知らせていなかった。

 11月22日、機動部隊の20隻以上にも及ぶ艦船が単冠湾に入港。最後に空母「加賀」が着いた後の23日、搭乗員、乗組員全員に作戦が告げられる。
 一方、日米交渉も最終局面を迎えていた。
 日本軍の中国撤退▽満州国承認▽通商関係の正常化-などが主に話し合われたが、日本が16年7月、フランス領インドシナに進駐したのを機に、イギリスや中国、オランダも経済封鎖に加わる。
 そして11月27日、コーデル・ハル国務長官が突きつけたハル・ノートは、日本軍の中国からの完全撤退のほか、アメリカの支援(日本は敵対)する蒋介石政権の承認や日独伊三国同盟の廃棄を求めるなど、絶縁状ともとれる内容になっていた。

宣戦布告と開戦
 これを受けて、日本は12月1日、天皇が出席のもと米英蘭への開戦を決定すると、宣戦布告の時間をワシントン時間で12月7日午後1時(日本時間8日午前3時)としたうえで、開戦は宣戦布告の30分後と申しあわせた。

 現地時間で6日午前6時半(日本時間6日午後8時半)、東郷茂徳外相は駐米日本大使館にハル・ノートに対する覚書を14部に分けて送ることを伝えた電文を送信。昼過ぎまでに13部を送るが、長大な暗号電文だけに解読だけでも時間がかかった。

 ところが、この日は南米に転勤する一等書記官の送別会が予定されていたため夕方までに8通を翻訳したものの、全員がオフィスをあとにする。そして14部を受け取ったのは翌7日午前7時、攻撃予定時間の6時間前だった。

 宣戦布告にあたる14部は短文だが、文書作成にはタイピストを使わず、キャリア外交官が行うとした政府の指示通りにしたため作業は困難を極め、昨日届いた13部も作成途上だった。
 その4時間半後の日本時間8日午前1時半(ワシントンは午前11時半)、真珠湾北方約460キロに迫った機動部隊は攻撃機183機を、その1時間15分後に171機を発艦させている。
 山本大将はそのとき、広島・柱島沖に停泊中の連合艦隊旗艦「長門」の作戦室にいた。山本は対米覚書をアメリカ政府に渡す時間について幕僚に再確認後、目を伏せて微動だにしなかったという。
 攻撃機発艦の報告を受けたあとしばらく動きは停滞するが、8日午前3時19分、突然に静けさを破るように作戦室のドアが開くと、「全軍突撃命令であります」と息を切らせた声が室内に響いた。
 ハワイ攻撃隊の指揮をとる淵田美津雄中佐機から発信された電文だった。(園田和洋)
 ◇
真珠湾攻撃が初めて映画化されたのは、開戦1周年記念として、昭和17年12月3日に公開された「ハワイ・マレー沖海戦」(東宝配給)。監督は山本嘉次郎(かじろう)。特撮技術は円谷英二(つぶらやえいじ)が担当している。

 映画の前半は予科練の訓練シーンが占め、成長した少年が雷撃機の搭乗員として、真珠湾攻撃に参加するといった内容になっている。

 製作スタッフはミニチュアを製作するにあたり、空母の見学や撮影写真の提供を申し出るも軍部からの協力が得られない。このため新聞の掲載写真を頼りに真珠湾のセットやアメリカ艦船のミニチュアを作る。
 また攻撃機の発艦シーンでは雑誌に掲載された空母を参考に実物大のセットを作り、本物の雷撃機など搭載させるなどで戦後、映画をみたアメリカ軍が本物と見間違い、東宝にフィルム提供を迫ったというほどに完成度は高い。
戦後、円谷がこの映画をカラーでリメークしたのが「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」(東宝、昭和35年公開)。
産経WEST2015.4.17
http://www.sankei.com/west/news/150417/wst1504170005-n1.html

参考
東郷茂徳=朴茂徳 
アメリカを巻き込んだコミンテルンの東アジア戦略① 
アメリカを巻き込んだコミンテルンの東アジア戦略②
アメリカを巻き込んだコミンテルンの東アジア戦略③ 
ソ連のスパイ GHQ幹部ハーバート・ノーマン
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