2015年7月23日木曜日

反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。

以前こういう記事を書いたのだが
二階先生までおこ!味方をも敵にするば韓国 
やっぱりというか今更というか結局この繰り返しになるわけですね

「韓国はもう反日をやめるときだ」 「日韓対立の真相」著者の武藤正敏・前駐韓大使に聞く
武藤正敏駐韓大使

 武藤正敏・前駐韓大使(66)が日韓関係を悪化させる要因になっている韓国政府や外交の問題点に迫った「日韓対立の真相」(悟空出版)が20日、出版された。キャリア官僚の中で韓国語研修を受けた「コリア・スクール」初の駐韓大使として平成22(2010)年に赴任。韓国政府の信頼も厚い武藤氏に、日韓関係について聞いた。(水沼啓子)

  大使在任中、李明博(イ・ミョンバク)大統領(当時)の竹島(島根県隠岐の島町)上陸などで日韓関係は一気に冷え込んだ。武藤氏は「せっかく張り切って日 韓新時代を築こうと思って着任したのに、日韓関係を悪化させたまま帰国することになり、じくじたる思いがあった」と振り返った。
「韓国政府は反日一点張りで、日本に対して“ムービング(動く)・ゴールポスト”でずっとやってきた。それをやっている以上、日本の嫌韓感情も高まっていく。こうした韓国に対する問題提起の本だ」

 今年は日韓国交正常化50周年だが、竹島や慰安婦問題などで両国関係は険悪な状態が続く。「今まで通りでは日韓関係は良くならない。ルールを変えるときだ。韓国の反日はもうやめてもらわないといけない」と訴える。

  そのうえで韓国側が変えるべき3つのポイントを指摘した。「韓国は、国交正常化した昭和40(1965)年以降の日韓の歴史をまったく隠蔽している。日本 が真摯に韓国の発展に協力してきたことを、韓国の人は知らない。こうした歴史をきちんと取り上げることで、日韓のわだかまりが相当なくなる」という。
 次に慰安婦問題について、「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の主張にこだわっている限り、日韓関係の改善はない。韓国政府は、挺対協に何も言えなかった。これではだめだ。日本は、アジア女性基金などを通じ誠意を持って慰安婦問題に取り組んできた」と強調した。
さらに「40年の日韓請求権協定のとき、韓国政府は法的に『完全かつ最終的に解決』と言っていたのに、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下で韓国側が『慰安婦問 題は未解決だ』と言い出すから、問題が広がっていった。あの段階で『解決済み』と言っていたら、こんなことにならなかった」と批判した。

 慰安婦問題については、自身も強烈な体験をしている。平成4年に、外務省の北東アジア課長として、宮沢喜一首相(当時)の訪韓に同行したときのことだ。訪韓直前の朝日新聞の慰安婦報道で、それまでの歓迎ムードが一転した。

 「日本大使館の前にはデモ隊が押し寄せ騒然たる雰囲気で、最悪のタイミングだった」。武藤氏はこの宮沢首相訪韓が、日本で嫌韓ムードが広がるきっかけになったとみている。
  続いて、韓国が不法占拠する竹島問題について、「これは領土問題であり、歴史問題ではない。そこをはっきりさせないと、国民感情が悪くなるだけだ」と指摘 する。一方、韓国の反日については「韓国では政治を離れ、国民レベルでは、日本が好きという人がむしろ多いと思う」と話し、「反日を言っているのは朴槿恵 (パク・クネ)大統領であり、政治家であり、マスコミであり、非政府組織(NGO)だ」と非難した。
「韓国人から『韓国の理解者だと思ったのに見損なった』といわれるだろう。韓国の友人もいっぱい失うかもしれない。自分は、日韓関係を改善するため捨て石になるつもりで書いた。韓国の人にこそ読んでほしい」

  武藤正敏(むとう・まさとし)氏 昭和23年生まれ。47年、横浜国立大卒業後、外務省入省。北東アジア課長や駐クウェート日本大使などを歴任。語学研修 を含めると韓国赴任は5度、通算でおよそ12年に及ぶ。平成22年に駐韓日本大使に就任し、24年に大使退任。25年、韓国政府から、修好勲章光化章を授与された。
産経ニュース2015.5.21
http://www.sankei.com/world/news/150521/wor1505210004-n1.html

出版元 悟空出版
http://www.goku-books.jp/book/b199513.html

武藤正敏氏といえば
『鄭夢準氏が菅首相に書簡、慰安婦問題の解決促す』2011.8.4
武藤正敏駐韓大使鄭夢準
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/08/04/0200000000AJP20110804001400882.HTML

あの鄭夢準氏ですよ
統一協会と現代財閥2 

「コリアンスクール」出身初の日本大使来る

 在韓日本大使に武藤正敏駐クウェート大使(61)が内定されたと読売新聞が8日、報道した。日本政府は15日、閣僚会議で重家俊範現韓日本大使の後任を最終的に定める方針だ。

  武藤大使は「コリアンスクール」の父と呼ばれる。彼は初任事務官時代、韓国研修を通じて韓国語と韓国文化を学んだ。今も韓国語会話がうまい。彼は外務省で 東北アジア課長(1991~93年)を経たが、主要局長は歴任できなかった。外務省関係者は「外務省は主要補職に特定専門家より業務をあまねく経験した “ジェネラリスト”を起用するのが慣例」とし「こんな面に映してみるとき、コリアンスクール出身に韓国外交の現場司令塔を任せることは初めてのケース」 と話した。読売紙は「今までは外務省局長を務めた幹部たちが在韓大使に任命されてきたが、民主党政権が新しい試みをしている」と伝えた。しかし同新聞は 「武藤大使は韓国大使館に3回勤務し、北東アジア課長も歴任し、韓半島情勢に精通していると評価されている」と報道した。新聞は続いて「北朝鮮の攻撃によ る天安艦沈没事件で韓半島情勢の不透明性が高くなる中、岡田克也外相の意でこうした人事が決まった」と伝えた。

  東京で生まれた武藤大使は横浜国立大経済学科を卒業後、1972年4月に外務省に入り、ずっと韓国業務を担当してきた。ハワイ・ホノルル総領事を務め、 2005年8月、在韓日本大使館の公使として韓国を訪れた。2007年10月からクウェート大使として勤務してきた。今回大使に赴任することになれば4回 目の韓国勤務となる。東京の外交消息筋は「武藤大使は合理的で穏やかな性格の持ち主」と評価している。

 コリアンスクール外交官らは武藤氏の起用を大きく歓迎している。これらは韓国との緊密な協力が可能だと期待する。40~50人ほどになるコリアンスクールのうち武藤氏のように外交官になった“キャリア”出身はあまり多くない。
日本政府の主要国大使起用と係わる破格は今夏交代する駐中日本大使にも適用される。8日に就任した菅直人首相は1972年日中国交正常化以後、職業外交官 たちが独占してきたこの席に史上初の民間人出身の丹羽宇一郎伊藤忠商事相談役を内定した。時事通信は東アジアの核心2カ国大使に対しての菅内閣が新たな試 みを断行していると報道した。
中央日報2010.6.9
http://japanese.joins.com/article/908/129908.html?servcode=A00&sectcode=A10

おから人事だったんだ(´・ω・`)

大島大使を侮辱2キャプチャきっとこういう目にもあったんだろうなぁ・・
というのも昨日こういう記事を読んだので

【韓国の反応】みずきの女子知韓宣言(´∀`*)さん
『【韓国の反応】世界の大使が集まった信頼と和合のためのフォーラムで、韓国外交部次官が別所大使を侮辱!「強力パンチ」と韓国メディア』
http://oboega-01.blog.jp/archives/1028358776.html

聯合ニュース(韓国語)の元記事
http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2015/05/22/0200000000AKR20150522133400043.HTML
(パンチなんかしてる場合じゃないハズだがやっぱりパンチしちゃうば韓国)

韓国とは関わってはいけない
ネトウヨネトウヨ言うけどおから人事のコリアスクール親韓派大使がさじを投げる現状をどう説明するのかね
武藤氏の言葉を受け入れるくらいなら韓国人やってないって
非韓三原則(古田博司教授)非韓三原則  

太地ハラスメントは続く 続き
コメントで教えてもらった(´・ω・`)何と輸出してたんですね

日本のイルカ漁非難のWAZA 太地のイルカ輸入国も除名すべき

 世界動物園水族館協会(WAZA)が4月21日付で日本動物園水族館協会(JAZA)の会員資格を停止していたことが明らかになった。

 WAZAは和歌山県太地町(たいじちょう)のイルカの追い込み漁が残酷な動物虐待であると決めつけて同団体の倫理規定に反しているとし、そこで捕獲されたイルカを日本の水族館が購入していることを問題視した。

 追い込み漁は必要以上にイルカを傷つけることなく捕獲できる方法で、国や県から許可されている正当な漁業だ。水族館に売却されることに何ら問題はない。しかも、あまり知られていないが太地町のイルカは世界中に輸出されている。 JAZA事務局はこう説明する。「日本はイルカを傷つけることなく捕獲する技術に優れている。イルカを捕れないアジアの国々を中心に、水族館用としてイル カの輸出が行なわれている」 財務省貿易統計によると、生体の鯨類(くじら目および海牛目)は年間50~70頭ほどが輸出されている。日本のイルカ漁の状 況から、そのすべてが太地町からの輸出数と見ていい。

 相手国で最も頭数が多いのは、急速な経済発展で水族館建設がブームになっている中国で、毎年30~50頭。韓国にも2014年に12頭、2013年にはロシアへ15頭、ウクライナへ20頭を輸出。過去10年を見るとアメリカ、台湾、ベトナム、タイ、イラン、トルコ、サウジアラビア、UAEなどにも輸出実績がある。

  コストをかけて生体輸入するのだから食用にするとは考えられず、多くは水族館用に使われていると見られる。過去にイルカの輸出に関わった仲介業者がいう。 「太地では輸出までの期間にストレスなく生け簀で飼育できる。検疫体制もしっかりしているので、病気を持った個体を買わされる心配もなく、国際市場では太 地のイルカは人気がある。
 ウクライナやロシアに輸出されたイルカはヨーロッパの水族館に転売されたケースもあると聞いている。5年ほど前には北朝鮮当局から“金正日総書記の誕生日にイルカがほしい”と連絡があり、中国の水族館を経由して太地のイルカが渡ったとの情報もある」

 WAZAが太地町のイルカを問題視するのであれば、世界の水族館で太地町のイルカを海に帰すべきだ。それらの国々は今もWAZAにとどまり日本を非難している。恩を仇で返すとはこのことだ。
※週刊ポスト2015年5月29日号
2015.5.22
http://www.news-postseven.com/archives/20150522_323496.html

関連記事を見たら更に軍事用となってるらしい(´・ω・`)あらま
軍事用として注目の太地町イルカ 露、ウクライナ等に輸出

  イルカ漁で知られる和歌山県の太地(たいじ)町だが、年間で数十頭のイルカを輸出していることはあまり知られていない。主に水族館向けなのだが、輸出まで の期間、イルカにストレスがかからないよう生け簀で飼育し、しかも人間に慣れさせるトレーニングを施すノウハウがあるのは世界でも太地町だけといわれ、海 外でも人気が高いという。

 財務省の貿易統計には鯨類(くじら目および海牛目)の輸出数と輸出先が記録されている。調査捕鯨しか行なって いない大型のクジラや海牛目(ジュゴン)が日本から生体で輸出されることはなく、千葉県など他のイルカ漁をしている地域では生体販売していないので、統計 の数字はそのまま太地町から輸出されるイルカの頭数と見ていい(日本の水族館から海外の水族館に輸出されるケースがごく稀にある)。

 過去5年間を見ると輸出数は1年で70~80頭ほど。輸出先の内訳では、急速な経済発展で水族館建設がブームとなっている中国向けが30~50頭と最も多い。

 そのなかに、意外な大口輸出先が登場する。ウクライナとロシアだ。統計によると、13年にはウクライナに20頭、ロシアに15頭が輸出された。2010年にもウクライナに16頭が輸出されている。イルカ輸出にかかわった仲介業者が語る。

「ウクライナに3つ、4つほどしかない水族館用にしては数が多すぎる。とはいえコストをかけて生体輸入しておいて、食用にするとは考えられない。軍用目的だと聞いている」

 防衛省関係者が解説する。

「イ ルカにはソナーのような音波を出して水中の機雷を発見する能力がある。最大300メートルまで潜れる潜水能力もあり、工作活動のために港内に侵入する“フ ロッグマン”と呼ばれる敵のダイバーを発見することもできる。アメリカや旧ソ連は1970年代から軍事利用を研究してきた。米海軍は湾岸戦争やイラク戦争 で実戦に投入し、潜水艦の護衛や機雷の掃海、偵察などに利用したようだ」

 イルカに毒矢を放つ装置や爆発物を取りつけるなどしてダイバーを攻撃することも研究されてきたといわれる。イルカは強力な生体兵器なのだ。

 ウクライナとロシアが緊張状態にあることは周知の通りだ。今年2月、親ロシアのヤヌコビッチ政権が反政府デモによって倒れたことをきっかけに、ロシアのプーチン大統領が南部のクリミア半島を編入。

 その直後の3月、興味深いニュースが流れていた。国営ロシア通信によると、クリミア半島の軍港都市セバストポリで飼育されていた「軍用イルカ」がロシア海軍に接収されたという内容だった。

  それらの軍用イルカはどこで捕らえられて連れてこられたものなのか。ウクライナやロシアにはイルカを捕らえる文化がない。国連食糧農業機関(FAO)の統 計によると、2012年にウクライナで捕獲されたイルカは0頭、ロシアでは13頭だった。一方、太地町では2012年に1524頭が水揚げされている。

「太地町のイルカ2頭が1989年、アメリカ海軍に買い付けられた。太地町のイルカは軍事用としても国際的に注目されている。ウクライナ、ロシア向けも軍事用だった可能性が高い」(前出・防衛省関係者)

 ウクライナ現地メディアは2012年秋、海軍がイルカ部隊の特別訓練プログラムを刷新したと報じた。ウクライナが2013年に多くのイルカを太地町から輸入したタイミングと一致する。

 昨年、ウクライナとロシアへの輸出にかかわった関係者に接触した。

「空輸したのはロシアの航空貨物会社のチャーター機。ウクライナ向け20頭はウクライナ南部の軍港都市オデッサに送られた。ロシア向け15頭も、シベリア南部のアバカンという空港を経由してオデッサに運ばれた」

 取材を進めると両ルートとも輸入窓口はオデッサにあるD社だと判明。D社に尋ねた。

──35頭ものイルカはなんのためなのか?

「オデッサの水族館で飼育している。市民の娯楽のためのものだ」

──数が多すぎないか?

「それ以上は答えない」

 前出の仲介業者は「日本の業者も輸出先が『水族館用に購入する』というのであれば、それ以上は詮索しようがない」という。

  ウクライナ軍とロシア軍の広報に問い合わせたが、「答えない」(ウクライナ)、「軍の部隊編成に関わることは答えられない」(ロシア)というのみだった。 国営ロシア通信によると、ウクライナによって組織されたイルカ部隊はロシア海軍の指揮下に入り、そのまま継続されて飼育、訓練されるという。
※週刊ポスト2014年9月5日号
2014.8.29
http://www.news-postseven.com/archives/20140829_272949.html

太地だけがターゲットにされている現状何とかならんのかなぁ・・
特に地元の二階先生は何しとんねんと思う

【捕鯨問題】
「変態民族め」「虐殺者」和歌山県太地町に送りつけられる嫌がらせFAX…
常軌逸したイルカ漁批判に町民「うんざり」

太地町に送られてくる嫌がらせ

  イルカ漁が行われている和歌山県太地町への悪質な嫌がらせが絶えない。2010年に同町を題材にした映画「ザ・コーヴ」が米アカデミー賞を取り、国内外の 注目を浴びて以来、抗議の便りは世界中から寄せられるようになった。町役場や町漁業協同組合に届くFAXの量は増え、「変態民族め」「大虐殺は日本の文化」などと内容もますます過激に。英語表記のものだけでなく中国語、韓国語のメッセージも目立ち、戦時中の南京大虐殺と関連づけた残忍な写真の添付も散見される。

 太地が捕獲したイルカの水族館展示は内部の倫理規範に違反するとして、世界動物園水族館協会(WAZA、本部・スイス)は、日本動物園水族館協会(JAZA)に改善・除名通告を行った。海洋に根ざす日本の地域社会と食文化を海外に効果的に情報発信することができない戦略のつたなさが、こうした事態を招いているとの指摘は根強い。
太地町では毎年9月から翌年3月まで、食用のためのイルカを捕獲しているほか、イルカをそのまま生け捕りして、国内外の水族館へ提供している。イルカたち は、子供たちに海洋保護や命あるものの大切さを教える貴重な存在。しかし、多くの水族館にとって人気のイルカショーは太地町の捕獲がなければ、実施できな い状況にある。

 町への抗議は、イルカを頭の良い特別な生き物として捉える人々や動物愛護団体、反捕鯨団体のメンバーが送付しているとみられる。どんな理由にせよ、イルカを捕獲することは「人殺し」や「拉致」と同じとの趣旨が目立つ。

  WAZA資格停止問題が表沙汰になった後の5月5日、太地町漁業協同組合に、差出人不明の抗議のFAXが寄せられた。送り主はもしあなたがイルカだったら と無理やり仮定し、「あなたは刺し殺されたり、誘拐されて水族館に売られて生涯奴隷になったりされたいのか」と訴える。そうして、太地の漁師たちは「邪悪 な虐殺」を行っているとし、その言い訳のために「伝統」という言葉を使うなと強要する。
 イルカの擬人化は抗議する人たちの共通項だ。別の便りには「捕獲は想像を絶する苦痛をイルカに与える」とし、漁師が捕獲する際、「イルカたちは仲間が殺されるのを見て悲鳴をあげている」とイルカをまるで囚われた無辜の民のように比喩して、情緒的に訴える。
さらには、イルカ漁は「ジェノサイド犯罪」としたり、「日本人は生まれつき残忍」と一方的に罵ったり、イルカ漁を戦時中の南京大虐殺とこじつけて、旧日本 兵が殺戮(さつりく)を行っている残虐な写真を一緒に送りつけたりしてくる。漁協組合の関係者は「もう慣れたが、気味悪い写真やメッセージにもううんざり している」と話す。

 中には、町民に送付しているはずなのに、韓国語や中国語表記もあるほか、たとえ日本語表記だとしても、ネット上で自動翻訳したとみられる文章のおかしいメッセージもある。

  反捕鯨団体シー・シェパードが騒動を起こしたり、捕鯨論争が世界的なニュースになったりした際は抗議の量も増える。昨年1月、米国のキャロライン・ケネ ディ駐日大使がツイッターで「イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念している」というメッセージを発表し、騒動になった際は漁協には1日 当たり300通以上の抗議FAXが寄せられた。中には脅迫めいたものもあり、漁協は電話番号の変更を余儀なくされた。
  一方、世界動物園水族館協会(WAZA)資格停止問題では、日本動物園水族館協会(JAZA)に加盟している日本の動物園、水族館の152施設が20日、 「WAZA離脱」か「WAZA残留」を決める会員投票を行った。多数決の結果、WAZA残留の方針を決定。今後、JAZA加盟の施設は、太地町の追い込み 漁で捕獲したイルカを入手することができなくなる。
今回の騒動の背後でも、オーストラリアのイルカ保護団体が動いていた。太地町のイルカ漁を止めさせることを活動理念に掲げるこの団体は今年3月、JAZAをWAZAから除名するよう、WAZAの本部のあるスイスで法的手段に打って出ていた。

 さらに豪団体は昨年、太地町を相手に訴訟も起こしている。豊富な資金力をもとに運動を多方面に広めており、太地町と姉妹都市にある豪北西部のブルーム市にも圧力をかけ、草の根の交流を続けてきた太地町との提携を破棄するよう迫っている。

 この問題は世界中の注目を浴びており、メディアが大きく報じる度に、太地町への嫌がらせは勢いを増すことになる。
 反捕鯨団体シー・シェパード創設者のポール・ワトソン容疑者(国際指名手配)はこの問題に関して声明を発表し、WAZAが今後もJAZAに圧力を強めていくよう要請した。
太地町に張りつくシーシェパード
  ワトソン容疑者は逃亡先のパリから、53万人の支持者がいる自身のフェイスブック公式サイトに声明を発表。2003年から団体が太地町に活動家を派遣して イルカ漁の「監視」活動を続けてきたことを主張し、WAZAが今回の決定を下したのはあくまでシー・シェパードの行動があったからだとその成果をアピール した。
 ワトソン容疑者はこれまでも日本の捕鯨やイルカ漁に関して度々声明を発表、過激な言葉で状況をあおって、寄付金集めを行っているとの批判が出ている。
今回の発表でも、ワトソン容疑者は2020年の東京五輪開催を拒否するようを呼びかけており、支持者から「東京五輪をボイコットすべきだ」「五輪は日本に面目を失わせるための格好の機会になる」との声が寄せられている。(佐々木正明)
五輪妨害

産経ニュース2015.5.21
http://www.sankei.com/premium/news/150521/prm1505210007-n1.html

佐々木正明氏
エコテロリストというお仕事2 

シーシェパードのHPには「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」の記述があるのをご存じだろうか
シーシェパードの裏にいるのは

「海洋に根ざす日本の地域社会と食文化を海外に効果的に情報発信することができない戦略のつたなさが、こうした事態を招いているとの指摘は根強い。」
それも一面だが本当の原因は日本内部から敵にせっせと弾薬を渡す人達がいるから
この構図を誰も指摘しない
敵は内部から渡される弾薬で攻撃している

日本から攻撃する弾薬を渡したのは
全国動物ネットワーク
全国動物ネットワークピオデミリア
全国動物ネットワークイルカ漁抗議
正体がバレてきた外国特派員協会

イルカ漁は違法ではないしイルカは絶滅危惧種ですらないわけです
(一方揚子江イルカは絶滅してしまったとも聞くが・・)
これが slaughter と言うなら未だ裁かれない本物の slaughter に全力でほっかむりしてる連合国も裁かれるべきではないですかね
未だ裁かれない連合国の戦争犯罪 

くり返し言うようですが
イルカ漁騒動のきっかけはジャパンタイムズのこの記事です
→ ‘Secret’ dolphin slaughter defies protests
http://www.japantimes.co.jp/life/2005/11/30/environment/secret-dolphin-slaughter-defies-protests/ 

未だ裁かれない連合国の戦争犯罪 続き

再びこちらの本から


自分が気になっているオーストラリアのウィリアム・ウェッブ裁判長
「人肉食」の出所 オーストラリア 

p150~154
■「戦勝国の判事だけによる裁判は公正ではない」(ファーネス弁護人)
 「裁判官の公正・適格性」を取り上げるが、これもまた裁判の正当性を疑わせるに足る問題を孕んでいた。

  東京裁判の「法」である極東軍事裁判所条例は、アメリカ大統領の命令を受けたマッカーサー司令官の指示で、アメリカのキーナン首席検事が起草した。判決を 下すべき裁判官も全員が戦勝国たる連合国側11ヶ国の国籍を持つ人物であった。裁判の公正さを守るためには、せめて判決を下す裁判官(判事)だけでも中立 国あるいは日本からも選ばれるべきではなかったのか。

 公判でアメリカ人のジョージ・ファーネス弁護人は全被告に代わって、

«此 の裁判所の判事は総べて斯う云う[戦勝国の]国家の代表であり、是が原告国家の代表であり、また検察官も其の国家を代表して居るのであります。我々は此の 裁判所の各判事が明かに公正であるに拘らず、任命の事情に依って決して公正であり得ないことを主張するのであります。でありますから此の裁判は今日に於て も又今後の歴史に於ても、公正でなかった、合法的でなかったと云う疑いを免れることが出来ないのであります。»(『勝者の裁き』p99)

と訴えた。ニュルンベルク・東京両裁判の進行中、イギリスの元内閣官房長官ハンキー卿も、

«未来に対して極めて重要な裁判を行う法廷を偏見の度合いの少い連合国の構成国、もしくは、もつと公平な中立国の判事を参加させずに、戦争の矢おもてに立つた連合国の構成国の指名した判事だけで構成することに決定したことは、果して正しく賢明だつただろうか。
 われわれはいま少しで負けるところだつたが、かりに負けたとしたら、われわれは日・独・伊三国だけによる裁判に納得しただろうか。また、歴史がそのような裁判の結果を受けいれると期待されるだろうか。»(『戦犯裁判の錯誤』p7~8)

と批判している。

  そもそも個々の裁判官の適格性にも疑問があった。アメリカに限らず法治国家の多くは、係争中の事件に事前に関係した人物は、その事件の裁判官になる資格は ないとしている。ところが、アメリカ代表マイロン・H・クレーマー少将は真珠湾攻撃の責任に関する法書簡を大統領に提出していた。フィリピン代表のハラ ニーヨ判事も日本軍の捕虜の経験があった。両者とも不適格である。裁判長を務めたオーストラリアのウェッブ裁判長もまた、戦争中、オーストラリアの戦争犯罪委員として、ニューギニアにおける日本軍の行為を調査した経験があった

 このため、オーストラリア高等裁判所ブレナン判事は、東京裁判が開廷される2カ月前の1946年(昭和21年)3月22日付『シドニー・モーニング・ヘラルド』紙において、

«・・・・ サー・ウィリアム[ウェッブ]は、これまで日本の残虐行為にかんする調査をおこない、その報告をオーストラリア、英国政府に提出している・・・・その サー・ウィリアムが、東京の第一級戦犯法廷の裁判長をつとめるわけだが、諸外国ははたしてこの事態をどう考えるであろうか?
 ここに、犯罪捜査を担当し、ある犯罪人の証拠集めにたずさわった刑事がいるとする。英国の法廷は、この刑事を、同類の犯罪人を裁く判事に任命するであろうか?
 この問題は、必ずや提起されるであろう。そして、そのさい、サー・ウィリアム・ウェッブは不快な立場におかれ、オーストラリアはバカ者扱いされるにちがいなく・・・・各国は、英国の法概念にたいして嘲りの指をあげるであろう。
・・・・ゆえに、私は、このときにあたり、わが国をことさらの侮辱から救うために警告を発するものである»(児島襄『東京裁判(上)』p130~131)

と強く警告を発していた。当然のことながら、法廷で弁護側は、ウェッブ裁判長をはじめとする適格性を持たない裁判官に対する忌避を申し立てたが、その申し立てはすべて理由を明示されることなく却下された。そこで判決後の1948年(昭和23年)11月、ジョン・G・ブレナン弁護人らはアメリカ連邦最高裁判所に対して「人身保護令適用のための訴願」を提出し、

«五、裁判所の判事たちは全部日本と戦争をした国の国民であり、各国政府が日本は侵略戦争をした罪があるとの政治的決定を宣言している以上、判事たちは公平無私の見解をとることはできない。
 六、審理の冒頭、原告達は裁判官忌避を申立てようとしたが、法廷は各裁判官はマッカーサー元帥の任命に基づくとの理由で、この申立を却下した。公訴に対して判事の忌避を申立てる権利は、米国法廷で審理される全被告が持っている。・・・・
 八、よって原告は、次の事を嘆願する。・・・・
  (2)この訴願をするに至った、米行政・軍両当局の行為と執った処置は[米国]憲法違反であり、向こうであることを宣言する事»(冨士信夫『私の見た東京裁判(下)』p522~533)

といった趣旨のことを訴えた。人身保護令とは、違法な拘束にたいする人身の自由の最高の法的秀才である英米の法制度のことで、この訴願は12月6日、いったんは受理されたものの、12月20日、最終的には却下されてしまった。

 なお、検察官の資格に対する疑問も法廷では提出された。1946年(昭和21年)12月3日、審理は「日本の対オランダ侵略」の段階に入り、ヒギンズ検事から、冒頭陳述担当者のオランダ代表検事としてムルダー少将が紹介された。ところが、このときアメリカ人のオウエン・カニンガム弁護人が突如発言台代に立ち、

«オランダはポツダム宣言の署名国ではない。しかも訴追事項の発生当時、オランダ政府は国際法上の合法的な存在ではなく、英国に亡命していた。したがって陸戦法規に対する裁判の権限を有せず、また検事任命の権利もない»(朝日新聞東京裁判記者団『東京裁判 上』p268)

と、 オランダの裁判参画を全面的に否定する異議を申し立てた。東京裁判がポツダム宣言に法的根拠を置いている以上、政党な異議であった。ところが、ウェッブ裁 判長はその場で、「事実の上からも法的にも何らの根拠なし」と、具体的な説明もないままこの異議を却下してしまったのである。
オーストラリア=バカ者ってことで
資格のない者が裁判長の裁判て何ぞや(茶番


ちょっとそれるが大事なので
p158
証拠書類のうちの多くの割合が却下されたとの印象は、日本人弁護団の副団長であった清瀬一郎弁護人にも共通していて、

«そ れ[却下された証拠書類]は膨大なものです。なかでも日本政府の声明、これはセルフ・サービング、つまり自分で自分を弁明するものだといつて初めから却下 されてしまうのです。中国との戦争、これは日本では事変と言つているが、あの自分の蒋介石政府なり汪兆銘政府との間の合意によつてできた声明、これも歴史 上の記録ですが、みな却下です。おそらく弁護団側の出した証拠は十通のうち八通まで却下されたと思うのです。»(「日本週報」昭和31年4月5日発行/『東京裁判 日本の弁明』p35)

とその印象を語っている。

 その膨大な却下・未提出弁護側資料2306件は平成7年(1995年)、国書刊行会発行『東京裁判却下未提出辨護側資料』全8巻として初めて日の目を見ることになった。

歴史修正主義とか言うけど資料自体が最近になって出て来てる状態なら
修正するのが正しいんでないかね

ちょっと引用しただけでこのデタラメぶり
後生大事にこんなもの抱える必要がないどころか
正しく東京裁判を裁くべきだろう
その時歴史を直視しろと言い募っていた人達は果たして直視するかどうか(しないねw

参考
明成社HP(出版元)
『『世界がさばく東京裁判』に登場する主な外国人』
http://goo.gl/YubEis

『極東国際軍事法廷 各国要人言論集』
http://www.geocities.jp/huckbeinboxer/yasukuni014.html


【ニコニコ動画】安倍首相米国議会演説/ぶっちゃけ、わざとらしいくらいのジェスチャーは必要なんデス!|奥山真司の「アメ通LIVE」(20150512)_003 

安倍首相の米議会演説が実現した裏事情を the Japan News (by読売新聞)が書いてて
それを元に朝鮮日報が記事書いてるんじゃないか?という
(´・ω・`)あらま

Abe paved own way for Congress address
the Yomiuri Shimbun 2015.5.10

An important factor behind Prime Minister Shinzo Abe’s success in delivering a well-received speech before the U.S. Congress in late April was his own initiative in facilitating prior negotiations and arrangements with key members of both chambers of the legislature to smooth out potential obstacles, according to government sources.

“I’d be honored if I were allowed to address Congress,” Abe was quoted as telling Sen. John McCain, chairman of the U.S. Senate Armed Services Committee, and six other senators during talks at a hotel in Jerusalem on the evening of Jan. 19. The meeting was held during Abe’s visit to the Middle East.

Immediately after a visit to Japan by U.S. President Barack Obama in April last year, Abe started to work on the details of his planned visit to the United States, which he hoped would include a speech before the U.S. Congress. Abe regarded the address as the centerpiece of his trip to the United States as prime minister. Achieving success in that respect was to make him the first Japanese prime minister to address a joint session of the U.S. Senate and House of Representatives.

With this in mind, Abe instructed the Foreign Ministry to lay the groundwork for the pursuit of his objective. However, he received a less-than-satisfactory response from the ministry.

The prime minister’s meeting with McCain and the other congressmen in Jerusalem followed the lack of a good prospect for success in the pursuit of his goal in the initial stages. During talks at the Jerusalem hotel, McCain readily consented to the prime minister’s request for cooperation in realizing his speech before Congress.

McCain’s nod given to Abe’s request was “the greatest result of the prime minister’s visit to Israel,” a close aide to the prime minister said, though the government did not unveil the specific words exchanged between Abe and McCain.

The prime minister also stepped up efforts to seek action from the Republican leader of the House, Speaker John Boehner, who had the say in deciding whether to grant Abe an opportunity to address Congress. In Washington on Jan. 22, Katsuyuki Kawai of the Liberal Democratic Party, a House of Representatives member who has close relations with Abe, met Devin Nunes, a member of the House who is seen as a close aide to Boehner. During talks, Kawai asked Nunes to cooperate in helping Abe achieve his objective by seeking action from Boehner.

Kawai also asked Nunes to do the spadework for containing a possible uproar that could be created by Congressmen backed by Americans of South Korean descent and other people with ties to South Korea.

"Speaker Boehner worked to contain possible objections [to Abe’s speech] from some Congressmen," the aide to the prime minister said.

The Japanese government sought to ensure Abe’s planned address before Congress would be fixed as soon as possible, in light of a campaign staged by a pro-Seoul group to prevent Abe’s speech. At a press conference on March 23, Chief Cabinet Secretary Yoshihide Suga formally announced Abe’s planned visit to the United States.

Race against time
In many cases, the government officially announces a planned overseas trip by a prime minister immediately before such a visit, a gesture meant to ensure smooth Diet deliberations. Given this, Suga’s move to make such an announcement more than one month before Abe left for the United States on April 26 could be seen as extraordinary.

“Speaker Boehner would have been unable to announce the prime minister’s planned speech unless [the Japanese government] formally made his U.S. visit public. [Suga’s move] was intended to ensure the speaker would be able to make an announcement as soon as possible, thereby giving pro-Seoul groups and people no time to roll back the situation,” a government source said.

On March 26, Boehner announced the U.S. Congress would invite the prime minister to address the legislature, saying, “As the United States continues to strengthen our ties with Japan, we look forward to welcoming Prime Minister Abe to the United States Capitol.”

The task of drafting Abe’s speech was entrusted to a limited number of personnel, chiefly his speechwriter, Tomohiko Taniguchi, a special adviser to the Cabinet, and Takaya Imai, a secretary for the prime minister. “We gave consideration to the possibility that the leak of information about the content of the speech could prompt South Korea and China to find fault with the details of the address,” a government source said.

The draft of Abe’s speech was completed within March. But the prime minister repeatedly honed his speech to the last minute.

Abe did his utmost to carefully choose words and phrases tied to historical perceptions. In his address before the U.S. Congress, the prime minister mentioned the names of such places as “Pearl Harbor” and “Bataan,” both associated with the sufferings inflicted on Americans by the now-defunct Imperial Japanese forces during World War II.

The prime minister expressed his “deep remorse” and also “deep repentance.” By definition, “repentance” is more profound in expressing one’s penitent sentiment than “remorse” is.

Abe’s speech drew rapturous applause from Congressmen attending the joint session. The prime minister’s word choice was intended to give the impression of using language close in meaning to “apology,” despite his negative view about expressing an “apology,” in keeping with Chinese and South Korean demands.

His speech did not refer to so-called comfort women, given that it was addressed to the U.S. Congress. However, he had taken steps to prevent himself from being unilaterally accused of refusing to accept responsibility for the matter.

On March 26, Abe gave an interview to The Washington Post. In reference to comfort women, he used “human trafficking,” the same term as the one used in an official view expressed by the U.S. State Department. “When my thought goes to these people, who have been victimized by human trafficking and gone through immeasurable pain and suffering beyond description, my heart aches,” Abe said during the interview.

The planned speech before Congress remained strong in Abe’s thought even after his arrival in the United States. In his speech at a dinner party at the White House on the evening of April 28, Abe said he was rehearsing the speech in his guesthouse room.

He had watched the videos of previous speeches before Congress, hoping to study the speakers’ gestures. He had also written into a copy of his speech such notes as “Raise your head and encourage [Congress] to applaud.”

A symbolic gesture
One of the highlights of Abe’s speech was when he mentioned two figures: retired Lt. Gen. Lawrence Snowden of the U.S. Marine Corps, who had fought fierce battles on the island of Iwojima (Iwoto) during the Pacific War 70 years ago; and former Internal Affairs and Communications Minister Yoshitaka Shindo, a grandson of Lt. Gen. Tadamichi Kuribayashi, who commanded the Japanese garrison on the island at that time.

Snowden and Shindo shook hands in a symbolic gesture of reconciliation.

About 10 days before Abe’s speech, Snowden, 94, suffered health problems. This upset the Japanese government. However, he assured a Japanese government official that he would never fail to attend the joint session at Congress. And he delivered on his promise.

At a dinner party on April 29, the prime minister expressed his gratitude to Snowden, who then lavishly praised Abe’s speech.
http://the-japan-news.com/news/article/0002141390


安倍訪米:反撃を封じ込めた安倍首相の根回し
 日本の安倍晋三首相が先月29日、日本の首相として初めて米議会上下両院合同会議で演説を行った。
10日付読売新聞は首相官邸や外務省への取材を通じ、その舞台裏を報じた。安倍首相の議会演説を実現させる上で最も貢献したのは安倍首相自身だった。

 安倍首相は昨年4月、オバマ米大統領が訪日した直後、訪米を計画し始めた。安倍首相は米議会演説が訪米で最重要日程とし、外務省に実現させるよう指示したが進展がなかった。

  その後、安倍首相は中東歴訪中の今年1月19日夜、イスラエル・エルサレムのホテルでマケイン米上院軍事委員長ら米上院議員7人と直接会った。 安倍首相は「米議会で演説できれば光栄だ」と告げると、マケイン議員は「必ず実現しよう」と答えた。首相官邸関係者は読売新聞に対し、「この非公開の会談 こそ、イスラエル訪問で最大の成果だった」と語った。

 3日後、河井克行衆院議員がワシントンでデビン・ニューネズ下院議員と会った。ニューネズ議員はジョン・ベイナー下院議長に近い。河井議員はヌネス議員に韓国と近い議員が反発しないように「根回し」を依頼した。

  菅義偉官房長官は3月23日、安倍首相の訪米日程を正式に発表した。外交上の慣例からみて異例の早期発表だった。

 なぜ早めに発表したのか。日本政府関係者は読売新聞に対し、「韓国系(議員)が反撃する時間を与えない狙いがあった」と語った。

 日本が訪米日程を先に発表しなければ、米議会演説の予定を発表できないからだ。3日後の3月26日、ベイナー下院議長が安倍首相の議会演説予定を明らかにした。

   谷口智彦・内閣官房参与と今井尚哉・首相秘書官らごく少数の側近が3月末に演説原稿を書き上げた。谷口官房参与はジャーナリスト出身で外務省報道官を経 て、安倍首相のスピーチライターに抜てきされた。 今井秘書官は経済産業省の官僚出身で、第1次安倍政権当時から側近を務めている。2人とも安倍首相の腹心だ。

 安倍首相は演説直前まで原稿を修正した。読売新聞によると、最も苦心したのが歴史認識の部分だったという。

演 説で安倍首相は真珠湾攻撃とバターン死の行進に言及し、「深い悔悟(deep repentance)」を感じたと述べた。バターン死の行進とは、日本軍が米軍、フィリピン軍の捕虜を行進させ、1万人近くを死亡させた事件だ。 読売は「悔悟(repentance)は『反省(remorse)』より重く、悔やむ印象を与える」と市、悔やむ「韓中が求める謝罪に否定的な安倍首相 が、(謝罪という表現なしで)謝罪したような印象を与えるために選んだ単語だ」と伝えた。 米議員らはスタンディング・オベーションで応じた。

 演説が行われた場所が米国だったために、従軍慰安婦問題には言及しなかったが、責任逃れとの批判が出ることに備え、安倍首相はワシントン・ポストのインタビューに応じ、米国務省の公式見解と同じ表現を使ったという。

 本紙が安倍首相の発言を米国務省の文書、オバマ大統領による過去の演説と比較した結果、重要な表現が一致した。

  安倍首相はワシントン・ポストに「慰安婦は人身売買(human trafficking)の犠牲になった」「心が痛む(my heart aches)」と語った。「人身売買」は米国務省の人権報告書に出てくる表現であり、 「心が痛む」という表現はオバマ大統領が昨年4月にソウルで「韓日が心が痛む事柄を克服することを望む」と述べたことにほぼ共通するものだった。

  安倍首相訪米の10日前、硫黄島の戦いの英雄、ローレンス・スノーデン米海兵隊中将が体調を崩し、日本政府を慌てさせた。安倍首相は演説で硫黄島守備隊の 司令官の孫とスノーデン中将が握手する場面を演出する計画だった。 スノーデン中将は「必ず行くから心配しないでくれ」と日本側を安心させた。

 こうした過程を経て、安倍首相は先月29日、米議会の演壇に立った。そこは真珠湾攻撃の翌日、ルーズベルト元大統領が「日本人はだまし打ちをし、その汚名を永遠に背負うことになった」と演説し、日本への宣戦を布告した場所だった。
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 東京=金秀恵(キム・スヘ)特派員 2015.5.11
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/05/11/2015051100616.html
(確かに相当同じだわね・・)

奥山真司氏「マケイン議員が動いたのは青山繁晴氏が言った通りだったけど、ベイナー下院議長にも働きかけしたと」
自分は動画を見ていて、後ろの人は花粉症か何かかと思っていたら何とうるうるしてたんですね
wikiによると涙もろい人らしい→【wiki】ジョン・ベイナー 

https://twitter.com/SpeakerBoehner/status/593914282116517888

アメリカの悪意を日々ひしひしと感じているので
アメリカの悪意が動かす女性達
こういうこともあるか、とちょっと和む
https://twitter.com/shindo_y/status/593618375047254016

後藤健二氏のことでウダウダ言われていたイスラエル訪問だけど
それが米議会演説に繋がったわけですね
安倍首相イスラエル訪問

【歴史戦】
慰安婦=性奴隷・教科書「いかなる修正にも応ぜず」 米歴史学者19人が声明
  【ロサンゼルス=中村将】米国の公立高校で使われている世界史の教科書に、旧日本軍による慰安婦強制連行など事実と異なる記述がある問題で、米国の歴史学 者19人が「いかなる修正にも応じない」との声明を出したことが分かった。学者らは、慰安婦問題で日本政府の責任を追及する立場の吉見義明・中央大学教授の研究などを根拠に日本側を批判。「慰安婦=性奴隷」との不適切な認識の払拭は進んでいない。

 この教科書は米大手教育出版社「マグロウヒル」の「トラディションズ・アンド・エンカウンターズ(伝統と交流)」。声明はコネティカット大のアレクシス・ダデン教授らが取りまとめた。この教科書で慰安婦に関する部分を執筆した歴史学者も名を連ねている。

 声明は、米国で慰安婦像設置を主導する「カリフォルニア州韓国系米国人フォーラム」が公表した。「日本軍の性的搾取という野蛮なシステムによって苦痛を強いられた慰安婦に関し、日本と他国の歴史教科書の記述を抑圧しようとする最近の日本政府の試みに驚きを禁じえない」とし、安倍晋三首相を名指しで批判している。

 さらに、「日本政府の文献を通じた吉見義明教授の研究と(元慰安婦の)生存者証言は、性奴隷システムの本質的な特徴をみせており、議論の余地はない」ともしている。

 吉見氏の著書「従軍慰安婦」の英訳版(コロンビア大学出版部)には「日本軍の性奴隷制」という副題がある。日本政府は昨年、国連自由権規約委員会(ジュネーブ)で「性奴隷という表現は不適切」だと公式に否定したが、その見解は米国内で浸透していない。

 外務省は昨年11月と12月、マグロウヒルに表記是正を申し入れた。安倍首相も先月29日の国会答弁で、教科書の記載内容が事実と異なることに「愕(がく)然(ぜん)とした」と述べ、誤解を解く国際発信の強化を表明した。 
産経ニュース2015.2.10
http://www.sankei.com/world/news/150210/wor1502100005-n1.html

「慰安婦」教科書問題で米出版社、記述変更せず 「ぶれぬ執筆者を支持」

 【ニューヨーク=黒沢潤】米国の公立高校で使われている米大手教育出版社「マグロウヒル」の世界史教科書に、史実と異なる慰安婦の記述がなされている問題で、同社は14日、産経新聞の取材に対し、記述変更の意思はないとの回答を示した。

  同社はコメントで「日本政府の代表者や他の人々が最近、マグロウヒルに対し、出版物の1つである『伝統と交流』の慰安婦部分の記述変更を求めてきた」と指 摘。「学者たちは慰安婦の歴史的事実をめぐって立場がぶれることはないし、私たちも執筆者の著述や研究、発表を明確に支持する側に立つ」と強調した。
 この教科書には、「約20万人の女性を慰安所で働かせるために強制的に徴用した」「慰安婦を天皇からの贈り物として軍隊にささげた」 などの記述があり、外務省が昨年11月以降、数回にわたり表記是正を申し入れた。一方、執筆者を含む米国の歴史学者19人は「いかなる修正にも応じない」 との声明を発表。これに対し、現代史家の秦郁彦氏ら日本の有識者19人が3月中旬、明確な事実誤認部分8カ所について、同社に訂正を求める声明を発表し た。

【秦郁彦氏のコメント】
 訂正を申し入れた19人の歴史家を代表する私にはまだ回答がない。無視するつもりなのか。マグロウヒル社に送ったのは「正誤訂正表」である。1+1=3と書いてあっても直す気はないのか。アメリカの良識ある歴史家たちの見解を聞きたいと考えている。
産経ニュース2015.5.16
http://www.sankei.com/world/news/150516/wor1505160002-n1.html

米学者、慰安婦問題に「ぶれ」 異なる見解の声明に同一人物署名 
修正応じない出版社主張との食い違い浮き彫りに

 マグロウヒル社は「歴史的事実をめぐって、米歴史学者たちがぶれることはない」と断言する。だが、歴史学者らの「ぶれ」はすでに表面化しており、教科書の出版元への批判も一層強まりそうだ。

「日本軍は売春宿で働かせるために20万人にもおよぶ14歳から20歳までの女性を強制的に募集し、徴収し、制圧した」。慰安婦問題について、マグロウヒル社の高校世界史の教科書にはこうした記述を含め、公的な資料に基づかない記述が随所にみられる。

 日本政府が同社に対し、不適切な記述を是正するよう申し入れると、米歴史学者19人(後に1人増え20人)は学術・研究に対する政治の介入を印象づけるように、これを拒む声明を出した。

 ところが、その後発表された、戦後70年談話の発表をひかえる安倍晋三首相に「偏見のない(過去の)清算を残そう」とする日本研究者ら187人による声明は、「『慰安婦』の正確な数について、歴史学者の意見は分かれていますが、おそらく、永久に正確な数字が確定されることはないでしょう」としている。

 「19人の声明」に署名した歴史学者のうち10人前後が、「187人の声明」にも署名しており、学者の「ぶれ」は明らかだ。学者らは「数の問題ではない。女性の尊厳が奪われたことが問題だ」と主張する。

 だが、産経新聞の取材に応じたマグロウヒル社の教科書で学んでいるカリフォルニア州の生徒によれば、「日本軍が強制連行した慰安婦は何人」などとテストに出る可能性もあり、教科書の「20万人」という数字をおぼえるという。

  この教科書には「日本軍は慰安婦を天皇からの贈り物として軍隊にささげた」との表記もある。こうした「非礼な表現」を歴史的事実として教科書に載せるので あれば、その出典や根拠を明記する必要がある。授業でそう教えられた日本人生徒は「友だちから『贈り物だって。すげえな』といわれショックだった」とも証 言している。

 マグロウヒル社は「執筆者の著述や研究、発表を明確に支持する側に立つ」としているが、生徒らへの教育上の対応としては、ずさんといわざるを得ない。

 こうした点を3月に指摘した日本の歴史学者19人の訂正申し入れにも、マグロウヒル社はいまだに応えられないでいる。
(ロサンゼルス 中村将)
産経ニュース2015.5.16
http://www.sankei.com/world/news/150516/wor1505160003-n1.html

(´・ω・`)産経容赦ねぇw

「カリフォルニア州韓国系米国人フォーラム」=KAFC
KAFC

サイモン・ウィーゼンタール・センターと慰安婦展とかやってますね
SWC慰安婦イベント2
旧日本軍の慰安所への関与 米国では「あり」結論済み 

参考
187人の歴史学者(冷笑)
中指立てて仲良くしようゼと言う187人の歴史学者

関連記事はこちらから→【アンブロークン the unbelievable BROKEN story】


【youtube】『アメリカは今どうなっているのか①』佐藤和夫 AJER2015.4.1(3)
11:45~
江崎道朗氏「戦後70年のときに侵略戦争だの何だのと言い出したので、(佐藤和男氏は:筆者)ふざけるなと。少なくとも自分が所属している国際法の世界、国際法学会の中では日本は侵略戦争だって言うのはおかしいというのが国際法学者みんなの認識なのに、何で日本の政治家たちやマスコミはそういう頓珍漢な、国際社会から見たら頓珍漢な議論をやるんだと。いうことでもうこれは黙ってられないと」

( ̄д ̄)なぬ
これは是非読まねば



たまたま「マッカーサーはカリスマ」ジョン・ダワー氏が出て来たのでご紹介
→ 「敗北を抱きしめて」などいられない① 
 「敗北を抱きしめて」などいられない②

p143
 連合軍が捕虜を一人もとらずに虐殺した例は枚挙に暇がない。

  カリフォルニア大学のダワー教授はその著『人種偏見』において、連合軍側の虐殺行為を詳しく紹介している。例えば、すでに米軍の支配下にあった島に、仲間 とはぐれた日本兵を一人放ち、その兵士が実の安全を求めて狂ったように駆け出すところを銃の標的として楽しんだ。ペリリュー島や沖縄の激戦地で、米軍兵士 は日本兵の死体から手を切り取って戦果のトロフィーとする。金歯を漁る。死体のあいた口めがけて小便をする、恐れおののく沖縄の老女を撃ち殺し、「みじめ な生活から逃れさせてやっただけだ」と気にもとめない、といった具合である。太平洋地域担当の従軍記者エドガー・L・ジョーンズは、1946年(昭和21 年)の『アトランティック・マンスリー』誌に、「われわれは捕虜を容赦なく撃ち殺し、病院を破壊し、救命ボートを機銃掃射し、敵の民間人を虐待、殺害し、 傷ついた敵兵を殺し、まだ息のあるものを他の死体とともに穴に投げ入れ、死体を煮て頭蓋骨をとりわけ、それで置き物を作るとか、または他の骨でペーパーナ イフを作るとかしてきたのだ」と書いた。これらの陰湿な虐殺行為は政府によって公認されたこともあった。ジョン・ダワー教授はいう。

< ブーゲンビルで投降しようとして殺された負傷兵の場合のように、日本兵殺害の中には上官の命令下に行われたもの、あるいは少なくとも上官が事後承認を与え たものがあった。たとえば日本の輸送船を沈め、その後一時間以上もかけて何百、何千という生き残り日本兵を銃で撃ち殺したアメリカの潜水艦艦長は、この虐 殺をその公式報告書に記録し、しかも上官から公の賛辞を与えられている。>(『人種偏見』p84)

 ところで、ダワー教授は、日本側にもこうした虐殺行為はあったとも指摘し、日米は同罪だとしているが、彼は二つ忘れていることがある。

  第一に、日本側は相応の罰を受けた。戦後、東京裁判とは別に、日本を含むアジア各地49カ所で開かれたB・C級戦争犯罪裁判法廷では、俘虜虐待の罪や住民 虐殺などで、約25000人の日本人が容疑者として逮捕・高速され、5700人が起訴、そのうち約1000余名が死刑の判決を受けた(冤罪も多かった)。 しかし、連合国側の虐殺行為は何ら罪を問われず、免責されたままだ。

 第二に、俘虜虐待について言えば、それでなくとも物資不足に喘ぎ、俘虜を受け入れるだけの設備も食糧も不足していた日本側がそれでも交戦法規を忠実に守って、大量に投降してくる敵兵を捕虜にしたからこそ様々な問題が生じたのである。

  防衛大学校教授の足立純夫著『現代戦争法規論』によれば、我が国は開戦と同時に捕虜収容所の開設に着手し、昭和18年(1943年)末には日本地域及び占 領地域に合計15カ所の収容所が設置され、約30万人を収容していた。また、その待遇が決して悪くはなかったことを赤十字国際委員会や連合国の一部も認め ていた。

 例えば、1942年11月24日付の英紙デイリー・メールは「日本軍は捕虜を優遇」の大見出しの下にイギリス捕虜の生活を伝 え、イギリス陸軍省は1943年1月6日に捕虜に関する詳細な発表を行い、「その生活状態は満足すべきものである」と述べた。更に1943年10月10 日、ロンドンで開催された被抑留者親族会議において、万国赤十字社極東捕虜局のキング委員は、「日本の捕虜収容所では未だ曾て虐待行為は見られず、捕虜は 十分に待遇されている」と報告している。これらの事実は、日本軍に捕虜虐待の組織的企図があったわけではないことを示している。

 しか し、アメリカは物資も潤沢で捕虜を受け入れるだけの設備もあったにもかかわらず、時には米軍司令官公認のもと、「日本軍の捕虜や投稿者を射殺」し、日本人 は「一人も捕虜にされなかった」のである。日本軍にも多くの落ち度はあっただろうが、捕虜や投降を一切認めず、全員殺してしまうアメリカのやり方と、果た してどちらが残虐だというのだろうか。

 前述のリンドバーグ大佐は、日記の全編を継ぎのような印象的な言葉で締め括っている。

«1945 年6月11日 ・・・・ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人になしたと同じようなことを、われわれは太平洋で日本人に行って来たのである。・・・・地球の片側 で行われた蛮行はその反対側で行われても、蛮行であることには変わりがあない。『汝ら人を裁くな、裁かれざらん為なり』。この戦争はドイツ人や日本人ばか りではない、あらゆる諸国民に恥辱と後輩とをもたらしたのだ。»
(『リンドバーグ第二次大戦日記(下)』p625)

 こうしたリ ンドバーグ大佐の反省に耳を傾けることなく、米ソを中心とする連合国は「文明」の名を騙って一方的に日本を裁くことで、自らがあたかも道徳的に優越してい るかのごとく錯覚し、戦後もまた、ベトナムで、ニカラグアで、そしてアフガニスタンで虐殺行為者を生み出したのである。

東京裁判で裁かれ条約を締結したにも関わらず
日本だけが悪いと言い続けると・・

①戦時国際法は無視。そんなものに構って負けてはいけない
②死人に口なし。捕虜はとらず処刑するべき
③相手の過失は針小棒大に。自分の過失は矮小化

過去に真摯に向き合い反省して連合国を見習うとこういうこういう結論になります

それが映画『アンブロークン』 の教えてくれることなんでしょう

この間、韓国視点の三・一独立運動を書きましたが
三・一独立運動を支えた宗教団体 
 三・一独立運動を支えた海外拠点

実際はこんなでした(゚∀゚)

本当は「日韓併合」が韓国を救った! 「七奪」はすべて捏造
『歴史通』 2014年5月号増刊
(抜粋)

あまりの歴史歪曲
 日清戦争の原因となった東学党の乱から一九四五年までの五十年間、日韓は戦争状態にあり、この期間中に残虐な日本軍は朝鮮人数十万人を虐殺したと韓国では教えています。これが世界中で韓国だけに存在する「日韓五十年戦争」論です。この主張は、朴殷植が一九二〇年に書いた『朝鮮独立運動之血史』という本がベースになっています。朴は上海臨時政府の 二代目〝大統領〟になった人物であり、この本は日本を攻撃するために悪意をもって著述したもので、日本の官憲や軍隊の蛮行がこれでもかとばかり書き連ねて あり、私もこれを読んであまりの偏見と事実歪曲、数字の誇張に絶句しました。しかし韓国ではこれが史実として教えられています。

「東学党 は、政府軍や日清軍と交戦すること九カ月以上にも及んだ。死者三十万人を数え、民族史の上に古今未曾有の惨状を極めた」というのですが、日本軍の本隊が朝 鮮半島に上陸したのは東学党の乱が朝鮮政府軍や清国軍隊によって鎮圧されたあとで、それまでは二個小隊しかいませんでした。また、「わが民衆を日露戦争の 軍用務労働者として徴用しはじめ、これを拒否したものはロシアの間諜として罪におとしいれ、あるいは拘束し、あるいは拷問を加え、甚だしくは斬殺した。」 とあります。しかし日本で国民徴用令が制定されたのは一九三九年であり、一九〇四年に他国の国民を徴用できるはずがありません。

 韓国の 民族独立運動である「三一運動」を日本が残虐な手段で弾圧し、多くの朝鮮人を虐殺したと韓国は主張しています。一九一九年三月一日、京城(ソウル)の公園 に宗教家三十三人が集まり、非暴力・無抵抗主義を標榜して「万歳デモ」に移ったのが始まりですが、これが瞬く間に全国的暴動に発展し、地方では農民たちが 武装して村役場、警察・憲兵事務所、富裕地主等を襲撃する凶悪な行動へ転化しました。在朝鮮日本人に「日本へ帰れ」と投石して脅迫した事実はテロそのもの であり、決して一般大衆から支持されたものではなかったのです。黄色人種間の分裂を図る欧米宣教師に煽られた朝鮮人キリスト教徒たちが暴徒と化し、これに近代化で特権を喪失した両班や旧軍人らの不満分子が乗っかって広がった破壊活動であり、警察や憲兵が鎮圧するのに武器を使用したのもやむをえざるところでした。

『朝鮮独立運動血史』には日本官憲が各地で悪逆非道な弾圧を行ったと記されています。ところがそのほとんどは裏付けのない伝聞にすぎません。唯一、西洋人が視察して公に伝えたとする水原岩里事件では婦女子が犠牲になったとしていますが、英国紙「モーニング・アドバタイザ」の京城特派員は「殺害された三十七名全員が男性」と記述しており(木原悦子『万歳事件を知っていますか』)、朴の創作が明らかです。

日本の裁判の公正に感激
  実際の日本の対応は、金完燮『親日派のための弁明2』によれば送検された被疑者一万二千六百六十八人、六千四百十七人が起訴され、一審で三千九百六十七人 が有罪判決を受けましたが、日本人憲兵六名と警官二名が虐殺され、多くの建物が放火されたにもかかわらず、死刑は一人もなく、十五年以上の実刑もなく、三 年以上の懲役がわずか八十人で、しかも減刑と赦免で刑期が半分以下となりました。この時逮捕された三一運動の主要リーダー崔麟、李光洙、崔南善、朴煕道た ちは日本の裁判のあまりの公正さに感激し、やがて強烈な日本ファンとなって、一九三〇年代の言論界をリードすることになります。

松木國俊 (まつき・くにとし) 一九五〇年、熊本県生まれ。七三年、慶応義塾大学法学部政治学科卒業。同年、豊田通商株式会社入社。八〇年~八四年、豊田通商ソウ ル事務所駐在。秘書室次長、機械部次長を経て二〇〇〇年、豊田通商退社。〇一年、松木商事株式会社設立、代表取締役。現在に至る。日本会議東京本部調布支 部副支部長、新しい歴史教科書をつくる会三多摩支部副支部長も務める。
http://ironna.jp/article/1345

【wiki】提岩里教会事件
近年発見された、当時の朝鮮軍司令官、宇都宮太郎の 日記によれば、「事実を事実として処分すれば尤も単簡なれども」とし「虐殺、放火を自認することと為り、帝国の立場は甚しく不利益」となるという判断か ら、幹部と協議した結果「抵抗したるを以て殺戮したるものとして虐殺放火等は認めざることに決し、夜十二時散会す。」とある。
こんなところに宇都宮太郎(宇都宮徳馬氏の父)
タイでもやらかしてた吉田清治。そして宇都宮徳馬

それでウロウロしてたらこんな記事を見つけた
アジアのジャンヌ・ダルクとか言われていた柳寛順という独立運動家

[オピニオン]教科書から消えた「柳寬順」

財 団法人「市民放送」は昨年1月から3月にかけて、民族問題研究所が李承晩(イ・スンマン)、朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領の一代記を批判的に描写した ドキュメンタリー「百年戦争」を放送した。放送通信審議委員会は、このドキュメンタリーが両大統領に対する否定的な内容だけを引用し、低俗な表現を使って 事実を歪曲し、名誉を傷つけたとして、関係者の懲戒および警告処分を下した。ソウル行政法院は28日、市民放送が放送通信審議委員会に対して起こした制裁 処分取り消し訴訟で、「『百年戦争』が推測や誇張、断定的表現などで事実関係と評価を歪曲し、元大統領の名誉を傷つけた」とし、原告敗訴の判決を下した。

◆ 高校の韓国史教科書8種の中で、金星(クムソン)、斗山東亜(トゥサントンア)、ミレエン、天才教育出版社の4種が、3・1運動を記述しながら柳寬順 (ユ・グァンスン)烈士について触れず、物議を醸している。執筆者は、「全体的な流れが重要なので、国民皆が知っている柳寬順については書かなかった」と か、「教科書のページ数が十分でなかった」と弁解している。一部の主張のように、柳寬順が米国人宣教師に助けられたとか、親日派が発掘した人物なので除いたわけではないという説明だ。

◆ 柳寬順は、故郷の忠清南道天安(チュンチョンナムド・チョンアン)で、17才の年で3・1万才デモを主導して逮捕され、拷問を受け、監獄で死亡した。 1947年の柳寬順記念事業会の発足では、顧問として徐載弼(ソ・ジェピル)、李承晩、金九(キム・グ)、李始栄(イ・シヨン)、金奎植(キム・ギュシ ク)、崔鉉培(チェ・ヒョンベ)などが名を連ねた。同年、忠清南道竝川(ビョンチョン)のアウネ市場で行われた柳寬順ほか21人の義士の記念碑除幕式で は、金九、李始栄が式辞を述べた。しかし、春川(チュンチョン)教育大学のキム・ジョンイン教授は、ある討論会で、「柳寬順は親日の経歴がある朴仁徳(パ ク・インドク)が解放後に発掘して英雄に祭り上げたため、教科書から除いた」と主張した。

◆柳寬順に対する記述のない教科書は、大半が北 朝鮮政権の樹立を肯定的に記述し、李承晩、朴正熙と大韓民国は否定的に描写して論議を呼んだ。金日成(キム・イルソン)一族の抗日独立運動だけを記述する 北朝鮮の教科書には、柳寬順は当然入っていない。左寄りの教科書が北朝鮮教科書の影響を受けているという声もある。韓国史教科書の検・認定体制を維持する としても、柳寬順のように重要な記述が漏れないよう検定を強化する必要がある。
朴成遠(パク・ソンウォン)論説委員
聯合ニュース2014.8.30
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2014083014658


【wiki】柳寛順 
韓国における評価
1962年、韓国政府がその功績を認めて建国勲章を授与し、独立烈士と呼ばれるようになった。天安市の生家近くには柳寛順烈士記念祠堂が設けられ、西大門刑務所も歴史館として一般公開されている。
韓国のキリスト教の一部会派には、「祖国解放と世界平和のために投獄された柳寛順烈士は、アジアのジャンヌ・ダルク。その意義を模範として、韓日両国の友好と韓半島(朝鮮半島)統一の先頭に立つ」との見方より神聖化をはかる考え方もある。

柳 寛順については、彼女の英雄性を高めようとするあまり、日本の蛮行を誇張したり、事実に基づかない伝聞がなされる一方、日本による犯罪を薄めるために、こ ちらも歴史と乖離した貶めるような言い方がされてきた。一部の主張には、柳寛順の四肢が切断されて石油缶に詰められたというものもあるが、そのような事実 もなかったことが学友の証言で明らかになっている。今後のさらなる研究に期待したい。

なお、『朝鮮独立運動の血史』には彼女の名を見ることもできない。
(´・ω・`)デタラメな『朝鮮独立運動血史』にすら名前がない・・・・・ってことはつまり

参考
カイカイ反応さん
『韓国人「親日派が作ったヒーロー?教科書から柳寛順が消え物議」』
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/40571306.html

朝鮮人+キリスト教= 

「敗北を抱きしめて」などいられない① 続き

反日ではないらしいジョン・ダワー氏について高山正之氏の記事
報道特集ジョンダワー「戦争の美化」
187人の歴史学者(冷笑)


マッカーサー2

  マッカーサーもそれで聖人になった。彼はそのころ米共和党の大統領候補になったことがある。朝日は彼の「高潔で気高い人柄」を褒め、彼の偉大さは米大統領 の椅子が似合うと書き続けた。日本人は彼が大統領になると信じていた。だってそういう記事しかマッカーサーは許さなかったからだ。

 しかし米国人は彼がフィリピンから敵前逃亡したことも、そのときに米傀儡政権のケソン大統領を脅して「五十万ドルもニューヨークケミカル銀行の自分の口座に振り込ませた」(マイケル・シャラー『マッカーサーの時代』)ことも知っていた。彼が大統領から最も遠い男だと知っていた。

 実際、共和党大会で一千五百余人の代議員のうち彼は11票を取っただけだった。いかに情報から隔絶されていたにせよ、彼がこんな泡沫だったとは日本人は本当に驚いたと思う。

 いま振り返ってみるとマッカーサーのやったことはジョージ・オーウェルの『1984年』の世界とほとんど相似と言っていい。歴史学者ダワーもそれに気づいているはずだが、彼は逆に賛歌を歌い続けた。

 イラク戦争後、戦後処理をどうするかという時期、彼はニューヨークタイムズに「日本とイラクの違い」を寄稿した。その中で日本での成功は「マッカーサーのカリスマ性と米軍将兵の紳士的な振る舞いが日本統治を成功させた」と書いている。

  調達庁の数字によれば、占領期、米兵によって10万人の女性が強姦され、2536人が殺された。沖縄では6歳の幼女が強姦の果て殺され、小倉市は朝鮮戦争 時、一個中隊の黒人兵に占領され3日間、略奪と強姦に蹂躙された。今のイスラム国と似た状況だった。そのすべてが報道規制で闇に葬られた。そんな連中をダ ワーは紳士だったという。

 マッカーサーはもっと悪質だった。終戦間際に米潜水艦が灯火(ともしび)をつけて航行中の阿波丸を緑十字船と知りつつ魚雷で沈めた。1人生き残った。

 賠償を払う段になってカネを惜しんだマッカーサーは無償供与だったガリオアエロア援助を有償に切り替えてそのカネで阿波丸賠償を日本政府に出させた。

 彼は自分の滞在費も含め駐留米軍の費用もすべて日本政府に出させた。あの東京裁判の費用も、キーナン検事の宿泊から遊興費まですべて日本に出させた。

 ダワーの著作を通して感じるのは、ここまであくどいマッカーサーの戦後統治を何としてでも栄光のまま存続させたいという思いが滲み出ていることだ。

「カルタゴの平和」
 ダワーは歴史学者でなく、むしろ政治屋という印象が強いが、もう一つ、彼が歴史学者でない証拠がある。

 日本大手術に当たって彼が「歴史的にも前例がない」と言ったことについて「それも嘘だ」と書いた。

 ちゃんと前例がある。紀元前3世紀、世にポエニ戦役と呼ばれるローマとカルタゴの戦いがあった。

  カルタゴのハンニバルは日本と同じに正々堂々、戦場で戦った。ローマのスキピオはその点、米国に似ていた。インディアンとの戦いでは戦場に戦士を誘い出 し、その隙に銃後の集落を襲って戦士の妻と子を殺した。日本との戦いでもそう。戦場を飛び越して銃後の広島長崎に原爆を落とし、日本軍兵士の妻子を殺し た。

 スキピオはハンニバルがローマの南ブルティに布陣している間に今のリビアにあったカルタゴを攻めた。ハンニバルは急ぎ駆けつけたが、スキピオに敗れた。

 勝ったローマはカルタゴに対し、
・膨大な賠償金の支払い
・カルタヘナなど植民地の没収
・軍の解除と軍艦の焼却
・交戦権の放棄

 を要求した。

 さらにその調印が行われるまで
・ローマ軍の略奪、強姦を放置し
・丸裸になった海の民カルタゴの交易船も燃やし、農業国化を強いた

 ローマはこの条件を呑んだカルタゴをその後もいびり続けた。

 マルクス・ポルキウス・カトーこと大カトーは演説の最後に必ず「カルタゴを滅ぼさねばならない」と語り続けたのは知られる。

  そして隣国ヌミビアが攻め込んだのに対してカルタゴが自衛の戦争を始めると交戦権放棄の違反としてローマが攻め込んで今度こそ攻め滅ぼした。王侯貴族はみ な殺しにし、住民は奴隷に叩き売り、最後は塩を撒いて草木が生えることも認めなかった。世に言う「カルタゴの平和」だ。

 蒋介石の顧問だったオーエン・ラティモアは日本の戦後処理についてこの「カルタゴの平和」を何度も口にしている。

 マッカーサーのGHQの仕事を見ると、まず日本からその統治地域・台湾、朝鮮、南洋諸島を没収し、永世中立国のスイスまで膨大な賠償金を支払わせ、戦力不保持と交戦権放棄を明記したマッカーサー憲法を呑ませた。

 カルタゴの交易船に相当する日本の工業力については鍋釜しかつくれないレベルまで落とし、農業国化することがエドウィン・ポーレーの賠償使節団によって計画された。

 第1次で昭和初期まで工業力を落とし、重工業は解体され機械類は支那朝鮮などに運び出された。

 第2次で明治時代まで落とす予定だったが、朝鮮戦争で中断された。

 しかし農業国化はそのまま進められ、NHKは今も「農業の時間」とかあほな番組を作り続けている。

 笑えるのはローマに略奪の自由を認めた項目までGHQは実施した。日本中の駅前一等地を不法占拠した在日朝鮮人支那人の跋扈がそれに当たる。

 マッカーサー統治がカルタゴのモノマネだということは日本の戦後処理を研究する者にとっては常識だが、ダワーはそれも知らないで「歴史上初めて」と書いて憚らない。

 かくも無知と偏見に満ちた『敗北を抱きしめて』はしかし世に出てすぐピューリッツァー賞を受賞し、さらに米国史に貢献した研究に出されるバンクロフト賞も取った。

 歴史書の資質も品格もないのになぜ受賞したか。

 それは彼が書いたように「日本が理由もなしに発狂し、残忍になり、アジアを血に染めたこと」にしておけば米国の残忍なフィリピン支配も東京大空襲も広島、長崎の原爆投下もすべて正当化される

 そして米国はダワーが書くマッカーサーのように「慈愛深く知的な白人キリスト教徒」でいられるからだ。それで彼に賞を出した。

 授賞理由は米国の望む「戦後史観」の総カタログ集という位置づけだ。ここに書いてあることをこれからも真実として語り継ごうというわけだ。おかげで嘘つきダワーもまた形だけは「真実を語る歴史学者」になれた。

  ただピューリッツァー賞だって万能じゃない。スターリンを褒め称え続けたニューヨークタイムズ紙のウォルター・デュランティ記者について、ウクライナ系米 市民が「彼はウクライナの大虐殺もなかったとばかり書いてきた」と訴えた。今から十余年前のことだ。「こんな嘘つきにピューリッツァー賞は似合わない」 と。

 コロンビア大のフォン・ハーゲン教授が調査し、「ウクライナの惨劇まで否定して米国に誤ったスターリン像を植え付けた。記者の道を踏み外したことは明らか。賞の撤回がふさわしい」と断じられた。
人の道を踏み外したダワーが第二のデュランティになる日もそう遠くはないと思う。
http://ironna.jp/article/873

占領を美化したジョン・ダワー氏NYTの記事はおそらくこちら
"Lessons From Japan About War's Aftermath" NYT 2002.10.27
When war ended in 1945, the United States-dominated occupation of Japan had enormous moral as well as legal legitimacy in the eyes of the rest of the world.

The exercise of this authority, moreover, was vested in an unusually charismatic supreme commander, Gen. Douglas MacArthur, who, in effect, was authorized to rule by fiat.
http://www.nytimes.com/2002/10/27/opinion/lessons-from-japan-about-war-s-aftermath.htm

大失敗男マッカーサー
捜神
がカリスマって何の冗談(爆)としか思えないわけだが
つかマジでカリスマって書いてあったわ~(´・ω・`)面の皮が厚いんやね

釈放されてGHQ本部までデモしてマッカーサーに万歳三唱した人達がいたっけ・・
徳田球一とか志賀義雄とか
日本共産党 幾多の粛清を経て、生き残る公明なる秘密結社 

「敗北を抱きしめて」などいられない
いい加減悪い夢から目を覚まそう 

参考
週刊新潮・辻元清美に目を掛けるケネディ大使

報道特集ジョンダワー「戦争の美化」
187人の歴史学者(冷笑) 

ジョン・ダワー氏が何を言ってきたのか高山正之氏が書いていた

「敗北を抱きしめて」などいられない
『歴史通』 2015年1月号

高山正之(ジャーナリスト)
  1942年生まれ。65年、東京都立大学卒業後、産経新聞社入社。社会部デスクを経て、テヘラン、ロサンゼルス各支局長を歴任。98年より3年間、産経新 聞夕刊の辛口時事コラム「異見自在」担当。著書に『「モンスター新聞」が日本を滅ぼす』(PHP研究所)、『変見自在 オバマ大統領は黒人か』(新潮 社)、『白い人が仕掛けた黒い罠』(ワック)などがある。

 敗戦から10年経った昭和31年、「もはや戦後ではない」と誰かが言い、 日本人もおしなべて頷いた。1年もすればもうみんな水に流してしまう日本人が10年も敗戦を引きずっていられるわけもない。実際、そのころ世界一高い東京 タワーが立ち上がり、テレビでは悪い白人シャープ兄弟を力道山が空手チョップでやっつけていた。のちに力道山が朝鮮人と聞いて少し残念に思ったけれど。

  いずれにせよ、日本人はそのころあの戦争とは切れたつもりになっていたのに半世紀たった今も習近平は南京大虐殺がどうの、朴槿惠は慰安婦がこうの、駐日米 大使まで靖國神社は建設的でないのと、まるでまだ終戦直後みたいな発言が繰り返される。先の戦争の日本を描いてピューリッツァー賞を取ったジョン・ダワー の著作になぞらえれば、日本は今も「敗北を抱かされたまま」に見える。おまけに支那人や朝鮮人の言う対日発言の貧しい文脈がまたダワーの著作に依拠してい る。今や日本を敗戦に縛りつける支柱となったダワー理論とは何か。戦後70年の節目に彼の意図を検証する必要がある。

「発狂した日本」
 マサチューセッツ工科大教授、日本史研究家の肩書を持つダワーは、その昔、金沢辺りで英語教師をやったりしていた。

 白人であることしか取り柄のないアメリカ人の定番コースを歩み、秘かに森鴎外を研究したというが、彼の著作にはそうした知性は感じられない。早い話、彼の近代日本史観は次の数行ですべて言い尽くしている。

日本が近代国家として興隆していった姿は目撃者を驚かせるものだった。それは誰が予測したよりも急速で、果敢で、順調であり、しかも最後には誰も予想しなかったような狂気に駆られ、残忍となり、自ら破滅していったのである
(『敗北を抱きしめて』の序)

 日本が急ぎ近代化する姿はエドワード・モースとかキプリングとか多くの白人目撃者が語っている。いずれも温和で礼儀正しく、その死生観に感動する者もいた。
黄禍論

 そんな日本がある日突然、発狂した。まるで「八つ墓村」の多治見要蔵のように斧を振り回し、そろって残忍になり「アジア各地で殺戮を重ねて」自滅したという。

  突拍子もない話だ。本当にそうなら集団発狂した理由を是非とも知りたい。しかしダワーの『人種偏見』は発狂最中の日本を描いている。『敗北を抱きしめて』 では発狂の果て、自滅したあとの戦後から書き出している。この信じられない「国家発狂」の理由を彼はどこにも書いていない。

 わずかに『敗北を……』の中で発狂の原因として「日本は一等国になることばかりを考え、それが拒絶されたから西側に戦争を吹きかけた」(同書)というのだ。

 一等国とは白人キリスト教国家のことを指すようだが、日本人はそれほど白人にもキリスト教にも憧れてはいなかった。

  どころか、むしろ軽蔑していたことを歴史は示している。16世紀、日本は初めてキリスト教を知るが、すぐ胡散臭さを感じた。秀吉はコエリヨら宣教師がよさ そうな福音を説きながら日本人女を奴隷に売っているのを知って、売った女たちを連れ戻せ、さもなければ布教をやめろと迫った。世にバテレン追放令として知 られる。

 ローマを訪ねた少年使節団は、異国で裸にされ、売られる日本人女性の話を綴っている。だから家康も布教を禁じた。

 切支丹禁令は明治政府にも引き継がれ、五榜(ごぼう)の高札に明記された。明治6年、これに米政府が邪宗扱い廃止を迫ったが、結局、明治憲法発布まで邪宗門の禁令は残った。

 「白人」も日本人は嫌った。長崎の出島のオランダ人が黒人奴隷を酷使するのを見た日本人は「心から白人を嫌悪した」とスウェーデン人植物学者ツュンベリーが記録している。

 江戸に参府する出島のオランダ人を詠んだ戯れ句がある。

   登城する紅毛に蠅のついてきて
  
 風呂に入らない不潔な彼らに日本人が辟易していたことをよく示している。

「戦時の嘘」とまったく同じ
 19世紀初め、オランダと戦争中の英国の船フェートン号が長崎に来て暴れて行った。日本は英国人の危険さを察知し、対処するためにすぐ英国研究を始めた。日本初の英語辞書「諳厄利亜語林大成」はフェートン号事件の6年後の1814年に作られた。

 当然、日本は阿片戦争の末も知っている。英国はそれを「貿易戦争」と呼ばせるが、日本人は明治このかたずっと阿片戦争と呼んできた。

 長州藩は英仏と馬関で戦った。このとき軍艦がなかった米国は商船に小口径の砲をくくりつけて参加し、他国と同じに巨額の賠償金を取った。そういう狡く、さもしい白人国家の性格も知っていた。

 白人たちの品格は、国を開いてからも例えばハワイ王国乗っ取りとか三国干渉とかでよく知っている。

 日露戦争では大勝しながら賠償金ゼロという差別も受けた。そんな連中のクラブに入れないから日本は発狂したとダワーは言う。非白人の劣等民族ならきっとこう思った、それで発狂したに違いないと。

 歴史家の思索というより「日本女の髪を掴み股間に押し付ければイチコロさ」という白人ナンパ師ジュリアン・ブランクの発想に近い。

 彼は「日本人は残忍になった」という。なぜ日本人の性格がそろって残忍になったのかの病理解明もしていないが、いかに残忍だったかは『人種偏見』にやまと書いている。

  いわく「日本が敵国に撒き散らしたのは死と憎悪の種だった。例えば日本の新聞が大きく報じた、どちらが先に日本刀で百五十人の支那人を叩き斬るかを賭けた 二人の将校の腕比べだ」「マレーでは拷問した英国人の口に切り取った性器を咥えさせたとか、宣教師を水責めにしたとか。一体日本軍の残虐行為の犠牲になっ たものがどのくらいか、わからない」。

 のっけは毎日新聞の浅海一男が書いた「百人斬り」の嘘だ。ダワーがきちんと取材していれば戦後の浅海一男の消息も知ることができただろう。彼は支那に招かれ、廖承志(りょうしょうし)に一家を面倒見るから北京に来いと誘われる。文化大革命の少し前のことだ。

 廖は娘真理を北京大に入れて、今は北京市内に店1軒を与えている。その間、浅海は「日本軍は残虐だった」「向井、野田両少尉の百人斬り競争は事実だ」と北京政府のための発言を続けた。

 一方の毎日新聞社は『昭和史全記録』の中で「百人斬りは事実無根」と否定している。ダワーは両者とも取材できたはずだが、それもしていない。

 マレーでの英国人の話は知らない。だいたい日本軍はコタバルに上陸してシンガポールまで55日間の戦闘を続けたが、この間に戦ったのはインド兵とグルカ兵だった。

 日本軍は彼らを蹴散らしてジョホール水道に迫る。英軍はそれでも自分は戦わず、インドから第12インド人旅団を送らせた。

 彼らはスリムの丘に布陣し、その支援に初めて白人部隊がシンガポールから派遣されたが、着いたころにはもうインド旅団は粉砕されていた。白人たちは逃げ帰った。

 つまり日本軍はマレーでは英人に遭遇もしなかった。ダワーはそんな戦争経緯も調べていない。

 それに性器を切り取って口に咥えさせるのは支那人の十八番(おはこ)だ。本当の歴史学者ならそれくらいの知識は持っているだろうに。つまりこれも嘘だ。
アメリカ軍によるフィリピン人水責め

 「日本軍は水責めをした」とダワーは言う。彼の言う水責めは魔女狩りの審問から生まれた拷問だ。米軍がフィリピンを植民地にする戦いで抵抗するフィリピン人にそれをやった。

 米上院公聴会の記録では板に大の字に縛りつけ、5ガロンの海水や汚水をじょうごで呑ませる。自白しないと「膨れた腹の上に巨漢の米兵が飛び降り、土人は口から六フィートも水を噴き上げて死んだ」とある。

 日本人にそんな拷問方法の知識もそれを実行するほどの野蛮さも持ち合わせない。

  ダワーはさらに「非戦闘員の大規模な虐殺は南京が契機だった」という。「南京陥落以降、六週間にわたって処刑強姦、男女を問わない無差別殺人を繰り広 げ……その死者数は二十万と見られる」「日本兵が赤ん坊を投げあげ、落ちてくるところを銃剣で刺した」「この銃剣はシンガポールでは医師、看護婦、入院患 者に向けられた」と続く。

 のっけはお馴染みの南京大虐殺だ。彼の言が正しいとすれば日本軍は42日間、毎日休みなく5000人ずつ処刑したことになる。仮に10人一度に銃殺して、その遺体を運びだし……を1日に500回繰り返さねばならない。

 それを42日間、休みなく続けたという。師団規模の人員でも大忙しだろうが、南京の留守部隊は輜重兵(しちょうへい)など2、300人もいなかった。

 何より20万の死体はどこにあるのか。北京原人の骨だって出た。春秋時代の越王勾践の銅剣も湖北省で発掘されてニュースになった。しかし南京からは一体の遺骨も出ていないではないか。

 それに「大虐殺があった」というのはマギーやベイツやフィッチらすべて米人宣教師だ。それを報じたのもニューヨークタイムズにシカゴトリビューン。日本を敵視する米国の連中ばかりだ。

 彼らが「死屍累々の南京大路」と報じた同じ日付の日に日本軍が入城する写真があるが、そのどこにも死体は写っていない。それをダワーはどう説明するのか。

  それに続く「日本軍の赤ん坊殺し」と「病院での狼藉」は注目すべきだ。実は第一次大戦さなか、英米紙がドイツ軍の残虐行為として報じた中に「ドイツ兵は赤 ん坊を放り上げて……」とか「病院を襲って看護婦を犯し、医師や入院患者を殺した」というくだりがある。そっくり同じ。

 米国はそれを口実に参戦した。大戦後、ドイツの批判材料として検証が行われた。その結果がアーサー・ポンソンビーの「戦時の嘘」にまとめられたが、すべてでっち上げの嘘だった。

 それと寸分違わない話が出て来たら、まともな歴史学者だったら検証するだろう。

 しかしダワーは検証もせずにこう続ける。

 「実際に起きた一連の日本軍によるショッキングな事件はほとんど疑う余地はない。第一次大戦中に反ドイツ感情をあおるために流布された残虐行為の噂を想起した懐疑派でさえ、日本軍の残虐行為についてなされた戦時中の報道は事実通りと認めている」

 誰が何を根拠に事実だとしたかを彼はここでも示していない。それで日本軍に関しての今度の「戦時の嘘」は「本当だ」という。

 かくて「日本はあるとき突然発狂し、残忍になった」ことの証明はできたとして『敗戦を抱きしめて』は書き出される。

転んだ朝日新聞
  彼は終戦直後の日本に立つ。彼は自分の祖父の代までインディアンを無慈悲に殺しまくり、奴隷を酷使し、黒人女を慰み物にしてきたことも、歯の悪いジョー ジ・ワシントンが健康な黒人奴隷の歯を抜いて入れ歯をつくってきたこともきれいに忘れ、慈悲の心をもち、民主主義の何かを弁える知的な白人キリスト教徒に なりきって日本人を観察する。

 そこでまず「日本人は特別だ、ユニークだと言われるが、それは嘘だ」と断じる。

 例えば3・11のおりに世界は略奪もない、助け合う日本人に感動した。

 シアトルでWTO総会があったとき、デモった米国人は警備が手薄と見るとすぐ街中で略奪に走った。バグダードを攻略した米兵は博物館を荒らしシュメールの文化財を盗んだ。英軍が逃げた九龍は略奪する支那人で溢れ返った。

 そんな略奪行為が日本にはなかった。ないどころか阪神淡路大震災ではヤクザが炊き出しをしたとロサンゼルスタイムズ紙のサム・ジェムスンが書いている。

 それでもダワーは「日本人にユニークさはない」と断じ、その中に昭和天皇も入れる。「敗戦の詔勅は自分の戦争責任を免れるためだった。『五内為(ごないため)に裂く』と叫んで、国民の同情を買ったのは成功だった」と書く。

 米国の植民地戦争時代、仏軍に捕まったジョージ・ワシントンは仏軍捕虜を殺した罪を部下に擦りつけて生き延びた。そのレベルでしか人の行動を測れないダワーの下品さにちょっとたじろがされる。

 彼は天皇を軽んじた上で日本人も見下す。『敗北を……』では日本側が接待用に設けたRAA慰安婦施設の話や性病対策にペニシリンが持ち込まれた話やらを特筆する。

 「除隊した兵士が手ぶらで郷里に帰ったと責められた」と皇軍の落ちぶれた様も描かれる。どこが高潔でユニークだと。

 台湾の蔡焜燦(さいこんさん)『日本精神』に朝鮮人が軍の管理品を盗み出す描写がある。さもありなんとは思ったが、それを日本人の除隊兵がやった、そういう盗品を期待する郷里の家族がいたなどという話はあの時代を生きた者としてはっきり嘘だと言い切れる。

 彼は敗戦の日、皇居前に額ずいた「そんなに多くはいなかった」人たちを論ずる。電車も満足に通わない焼け野原の東京で、確かにメーデーほどの人波はなかった。

 それがどうしたと思うが、彼はこう続ける。「彼らがそこで流した涙は日本や天皇を想ってではない。不幸と死。騙されたという思いだった」「それは軍国主義者を憎み、戦争を嫌悪し、破壊された国土に呆然とたたずむ民衆の姿なのだ」とまた勝手に決めつける。

 さあ哀れな民をどう救うか。これは尋常な手段では民主化は望めない。「病気の木を直すには根も枝も切り落とさねばならない」つまり日本人を枯死させる大手術が必要になる。

 「戦争の勝者がそんな大胆な企てに乗りだすことは法的にも歴史的にも前例がなかった」が、マッカーサーは日本改造に乗りだしていく。

 この文言には明らかな嘘があるが、まず彼の「大胆な企て」を追う。

 彼はまずそれを言論の自由の封殺、検閲から始めた。民主主義がなぜ民主主義と一番遠い方法で行われたか、ダワーの説明はない。

 最初の標的は朝日新聞だった。今では信じられないが、この新聞は当時、進駐軍の目に余る略奪や強姦を厳しく非難し、さらに原爆の非人道性を告発する一文(昭和20年9月15日)を鳩山一郎に書かせた。

 GHQがバターン死の行進とか、無辜の民を焼き殺したとか、「赤ん坊を放り上げて銃剣で刺した」とか、フィリピンでの日本軍の残虐行為を新聞に書かせたときは「かかる暴虐は信じられぬ」「求めたい日本軍の釈明」(9月19日)とGHQにきちんとした検証を求めている。

 マッカーサーはすぐ朝日を発禁にし、GHQの批判も米兵や朝鮮人の犯罪報道も禁じるプレスコードを出した。

 朝日はこれを受けてすぐ転んだ。

 検閲は手紙や電話まで広げられた。北朝鮮だってそこまでやるかというGHQの横暴をダワーは積極的に評価し、逆に「検閲で言論を封じた日本の軍事政権」の暗黒から日本人を救ったと強調する。

 確かに戦前、検閲はあった。支那事変が続く中、軍の行動が分かる表記は墨が入った。当たり前だ。

 石川達三の『蒼氓(そうぼう)』にも筆が入ったが、その気になれば消された部分は「乙種合格」とか理解はできた。

 しかしGHQのそれは検閲の跡も残さなかった。だれも検閲されていることを知らなかった。

 彼らは情報を完全に絶ったうえで日本人に勝手な情報をインプットした。その道具にされたのが「転んだ朝日新聞」だった。

 朝日はGHQが望むまま、そしてダワーが書いたように「国民は軍事独裁主義者の犠牲にされ、無謀な戦争に投入された」という日本の中の対立構造を描き続けた。

  同時にGHQは「悪い日本」に対する「民主主義でいい国の米国」を朝日に書かせた。発禁を受けた2カ月後の11月11日付紙面には「京都、奈良、無傷の 裏」と題して京都や奈良が空襲の標的から外され「人類の宝」が守られたのは「ハーバード大のラングドン・ウォーナーの献身的な努力があった」という記事が 載った。

 ウォーナーのリストに載った文化財はおかげで守られたと。

 真っ赤な嘘だ。京都は原爆投下候補地の筆頭で、原 爆の正確な被害を測るため、通常爆弾による空襲を禁じてきた。米公文書には投下地点は京都駅近くの梅小路操車場で、その上空500メートルで原爆は炸裂す る予定だった。それで京都市民50万が死に、八坂神社も二条城も西山の金閣寺も消滅していたはずだった。

 広島、長崎に先に投下したのは、さすがに一瞬で古都を燃やし尽くし、50万も殺すのに躊躇(ためら)いがあったと想像できる。それが黄色い劣等人種だとしてでも、だ。

 そんな恥ずべき大虐殺計画を美談に変える。しかも根拠のウォーナーリストには明治神宮も名古屋城も、原爆で消滅させた広島の太田城も入っている。みな爆撃で燃やした。

 もっとましな嘘をつけと思うが、それでも日本人はころっと騙され、奈良には今もウォーナーに感謝する顕彰碑まで立った。徹底した検閲と忠臣、朝日新聞のおかげだ。
http://ironna.jp/article/873

長いので続く
「敗北を抱きしめて」などいられない②

【wiki】ラングドン・ウォーナー
ラングドン・ウォーナー(Langdon Warner、1881年8月1日 - 1955年6月9日)は、アメリカの美術史家。ランドン・ウォーナーとも表記される。太平洋戦争中に日本の文化財を空襲の対象から外すよう進言した人物とされるが異論も多い。

略歴
マ サチューセッツ州エセックス生まれ。1903年ハーバード大学卒業。卒業後日本を訪れる。帰国後東洋美術史を講義、ハーバード大学付属フォッグ美術館東洋 部長を務めるなど、東洋美術の研究をした。1946年、米軍司令部の古美術管理の顧問として来日。朝河貫一とは親交が深く、数々の書簡を交わしたりウォー ナーの著書に朝河が序文を寄せたりした。
ウォーナーリスト
太平洋戦争時、日 本の多くの都市・地域に空爆があったが、京都は爆撃されなかった。この事実の理由として、ウォーナーが、空爆すべきでない地名のリスト(ウォーナーリス ト)を作成して米政府に進言したから、という説がある。ウォーナーと親交があった美術研究家の矢代幸雄が、1945年11月の朝日新聞に談話を発表したことから広まり、以来広く一般に知れ渡っている。ウォーナーの知己である牧野伸顕の『回顧録』、近藤啓太郎の『日本画誕生』や岡倉覚三著村岡博訳の『茶の本』の解説(福原麟太郎)などにも、その旨の記述がある。
京 都を救ったのはウォーナーであるという話に基づいて、1958年6月、法隆寺西円堂の近くに、供養塔、顕彰碑 ウォーナー塔(Warner Monument)が建立された。また、鎌倉にも同趣旨のプレートがある。さらに、ウォーナーへの感謝の胸像が作られ、米国の大学へ寄贈されたこともあ る。
「朝日新聞に談話を発表したことから広まり」

(´・ω・`)朝日が書いたならほぼデマ確定だろうな


参考
戦後占領政策に追従した売国的言論人たち 
米占領軍の日本洗脳工作「WGIP」文書、ついに発掘
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