2015年7月23日木曜日

反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。

日本の対米「自発的従属」構造の成立過程を京大教授が解説

2014年07月29日 07時00分
提供:NEWSポストセブン

  経済大国としての発展を遂げた日本は一見、戦後の対米従属から脱却したかのように見える。しかし現在、TPP、規制緩和などの度重なる米国の要求を拒否で きずにいる日本の姿勢を見れば、いまだ「洗脳」は解けていないのではないか。京都大学教授の佐伯啓思氏が現在の洗脳構造をひも解く。

 * * *

  終戦から約70年、占領政策が終わって日本が「主権の回復」を謳ったサンフランシスコ講和条約から62年が過ぎた。それらから半世紀以上経ち、戦争を体験 した世代も大半が鬼籍に入ってしまった。米国を中心とするGHQの占領政策の意図は、日本を徹底して非軍国化し、民主的な近代国家へと作り変える点にあ り、米国によるこの「洗脳」は見事に成功した。

 それまでの帝国憲法下の日本は軍国主義として否定され、一億総懺悔と共に「天皇陛下万 歳」は一夜で戦後民主主義礼賛へと変わった。占領下の日本ではマッカーサーを賛美する声があがり、彼は日本国民の英雄になってしまった。以降、「主権の回 復」後も日本の米国への隷属は続いた。

 この隷属は目に見えた強圧的なものではなく、世論に働きかけ巧みに誘導するものだった。「マッカーサー万歳」同様、あたかも催眠術にかかったかのように日本側から米国へと自発的に隷従する構造ができあがってしまった。

 米国の典型的な誘導の文句は次のふたつである。ひとつは、「○○することは日本の利益になる」。もうひとつは、「日本はまだ遅れている。いま世界のスタンダードはこうなっている」と いった言い方である。すると日本のマスコミ、学者、ジャーナリズムの多くがその誘導に飛びつく。その一方では「米国は、その指摘に応じなければ日米関係が 悪化すると言っている」と「外圧」があることを仄めかして、政策を有利に進めようとする政府関係者や官僚まで出てくる。

 米国が自国の国益を目指して日本に圧力をかけるのは当然ともいえよう。しかし、日 本のメディアやジャーナリスト、時には政治家までもがそれを「正義」であり、「日本の国益」であり、「グローバル・スタンダード」であると主張する。これ は、単なる浅慮なのか、意図的な背信なのか、隠れた自己利益なのか、いずれにせよ、見苦しいだけではなく、それこそ時には「国益」を大きく損なう。その結果、グローバルなコスト競争に身を投じられた日本はデフレに陥り、今も脱却できずにいる。

 もちろん、場合によれば米国からの要望が日本の国益にも適うことはあるだろう。それらは何よりまず、日本の状況や事情に即して「われわれ」が定義すべきものであって、他国からいわれることではない。しかも、今日のようなパワーポリティックス(軍事力や経済力を背景に展開する権力政治)が支配的となった国際関係にあっては、これらの言葉も、往々にして自国の権益を追求し、他国に圧力をかける口実になるのである。

  日米関係は、占領政策以来、政治的にも軍事的にも、そして何よりも精神的に決して対等ではない。かつて江藤淳が述べていたように、米国からは、日本国内の 状況があたかもガラス張りであるかのように眺められる。しかし、日本人はそれを知らずに自分たちで自由に論議し、決定しているかのように思わされている。

 そうしてリモートコントロールにかかったように、日本国内の世論や議論が自発的に米国の要望に誘導されてゆくのである。かくて「自発的従属」という構造ができあがってしまった。

  そのような「自発的に誘導されていく様子」は近年、いっそう著しい。1990年代の構造改革では、もともと対日赤字の解消と経済再建を目指していた米国の 要請(日米構造協議)は、「日本の経済構造は遅れている」、「世界標準になっていない」、「自由な市場競争という正義に適っていない」、さらには「構造改 革は日本の消費者のためになる」という文句を並べ要求を迫るものだった。

 やがてその要求は日本の大新聞の主張となり、経済学者やジャーナリストも支持した。そして彼らは「日本の経済構造はいまだに『戦時体制(40年体制)』である」と主張するようになった。 

  またTPP論議が始まったころ、「日本の開国」を求める論調が中心になった。そこには「閉鎖的で後進的な日本」を市場開放し、自国企業の参入をはかる米国 の意図が背景にあった。日本のジャーナリズムは先導して「平成の開国」を唱え、「日経」や「読売」は当然として、「朝日」を含めた5大新聞はこぞって TPPに賛同した。各紙とも「アジアの活力を取り込め」、「自由貿易の流れに乗り遅れるな」と訴えたのである。

※SAPIO2014年8月号
http://news.ameba.jp/20140729-60/


記事の概要はこうなのだが自分が一番引用したかった部分に触れてないので元記事から



p107
米国の正義に従属する日本のジャーナリズム
 1990年代から2000年代にかけての規制緩和は、およそ米国の日本に対する要望(日米構造協議の流れを汲む「年次改革要望書」)に従ったものである。これは一応、2009年に廃止されたが、米国からの要求は形を変えて今も続いている。
 たとえば在日米国商工会議所(ACC)は 日本への「政策提案」を行っている。ACCは、医薬品や医療機器の診療報酬改定を日本政府に提案した。また、ACCはJAグループの組織改革も強く要請し ている。これはいうまでもなく、JAバンクが保有する資金の流動化を意図し、国産農作物のアクセスを容易にしようとするものである。これは郵政民営化と同 様の構図である。米国側は、それらを「自由競争の原則」や「公正な市場経済」といった「正義」の衣をかぶせて唱える。そして日本の経済関係のジャーナリス トや学者、そしてメディアもこの「正義」に誘導され、支持することで米国に従属しているのだ。
 また、ACCはグローバル人材育成に向けた新卒者採用の改革を唱えるとともに労働市場の柔軟化を求めている。さらに昨年6月には安倍首相に対して外国人家政婦の規制緩和を求めた。それらACCの提案は米国政府の公式の要請ではないものの、当然政府の意向を反映していると思われる。しかし、一介の団体が他国の行政に対して直接、提案・要望すること自体、かなり妙なことである。


在日米国商工会議所(ACCJ)が外国人家政婦の規制緩和を求めた
吉松育美さん騒動7 移民・亡国への道 
ACCJパソナキャシー松井ツイッター用
 
自覚がないからこその「洗脳」と自分は書いたが
アメリカの悪意が動かす女性達
 吉松塩村ろくでなし子外国特派員協会会見
単なる浅慮なのか、意図的な背信なのか、隠れた自己利益なのか、いずれにせよ、見苦しいだけではなく、それこそ時には「国益」を大きく損なう

大事なことなので二度書きました

週刊新潮2014.9.18号
p30
原発「吉田調書」誤報の影に「菅直人」元総理の昵懇記者

 朝日は、従軍慰安婦の”吉田証言”だけでなく、”吉田調書”の大誤報でも窮地に立たされている。しかも、その記事の陰には原発ゼロでスタンスを同じくする「菅直人」元総理の昵懇記者の存在があった。やはり、朝日は報道機関ではなく、プロパガンダ機関ではないのか。

 自らの主張を押し通すためには、史実を捻じ曲げることさえ厭わない。そんな朝日の企業体質は、原発事故報道でも遺憾なく発揮されている。
  朝日は5月20日、1面トップで<政府事故調の「吉田調書」入手><所長命令に違反、原発撤退>などと大々的に報じた。しかし、その後、”吉田調書”を同 様に入手した産経、読売新聞などの各メディアによって、記事内容に疑いの目が向けられるようになったのはご存じの通りだ。
「そもそも、”吉田調書”は、菅直人元総理からリークされたのではないかと、社内ではもっぱらの噂になっています」
 と話すのは、朝日の中堅幹部である。
「というのも、その記事には、菅さんとベッタリの記者がかかわっていたからです。現在は、福島原発事故をテーマにした『プロメテウスの罠』という連載を担当する特別報道部の幹部を務めている。もともとは政治部の記者で、菅さんとは家族ぐるみの付き合いだそうです。現に、菅さんが総理だったとき、電話一本で話せる間柄であることを自慢するような記事を書いていました」
 さらに、菅リーク説の疑いをより深めるのが朝日の記事が菅元総理を援護射撃する内容だったことである。

”おっさん”
 他社の政治部記者によると、
「菅元総理は、福島第一原発からの東電の全面撤退を阻止したと声高に主張していました。ただ、総理退任後、いくら”東電悪玉論”を唱えたところで、事故対応がお粗末だったから、反原発デモに参加しても”帰れ、帰れ”の大ブーイングに晒された。ですが、朝日の記事によって菅元総理の”成果”があらためて見直されることになったのです」
 挙げ句、菅元総理は自分の選挙区で、”原発事故について語ります”と題し、講演会まで開いている。
「し かし、”吉田調書”を読むと、吉田昌郎元所長は”撤退”を否定しているだけでなく、菅元総理を”おっさん”呼ばわりして、現場の混乱を招いた張本人だと槍 玉に挙げていた。当然、”吉田調書”に基づく記事なら、産経や読売のように菅批判にも言及せざるを得ないのに、朝日はそれがゼロなのです」(同)
 要するに、”吉田調書”を曲解し、菅元総理を擁護したということなのか。
 菅元総理に聞くと、
「取材は無理」
 と言うのみ。
 政治評論家の屋山太郎氏がこう指摘する。
「朝日はもはやジャーナリズムを標榜できる組織ではなく、単なるプロパガンダ集団。自分たちの思想に誤りがあるとみとめられないのであれば、新聞を名乗る資格はありません」
 朝日のおごり、ここに極まれり。

18吉田調書菅直人30


件の記事を書いた記者は誰かというと
福山哲郎公式サイト『原発撤退、朝日新聞のスクープ』2014.5.20
20吉田調書木村英昭
http://www.fukuyama.gr.jp/diary/2014/05/20/10491/ (魚拓は下記)

「東電側は全面撤退ではなく、一部退避だと主張していましたが、それが命令違反の結果だったとは・・・。」

「「撤退要請」をあとになってから「一部退避であり撤退は考えていなかった」と強弁し続けた東電の相変わらずの隠蔽体質の問題です。」

結局東電が正しかったわけだが
(´・ω・`)陳さん東電のみに罪を負わせる気満々だな


木村英昭記者
朝日木村英昭早稲田石橋湛山賞http://www.waseda.jp/jp/news13/131114_wja.html
検索するとあちこちでの反原発集会や講演会に出て嘘ばらまきまくってるようです

さて、菅直人元首相が東電の撤退を止めたと言ってるのは本当なのだろうか?

【視線】
菅元首相の証言は信用に足るか 政治部編集委員・阿比留瑠比

 当事者の証言とは、どこまで信用するに足るものなのか。嘘やごまかしは論外としても、願望や思い込みによる意図せぬ事実とのズレも決して少なくない-。

 人から話を聞き、それを記事にまとめる記者職に就いて四半世紀近い。だが、馬齢を重ねるばかりで、一見簡単な作業に思える「事実を伝える」ことの困難さに時折、立ちすくみそうになる。

 政治家や官僚に対する日常的な取材の場では、相手の言うことを当然、全部信じているわけではない。インタビューや記者会見で彼らが本音を話すわけもなく、こっちも初めから割り引いて聞いている。

 ただ難しいのは、過去の大きな事件や事故、歴史問題の限られた当事者の証言が食い違い、あるいは、到底信じ難い内容を含む際にどう取り扱うかである。

 芥川龍之介が傾倒したフランスのノーベル文学賞作家、アナトール・フランスは歴史についてこう言い切っている。

 「歴史家がある証人を信用したり、他の証人を信用しなかったりするのは、感情上の諸理由にすぎないということである。歴史は科学ではない。芸術である」

 筆者は歴史家でも芸術家でもないが、戦後半世紀の平成7年に戦没者遺族取材班の一員として、延べ100人近い遺族に取材した際にあることを痛感した。

 それは、人は自分自身の体験を語る場合でも記憶は曖昧で、他の人の言葉や証言との混同は珍しくないということである。さらに、記憶はときに美化されていたり、全くなかったことを覚えていたりすることもあるということだった。

 戦後半世紀もたっての取材だったので、無理もないとも言える。とはいえ、そのどの部分までを確からしい事実として記事化するかに頭を悩ませたのも本当だ。

 そして、人の記憶はそんなに昔のことではなくても容易に薄れうつろい、それに連れて証言も変わっていく。その端的な実例を最近、目にした。

 政府は9月11日、東電福島第1原発事故をめぐる政府の事故調査・検証委員会による19人分の調書記録書を公開した。その中の菅直人元首相の調書を読んでのことだ。

 菅氏は平成24年4月3日の政府事故調による聴取に、東電が一時、第1原発からの「全面撤退」を検討していたと決めつけてこう証言している。

 「(23年3月15日未明に)私は清水正孝社長を呼んだ。清水社長は私が(全面撤退はダメだと)言ったときに『そんなことは言っていませんよ』なんて反論は一切なかった。やはり(全面撤退を)思っていたんだなと思う」

 一国の元首相の発言であり、本来ならば重く受けとめたいところだが、その約1年前には何と述べていたか。同年4月18日の参院予算委員会ではこう答弁している。

 「社長は『いやいや、別に撤退という意味ではないんだ』ということを言った」

 より菅氏の記憶が鮮明であるはずの1年前の答弁では、「反論は一切なかった」どころか清水氏が全面撤退を否定した部分にちゃんと言及しているのである。菅氏は同じ場面について後にこうも答弁している。

 「『引き揚げられてもらっては困るんじゃないか』と言ったら、『いやいや、そういうことではありません』と言って」(同年4月25日の同委)

 「『どうなんだ』と言ったら『いやいや、そういうつもりはないけれども』という話だった」(5月2日の同委)

 菅氏の発言を追うと、清水氏の全面撤退否定の言葉が日に日に弱まり、ついには反論は一切なかったことにされていったのが分かる。当事者の証言だからと、とても信用できたものではない。(あびる るい)
msn産経ニュース2014.9.29
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140929/plc14092911070008-n1.htm

時系列にすると・・
2011.4.18「社長は『いやいや、別に撤退という意味ではないんだ』ということを言った」(参・予算委)

2011.4.25「『引き揚げられてもらっては困るんじゃないか』と言ったら、『いやいや、そういうことではありません』と言って」(参・予算委)

2011.5.2「『どうなんだ』と言ったら『いやいや、そういうつもりはないけれども』という話だった」(参・予算委)

2012.4.3「(23年3月15日未明に)私は清水正孝社長を呼んだ。清水社長は私が(全面撤退はダメだと)言ったときに『そんなことは言っていませんよ』なんて反論は一切なかった。やはり(全面撤退を)思っていたんだなと思う」(政府事故調)

(´・ω・`)信用できるか!

追記2014.11.1
【菅直人氏インタビュー(上)】 東電は全面的に撤退するという話だった2012.6.12
菅直人インタビュー竹内啓二
http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/special/2012061100007.html

追記2014.10.4

【youtube】【日いづる国より】高山正之、朝日新聞が昔から自作自演していた話[桜H26/10/3] 
15:21~
高山正之氏「朝日があの記事を抜いたグループっていうのは、鮫島浩っていうのをデスクにする特報部っていうのがあるんですけどその下に木村英昭っていう経済部から来た記者がついてるんですね。この鮫島っていうのが菅直人とツーカーの仲で、あの国会の質問書なんかも鮫島が書いてるく らいなんですよ。そのくらいね、もう腰巾着っていうかね、ま、私個人的に言うと見てると菅直人って爬虫類みたいな感じがしてあんまり好きじゃないんですけ ど、あんな人の質問書書いて喜んでる人の趣味がよう分からんな、ってそれはともかく、非常に菅直人に近いグループがあって、そこがあの吉田調書を抜いた。 出ないはずの吉田調書が出た。で、しかも中を読んでみると木村英昭って記者が書いてるのはね、『プロメテウスの罠』って連載続いてますけど、あの時菅直人 は極めて冷静だった、東電が撤退するというのを止めたんだ、という話になってんですよ。木村英昭って記者の全くの嘘。激怒して暴れ回って、福島の対応をあ んな遅らせてしまった首相を庇いに庇って、なおかつ東電が撤退したみたいな既成事実を作り上げて朝日新聞で連載して、時の新聞協会長、秋山耿太郎、朝日新 聞の会長ですよ。それが新聞協会賞出してる。去年・・おととしか。自作自演で自分達で嘘を作ってそれを自分達で誉め合ってね新聞食い物にしてる。新聞協会 なんて本来は新聞社同志の親睦団体ですよ。こういう新聞協会舞台にしてこんなインチキ書いて協会賞まで持ってくって・・・ほんと許せないね。」

という訳で新潮の記事の指す昵懇記者は鮫島浩氏、ということかな・・?

asahi.com『朝日新聞社が協会賞受賞 「手抜き除染」報道で 新聞大会』2013.10.17
17http://www.asahi.com/shimen/articles/SEB201310160060.html


参考

【youtube】【東京電力】平成20年度 原子力総合防災訓練【福島第一】  
この動画を見て茫然としましたよワタクシは
ここまで想定内だったとは

政府事故調報告書
http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/hearing_koukai/hearing_list.html

吉田昌郎所長上申書
http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/20140523_jyoshinsyo/jyoshinsyo.pdf

http://www.peeep.us/ee5ae921
http://www.peeep.us/d95fe282

朝日新聞吉田調書記事
http://www.peeep.us/78483669
http://www.peeep.us/fb079c68 

北朝鮮拉致問題と背乗り(ハイノリ) 第3回
公安警察vs.北朝鮮工作員「ナミが出た!」竹内明(TBS『Nスタ』キャスター)

「日本への潜入は簡単だった」
拉致問題の教訓として、もう一度考えるべきは、インテリジェンスとカウンターインテリジェンス(防諜)の体制強化だ。なぜなら、拉致は北朝鮮の一部組織による犯罪ではなく、国家ぐるみの諜報活動の一環でおこなわれたからだ。

前出の北朝鮮対外連絡部に所属した元工作員は語る。
「拉 致の目的は、連れてきた日本人に工作員教育をして、再び日本に送り返すためでした。もし工作員に適していなければ、対日工作員に日本語を教える教師や日本 語の資料整理などに従事させました。拉致した日本人たちの身分は、北朝鮮工作員が日本に浸透するときに使う計画だったはずです」

身分の利用。これは「背乗り」と呼ばれる手口だ。背乗りとは、北朝鮮とロシアSVR(対外諜報庁)が得意とする工作手法で、諜報対象国に潜入したスパイが身寄りのない人物になりすまし、市民生活を送りながらスパイ活動を行うことだ。

北 朝鮮の工作員たちは、工作母船で日本海沿岸部や九州南部沿岸に接近、沖合で陸上の補助工作員と連絡を取り合い、半潜水艇、偽装小型漁船、水中スクーターな どで上陸した。元工作員によると、太陰暦の月末と月始め、つまり新月の夜前後に暗闇にまぎれて、「潜入」・「脱出」は行なわれていたという。

「共 和国を出るときに、おおよその脱出の日を決めていた。10月に脱出する予定だったとしたら、前の月の夜、現場を下見して場所を決め、脱出する仲間と集まっ てリハーサルをする。現地の警戒態勢、目印になるポイント、軍事施設の動向を確認して暗号通信で報告する。本国は詳細な『接線』(合流)の場所・時間を指 示してくる。当日はモールスで連絡を取り合った」

日本への潜入の難易度は低かったと、この元工作員は話す。

「韓国への潜入は警戒が厳しく、命がけだった。しかし日本は在日朝鮮人の手助けもあるから簡単だった

当時を知る在日朝鮮人の一人は、「工作員たちは『新潟に煙草を買いに来た』と言って気楽に出入りしていた」と、日本の無警戒ぶりを指摘する。

こうして潜入した工作員と本国との連絡手段は古典的なものだった。

「本 国からはラジオ電波で暗号が飛んできた。読み上げられた5ケタの数字はメモすることを禁じられ、頭の中に叩き込んで、乱数表で言葉に変換し、解読した。こ の数字は女性のアナウンサーが読み上げるのだが、1と7を聞き間違えることが多く、より確実なモールスのほうが、私は好きだった」

南派さ れ、ソウルで工作活動に従事した経験を持つ元工作員はこう語り、「トン、ツーツーツーツーが1……」と、かつて頭に叩き込んだというモールスを諳んじてみ せた。ちなみに工作員から本国への連絡には、北朝鮮が開発した「文字伝送専用のトランシーバー」を使い、3ケタの暗号を打ち込んでいたという。

「ト ランシーバーの部品には日本と韓国の製品が使われていた。私はこれをビニル袋に包んで、墓地の地面に埋めておいて、必要なときに、掘り起こして暗闇で交信 した。交信時刻も予め決められていて、毎月15日に本国から問い合わせなどがあると、その2日後の夜に返事をしていた」

対北の最前線・日本警察「通信所」の存在
公安警察も、北朝鮮工作員の上陸を座視していたわけではない。

沿岸部の漁師や住民を「密航監視哨員」に任命、全国の沿岸部で不審行動をとる人物に関する通報を求めた。

さらに、2000年12月まで、警察庁警備局は3つの電波情報を24時間体制で傍受していた。「A1」はモールス信号、「A2」が中波のラジオで傍受するモールス信号、「A3」が暗号の数字を読み上げるラジオ放送だ。

傍 受していたのは警察庁警備局外事課「八係」の指揮下にある全国の「通信所」だ。東京日野市の丘の上にある「ヤマ」が一部メディアで報じられたことから知ら れるところとなったが、実はこのほかにも北海道北広島、宮城県仙台市、秋田、千葉県館山市、愛知県小牧市、大阪府信太山、鳥取県赤碕、福岡、鹿児島県出水 市、沖縄など日本列島の10ヵ所以上に通信所は存在する。

実際の傍受作業に携わるのは警察庁情報通信局で採用された技官たちだ。

彼 らは工作員の潜入・脱出を指揮する工作母船と陸上の補助工作員の交信をキャッチする。電波の強さや方角から、工作母船のおおよその位置が特定されると、 「レーダー車」と呼ばれる電波の送受信車を付近の海岸に出す。この2台のレーダー車は「A車」・「B車」というコードネームで呼ばれ、無線通信所との「三 角測量」によって、母船の位置を特定した。

「ナミが出た。配置しろ」

都道府県警の警備部には、こんな指示が出される。「ナミ」とは北朝鮮の電波を指す隠語だ。捜査員らは沖合に工作母船が停泊している付近の海岸の松林に潜んだという。

「船の大きさによって電波の高さが違う。大型母船でないとナミはキャッチできない。半潜水艇やゴムボートだと波より低いので、電波傍受は難しかった」(公安捜査員)

捜索で乱数表を入手しない限り、暗号の内容まで突き止めることはできない。しかしナミによる位置特定の錬度は徐々に高くなった。

1999年に能登半島沖での工作船が出没し、追跡に当たった海上自衛隊に海上警備行動が発令された事案があったが、工作船の位置を特定したのは大阪府和泉市の信太山の通信所だった。

警視庁公安部外事二課(ソトニ)で北朝鮮を担当したのは、三担管理官が率いる五係と六係(現在は六係と七係)だった。

六 係(事件班)のスパイハンターたちは所轄から「奇妙なアンテナがある」という連絡を受けると、現場に通信所の技官とともに臨場し、パチンコ屋やマンション 屋上に「展張」されたラジオ受信アンテナを遠くから検証したという。高さ3メートルほどのポールが2本、その間7メートルから15メートルほどのアンテナ を展張した粗末なものだった。

技官の検証でアンテナが「生きている」と判断されれば、その建物には現役工作員が居住していると判断し、徹底した「行確」が開始された。

こんな極秘捜査まで行われていたのになぜ、日本は自国民を北朝鮮の諜報活動から守ることができなかったのだろうか。

「国民に知らせなかった」反省が求められる
警察庁警備局の誰もが口を揃えるのが「宇出津事件」の遺恨だ。

1977年9月、東京三鷹市の警備員・久米裕さんが、石川県の宇出津海岸で拉致されたときにも、数日前から通信所が電波を傍受し、石川県警は旅館などに不審者通報を依頼した。

そ の結果、拉致に関与したとみられる在日朝鮮人の男を外国人登録法違反で逮捕、自宅から乱数表が見つかった。男は久米さんを工作員に引き渡したことを認めた が、検察は国外移送罪の適用に反対したばかりか、外国人登録法まで不起訴にした。久米さんが自らすすんで行ったのか、拉致されたのか、被害者がいない以上 確認できなかったからだ。

検察は一般刑事事件としてこれを扱い、防諜活動であるという認識で判断しなかったのだろう。

当時、警察庁警備局外事課に在籍した警察庁キャリアはこう憤る。

「検察による不起訴処分が北朝鮮の諜報機関を増長させた」

一方で、「警察も国民に警告できなかった」と告白する。

「富 山県高岡市で起きたアベック拉致未遂(1978年)では、遺留品の手錠や猿ぐつわは朝鮮半島のものであることがわかった。しかし、これだけで消えていく人 が北朝鮮に拉致されていると断定できる証拠もなかった。さらに電波傍受はあったが極秘事項で、検察に対してすら証拠として開示できるものではなかった。そ の結果、国民に警鐘を鳴らすことができなかった」

公安警察も秘密主義を貫き、通信所の存在や電波傍受という手の内を隠すことを重視したのだ。

さらにある警察庁警備局OBは「北朝鮮工作員の潜入に立ち向かう警察側の体制も甘かった」と唇をかむ。

い くらナミを傍受しても、実際に、捜査員が工作員の上陸や接線の瞬間を捕捉した例はほとんどない。日本海側の県警本部では、外事課を置いているところは少な く、警備課に5~6人体制の『外事右翼係』がある程度。所轄に極秘動員をかけても、秘匿性が高いオペレーションだったため、誰でも集めるわけにはいかな い。だから沿岸部を広くカバーすることは不可能だった」

北朝鮮工作員の日本上陸の目的については、公安警察内部でも「韓国革命を企図して、ソウル潜入のために日本を経由しているのではないか」という分析が根強かったという。

北 朝鮮工作員が次々と上陸し、日本人を連れ去る中、一部の政治家たちは「南は軍事独裁、北は社会主義の模範の国」であるかのように喧伝し、北朝鮮詣でを続け た。こうした政治の対応に、公安警察側も不信感を抱き、「北朝鮮に情報が漏れることを警戒し、官邸にすら危機意識を伝達できなかった」という。

日本側の危機意識の欠如やちぐはぐな対応が拉致被害を拡大したのは間違いない。

いま日本政府は北朝鮮に拉致被害者などの再調査を求めている。北朝鮮には誠意ある対応を粘り強く求め、一人でも多くの日本人の帰国を実現すべきだろう。

同時に、日本政府もなぜ自国民を守ることができなかったのか検証すべきだと思う。同時多発テロに見舞われた米国は独立検証委員会が問題点を洗い出し、政府機関の改編を行った。だが日本には北朝鮮が拉致を認めて10年以上が経過しても、検証が始まる気配すらない。

いつ、どこで、どのような過ちがあり、今後どうすれば国民を他国の諜報活動から守ることができるのか。徹底的に検証して、国民を守ることができる体制を作るべきである。 


背乗り著者竹内明

現代ビジネス2014.9.28
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40542


「拉致は北朝鮮を敵視するための韓国の謀略」「拉致はなかった」とか言うよりは
拉致問題を書いてくれた方がいい
土井たか子福島みずほ@秘書給与釈明http://www.huffingtonpost.jp/2014/09/28/doi-takako-passed-away_n_5894892.html
(あ、つい手がすべって画像を貼ってしまった)

書いてくれた方がいいとは思うものの
拉致問題がなぜ解決しないのか、と考えると
「憲法9条改憲」と「スパイ防止法制定」が必要という結論以外あり得ないと思うのだが
TBSといえば・・・・

TBSに限ったことではないが「国民に知らせなかった」反省を最もすべきは報道じゃないの・・・?
そう思うなら解決を阻む報道をやめるべきじゃないの・・・・?
一体どの面下げてこんな記事書いてるの・・・・?

そしてこの2つに強硬に反対しているのがどこかというと
まあ今更な話だが
ケリーケネディ吉松育美ベアテシロタゴードン

憲法9条にノーベル賞
内政干渉ツールとしてのchange.org

「特定秘密保護法」に強硬に反対キャンペーンを張った外国特派員協会
世界に「反日の毒」をまき散らす 外国特派員協会 
ジェイクエーデルスタイン@山谷えり子会見
拉致問題そっちのけで「在特会」に火病る記者たち@山谷えり子大臣会見
拉致問題よりヘイトスピーチって何なの? 反日外国特派員協会 

結局立ちはだかる最大の壁は「戦後レジーム」だと思うわけです


参考
文中の北朝鮮対外連絡部に所属した元工作員はその内容から安明進氏のことではないかと思うが
会ってインタビュー取って来たのかなあ・・
亡命工作員の語る対南工作1 

TBS竹内明氏は色々アレな方のようだ
j-castニュース『TBS記者のプーチン大統領への質問 ネットでは批判する声が大半だが…』 2013.4.30
http://www.j-cast.com/2013/04/30174227.html?p=all

yahoo知恵袋『TBS竹内明は、移民受け入れ等を声高に叫ぶが、「日本を朝鮮人達のパラダイスにする...』2013.5.26
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14107832259 

【突破する日本】
慰安婦問題は北の拉致事件覆い隠す謀略 加害者を被害者にすり替える「深い闇」

★(5)

 北朝鮮による拉致問題が軽視される一方で、慰安婦問題は喧伝された。河野洋平官房長官談話が出されたのは1993(平成5)年8月。横田めぐみさんの拉致事件が国会で取り上げられ、一般に認知されるのは97(平成9)年1月のことだ。

 13歳で拉致されためぐみさんの事件を打ち消すかのように、12歳で強制連行され、慰安婦にされたという話が広められた。韓国の慰安婦支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)は、韓国治安当局が「北朝鮮工作機関と連携し、北朝鮮の利益を代弁する親北団体」として監視してきた団体だという(産経新聞『歴史戦 第2部 慰安婦問題の原点(4)』、2014年5月24日より)。

 他方、1990(平成2)年9月に、自民党の金丸信元副総裁と社会党の田辺誠副委員長らが北朝鮮を訪問し、金日成主席に会って以来、北朝鮮との国交正常化、それに伴う補償が取り沙汰されるようになった。人道支援と称して米などの食料支援が盛んに行われた。

 慰安婦問題に熱心に取り組んだ人脈は、拉致問題に消極的もしくは冷淡な人脈とぴたりと重なる。その多くは北朝鮮との関わりも深い。朝日新聞も同様ではないのか。

 朝日は99(平成11)年8月31日付社説に「日朝国交正常化交渉には、日本人拉致疑惑をはじめ、障害がいくつもある」と書いた。めぐみさんの父、横田滋さんはこれで親の代から購読していた朝日を止めたという。

 2002(平成14)年9月17日、小泉純一郎首相が訪朝し、金正日総書記が拉致を認める一方、めぐみさんら拉致被害者8人の「死亡」が説明された(北朝鮮が出してきた『死亡確認書』などの文書は捏造や改ざんの疑いが多々あった)。

  翌日付の朝日は1面に木村伊量政治部長(現社長)名で「痛ましい歴史、直視して」と題して、「冷静さを失っては歴史は後戻りするだけである。(中略)北朝 鮮との間に残された戦後処理問題を解決し、大局的見地に立って関係を正常化することが、日本の国益にも北東アジアの安定にも資する」と書いた。天声人語は 「北東アジアの安定という政治目標の前に拉致問題はかすんでしまう」とまで書いた。慰安婦問題への取り組みとは対照的だ。

 慰安婦問題は 「強制連行」を捏造し、喧伝することで、現在進行形の北朝鮮の拉致事件という共産主義の蛮行を覆い隠すための謀略と考えた方がいい。被害者を加害者に変 え、加害者を被害者にすり替える。ここに朝日新聞が結果とはいえ、関わった。慰安婦報道の本質はここにある。

 「深い闇」の解明が待たれる。 =おわり

  ■八木秀次(やぎ・ひでつぐ) 1962年、広島県生まれ。早大法学部卒業。同大学院政治学研究科博士課程中退。国家、教育、歴史などについて保守主義の 立場から幅広い言論活動を展開。第2回正論新風賞受賞。現在、麗澤大学教授、安倍内閣が設置した教育再生実行会議委員、フジテレビジョン番組審議委員、日 本教育再生機構理事長。著書に『国民の思想』(産経新聞社)、『憲法改正がなぜ必要か』(PHPパブリッシング)など多数。
zakzak2014.9.28
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140928/dms1409280830006-n1.htm


【歴史戦 第2部 慰安婦問題の原点(4)前半】
北朝鮮が仕掛けた「20万人性奴隷」 「親北」公言する韓国の反日団体
慰安婦問題をめぐる韓国と北朝鮮の動き

 中国・瀋陽で今年3月29日、韓国の反日団体「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」(挺対協)や北朝鮮の朝鮮民主女性同盟など約20団体が一堂に会した。討論会の主題は慰安婦問題だった。

 「南北の団体が政治的困難を乗り越えて再会し、連帯できたことに大きな意味がある」

 挺対協常任代表の尹美香(ユン・ミヒャン)(49)が討論会の意義を強調すると、北朝鮮代表も応じた。

 「日本の犯罪を総決算するために戦おう」

 討論会では、日本への抗議集会や署名活動を共同で進める決議文を採択した。署名の最終目標は「世界の10億人に慰安婦の真相を知らせる」ことだという。

 慰安婦問題で南北団体が顔を合わせたのは7年ぶり。韓国政府は北朝鮮側との接触を厳しく制限してきた。なかでも挺対協は「北朝鮮工作機関と連携し、北朝鮮の利益を代弁する親北団体」として、韓国治安当局が監視してきた

 尹は今月20日、ソウルで産経新聞など日本人記者団の取材に対し、「人道主義的な『親北』だと思ってもらえばいい」と北朝鮮との“共闘”を隠そうともしなかった。

 尹は討論会参加について「韓国統一省が承認した。今後も積極的に(北朝鮮団体を)支援するつもりだ」と断言。慰安婦募集の強制性を認めた平成5(1993)年の官房長官、河野洋平の談話を盾に「日本政府は法的責任を認め、賠償すべきだ」と語った。

  挺対協が北朝鮮と協力関係を築くきっかけとなったのが日本でのシンポジウムだった。団体発足間もない3年5月、東京で開かれたシンポジウムで、北朝鮮代表 の最高人民会議副委員長らが「慰安婦の実態を独自に研究した。データもある」と当時の挺対協共同代表の尹貞玉(ジョンオク)に対日共闘を打診、合意したと いう。

 挺対協の働きかけで元慰安婦らが東京地裁に提訴し、4年1月に朝日新聞が「慰安所 軍関与示す資料」と大々的に報道すると、直後に北朝鮮国営の朝鮮中央通信はタイミングを計ったようにこう伝えた。

 「限られた資料でも慰安婦として連行された朝鮮女性は20万人に達する」

 翌2月には朝鮮労働党機関紙、労働新聞が慰安婦を「『皇軍』の性奴隷として連れてこられた年若い朝鮮女性」と表現した。現在でも日本を攻撃する際に用いる「20万人の性奴隷」というプロパガンダの原型がこのとき完成したのだ。

 「20万人」という数字は1970年に韓国紙ソウル新聞が挺身隊として動員された日本女性と朝鮮女性の総数として挙げた数字だが、このとき記事はさして反響を呼ぶことはなかった。

 北朝鮮の工作活動に詳しい日朝関係者は、日韓の市民団体が作り上げた慰安婦問題を北朝鮮が利用し、あおり立てたと説明し、こう続けた。

 「日韓の世論を刺激し、政府と離反させる材料を常に探してきた北朝鮮にとって慰安婦問題は格好の素材だった」(敬称略)

  ◇
【用 語解説】韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協) 1990年11月、37の女性団体が集まって結成した。92年からソウルの日本大使館前で水曜日ごとにデモ を続けている。日本政府に法的賠償と公式謝罪を求める強硬姿勢で知られる。2011年に同大使館前に慰安婦像を違法に設置した。12年には、ソウルに「戦 争と女性の人権博物館」を開設。北朝鮮の金正日総書記死去の際は幹部が弔電を送った。
msn産経ニュース2014.5.24
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140524/kor14052409570006-n1.htm

従軍慰安婦問題が北朝鮮の工作であること
従軍慰安婦問題は北朝鮮の工作
挺対協が親北団体であること
「反日」の仮面をかぶった元慰安婦支援団体の陰に潜む従北派
は知っていたのだが、自分は「なぜ韓国政府は親北団体と知りながらそれに乗ったのか」疑問に思っていた
北朝鮮による日韓離反工作であることは誰でも想像がつくだろう

その答えかもしれないことがこの動画にあった


【youtube】在特会の桜井会長が、朝日新聞の慰安婦問題を「時系列」で振り返る
1983 吉田清治『私の戦争犯罪』出版
1989 吉田清治の著書韓国で翻訳される
     済州新聞が検証記事 強制連行の事実はないと判明
1991 朝日新聞従軍慰安婦大特集

強制連行の事実はないと既に判明していたにも関わらず
朝日新聞が従軍慰安婦特集をやったのは
1991年に日韓関係で何か重要なことがあったからではないか?

1991年にあったこととは
「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」
つまり「出入国管理特例法」が施行された

外務省『人種差別撤廃条約第1回・第2回定期報告(仮訳)平成11年6月』

 入管特例法
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/99/1.html

つまり在日朝鮮人を日本に押し付けておくために韓国政府は親北団体と知りながら利用したのではないか

そこまで同胞を引き取りたくない韓国政府というのも理解しがたいのであるが
日本に寄生するには都合のよいことなのだろう

参考
在日韓国人の法的地位協定
(日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定)
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR/19650622.TIJ.html

在日特権を許さない市民の会設立趣旨
http://www.zaitokukai.info/modules/about/zai/speech.html


【youtube】『在日特権の実態①』坂東忠信 AJER2014.12.8(1) 

ブログネタ
「もっと検証・反省すべき」と考える報道内容は? に参加中!
2014.9.26OAの『朝まで生テレビ』
朝生慰安婦問題とメディアの責任1朝生慰安婦問題とメディアの責任2
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/contents/theme/0044/
早野透(元朝日)山田厚史(元朝日)
下村満子下村満子氏は「確かに売春婦だった人もいました」と言っているがそれがアジア女性基金で補償すべき対象になり得ると思っているということで変なことを言っている自覚すらない
【youtube】朝まで生テレビ! 140926 Full

朝日OBが揃って「悪いのはウリだけじゃないニダ」という言い訳と
「誤報は朝日だけでなくどこでも起こりうるメディア全体の問題」というスリカエに終始して
新たな燃料投下にしかならなかったわけだが

「慰安婦強制連行」に疑念を持った人達をどう扱ってきたかまさか忘れたわけではあるまい

【歴史戦 第5部 「朝日検証」の波紋(中)1】
「歴史教育議連」を狙い撃ち 「常識発言」撤回に追い込む

 終戦の日の15日、自民党本部で同党有志でつくる議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・国家公安委員長、古屋圭司)が会合を開いた。朝日新聞が自社の慰安婦報道の誤りを一部認めたことを受けたものだった。

 講師に招かれたジャーナリストの櫻井よしこは、この中でこう指摘した。

 「5日の(朝日)1面には、朝日があたかも被害者であるかのようなことを書いている。(朝日報道で)『いわれなき中傷』を浴びたのは日本国だ。先人たちだ。私たちだ。未来の子供たちだ。朝日ではない」

 議連は党として独自の検証を行うべきだとの方針を確認した。

初代会長に中川昭一氏
 この議連の歴史は長い。17年以上前の平成9年2月、慰安婦募集の強制性を認めた河野洋平官房長官談話を反映して、8年の検定で合格した中学歴史教科書すべてに慰安婦の記述が載ったことの当否に疑問を覚えた議員らが結成した。

 初代会長は元財務相の故中川昭一、初代事務局長は現首相の安倍晋三だ。現官房長官の菅義偉もメンバーに名を連ねている。

 そして議連は、当然のごとく朝日新聞に目の敵にされていく。

 10年7月には当時、小渕恵三内閣の農林水産相だった中川が記者会見で、慰安婦問題に関して次のように述べたことがやり玉に挙げられた。

  「議論の分かれるようなことについて、すべての義務教育の教科書にほぼ同じ記載がされていることに疑問を感じ、いろいろな方の話を聞き(議連で)一冊の本 にまとめた。強制性があったか、なかったか、それをわれわれが判断することは、政治家として厳に慎まなければいけない」

 「大半の専門家が納得できるような歴史的事実として教科書に載せることについて、われわれはまだ疑問を感じている」

「韓国世論」持ち出し
 今からみればごく常識的なことを抑制的に語っているだけだ。ところが、朝日新聞は同年7月31日付夕刊で「慰安婦問題『事実としての教科書掲載、疑問』」「中川農水相未明発言」などと、中川が議連会長であることを含めて大きく報じ、発言要旨も掲載した。

  さらに8月1日付朝刊でも「日韓漁業交渉に影響も」「韓国世論反発の恐れ」との見出しで続報を載せ、「中川氏が交渉責任者として関係する日韓漁業協定問題 の決着に、影響を与えることになりそうだ」との見通しまで示した。「これで『外交の小渕』か」と題し、小渕政権を批判する社説まで掲載した。

 中川は発言撤回に追い込まれた。(敬称略)
msn産経ニュース2014.8.24
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140824/plc14082413000009-n1.htm


【歴史戦 第5部 「朝日検証」の波紋(中)2】
慰安婦強制への疑問も批判対象
中川昭一

 平成10年7月、慰安婦問題を歴史教科書で取り上げることに疑問を示した当時の農水相、中川昭一を朝日新聞が強く批判したことについて、元週刊朝日副編集長の評論家、稲垣武は産経新聞の取材にこう語っていた。

 「所管外の歴史認識を無理やり聞き出し、『近隣諸国は反発している』と問題化するという、いつものやり口だ」

 中川が会長を務める自民党の議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(後の議員の会)事務局長だった現首相、安倍晋三はこうコメントした。

 「朝日は『中川氏が会を脱会する』と報道しているが、中川氏は『脱会ではなく、閣僚期間中は会を休むだけ』と言っている。自説を変えたわけではない」

透けてみえる悪意
 朝日新聞はその後も自社の論調に合わない中川や議連を批判し続けた。

 第1次安倍内閣の19年3月27日付夕刊の1面記事「ニッポン人・脈・記 安倍政権の空気(15)」は、中川の写真を添えて議連についてこんな見出しで報じた。

 「慰安婦の強制 疑う集団」

 まるで議連が怪しい集団であるかのようだ。朝日新聞は今月5日の慰安婦問題の特集記事で「軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません」と認めたが、それまでは強制に疑問をはさむことも朝日の批判対象だったということか

 記事本文にはこうある。

 「今年1月、米下院に出された日本に謝罪を求める『慰安婦決議案』に対し、首相の安倍は『当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった』と弁明した」

 だが、安倍は「言い訳」の意味もある「弁明」をしたのではなく、単に「説明」しただけだろう。ここにも朝日新聞の悪意が透けてみえるようだ。

対応鈍い地方議会
 こうした朝日新聞の積年の一方的な報道は、中央政界だけでなく地方にも影響を及ぼしている。

 特に民主党政権下では、慰安婦問題にからみ政府に「誠実な対応」を求める意見書の採択が各地の地方議会で相次いだ。意見書の前提にあった5年の河野洋平官房長官談話が実証的な根拠のない日韓合作であることが明らかになったにもかかわらず、地方議会の対応は鈍い。

 その一つ、韓国の不法占拠が続く竹島(島根県隠岐の島町)を抱える島根県議会は、国際問題に敏感であるはずなのに、過去の意見書について一向に修正の動きが見えてこない。

 「今まで県議会から何の音沙汰もない。県民の声をどう思っているのか」
島根県出雲市の主婦、金築倫子(64)が憤りをあらわにした。

 金築は今年3月、意見書の撤回を求めて有志らと「日本を愛する島根女性の会」を発足、6月には県議会に約3600人の署名に添えて抗議文を提出したものの、県議会に具体的な動きは一切ないという。

 意見書は25年6月、民主、共産などに加え自民も退席した1人を除いて賛成に回り可決されたものだ。米下院決議を引用し「旧日本軍が女性を強制的に性奴隷にした」との文言まで盛り込まれた。

「まずは国会が…」
 なぜ、自民すら修正に動こうとしないのか。関係者によると、民主、共産と歩調を合わせて意見書の採決を主導した自民の重鎮議員が若手議員を率いており、ベテラン議員のグループと反目、まとまる状況でないという。

 「河野談話が間違っていたなら、それは国家の問題だから、まずは国会が修正しないといけない」

 自民議員の1人はまるで人ごとのように言う。

 金築は「認識が低すぎる。地方議員であろうとしっかりとした国家観を持つべきだ」とあきれている。地方議員の意識の低さもまた、メディアのあり方と無縁ではない。(敬称略)
msn産経ニュース2014.8.24
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140824/plc14082414400010-n1.htm

稲垣武氏の著書(共著)



p248~250
◎穏当な発言を無理やり問題にーー稲垣
 中国・韓国にご注進して事を大きくするというのは、これはいつもそうなんですね。侵略→進出の誤報とか、あるいは従軍慰安婦問題、靖国、歴史教科書、全部ですね。
 一つ非常に極端に卑劣な例がありまして、これが平成10(1998)年7月31日付の夕刊一面<慰安婦問題/「事実としての教科書記載、疑問」/中川農水相未明発言/昼過ぎ撤回「政府に従う」>という記事があります。
 翌8月1日付朝刊の総合面では<日韓漁業交渉に影響も/中川農水相慰安婦発言/韓国世論反発の恐れ>と展開しています。そこに書いていることは、«韓国政府は今のところ国内世論の動向を見守る姿勢で表立った反応は見せていない»と悔しげに書いています。
「しかし」とまた「しかし」です。«しかし、韓国の一部の通信社や新聞は、発言を「妄言」と報道しており、与論の反発が高まれば、韓国政府が態度を硬化させる可能性も消えてはいない»
 これは、願望です。韓国で騒ぎになってほしいという、物欲しげな記述をしており、客観報道を装った主観的記事の典型です。その記者が、あるいは朝日がそう願望しているにすぎないのです。それをあたかも客観的な事実であるように装っている。
 私はこの記事にあまりに腹が立ったので、『正論』連載の「マスコミ照魔鏡」に、「こういうことを書いた記者は堂々と名乗りをあげて反論せよ。幾らでもお相手つかまつる。恥を知れ、恥を」と書いたのですが、何も反応はありませんでした。
  これは非常に極端な例ですけど、これからだんだんこういう例が増えてきますよ。そもそも中川昭一農水相の発言は、「慰安婦の『強制連行』を、大半の専門家 が納得できるような歴史的事実として教科書に載せる、ことについて、疑問を感じている」と言っただけで、非常に穏当で常識的な発言です。それを攻撃するこ と自体、朝日の方に無理があると思います。
 

朝日新聞及び朝日OBが主張するように単なる「誤報」であるなら
「慰安婦強制連行」に疑問を持った人達を標的にして紙面で叩く必要などない
事実を捻じ曲げ異論を封殺しようという朝日新聞の意思がなければ起こりえないではないか

誤報などではない
既に皆が知っていることだ

中川昭一氏の画像を見ると胸が痛む
しかし朝日新聞関係者は何ら思うところはないのだろう


【youtube】やまと新聞水間政憲論説委員緊急収録「元朝日新聞記者本多勝一氏が南京事件捏造写真誤用を認めた歴史的意義 
いい記事を掲載したら応援メールを出すと良いそうです

週刊新潮2014.9.25号
p11・12
伝説の記者
「本多勝一」が”誤用”を認めた「南京事件」捏造写真

 笑顔の日本兵と一緒に、少年少女、防空頭巾をかぶった女性もまた笑顔で橋を渡るーー。
 上の写真のキャプションには<我が兵士に護られて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群>とある。朝日新聞社が発行していた『アサヒグラフ』(1937年11月10日号)に掲載された1枚である。
  そして、同じ写真が72年発行の『中国の日本軍』という書籍に使われている。著者は、当時、朝日新聞が誇るスター記者だった本多勝一氏(82)。だが、そ のキャプションには、<婦女子を狩り集めて連れて行く日本兵たち。強姦や輪姦は七、八歳の幼女から、七十歳を越えた老女にまで及んだ>とあるのだ。
 南京事件に取り組んできたジャーナリストの水間政憲氏は、
「南京大虐殺派が虐殺の証拠として使う写真ですが、なぜ朝日の記者だった本多氏が、自社の写真を使ったのか疑問です」
 本多氏に問い合わせると、文書で回答が寄せられた。
「『中 国の日本軍』の写真説明は、同書の凡例に明記してあるとおり、<すべて中国側の調査・証言にもとづく>ものです。ただ、中国側に問題点があることは、俺が 司会を務めた南京事件の座談会(『週刊金曜日99年11月5日号』)で、吉田裕さんが次のように指摘しているとおりだと思います。<中国側の対応で問題が あるのは写真の使い方ですね。いつ、だれが、どこで撮ったかという根拠を確認しないままに、政治的なキャンペーンの中で勝手に写真を使っている。日本の市 民運動側もそれを無批判に受け入れてしまうような一面があって、それを反動派につけこまれている>。『中国の日本軍』の写真が、『アサヒグラフ』に別の キャプションで掲載されているとの指摘は、俺の記憶では初めてです。確かに『誤用』のようです」
 伝説の記者が誤用を認めた。
「慰安婦報道同様、相手の言うがまま無批判に載せてしまう朝日のDNAそのもの」(水間氏)
 なお本多氏は「ご指摘の写真の『誤用』によって南京事件自体が否定されることにならない」とも主張している。さすがは南京大虐殺記念館から特別功労賞を贈られただけのことはある。
 中国は今年、従軍慰安婦に関する資料と南京大虐殺の記録を「世界記憶遺産」としてユネスコに登録申請している。 

25本田勝一南京事件11
キャプション上:掲載写真の同頁には、綿を摘み取る日の丸部落の写真もある
キャプション下:南京大虐殺記念館開館の記事は編集委員として朝日新聞に執筆

25本田勝一南京事件12

週刊文春2014.9.18号
p152
「南京虐殺記念館」朝日・本多勝一コーナー
「売国」の証明

「これは日本『朝日新聞』の元著名な記者本多勝一が1972年中国の上海、南京などで取材した時使ったカメラ、取材ノート、取材ペン、ネガなどの物品。」
 中国・南京市にある「南京大虐殺記念館」。その一角に、あたかも大作家の功績を称えるかのような展示物が、ガラスケースの中で整然と並んでいた。
 本田勝一氏とは、朝日新聞の元”スター記者”。1971年、朝日紙上の連載「中国の旅」で、「歴史上まれに見る惨劇が翌年(1938)年二月上旬まで二カ月ほどつづけられ、約30万人が殺された」と書き、「南京大虐殺30万人説」を日本に流布した”業績”を持つ。
 記念館には至るところに「300,000」の数字が掲げられる。しかし東京裁判では南京大虐殺の犠牲者は11万9千人と示され、識者によっては数百人から数万人と、未だ諸説ある。
 本多氏は今年8月、小説の取材に「私自身による調査結果としての数字を書いたことはありません」と答えている。どうやら取材案内した中国共産党の言うがままに、「30万」という数字を持ち出したらしい。
 2006年に記念館から表彰された本多氏。同時期に、冒頭の記念品と南京大虐殺関連の著作を、自ら館に寄贈した。
 今年の全人代で習近平国家主席は、12月13日を「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」に指定。愛国主義教育の聖地たる記念館で英雄視される本多センセイも、きっと満足されているだろう。

 18南京記念館本田勝一152
キャプション上:本多氏の展示コーナー。南京大虐殺関連の著作、カメラ、ペンなどが恭しく陳列されている
キャプション下: 同館では、「南京大虐殺を研究する有名な記者本多勝一先生」と紹介

外国特派員協会がおかしなところだというのは段々分かってきたかと思うが
世界に「反日の毒」をまき散らす 外国特派員協会
山谷えり子大臣会見は本当にひどかった


【youtube】国家公安委員長、拉致問題担当大臣 山谷えり子(2)

TBSラジオsession22HPより

「山谷えり子大臣 外国特派員協会 会見」質疑応答の全文掲載

第 2次・安倍改造内閣で国家公安委員長、拉致問題担当大臣などに任命された山谷えり子参議院議員が2014年9月25日、日本外国特派員協会で会見を行いま した。冒頭のスピーチでは北朝鮮による日本人拉致問題の全面解決に向け、意欲的に取り組む姿勢を示しました。質疑では在特会元幹部との写真問題について質 問が集中しました。

(※番組では先週、山谷大臣に書面で質問をお願いし、回答をいただきました。その内容についてさらに追加質問の回答をお願いしています。「山谷えり子議員、在特会元幹部との写真問題・質問と回答」全文掲載
→http://www.tbsradio.jp/ss954/2014/09/20140918.html)

<山谷えり子 拉致問題担当大臣 会見・質疑>

Times のRichard Lloyd Parry:最近、「マスキシゲル」さんについて質問されたされたかと思います。彼は在特会と深い関連を持っているということでございますが、この質問が 出た時には大臣は彼が在特会と関係にしていることを知らなかったとおっしゃったと思いますが、マスキ氏の方は15年前から大臣を存じ上げているという風に 言っているということであります。色んな疑問がありますので、疑問を晴らす意味で伺いたいと思います。何年前からマスキ氏をご存知なのでしょうか?そし て、何回くらいお会いされているのでしょうか?そして、せっかくこの場にいらっしゃっているのですから、在特会についての気持ちをはっきりと申し上げても らえますでしょうか?つまり、こうゆうような組織は認められないとか、容認出来ないというお気持ちであるかどうかについてお話いただけますでしょうか?

山谷大臣:私は、選挙区が全国でありまして、たくさんの人々とお会いいたします。そのマスキさんという方が在特会の関係者ということは存じ上げておりません。

TimesのRichard Lloyd Parry:その質問の後半ですが、在特会の価値、在特会が訴えるような政策に反対されますか?

山谷大臣:一般論として、色々な組織についてコメントすることは適切ではないと考えております。

THE DAILY BEASTのジェイク・アデルシュタイン: 同じテーマになりますが、言い方を変えさせていただきます。よく大臣の話に出てくる国連も、米国の国務省も、また大臣がご担当されております警察庁もそう ですが、この3つの組織は全て、在特会は憎悪、ヘイトクライムの犯罪、ヘイトクライムのグループと指摘しています。つまり、彼らたちは差別的な気持ちを扇 動しまして在日韓国人、朝鮮人に対する差別を促すような組織であると言っているわけでございます。やはり、警察庁のトップといたしまして、はっきりとこの 場でヘイトクライム、ヘイトスピーチなどは、こういった差別的な行為は絶対許すべきではない、人種差別はよくないというようなことをおっしゃっていただき たいと思いますが、いかがでしょうか?

山谷大臣:さきほど、サインをとお願いされまして、私は「和を持って尊しとす」という風に揮毫をさ せていただきました。日本というのは和を持って尊しとする一人ひとりの人権を大切にしてきた国柄でございます。そして、ヘイトスピーチに関しましては、特 定の集団や人々に対して非常に差別的な決め付けをしたり、また名誉毀損をしたり、あるいは侮蔑的な感情を煽ったり憎悪の感情を煽るということでですね、そ れは、誠によくない、憂慮に耐えないことであります。そして、昨今の日本で、ヘイトスピーチをする人、そしてそれにまた反対する人々との間で暴力的な行為 すら起きている。遺憾に思っております。警察といたしましては、必要な警備を行い、そしてまた違法行為があれば法と証拠に基づいて厳正に対処していかなけ ればならないと思います。

フリージャーナリスト・田中龍作:大臣は週刊文春の記者のインタビューで在特会は知らないと答えています。今 も、タイムスの記者の質問に対しても幹部とはいつごろ付き合いがあったのか?名前も知らないとおっしゃいました。それで、警察行政のトップが務まるので しょうか?今、これだけ国連から問題とされているという団体のことを知らなくて、警察行政のトップが務まるのでしょうか?それこそ、辞任にあたりませんで しょうか?

山谷大臣:ヘイトスピーチ、ヘイトクライムに関しましては、先程も申しましたが憂慮に耐えない遺憾に思います。平和で愛しあう 世の中を作りたい、そんな21世紀を作りたいと思う多くの人々。私も当然でございますが、それに対するチャレンジだと思っております。週刊誌のやりとりに 関しましては、事実ではございません。
  
フランス「アルティエル」放送:慰安婦問題について伺いたいと思います。朝日新聞の記事が出ましてから、日本の右翼系のメディアと いうのは非常に強く朝日新聞を攻撃しているわけであります。私から見ますとこれはやっぱり政治的な背景があるのではないかと思います。政府の方からこのよ うな動きを流しているのではないかと感じております。それによってメディアが自己牽制というのでしょうか、あまり自由に物事を書かないようになるのではな いかという風に感じております。また圧力をかけて朝日新聞の社長の辞任を促しているのではないのかと思います。こういう背景において質問をさせていただき ますが、日本の国において報道の自由の状態はどう思いますでしょうか?

山谷大臣:日本は、報道の自由がある国だと私は考えております。私も元記者として真実が明らかになっていくことを望みます。

国民新聞論説委員・藤田寛之:私からしますとですね、朝日新聞の記者とはいいませんが、日本にはですね、日本を非常にヘイトしているんじゃないかと思うような、あるいは外国特派員がいたりしますが、こういった方々を取り締まっていただけるのでしょうか?
記者席から「Right Wing!」と声が飛ぶ

山谷大臣:言論の自由と一人ひとりの人権は守らなければならないと考えています。

NHK・ カワダ記者:拉致問題担当大臣として山谷大臣に伺います。きょう、政府の方が29日に日朝の協議を行うと発表されましたが、北朝鮮側からは初期段階を超え る結果を今のところ出せないというようなことを言ってますけども、日朝政府間協議の場で、どのように北朝鮮側に姿勢を問いただすのでしょうか?もう一点、 今回は第一回目の報告ではないのかもしてませんが、一方で北朝鮮側としては先日、ソン・イルホ大使も先日、日本側に提示するという準備は出来ているという 趣旨の発言もされていますが、もしその4つの分科会があるなかで、拉致以外について北朝鮮側から提示された場合、日本政府としてはどのように対応されるの か教えていただきたいと思います。

山谷大臣:拉致問題担当大臣としてのスピーチを頼まれて、きょうここに参りまして、拉致問題の質問をしていただきまして、ありがとうございます。 最初の報告は夏の終わりから秋の始め頃ということでございましたが、先日の報告というより連絡ですね、初期段階であるからそれ以上のことは言えないという ような、それはですねとても報告とは言えるものとは言えません。そのような連絡を受けまして、日本といたしましては、それは一体どういう意味なのである か、調査の内容、色々な分科会での作業、どのくらい開いてどういうことを今、プロセスの中でやっているのかどうかを当然、聞かなければならないわけでござ います。で、北京の大使館ルートを通じて、そのことを申し入れて参りましたところ、9月の29日、中国の瀋陽において、日本の外務省、伊原アジア大洋州局 長と、そしてソン・イルホ大使が会合を開くことがセッティングがされているという状況であります。どのようなやりとり、あるいは北朝鮮側の回答がくるか、 今はまだわからない状況ですので、余談を持って何かということをですね、この場でお話することは難しい状況にございます。

ジャーナリスト・江川紹子:またちょっとヘイトピーチのほうに戻って申し訳ありません。さきほどから色々、お話になりましたけども、現状ではですね、警察がヘイトスピーチをしている人たちを守っているかのように見える映像、あるいは全く無抵抗の老人をですね、そのヘイトピーチをしている人たちが殴る蹴るの暴行をしているの に、警察官が特に取り締まる様子もない映像がインターネットで流れてこれが日本のイメージを著しく損なっていると思います。そういう現状を踏まえて、警察 を監督する大臣としてこういったヘイトピーチの問題に関して、その警察がきちっと対応していく、現行法で出来る限りのことをやっていくというお考えはここ でお聞かせいただけますでしょうか?

山谷大臣:私も色々なグループがぶつかっているという映像をいくつか見ています。暴力行為、違法行為があれば、当然、法と証拠に基づいて厳正に対処なければならないと思っております。警察を督励してまいりたいと思います。

ド イツのフリーランス・ジークフリード(?):さきほどの話を聞いておりますと、先ほどの問題人物についてお会いしたが、何回くらいかはわからない。あるい は彼の組織についてはよくわからないという話がありました。しかし、大臣は警察組織のトップとしてご活躍されているわけでございますので、警察組織のトッ プの方はやはりこういう問題の組織、特に右翼団体について、あらゆることを知っておくべきだと思いますがいかがでしょうか?つまり、それを知らなかったと おっしゃるのは問題ではないでしょうか?
(実際は「辞職に値する」と言っている:筆者)

山谷大臣:知らなかったとは、言っており ません。週刊誌の書きぶりは正しくなかったと先ほど、お答えしました。ヘイトスピーチ、ヘイトクライムというのははよくないことだと、申しました。そして 違法行為があるのならば法と証拠に基づいて、警察としては厳正に対処していくべきだと考えております。

TBSラジオ・長谷川裕:先日、番 組(※「荻上チキ・Session-22」)の方から書面で山谷議員にいくつか質問をさせていただいて、書面でお答えいただいたものがあるのですが、その 中で、在特会につきましてどのような団体という認識をお持ちですかという質問をさせていただいたのですが、『同団体については、在日韓国人・朝鮮人問題を 広く一般に提起し、彼等に付与されている「特別永住資格」の廃止を主張するなど、「在日特権」をなくすことを目的として活動している組織と承知していま す。』こうお答えいただきましたが、この場合の「在日韓国人、朝鮮人問題」並びに、「在日特権」というのは何を指してらっしゃるのかお答えいただきたいと 思います。

山谷大臣:本当にこのところ、たくさんの取材を受けてたくさん回答をしております。今、お読みになられた部分は恐らく、全体を お示しくださっていないのでちょっと確かでないのですが、今、お読みになっている部分は恐らく、在特会のHPから引用したものをそのまま記しているんだろ うという風に思います。ということであります。

TBSラジオ・長谷川裕:そういった問題や特権があると、大臣自身もお考えでしょうか?

フリージャーナリスト・田中龍作:これ一番大事なこと。What is 在日特権?

女性ジャーナリスト:なぜ引用したんですか?

山 谷大臣:あの在特会が言っている、「在日特権」というのが、詳しくは何を示すのか。在日特権という定義というものはそれは、いろいろなグループがいろいろ なことをカギカッコで言っているんだと思いますが、法律やいろいろなルールに基づいて特別な権利があるというのは、それはそれで、私が答えるべきことでは ないと思います。

フリージャーナリスト・田中:大臣が在日特権があると認めた回答ですよ!?

司会者:(騒然とする場を静止して・・・)ありがとうございました。     

山谷大臣:拉致問題の解決のためには、国際連携が大切でございます、どうぞ皆様お力をお貸しいただければと思います。ありがとうございました。
http://www.tbsradio.jp/ss954/2014/09/post-301.html

山谷大臣が気になることを言っている
「拉致問題担当大臣としてのスピーチを頼まれて、きょうここに参りまして、拉致問題の質問をしていただきまして、ありがとうございます」
つまり外国特派員協会が拉致問題担当大臣として招待していながら実際は在特会幹部()との繋がりを糾弾する場だったということでしょうか

通訳さんが丁寧な日本語になおしているので文だけ見ていると分からないかもしれないが、NHKカワダ記者・国民新聞藤田寛之氏以外は態度が横柄でとても一国の大臣に対するものではなかった

そして拙ブログではおなじみジェイク・エーデルスタイン氏
吉松育美氏の外国特派員協会会見時に司会をしていた記者
吉松育美さん騒動2
この人が反日左翼なのは分かっていたが
この発言と
移住連(西早稲田2-3-18関連団体)と共同で記者会見していたところから
ジェイク氏が朝鮮人と対立関係になることはないとあらためて確信
(というか想像以上に一体で驚いた)

「right wing!」というやじ
(塩村都議やじ騒動で騒いだ人は右翼に対する人権侵害として糾弾したらどうですかね)
「無抵抗の老人を殴る蹴る」と曖昧な根拠で(自分が知る限りそんな事実はないのだが・・)在特会を犯罪組織のように言う江川紹子氏
そして時間がないと再三司会者に注意されつつもしつこく在日特権についてわめいていた田中龍作氏

朝鮮人に対する日本人の言葉遣いのみを問題視し
日本人に対する朝鮮人の「拉致」という組織犯罪は無視

一体どの面下げて「人権」を語るのか
あるいは日本人には人権がないのか

知らないようだから教えてあげるけど、それを差別と言うんだよ

外国特派員ムラにいると日本国民からいかに乖離しているか気づかなくなるのでしょうね 

一度は運動から切り離されたと思った塩村文夏都議が
ケネディ大使の夕食会に招かれた後すぐにまた騒動でTVに


【拡散希望】塩村あやか氏を応援する人達 ~世論を操作する左翼コメンテーター
松尾貴史、玉川徹がヒドすぎる(ー”ー)

「結婚するべき」→「旧態依然」→「男は外女は内」→「男尊女卑」 
ホップ・ステップ・論理飛躍

セクハラやじ「問題が終わったと思われることが問題」塩村都議らが性差別なくす集会

「早く結婚したほうがいいんじゃないか」。東京都議会の塩村文夏議員に浴びせられた「セクハラやじ」は、日本中の大きな注目を集めた。あの騒動から3カ月が経った9月17日、「議会での性差別をなくすには 市民と議員の対話集会」と題したイベントが、都内で開かれた。

やじを受けたみんなの党Tokyoの塩村都議が当時の心境を告白したほか、3人の女性都議が登壇し、都議会の状況を報告しながら、市民ら数十人と、議会での性差別をなくすための方策を話し合った。

●野島発言で再認識「問題は解決していない」
集会では、その前日の9月16日に、野島善司都議が「結婚したらどうだ、と平場(プライベート)では僕だって言う」と発言したことが、話題にのぼった。

「が く然とした」。生活者ネットワークの西崎光子都議は、「野島発言」を聞いたときの驚きをこう語った。そして、「やじ問題の発生から数カ月たち、みなさんの 関心がなくなってしまったのではないかと心配していた。しかし昨日の『事件』によって、まだまだ問題が解決していないことが、都民にも都議会にも、十分に 認識されたと思う」と口調を強めた。

●「都議が都民の声を聞いていない」塩村議員が感じた絶望
塩村都議は、自身が受けた「セクハラやじ」について、「あのときは本当に信じられない気持ちだった」と振り返った。

そして、「晩婚・晩産は東京で進んでおり、まさに都民の問題。であるにもかかわらず、都議会議員がそのようなことを否定するのは、都民の声に耳を傾けていない証拠だという絶望感に襲われた」と当時の心境を語った。

塩 村議員は「犯人さがし」を断念したあと、前を向いて「どのように再発を防止するか」を考える方向に、気持ちをシフトしたという。しかし、実際には野島発言 でも垣間見えたように、現実は解決にほど遠い状態だとして、「このような問題が終わったと思われることが問題」「まだまだ都民の皆さんの信頼を回復できて いない状況。問題解決に取り組み続けたい」と話した。

●解決には「男性」と「市民」の協力が必要
集会では、具体的にどんな「アクション」をするかについても活発な議論があった。

塩村議員は「男性側の協力がなければ問題は変わらない」とし、「男性議員に対するセミナーや勉強会は絶対に必要。私自身、勉強会に参加することで議会におけるやじ問題の深さを理解できた」と強調した。

共産党のかち佳代子議員は、都議会では性差別的な「やじ」がいまでもあると指摘し、「都議会の記録では、マイクを通じた声しかひろわない」「『やじも録音しているぞ』という状況を作ることが、あの野獣のような環境を変える力になる」と指摘した。

すると、塩村議員も「市民に見られていないから、やじが起きる」「議事録を読んでも、やじの内容は載っていない。都議会の現状を知ってもらうために、ぜひ傍聴席に足を運んでほしい」と話し、市民たちの協力を仰いだ。

●終了後の取材・質問は「禁止」されていた
登壇した4人の女性都議は集会を終えると、拍手を背に会場を後にした。こうした集会が終わった後には、登壇者が参加者と交流する光景がしばしば見られる。しかし、今回の集会では、参加議員、特に塩村都議に対して、終了後に取材・質問をすることが禁止されていた

主催者の澁谷知美・東京経済大学准教授は「塩村議員は、今でも取材という名のいやがらせを受けることがある。議員のツイッターにも、『今日の集会を妨害してやろうか』というような書き込みが見られたので、このような措置をとらせてもらった。ただ意見交換をしたいだけなのに、妨害が入るのが現実。皆さんと一緒に、この現実を変えていきたい」と、会場に向かって話していた。
弁護士ドットコムニュース編集部
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140918-00002063-bengocom-soci

(´・ω・`)対話集会だけど質問禁止だよ(イミフ

私結構ツイッター内見てますけど「今日の集会を妨害してやろうか」なんてツイートは見たことがないんですよ
見逃したのかもしれないですがこれにはちょっと疑問

塩村都議「本当に産んでもいいのか、不安」「問題は終わってない」
withnews 9月18日(木)16時52分配信

 6月の「早く結婚しろよ」発言に続き、またも別の男性都議から「結婚したらどうだ」とのセクハラ発言が飛び出した東京都議会。塩村文夏都議は17日に開かれた市民集会で「(将来妊娠した場合)本当に産んでもいいのかという不安は、いま強く感じている」と話した。
(朝日新聞文化くらし報道部 高重治香)

集会に参加した塩村都議
「税 金で給料。休んでいいのか・・・」 都議会では、女性蔑視のヤジ再発を防ぐための超党派会合を16日に開いたが、会長に選ばれた自民党の野島善司都議 (65)が「結婚したらどうだとは僕だって言う。平場(プライベート)では」と発言。他会派の反発を招き、野島都議は17日、「会長の立場で不適切だっ た」と陳謝した。

 塩村都議は今回のセクハラ発言について「公私に関係なく発言自体が女性差別。会長には問題をしっかり理解した人が就任すべきだ」と指摘した。

  一方、17日夜に都内で開かれた集会「議会での性差別をなくすには」では、女性議員として結婚や出産、育児にどう向き合うべきか、悩んでいる心情も吐露し た。「公人で、みなさんの税金で給料をもらっているから、休むということで非常にバッシングを受ける可能性を感じている。休んでいいか分からないというの が、正直なところです」と話した。ただ、「人間として、女性としての権利なので、うまく調整して両立したいと思う」とも述べた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140918-00010002-withnews-soci


セクハラ後遺症で塩村議員「円形ハゲ」に

 6月にセクハラヤジ問題が起きた東京都議会に、全く自浄能力が働いていない。セクハラ容認ともいえる発言が再び飛び出し、ヤジ被害者の塩村文夏都議(36=みんなの党)は口をあんぐりさせたが、自身もいまだ騒動の傷痕が残っている。

  17日に開会した都議会で、早くも釈明に追われる都議が現れた。ヤジ問題を受け、5年ぶりに活動再開した「男女共同参画社会推進議員連盟」の会長に就任し た野島善司都議(65)が16日、「結婚したらどうだと平場では僕だって言う」と発言。この日、「議連会長の発言として不適切だった」と謝罪した一方で 「私が(会長に)最適任だと思っている。ユーモラスな人事かもしれない」と開き直るフシを見せ、報道陣に追い掛け回された。

 セクハラ問題の改善を訴え、ケネディ駐日米大使(56)とも交流を深めるなどシンボル化している塩村氏は「女性施策は安倍首相が進めていたが(ヤジ)問題があったから力強くなったとの声も頂く。ただ(野島発言で)3歩進んでまた2歩下がった感じ」と話し、旧態依然とした自民党の都議団にあきれるばかりだ。

 騒動から3か月経過したが、自身もヤジ騒動の傷は癒えていない。

「ツイッターでいろいろな情報がねじ曲げられ、拡散された。私が日本人でないとか、なりすましによる発言を真に受けた人から抗議が来たりで、6月から休止状態。貴重な広報ツールだったので戦力をそがれた」

 ツイッターを再開させたいものの嫌がらせへの対処法がないままでメドは立たない。また、バッシングにさらされ豆粒ほどの円形脱毛ができた。

「ストレスなのかよく分からないんですけど初めて。周りで支えてくれる人もいれば、裏で叩く人もいて、いろんなものが見えた」と吐露する。

 追い打ちをかけるのが渡辺喜美前代表(62)と浅尾慶一郎代表(50)との間で勃発しているみんなのお家騒動だ。

「なんでこんなことになったのか。悲しくなって、涙がちょちょ切れた」(塩村氏)

 分裂となれば、都議会みんなの党にも波及必至で、塩村氏の悩みは深まるばかりだ。
東スポweb2014.9.19
http://news.livedoor.com/article/detail/9268934/

「結婚」という言葉を禁句にしたら何か解決するんですかね?

多様な生き方(結婚する結婚しない・産む産まないも勝手=公は非介入)を認めないのは人権侵害ということにしたいらしいのだが
なのに少子化対策(極力産む方向に誘導=公は介入)を要求するのは矛盾だと思うんですが

科学的根拠のない犬猫の8週齢未満売買規制をごり押しするのに
 (8週齢未満の仔犬・猫を親から離すのは問題行動の原因と主張なさってます)
家族解体制度にしたら私生児が増えて社会問題化するのは考慮せずって矛盾だと思うんですが
レーニンの「事実婚」政策を葬ったスターリン 

どんな思想であれ整合性もって主張して欲しいんですけど

TBSnews23塩村平場であれどこであれセクハラは良くない

塩村先生特大ブーメランをお投げあそばしましたね?
(ナンシー塩村先生の作品画像は自粛します)

東京・赤坂の金融業者殺害容疑 暴力団幹部を逮捕 
1998.2.18 東京朝刊
 
  東京都港区赤坂で昨年4月、同区三田の金融会社社長が射殺された事件で、警視庁捜査四課と赤坂署の特捜本部は17日、殺人と銃刀法違反容疑(発射罪)など で、指定暴力団山口組一心会の永尾芳一容疑者(39)を逮捕した。同課では、短銃の入手経路を調べる一方、ほかにも現場に見張り役など数人がいた可能性が あるとして追及する。

 調べによると、永尾容疑者は昨年4月8日夕、同区赤坂の一ツ木通りで、金融会社「ダイナミックグループ」代表、韓国籍、李信成さん(当時53歳)を自動式短銃で数発撃ち、射殺した疑い。

 李さんは約2時間後に出血多量で死亡、一緒にいた李さんの部下の会社員も、流れ弾に当たり足に軽いけがをした。李さんは、現場でこの部下と立ち話をしていたところを射殺されたが、目撃証言などから、永尾容疑者が浮上した。



暴力団組員ら3人を逮捕 韓国クラブの殺人事件/東京・赤坂 
1998.11.7 東京朝刊

 港区赤坂二の韓国クラブ店内で3日未明、韓国籍の無職金東出さん(49)(新宿区歌舞伎町)が殴られ死亡していた事件で、警視庁捜査四課と赤坂署は7日、住吉系暴力団組長椎葉秀美(40)ら3容疑者を殺人、銃刀法違反容疑で逮捕した。

 調べによると、椎葉容疑者らは3日午前1時40分ごろ、同店内で金さんと口論になり、金さんに向けて短銃二発を発射したうえ、刃物で切り付けたり、殴打するなどして殺害した疑い。椎葉容疑者は「横柄な態度が頭にきてやった」などと供述しているという。



韓国人女性を監禁、強盗致傷 暴力団幹部ら4人逮捕=千葉 
1999.5.22 東京朝刊

 県警捜査一課と松戸署などは21日までに、借金返済を口実に韓国人女性を3日間監禁、暴行した上、金品を強奪したとして、東京都内の暴力団幹部ら男女4人を強盗致死と逮捕した。

 逮捕されたのは、住所不定、飲食店経営大澤桂二(43)、妻で韓国籍の松戸市根本、無職李成玉(イソンオク)(28)東京都新宿区新宿六、暴力団幹部大木誠(49)の3被告=いずれも強盗致死罪と逮捕・監禁致死罪で起訴済み=と、住所不定、無職佐橋三郎容疑者(56)。

  調べによると、4人は今年3月21日午後8時ごろから24日午後10時ごろまでの間、松戸市内の居酒屋経営の韓国人女性(47)を新宿の暴力団事務所など に監禁して殴るけるの暴行を加え、ろっ骨骨折などの大けがを負わせた上、現金約12万円や指輪など数点(計16万円相当)を奪った疑い。女性は店の改装費 などで大澤被告に百万円の借金があり、返済が滞っていたことから、李被告が知り合いを通じて大木被告らに取り立てを依頼、自らも女性にナイフを突き付けて 脅していたという。



東京・麹町の発砲 オフィス街、騒然「流れ弾当たったら・・・・」 
2000.8.8 東京朝刊

◆青ざめるサラリーマンら
  短銃の発砲音が響き、血にまみれた男たちが次々と雑居ビルから運び出された。7日、東京・麹町のオフィス街で起きた右翼団体と暴力団の銃撃事件。2人が死 亡、5人が重軽傷を負った白昼の抗争劇は、周辺のビルの関係者やサラリーマンを恐怖に陥れた。現場周辺は交通規制が敷かれ数百人の人だかりができるなど騒 然となり、「もし一般市民が巻き込まれていたら・・・・」と、不安の声が相次いだ。(本文記事1面)

 パンパンパンという乾いた音が響いた。竹で床をたたくような音だった。どなりつけるような声、うめき声が続いた。

 事件が起こったビルの同じフロアにある「人権文化を育てる会」の事務局長・水口好久さん(45)は異様な音で事件に気付いた。

 様子を見に、部屋から廊下に飛び出した女性職員はすぐ戻ってきた。「血を流して立っている男がいる」。女性職員は顔を真っ青にして叫んだ。

 すぐに110番通報した。防弾チョッキに盾と短銃を構えた捜査員が続々と駆け付けていたのは数分後。「班員はまだ潜んでいる可能性があるので絶対に表にでないで」。捜査員はフロア内を大声で叫んで歩いた。

  ビル1階のそば屋の男性店員(30)が発砲音を聞いたのは、出前を終えて店の裏側にバイクをとめた時だった。三発。男のうなり声が聞こえ、少し間を置い て、パン、パンと続いた。恐る恐るビルの玄関の方をのぞきこんだ。3、4人の男が会談を駆け降りてきた。肩で息をしていた。後ろを何度も振り返っていた。



江の島沖の中国人密航船事件 受け入れ役の韓国人ら逮捕=神奈川 
1999.5.28 東京朝刊

  藤沢市の江の島沖で今年2月、中国人密航者53人が乗り込んだ韓国漁船が見つかった事件で、県警外事課と藤沢署は27日、韓国籍で東京都北区田端新町、飲 食店従業員・金照沢(25)と、東京都足立区谷中、指定暴力団極東会等々力組幹部代行・吉岡巧(46)の2容疑者を入管難民法違反(集団密航者の収受未 遂)の疑いで逮捕した。

 調べによると、2人は今年2月、日本に密入国するため、韓国・釜山沖で韓国船籍の漁船「チョング」に乗り込んだ中国人密航者53人を、千葉県内の漁港で出迎え、国内に受け入れようとした疑い。

 県警では、乗組員が持っていたメモにあった携帯電話番号から、金容疑者を割り出した。密航者の受け入れには、ほかにも、10人近い日本人と中国人の蛇頭のメンバーが関与していたとみられ、背後関係を追及している。


18東京朝刊
7東京朝刊
22東京朝刊
8東京朝刊
28東京朝刊
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吉田清治の正体は? 続き

週刊新潮2014.9.18号
p25~27
詐話師「吉田清治」長男の述懐
「朝日に翻弄された私と父の人生」 


  朝日は、吉田清治なる”詐話師”のホラ話に丸乗りし、慰安婦「大誤報」を垂れ流してきた。しかも、32年にわたって撤回しなかったために、1億国民を報道 被害者にしたのと同時に、吉田氏の家族をまた、世間の冷たい目に晒し続けることになったのだ。吉田氏の長男(64)が述懐する。朝日に翻弄された父と自ら の人生とはー。

「済州島で朝鮮人女性を狩り出した」などという父の虚言のせいで、国民に多大なる迷惑をおかけしたことには、息子としてただただ頭を下げるほかありません。
 しかし、世間から”詐話師”などと呼ばれてはいても、私にとっては昔気質で無口な父でした。
  父が生まれたのは、大正2年(1913年)の10月15日のことです。実は、本名は雄兎といいます。父の父、つまり私からすると祖父は、福岡県遠賀郡の貯 炭場で現場監督を務めていて、かなり羽振りが良かった。ところが、スペイン風邪で若くして他界し、それから吉田家は没落していったそうです。
 日中戦争の起こった1937年、父は満州国地籍整理局で働いていました。その年、李貞郁という20歳の朝鮮人男性を養子に迎えた。後々、父の出自が疑われる原因にもなりましたが、父は、「朝鮮人や中国人は、日本人の10分の1しか給料が貰えなかった。差別はよくないし、日本人と同じになるように養子にしたんだ」と話していた。結局、私はその朝鮮人男性に会ったことはありません
 父はその後、中華航空の南京支社に転職している。
 生前、「南京の夏は暑くて、屋根が焼けるようだった」「情報機関の軍人を、優先的に飛行機に搭乗させたから部長にまで出世した」などと話しているのを聞いたことがありました。
 終戦前には、すでに中国から引き揚げてきたようです。残っている写真などを見ると、42年には『労務報国会下関支部』に職を得ていました。父は、のちにそこの動員部長の肩書で、従軍慰安婦の本を書いたのです。
 44年に母と結婚し、5年後に私、さらにその2年後に弟が生まれました。
  戦後、父は『下関肥料』という会社を立ち上げたりもしましたが、仕事は長続きしなかった。というのも、私は物心ついてから、父がまともに働いている姿を見 たことがありません。その代わりに、母が裁縫の内職などで家計を支えていましたが、家賃が払えずに追い出されては下関市内を転々としていました。
 高校生活を終えた後、私は自らの希望もあって、ソ連のモスクワ大学に留学しました。1年遅れで、弟も続いた。父はというと、当時、門司にある『小野田セメント』の子会社で、母と一緒に住み込みの管理人をしていました。ある時、賃上げ交渉に臨んだ労組が、
「こっ ちには、息子をモスクワ大学に留学させたバリバリの共産主義者がいるんだぞ!」と経営者側を突き上げ、そのせいで両親はクビになってしまった。やむなく、 両親の面倒を見るために、モスクワから2年で戻ってきました。24歳くらいの時、弟と一緒に上京し、精密機械工場で働いたり、得意なロシア語を活かそうと 翻訳サービスの会社で仕事をするようになった。上京後すぐに、生活が安定する間もなく両親を下関から呼び寄せました。

清田記者の電話
 父の4つ年下である母が亡くなったのは、私が30歳の頃です。肝臓がんを患い、60歳を超えたばかりだったのにあっけない最期でした。父が原稿用紙に向かうようになったのは、母の死期が近づいたことが一つのきっかけでした。
  ただ、私としては”自分史”でも残そうとしている程度にしか考えていなかった。ところが、ある日、父が1作目となる『朝鮮人慰安婦と日本人』(77年刊 行)を持ってきたのです。立派な本だったのでびっくりしたのですが、「そんなタイトルじゃ、恥ずかしくて誰も買わないよ」と言うと、父はムッとして、「タイトルも目次も出版社に決められたんだ。内容も、何度も何度も編集者に書き直しさせられた」と言い返してきた。
  父は最初、本名で出版しようとしたのですが、出版社との打ち合わせで、”清治”というペンネームを使うことになったのです。さらには、養子の朝鮮人男性は 83年に死亡しているのですが、その本では38年に戦死したことにしている。父は、ドラマチックなストーリーにするためだと話していた。つまり、身近にい た私から見ると、父はあくまでも私小説の類のフィクションを書いたつもりだったのです。
 とはいっても、その本をきっかけに、市民団体などから講 演依頼が舞い込むようになり、朝日にその模様が大々的に取り上げられました(82年9月2日付・大阪本社版)。仕事らしい仕事をしたこともなく、人付き合 いもほとんどなかった父がすっかり舞い上がってしまったのも無理はないかもしれません。
 挙げ句、2作目の『私の戦争犯罪』(83年刊行)では、従軍慰安婦の強制連行という話にまでエスカレートしてしまったのです。
 そのころ住んでいた都内のマンションには頻繁に記者が訪ねてくるようになりました。帰宅すると、精神を患って仕事を辞めていた弟から、「今日も、マスコミが来ていたよ」と教えられました。私自身、朝日の清田という記者からの電話を父に取り次いだ記憶があります。ただ、マスコミに煽られ、父の証言が政治問題になっても、たいして本は売れず、父が手にした印税はせいぜい数十万程度でした。しかも、それは韓国・天安市に建てた”贖罪の碑”に使ってしまった。
  他には、講演料収入というものもありました。「民団と朝鮮総連の両方から依頼が来るのは俺だけだ」なんて、父が自慢していたこともありましたけど、講演料 は最高でも5万円、たいていは数千円でした。ですから、父の生活の面倒は相変わらず、私が見るほかになかった。私は結婚することも叶いませんでした。
”詐話師”のレッテルが貼られるようになってから、次第に記者が父を訪ねてくることもなくなった。晩年は直腸がんを患い、ほとんど寝たきり状態でした。2000年7月30日、86歳で息を引き取りました。
 朝日は記事を撤回するなら、せめて父の生きているうちにして欲しかった。もちろん、第一に父が悪いのはわかっていますが、父にだってなにかしらの言い分があったかもしれない。
 これでは朝日の都合で祭り上げられ、そして朝日の都合で切り捨てられたようなものです。もし、朝日に関わらなければ、父も私も違う人生があったはずなのです。


(´・ω・`)養子になった朝鮮人男性には会ったことがない・・・
(´・ω・`)苦しい生活の中なぜか兄弟共にモスクワ大学に留学・・・・

(´・ω・`)?????

18吉田清治息子25
18吉田清治息子26
18吉田清治息子27

追記2014.12.26
朝日新聞第三者委員会報告書2014.12.22

p31
朝日吉田清治息子聞き取り
http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122201.pdf
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