2015年7月23日木曜日

反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。


【歴史戦 第8部 南京「30万人」の虚妄(3)前半】
アイリス・チャンの“業績”を踏襲せよ! 「ホロコースト」と結びつけ反日攻勢

 「南京大虐殺はアジアのホロコースト(ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺)だ」

 壇上の発言者が声のトーンを上げると、多くの参加者がうなずいた。米カリフォルニア州サンフランシスコ近郊のミルピタス市にあるホテルの会議室。先月14~16日、中国系の反日団体「世界抗日戦争史実維護連合会(抗日連合会)」の2年に1度の研究会が開かれた。参加したのは北米やアジア、欧州の代表や中国の歴史学者ら約60人。

 抗日連合会の幹部はこれまでも、南京事件とホロコーストを結びつける発言を繰り返してきた。ホロコーストを学ぶ機会の多い欧米を舞台に反日活動を展開するうえで、最も理解を得やすい手法だからだ。

 壇上の発言者は続けた。
 「われわれの力はまだまだ弱い。もっと力を注がなければならない」

 参加者の一人は本紙の取材に「抗日連合会は今後『ハード』と『ソフト』の両面で国際社会に訴えていくのだと感じた」と話した。

 ハード面とは博物館などのハコモノの設置だ。サンフランシスコでは、女性実業家、フローレンス・ファン(中国名・方李邦琴)を中心に抗日連合会も関与する形で、中国以外で初めて抗日戦を顕彰する「海外抗日記念館」を来年8月に開館する計画が進んでいる。

 カナダ・トロントからの参加者も同様の記念館を設置したいと表明したといい各国に広がる恐れもある。

 ソフト面では「南京大虐殺」や「戦時中における日本軍の蛮行」を宣伝する教材やビデオなどの発行、普及が計画されている。

 登壇者は、中国政府が6月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に「南京大虐殺」と「慰安婦」を登録申請したことに触れ「登録が認められれば、(各国の)歴史教科書にも盛り込みやすい」と、抗日連合会としても働きかけを強める考えを示した。

 1994年に発足した抗日連合会は設立20年の節目を迎えた。この間、米国や諸外国で反日宣伝活動を行ってきた。中国系米国人ジャーナリスト、アイリス・チャン(故人)の著書『ザ・レイプ・オブ・南京』(97年)の宣伝、販売はその「成功例」といえる。

 「日本軍は南京で30万人の市民を虐殺し、2万-8万人の婦女子を乱暴した」などと書かれた“歴史”は事実誤認や無関係の写真掲載が出版当初から問題となったにもかかわらず、米メディアが称賛し、「日本軍の残虐さ」を植え付けるのに一役買った。

 「アイリス・チャンがやったことを、われわれは踏襲しなければならない」

 登壇者は参加者に向かってそう訴えた。会場にはチャンの両親の姿もあったという。(敬称略)
産経ニュース2014.12.26
http://www.sankei.com/world/news/141226/wor1412260007-n1.html


【歴史戦 第8部 南京「30万人」の虚妄(3)後半】
「40万人虐殺」米の教科書に堂々と載る屈辱 誤りは断てるか

アメリカカリフォルニアミルピタス

 米カリフォルニア州サンフランシスコ近郊のロスアルトス市の小高い丘の上にある広大な墓地。緑の芝生の間に整然と敷き詰められた墓碑の中に、アイリス・チャンの墓はあった。

 「最愛の妻で母、作家、歴史家、人権活動家」。墓碑にはそう刻まれている。

 同州サンタクララの自宅近くの路上に止めた乗用車の中で、拳銃自殺してから10年。命日の先月9日には親類や知人らが墓前に集まり、追悼した。

 その様子を報じた中国メディア「人民網」によると「世界抗日戦争史実維護連合会(抗日連合会)」創設メンバーのイグナシアス・ディンもその場を訪れ、チャンと著書『ザ・レイプ・オブ・南京』についての思い出を語った。

 「アイリスは小さい頃から祖母や父母から南京大虐殺について聞かされ、ずっと興味を持っていた。彼女は米国で何冊もの本を読んだが、英文の本の中には1冊たりとも日本軍の南京での暴行に関し報告はなかった。教科書にもなかった
(それはつまり南京大虐殺はなかったってことでは・・・:筆者)

 だから、チャンは「歴史を紹介する機会を作ろうとしたのだ」と。

  日本の学者や歴史家らが再三、『ザ・レイプ・オブ・南京』の記述や写真の「誤り」や「偽り」を指摘したにもかかわらず、抗日連合会は宣伝、販売を強化し、 米メディアを効果的に利用した。主要メディアが大々的に紹介することで、ベストセラーになり、全米各地の大学や図書館にも置かれるようになった。その結果 「南京大虐殺」は米国の教育現場にも“史実”として顔を出している。

 米大手教育出版社「マグロウヒル」(本社・ニューヨーク)が出して いる高校世界史の教科書「トラディションズ・アンド・エンカウンターズ(伝統と交流)」。この教科書には、旧日本軍が戦時中、慰安婦を強制連行したとする 記述があり、日本の外務省が「不適切な記述」として、先月、記述内容の是正を要求したばかりだ。南京事件に関する記述も載っており、その項目はチャンの著 作と同じ「ザ・レイプ・オブ・南京」と書かれている。

 《日本軍は2カ月にわたって、7千人の女性を強姦(ごうかん)し、数十万人の非武装兵士と民間人を殺害、南京の住宅の3分の1を焼いた。日本兵の銃剣で40万人の中国人が命を失った》

 南京住民は、「戦争への情熱と人種的優越感に駆り立てられた日本軍」の被害にあったとされ、その象徴が「ザ・レイプ・オブ・南京」だと主張されている。

 南京事件から77年が経過した今月13日、南京市の「南京大虐殺記念館」での追悼式典で国家主席、習近平は「30万人の同胞が痛ましく殺戮(さつりく)された」と述べたが、その数字を上回る記述が米国の高校の世界史の教科書にあることは深刻だ。

 慰安婦の項目にはこんな記述もある。

 《慰安所設置のきっかけは、南京大虐殺からきた。多くの中国人女性が強姦された》

  ロサンゼルスで中韓の反日行動を阻止しようと活動している日本人男性は「外務省は出版社に慰安婦の記述について抗議したというが、『南京』の件も一緒に是 正要求したのだろうか。慰安婦についてだけだと、南京の記述は認めたことになってしまうのではないか」と危機感を募らせる。

 サンフラン シスコのチャイナタウンにある「文化センター」で今月13日、抗日連合会などが主催して南京事件の犠牲者を追悼する恒例の「南京祭」が開かれた。会場には 「日本軍が占領した南京」や「虐殺」の写真が展示され、赴任して間もない駐サンフランシスコ中国総領事の羅林泉やサンフランシスコ市議、カリフォルニア州 議会議員ら約400人が訪れた。

 「アイリス・チャンの本で巻き起こした『南京大虐殺』キャンペーンを、戦後70年を機に、もう一度やろうとしているようだった」

 会場を訪れた男性はそう語った。(敬称略)
産経ニュース2014.12.26
http://www.sankei.com/politics/news/141226/plt1412260012-n1.html


「アイリス・チャンの本で巻き起こした『南京大虐殺』キャンペーンを戦後70年を機に、もう一度やろうとしているようだった」
今まさに仕掛けられている最中じゃないの?
だってメンバーが同じだもの
Iris Chang Abraham cooper
左:『ザ・レイプ・オブ・南京』アイリス・チャン氏
右:サイモン・ウィーゼンタール・センター エイブラハム・クーパー副所長
中央:徳留絹枝氏
視界に入るノイズ:サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)

               

アブラハムクーパー徳留絹枝foxnewsunbroken
 http://www.foxnews.com/opinion/2014/12/29/unbroken-let-japanese-audience-see-jolie-film-learn-truth-about-pow-treatment/

日本人はアンジェリーナ・ジョリーの映画を見てどう捕虜を扱ったか知りなさい
byエイブラハム・クーパー&徳留絹枝

だそうでございます

では皆様
日本兵鬼畜の所業「バターン死の行軍」で捕虜をどう扱ったかご覧ください
GHQ西尾幹二バターン紅茶
あろうことか紅茶をふるまっております!

GHQ西尾幹二バターン診療を待つ捕虜
捕虜を並ばせて診療させる・・・虐待前には健康チェックが欠かせません!

GHQ西尾幹二バターン海水浴
疲労困憊した捕虜に海水浴を強要!!
【youtube】GHQ焚書図書開封 第77回

(´・ω・`)恐ろしいですねぇ~~~~(棒)


憶測なんですけどね
ナチスの残党ってもうほとんどいないじゃないですか(年齢的にいって
だから新たなビジネスが必要なのかなぁ・・・と思うんでございます

参考
日本を貶めようとする悪意3 アンジェリーナ・ジョリー『 #unbroken 』 
慰安婦強制連行がバレたから次は人食い日本兵ですか
【 #unbroken 】サウラビギタリストMIYAVIが赤いZE 
【 #unbroken 】アンブロークンの裏の赤い人脈

週刊現代 1995.8.12号
p34~37
徐裕行被告「村井殺し」を命じた闇の組織の正体

オウムの「自作自演」疑惑が濃厚になっている村井秀夫氏刺殺事件。だが、仮にそうだとしても、オウムと実行犯の徐裕行被告を結ぶ”接点”は判然としていない。どうやらそこには、警察もうかつに手を出せない、巨大な勢力の介在がありそうなのだ。

事件はすでに完結している
 多くの謎に包まれたオウム真理教・村井秀夫「科学技術省」長官刺殺事件で殺人罪に問われた徐裕行被告(30歳)の初公判が開かれた。

  検察側の冒頭陳述によると、徐被告は犯行の3日前、山口組系暴力団羽根組幹部の上峯賢司被告から「包丁でやれ」と命じられ、犯行後の言動についても「やっ たら、その場で逮捕され、右翼・神州士衛館の者だと名乗れ」などと細かな指示を受けていたという。だが注目すべきは、その際、「ある人がお前を期待してい るんだ」と上峯被告がいったという点だ。

 この「ある人」とはいったい誰なのか。

 依然、謎のままだが、こうした事件の背後関係に触れて、警視庁のある捜査関係者はこう漏らすのである。
「こ の事件の捜査ではなかなか具体的な関係が浮かんでこない。それに徐が犯行を認め、何よりも犯行の一部始終がテレビカメラにおさめられているため、刑事事件 としては完結してしまっている。もちろん動機や背後関係も重要だが、具体的な供述が得られない以上、このまま捜査を進めるのは正直むずかしい」

 すでに一部報道では9月から始まる上峯被告の公判を待って、村井氏刺殺事件についてはケリをつけるともいわれている。となると、この刺殺事件の背後関係は謎のまま闇に葬り去られる可能性がますます大なのだ。しかしそれでは、事件の真の解決いはならないのではないか。

  そこで本誌は、これまでつかんだ極秘情報をもとに、徐被告の凶刃に期待していたという「ある人物」と事件の背後にある闇の組織の正体に迫ってみたい。そこ にはやはり、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の影がチラついていた。そしてそれは、これまでいわれていた以上に、驚くべきものだったのである。

 まず、あらためて事件の原点に立ち返ってみよう。命題はひとつ。なぜ村井秀夫氏は殺されなければならなかったのか。

 これについて一時、オウムの覚醒剤密造をめぐって暴力団が村井氏の口封じに動いたとの情報が流れていた。つまり、密造に村井氏が深く関わっており、暴力団が、その接点を切ろうとしたというのだ。しかし、どうやら、このセンの可能性は低いようだ。ある暴力団関係者は、
「覚醒剤がらみで”口封じ殺人”なんて考えられん。覚醒剤がバレれば逮捕されたら済むことや。しかし殺人なら最低でも10年はムショ暮らし。そんな割に合わんこと誰もせん」
 と一笑に付す。

 ならば、村井氏が存在することで最も都合の悪いのは誰か。逆に、村井氏の死で、一番トクをしたのは誰か。この素朴な疑問の糸をたぐっていくと、必然的にオウム教団、そしてその頂点に立つ麻原影晃被告に行きつく。

 小誌でこれまで何度も報じてきたように、地下鉄・松本サリン両サリン事件をはじめ、数々の銃ぢ事件に深く関与していたとみられる村井氏の立場と、「口が軽い」といわれていた村井氏の言堂、この二つが「ポア」を招いたのではないかとの疑念は捨てきれない。

信者リストにある同性の女の謎
 村井氏刺殺が教団内部による口封じのための「自作自演」だったとすると、はたしてオウムと実行犯の徐被告はどう結びついたのか。

 これについては現在、オウムから複数の仲介者を経て上峯被告、そして徐被告へとつながるラインが指摘されている。だが、最近になってオウムと徐被告はもっとストレートに結びついていたのではないかとの見方が浮上しているのだ。

 その裏付けの一つになっているのが、徐被告が犯行当日、オウムの女性信者と会っていたという新情報である。

 徐被告は犯行当日の午後4時ごろ、南青山の教団東京総本部近くのコンビニエンスストアでパンを購入しているが、このとき眼鏡をかけた女性と話をかわす場面を目撃されている。この女性がオウム信者だというのである。

 この女性信者は教団「東信徒庁」に所属していたS・Tさん(33歳)。7月上旬に名状等不実記載容疑で赤坂署に逮捕されたが、その後、釈放されている。

 前出の警視庁捜査関係者は、この事実を認めたうえでこう語る。
「徐とこの女性信者を追及したが、両者の供述は『道をたずねた』『道を聞かれた』ということで一致していて、それ以上、詰められなかったんです」

 だが、徐被告と教団を結ぶ線はそれだけではない。実は徐被告の友人関係を調べていくと、もうひとつ意外な線が浮上してきたのだ。

 徐被告は昨年11月ごろから都内世田谷区上祖師谷3丁目の一軒家に友人2人と同居していたが、この家が彼の背後関係を知るうえでカギを握っている。

 同居人のひとりは小学校時代の同級生K・H氏(29歳)、もうひとりはこのK・H氏の高校時代の同級生で、この家を借りていたM・T氏(29歳)である。そして、この家の持ち主は品川区在住のM・Hさんという女性で、3人はいずれも北朝鮮籍である。

 さて、このK・H氏は上峯にK・H氏と同じ姓をもつK・Rさんという女性信者が存在する。「治療省」に所属する25歳の女性だ。これいついて教団側は、
「徐被告の友人というK・Hと、うちの女性信者であるK・Rの関係は分かりかねます。強制捜査以降、信者の個人情報が入手しづらくなっており、プライベートな部分は調べようがない」(外報部)

 という。だが、もし、K・Rさんが徐被告の友人K・H氏と縁戚関係にあるのならば、教団と徐被告を結ぶ線はぐっと縮まることになる。

  初公判の開廷直後、傍聴席最前列に座っていた暴力団員風の男が、突然「頑張れよ、みんな待ってるぞ!」と叫んで、退廷させられるというハプニングが起きた が、この男は実はK・H氏だったのである。これは単なる励ましの言葉だったのか。それとも何か隠された意味があったのだろうか。

 しか し、そうなると、徐被告に村井氏刺殺を命じたとされる上峯被告の存在はどう理解すればよいのか。教団と徐被告が最短で結ばれているとすれば、わざわざ上峯 被告経由で迂回して徐被告に殺人命令が下るというのも不自然な話だ。実は、この上峯被告に関して、こんな情報がある。当の上峯被告が、なぜ自分がこの事件 で逮捕されたのか首をひねっているというのだ。

 上峯被告の弁護人である辻洋一弁護士がいう。
「これはまったくの冤罪だと思います。上峯も『殺人を指示したなどありえない』といっています。犯行の前に徐と会ったのは事実です。しかし、上峯は『徐に頼まれて会った』といっており、会った理由も本件とは無関係なんです」

 これと符号するような別の証言もある。上峯被告を知るある人物が、逮捕直前の彼の様子について、こう語る。

「5 月の連休最後の夜、上峯から電話があり、『治験や警視庁の事情聴取を受けているか、オレはいっさい関係ないということで一件落着しそうだ。これで(羽根組 本部のあった)伊勢に帰るが、落ち着いたら上京する』という話でした。その数日後に逮捕されてしまった。とても、あんな大事件の犯人にされるような口ぶり じゃなかったが・・・・」

上峯被告は利用されたのか!?
 前述した公判での冒頭陳述は、検察が徐被告の自供をもとにその大半を作成したものだ。これを見る限り、徐被告は上峯被告からこと細かく指示され、そのとおりに犯行に及んだことになっている。

 だが、もしも徐被告の供述にウソがあると仮定すると、上峯被告の支持で、徐被告が殺害を実行したという検察側が描いた事件の構図は根底からくつがえってしまう。

 辻弁護士が続ける。
「徐の供述をよく見ると、実は逮捕されるのは誰でもよかったんですよ。たまたま都合のいいところに上峯がいただけで、事件の”本線”をカムフラージュするために上峯が挙げられたんです。
 徐という男は公判を見る限り、ひと筋縄ではいかない人間という印象っです。彼は小学校時代の友人と一緒に暮らしていたといっても、長いブランクをおいて、突然、友人の前に現れている。ちょっと正体不明なところのある人物だと思いますよ」

 まるで徐被告が上峯被告を利用しようとしたといわんばかりだが、たしかにあの犯行直後、テレビに映し出された徐被告の落ちつき払った表情、態度といい、”素人離れ”していたことは否めない。

 冒頭陳述によれば、徐被告は依頼を断ると家族に危害がおよびかねないため、やむなく引き受けたと供述しているようだが、あの確信犯的素振りは、追いつめられた人間のそれではなかった。

 いったい、徐裕行という男は何者なのか。これまでの報道などで伝えられている以上に”大物”なのではないか。そんな疑念が湧いてくる。

 徐被告は’65年、群馬県桐生市に生まれた在日韓国人2世である。都内足立区に転居。足立区立の小・中学校をへて、都立足立工業高校に入学するが、1年で中退している。

 これを見る限り、特別目をひくものはない。ところが、この男の友人・知人関係を調べていくと、実に奇っ怪な人脈系譜が明らかになってきたのだ。

  再び世田谷区上祖師谷3丁目の民家である。家の所有者のM・Hさんは品川区内でクラブ「M」を経営しているが、Mさんには姉がおり、この姉が意外な人物と 結びつく。’85年に韓国国家安全企画部によって検挙された北朝鮮の大物スパイ・辛光洙。日本を拠点に暗躍していたこの「北」のスパイとMさんの姉が、か つて同居していたという事実が判明したのだ。

 韓国安企部の発表資料によると、辛光洙は北朝鮮の金正日書紀の直命により、’73年、日本 に密入国。その後、日本で多数の在日同胞をオルグし、’80年、日本人の男性コック(当時49歳)を巧みに宮崎県青島海岸に誘い、仲間の工作員とともに拉 致し、北朝鮮へ連れ去ったという。さらに本国でそのコックの性格や経歴などを習得した辛は、その日本人に偽装返信して再び密入国。パスポートまで取得し、 以後、オルグした在日スパイらを使って韓国の軍事情報の収集に当たっていた。

 のちに韓国を震撼させたこの大物スパイは一時、Mさんの姉と同居していたばかりか、Mさんが経営する品川区内のクラブでレジ係として働いていたことも明らかになっている。 

大物スパイ辛光洙との接点
 現在、京都に住むMさんの姉がいう。
「辛光洙と私は、’73年冬から’76年夏まで、一緒に暮らしていました。辛を妹の店で働かせてくれと頼んだのは私です。辛は工作資金を稼ぐために日本でクラブをやりたいという狙いで妹に近づきたがったんです。妹も私も、辛が逮捕されるまで、彼の素性は知りませんでした」

 このクラブには徐も出入りしていたのだろうか。当のMさんは、
「徐には会ったこともないし、見たこともありません。今度のことではうちも迷惑を被っているんです」
 と真っ向から否定する。

 それにしても、徐被告の背後関係を調べていくと、予期せぬ「北」の大物スパイが顔を出した。さらに、徐被告の知人の驚くべき証言がある。
「徐の北朝鮮人脈で、あまり登場していない人物にT・Tという男がいる。彼は北朝鮮の対日工作員で何度も本国と日本を往復しているのだが、この人物と徐は知り合いだとわれている。

 そもそも徐は高校中退後、数年の経歴が空白だし、北朝鮮系の人たちが日本で作っている金日成の主体思想研究会のさる支部の責任者だったことがあるという情報もある。さらに、徐が犯行当日、渋谷のホテルで会ったという女の弟がYという男で、これも主体思想研究会の幹部で、行動隊長的存在だと聞いている」

 徐という男、その素性を探ろうとすればするほど謎が深まっていく。かつて大物工作員の辛光洙は、在日朝鮮人姉妹を利用して、スパイ活動を行った。時を異にして同じ人脈の中に徐被告は現れたわけだが、これは果たして偶然なのだろうか。

  徐被告の背後に広がる北朝鮮人脈と呼応するように、オウム真理教にも「北」の影がつきまとっている。教団NO.2で、”裏の首領”早川紀代秀被告は、ロシ ア経由で極秘裏に17回も北朝鮮を訪問していたことが判明している。麻原被告自身も、北の工作員と目される在日朝鮮人実業家と親しい間柄だったともいわれ ている
麻原、早川両被告らが、「村井ポア計画」にこうした”人脈”を使うことを考えたとしたら・・・。

 これだけ「北」の人脈が見え隠れしているにもかかわらず、警察がこの刺殺事件の背後関係捜査を「打ち切り」にするのは、次のような事情があるらしいと、徐被告の周辺を知る在日朝鮮人がいう。
「私のところに事情を聞きに来た公安の関係者に、なぜもっと捜査しないのかと聞いただしたら、『北の人間が絡んでくると、大物政治家のWあたりが口を出してきてやりにくいんですよ』と諦め顔でいっていましたよ」

 前記の「辛光洙スパイ事件」でも、日本人が拉致されたにもかかわらず、’88年に一度、国会で問題にされただけで、その後、国内ではウヤムヤにされたままだ。真実の前に立ちはだかる厚い壁。村井氏刺殺事件も、このまま幕を降ろしてしまうのだろうか。

p34・35
週刊現代95年8月12日号34・35
p36・37
週刊現代95年8月12日号36・37
http://fotla.net/95f6G  

アジア女性基金という負の遺産
昨日の記事に書いた人のインタビューが今日のアカヒに

(慰安婦問題を考える)「アジア女性基金の検証を」
アジア女性基金大沼保昭asahi2

 慰安婦問題を多角的に考えていくため、国内外の識者に様々な視点で語っていただく企画を始めます。

■大沼保昭さん(明治大特任教授)

  朝日新聞の「慰安婦」報道について第三者委員会の報告が出され、社長が記者会見を行い、再生を誓った。朝日新聞のあり方は日本のメディアのあるべき姿とし て重要な問題だが、ここではこの間「朝日問題」との絡みもあってしばしば誤解・曲解されてきた「慰安婦」問題に絞って、その原点を確認しておきたい。

  「慰安婦」とは、第2次大戦中、日本軍将兵に継続的に性的な奉仕を強いられた女性たちのことだった。こうした慰安婦制度の犠牲者は、日本、中国、韓国、 フィリピン、オランダなど広範に存在する。このうち、フィリピンやオランダでは被害者への日本の償いはそれなりの評価を受けたが、韓国は日本の取り組みを 厳しく批判し、日本ではそうした韓国への反発が強まったため、日韓の深刻な政治問題と化してしまった。「慰安婦問題=日韓問題」と捉えられがちなのはそう した事情による。

 日本は朝鮮を1910年に併合し、45年に植民地支配から離れた韓国と65年に国交正常化した。その際、日韓両国は植民地時代の請求権を相互に放棄し、これにより植民地支配に伴う問題は解決されたと考えられてきた。

 しかし、90年代のフェミニズムの高揚のなかで慰安婦問題がクローズアップされ、日本は法的には解決されたはずの問題にどう対処するかという困難な課題を突きつけられた

  95年、慰安婦問題に関する国内の議論が対立して具体的施策が困難をきわめる中、村山内閣と各界のオピニオンリーダーが協力して「女性のためのアジア平和 国民基金」(アジア女性基金)を設立した。日本政府と基金はその後、歴代政権の下で、総理のおわびの手紙、国民の拠金からの償い金200万円、国費から医 療福祉支援金120万~300万円を364人の元慰安婦の方々に手渡し、さらに現代の女性の人権問題にも取り組んできた。国際社会でも評価されている村山 談話の精神に基づいて日本政府と国民の心からのおわびと償いの気持ちを表したもので、自民、社会、さきがけの連立政権だからこそ実現できた、日本の政府と 国民が責任を果たすぎりぎりの施策だった。

 しかし、韓国の支援団体とメディアは、罪を認めない日本から「慰労金」を受け取れば被害者は公娼(こうしょう)になるとまで主張してこの償いを一顧だにせず、逆に日本批判を強めた。これは日本国民の深い失望を招き、日本の「嫌韓」「右傾化」を招く大きな要因となった。

  また日韓のメディアは償い金を「見舞金」、「慰労金」と報じ、欧米のメディアは「慰安婦」を「性奴隷」と表記するなど、不正確で偏った報道をくりかえし た。日本政府はこうした報道に十分に反論せず、基金による償い活動の広報を怠った。これに加えて第1次安倍政権下での政治家の不適切な発言、日本の一部の 排外主義的な反発や口汚い嫌韓言説が諸国で報じられたため、「性奴隷制度を反省しない日本」というイメージが国際社会に広がってしまった。

  この問題をめぐるこれまでの議論で最も欠けているのは、アジア女性基金による償いを具体的に検証する作業である。メディアに登場するのは学者、評論家、支 援団体関係者、ジャーナリストばかりで、被害者の方々に総理のおわびの手紙を手渡し、今日まで被害者のケアに努めてきた基金関係者・事務局員の活動はほと んど報じられていない。100人の学者・評論家のもっともらしいコメントより、一人の現場に関わった者の述懐が本質をつくこともある。メディアはそれを忘 れていないか。

 ここまでこじれてしまった問題を一朝一夕に解決することはできない。

 メディアは過去の一面的で扇動的 な報道を深く反省し、基金と政府が行った償いの活動を詳細に紹介してほしい。日本政府は国際広報に力を注ぐと共に、とくに慰安婦問題への姿勢に疑いの目を 向けられている安倍晋三首相は、そうした疑念を払拭(ふっしょく)させる思い切った行動をとってほしい。

 一般市民の方々は、「強制連行 された被害者か公娼か」といった空しい対立の図式に陥ることなく、何よりも大切なのは、慰安婦制度の犠牲者の尊厳を回復し、苛酷(かこく)な人生を生きて きた彼女らの残された人生の苦しみを少しでも和らげ、人間らしい生活を送るのを助けることなのだ、という原点をもう一度確認していただきたい。

  日韓両政府は、本問題について交渉を重ねながら具体的解決策に踏み込めないでいる。その一因は、両国にあまりに一面的で強硬な世論が蔓延(まんえん)して いることにある。日韓が勇気をもって問題の解決に踏み出すには、両国民による右の原点の理解が不可欠なのである。(寄稿)

     ◇

 おおぬま・やすあき 明治大特任教授、東京大名誉教授。専門は国際法。アジア女性基金の呼びかけ人・理事を務めた。著書に「『慰安婦』問題とは何だったのか」「東京裁判・戦争責任・戦後責任」、共著に「慰安婦問題という問い」「戦後責任」など。

     ◇

  〈アジア女性基金〉 正式には「女性のためのアジア平和国民基金」。元慰安婦に対する「おわびと反省」を表明した河野洋平官房長官の談話を受け、自社さ政 権下の1995年7月に発足した。首相によるおわびの手紙と国民の寄付から償い金200万円、国費から医療福祉支援事業として120万~300万円を元慰 安婦に支給。一定の役割を果たしたとして、07年3月に解散した。

 韓国では韓国政府認定の元慰安婦207人中(02年時点)、61人を対象に実施。台湾では13人、フィリピンは211人が対象。オランダでは医療福祉事業として79人が受け取った。インドネシアは元慰安婦の認定が困難だとして、高齢者施設を整備した。
朝日新聞DIGITAL2014.12.28
http://www.asahi.com/articles/ASGDW5H8MGDWUTIL00Y.html

法的に解決した問題を覆したと白状している


(インタビュー)日本の愛国心 明治大学特任教授・大沼保昭さん
アジア女性基金大沼保昭asahi

  集団的自衛権の行使容認に向け、安倍政権が突き進むなか、国のあり方を巡って民意が揺れている。平和志向は残っているものの、日本への強硬姿勢がやまない 中韓へのいらだちは依然、根強い。旧日本軍慰安婦など過去の問題と格闘してきた大沼保昭さんは、愛国心を語る言説が細っていることを懸念し、メディアの報 道にも警鐘を鳴らす。

 ――最近、日本人の愛国心が変だと心配されていますね。
 「『愛国』や『日本人の誇り』を主張する人が、日本の起こした過去の戦争を反省する姿勢を『自虐』と切って捨てる姿勢が強まっています。戦争を真剣に反省して努力を重ねたからこそ、世界に誇り得る戦後日本の見事な復興と達成がある。そこが十分理解されていないのではないでしょうか」

 ――背景には何があるのでしょうか。
  「まず、GDP(国内総生産)で長い間世界2位だった日本を抜いた中国が軍事力を急増させ、尖閣諸島を巡って強硬姿勢を強めたことが日本社会の不安をかき 立てています。しかし尖閣では、東京都知事として中国に対して挑発的な姿勢で島を買おうとした石原慎太郎氏の責任が極めて重いのです。石原氏の行動を発端 に、日本が『国有化』という形で現状を変更したと受け取った中国の指導部が日本を激しく非難するようになり、それが今度は日本国民の反中国感情を増幅させ ている」

 「韓国経済の躍進と『慰安 婦』問題のとげも大きいでしょうね。パナソニックやソニーの家電製品が韓国のサムスン、LGにとって代わられた。プライドが傷付いた日本を、韓国政府とメ ディアが慰安婦問題でさらに激しく攻撃している。慰安婦問題については韓国側にも多くの不正確な理解があるのに、韓国のメディアはそれを正さずひたすら日 本を非難している。これでは韓国に好意的な日本市民も反発を感じてしまう」

 「他方、現在のいびつな状況をつくり出した大きな責任は、 『愛国』『誇り』の論者と過去を『反省』する論者を対立させるという『激論』の図式で人々の思考に影響を与え続けてきた日本のメディアにあるのではない か。戦後日本は過去を反省し、世界の国々から高く評価される豊かで平和で安全な社会をつくり上げた。それを私たちの誇りとして描き出さず、戦前・戦中の日 本に焦点を当てて、愛国か反省かの二者択一の極論を見せ続けた。その結果、いびつな愛国心が市民に広がったのではないでしょうか」

   ■     ■

 ――いびつな愛国心を象徴するようなネット右翼(ネトウヨ)の言説が拡散していますね。
  「ネトウヨは若者の感覚の一部が極端な形で言説化しているのでしょうが、ある種の『快感』を多くの人に与えているのも事実です。欧米から『日本は慰安婦問 題で謝罪していない』と批判されると、『あなた方だって植民地支配をしてきたし、戦争になれば同じようなことをしたのでは』と反論したくなるでしょう。彼 らはそれを代弁している」

 「私はずっと、戦後日本は過去の植民地支配と侵略戦争を反省して平和憲法を守り続けてきたことを世界にもっともっと発信した上で、欧米に対して『あなたたちはどうだったのですか?』と問題提起をするべきだと主張してきました」

  「19世紀が欧州の時代、20世紀が米国の時代だったとすれば、21世紀は『多極多文明』の時代、というのが私の持論です。近代以降、世界の1割しかいな い欧米人が『我々のやり方を見習え』と残る9割に説教し続けている。それはどうなのか。『捕鯨は野蛮』と決めつける独善的な20世紀文明を克服し、日独だ けでなく多くの欧米諸国が過去の戦争と植民地支配を真剣に反省する。そんな21世紀世界を、私たちはつくっていかなければならない」

 ――そのためにも、日本は自身の過去を反省しなければいけないと。
 「それをしないと先には進めません。アジアは欧米からだけでなく、日本からも侵略され、植民地支配されたのです」

  「中国に『百年国恥』という言葉があります。1840年のアヘン戦争以来、100年にわたって中国は恥辱を受けてきたという意味です。中国政府の主張は大 げさで、南京事件で虐殺されたという被害者の数字も不正確です。しかし日本が満州事変(1931年)以降、中国を侵略し、数多くの人々を殺害したという事 実は否定できない」

 ――しかし、最近の中国の軍備拡張や日本への強硬姿勢をみると、そういう議論だけでいいのかと、抵抗を感じる人も少なくありません。

 「日米安保体制の強化で中国の行動への抑止力を高めることは必要でしょう。けれども20年後、さらに50年後はどうか。米国に頼って中国と軍事的に対峙(たいじ)する路線が、どれだけ賞味期限をもつのか。そうしたリアリズムこそ日本に必要なものです」

  「13億人の中国は、多少の挫折はあっても将来米国と肩を並べ、さらに米国を超える超大国になる可能性が高い。他方、百年国恥の屈辱感の裏返しである現在 の中国の攻撃的な路線が永久に続くわけではない。対立するより、諸国と共に中国の過剰な被害者意識をなだめ、卒業してもらう工夫を日本はするべきです」

 ――具体的には。
  「中国が持たないソフトパワーをいかすことです。日本の学者が主導してアジア国際法学会を日本で開催した際、参加した中国人が必死に運営のノウハウを学ぼ うとしたことは象徴的です。製造業やサービス業、医療のシステム、アニメやファッション、さらには秩序だった市民生活のルールなど日本には中国にとって魅 力のあるソフトがあります。それで中国の懐に入り込み、ウインウインの関係をつくり出すべきです」

   ■     ■

 ――相当な覚悟としたたかさが必要ですね。日本にできますか。
  「もちろんできます。ここでも現代日本を過小評価してきたメディアの責任は大きい。日本のメディアはあまりに悲観的です。世の中には楽観的な事実も悲観的 な事実も無数にある。そこから何を選び、どんな論調をつくるかは、ジャーナリズムの責任です。ひたすら悲観的な論調で日本の世論を暗くし、イメージを傷つ けるべきではありません」

 「社会が暗くなると人々に自虐的な思考が広がる一方、不満をためた人たちは過去の栄光にすがる。日本の良いと ころをきちんと評価し、健全なプライドをメディアが意識して育てないと、人々はゆがんだプライドを求めるようになります。それが『大東亜戦争』を肯定した り、慰安婦問題で居直ったりという行動につながってしまうのです」

 ――しかし現状を肯定するばかりでは、メディアの責任を果たすことはできません。
  「権力監視や現状の批判は必要ですが、現在のあまりに硬直的な悲観主義や否定・他罰的傾向を見直してはどうかと言っているのです。それは政府や社会に対し てだけでなく、メディア相互の関係でも言えることでしょう。例えば朝日新聞と読売新聞の論調は互いに批判しあう関係ですが、むしろ両者が共有できる部分を 大事にするべきでしょう」

 「集団的自衛権の行使について、朝日は反対、読売は賛成という論調に終始していますが、10年、50年後の日 本の安全保障という共通の課題を両紙で議論してほしい。中国の軍事的暴走を抑止するため、短期的に見て日米安保体制の充実は確かに必要でしょう。しかしそ れは日本が過去の戦争を反省していることを、中韓を含む世界の国々に分かってもらったうえでの話ではないか。靖国神社に参拝し、修正的な歴史観をぎらつか せながら集団的自衛権の行使を容認するのが、日本国民の安全保障に本当に資するのか。そういうことを論じ合うことが、批判合戦よりもずっと建設的ではない でしょうか」

 ――日本人は健全な愛国心を持てますか。
 「戦後日本の歩みは世界で類をみないほどの成功物語でした。日本にはそれだけの力がある。どんな人間だって『誇り』という形で自分の存在理由を見つけたい。メディアがそれを示し、バランスのとれた議論を展開すれば、日本社会は必ず健全さを取り戻すと信じています」
朝日新聞DIGITAL2014.4.16
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11086600.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11086600

法的に解決した問題を覆し国費で賠償することが「売国」でなくて何だと言うのだろう
自社さ政権のツケはあまりにも大きい
この人達のせいで一体いつまで苦しまなきゃいけないんだろう

アカヒが言うところのいびつな愛国心とやらについて
第三者委員会の北岡伸一氏はこう言っている

【朝日慰安婦報道検証会見・詳報】
(2)慰安婦問題の海外への波及 「朝日新聞が主導的役割果たした」
産経ニュース2014.12.22

朝日第三者委員会北岡委員
http://www.sankei.com/affairs/news/141222/afr1412220038-n1.html
(この北岡氏はなかなかいいことを言ってるので、そのうち書こうかと)


韓国、中国の反日を煽った朝日の報道が反韓国、反中国という事態を招いたと
それをネトウヨがーヘイトスピーチがー
見苦しいことこの上なし

ちなみに同じアジア女性基金理事だった下村満子氏は
韓国にはもう何やってもダメとおっしゃっておりました
(この時の朝生ただし動画は削除されている)
「慰安婦強制連行」に疑問を持つと朝日報道テロの標的に

2014.8.5の朝日新聞一連の検証記事のうちこちら
「軍関与示す資料」 本紙報道前に政府も存在把握
http://www.asahi.com/articles/ASG7L5Q40G7LUTIL045.html

〈疑問〉朝日新聞が1992年1月11日朝刊1面で報じた「慰安所 軍関与示す資料」の記事について、慰安婦問題を政治問題化するために、宮沢喜一首相が訪韓する直前のタイミングを狙った「意図的な報道」などという指摘があります。

  記事は記者が情報の詳細を知った5日後に掲載され、宮沢首相の訪韓時期を狙ったわけではありません。政府は報道の前から資料の存在の報告を受けていまし た。韓国側からは91年12月以降、慰安婦問題が首相訪韓時に懸案化しないよう事前に措置を講じるのが望ましいと伝えられ、政府は検討を始めていました。

と書いているが果たしてこれは本当なのだろうか

朝日新聞第三者委員会が出した報告書
http://www.asahi.com/shimbun/3rd/
この報告書では吉田清治証言報道が与えた影響についての検証が主でこの検証はされていない


著者大沼保昭氏はあとがき一行目をこう書いている

「慰安婦」問題については、現場の目撃証人として、また日本の戦後責任を考え続けてきた者として、しっかりしたものを書きのこさなければ・・・・。

さらに

 わたしは、国際法学者として研究・教育に従事すると同時に、市民運動にも携わってきた。扱った問題は、教科書問題、韓国民主化運動に従事して死刑判決を受けた韓国人政治犯の助命、在日韓国・朝鮮人の法的地位の改善、サハリン残留朝鮮人の韓国への永住帰還などであった。

と書いている

はじめに
の中では
  左右いずれであれ、実証的な研究を顧みず、みずからの思い込みにもとづいて扇動的な議論を重ねる人々とは、対話と議論が成り立たない。その意味で、「慰安 婦」問題について実証的基礎もないまま元「慰安婦」を売女呼ばわりする「論客」は、まともな議論の対象にならない。本書で「慰安婦=公娼」論への言及と反 論がすくないのは、それをよしとしているからではなく、およそ学問的論議の対象にならないと考えているためである。

さらりと書いているが「韓国民主化運動に従事して死刑判決を受けた韓国人政治犯の助命」
この政治犯の中に拉致実行犯辛光洙が含まれていたことはご存じの通り
そして救われた徐勝氏という人も・・・
韓国民主化運動という赤化運動

自分は対象外だから遠慮なく言わせてもらうがこの人は極左反日活動家だろう

そして最近はこんな記事も
聯合ニュース『元女性基金理事の大沼保昭氏 韓国の慰安婦問題対応に絶望』2014.8.31
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2014/08/31/0400000000AJP20140831000700882.HTML
勝手に謝罪だの補償だのやらかしてこじれたら絶望とか
とんでもない負の遺産作っておいて何をぬかすのかと怒りを禁じえないわけですが

さてこの人が何と書いているかというと

p2~5
慰安所軍関与示す資料asahi

元「慰安婦」の出現

 1991年8月14日、金学順①と いう韓国の女性が、自分は「慰安婦」だったと名乗り出た。彼女は12月にはほかの元「慰安婦」とともに日本の責任を追及して東京地裁に訴えた。「慰安婦」 問題はすでに韓国では大きく報じられ、日本の国会でも質疑が行われていたが、一般の関心はそれほど高くなかった。しかし、一人の生身の女性が元「慰安婦」 という過去を告白して日本を訴えたことの衝撃は大きく、問題は大きく社会化する様相をみせていた。

 1992 年1月11日には『朝日新聞』が一面トップで、「慰安所」の設置、「慰安婦」の募集、監督などに日本軍が関与していたことが史料的に示されたというニュー スを報じた。ほかの新聞、テレビも競って大々的に報じた。それ以来、「慰安婦」問題は1990年代の日本社会を揺るがす巨大な問題となった。

 『朝日新聞』のスクープ記事の5日後に訪韓した宮沢喜一首相は、対日非難に荒れ狂う韓国社会に身を置いて、くりかえし謝罪を表明した。同 年7月には加藤紘一官房長官が問題に関する第一次政府調査結果を、翌93年8月には河野洋平官房長官が第二次調査結果を発表した。河野官房長官談話は、 「慰安婦」問題について「総じて本人たちの意思に反し」、「女性の名誉と尊厳を著しく傷つけた問題」として、「お詫びと反省の気持ち」を表明した。

 宮沢内閣は、この二つの官房長官談話を出したものの、政府の調査結果の発表の際に謳ったお詫びと反省の気持ちを具体化することなく退陣した。その後の細川護熙・羽田孜内閣も同じだった。日本政府が責任を回避しているという非難は日ごとに高まっていた。

村山政権の登場 
  1994年6月、社会党の村山富市委員長を首班とする自民・社会・さきがけ連立政権が成立した。村山内閣は、首相を出した社会党が与党内の第二勢力という 変則的な内閣であった。発足当初から力の限界を意識していた同内閣は、戦後50年という節目の年に政権を担当することに歴史的な意義を認め、未決の「戦後 処理問題」の解決をみずからの政治課題とした。

 「戦後処理」に関しては、戦争や植民地支配で深刻な被害を受けながら放置されてた多くの 問題があった。朝鮮半島からサハリンに炭鉱労働者として渡りながら、戦後引き上げを拒まれ、故郷に帰ることができなかったサハリン残留朝鮮人の韓国への永 住帰国問題。広島、長崎で被爆しながら戦後韓国に帰国したため被爆者治療の対象とされなかった在韓被爆者の問題。日本企業ではたらかされ、虐待され、給与 の未払いという問題があったにもかかわらず、放置されてきた強制連行労働者の問題。 日本帝国臣民たる軍人・軍属として働いたのに、戦後軍人年金や遺族年金を支払われなかった旧植民地出身の軍人・軍属の年金問題などである。

 村山首相は、連立政権の要となる内閣官房長官に社会党の五十嵐広三議員を起用した。五十嵐氏は、1987年以来、サハリン残留韓国・朝鮮人問題議員懇談会事務局長としてサハリン残留朝鮮人問題解決のために、会長の原文兵衛参議院議員とともにもっとも重要な役割を担い、在韓被爆者問題や「慰安婦」問題にも取り組んでいた。以後、五十嵐長官は戦後処理問題の解決をめざす村山内閣の中心として「慰安婦」問題にも取り組むことになった。

  村山内閣は、発足後間もない1994年8月31日に、「我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたこと」への不 快反省の気持ちを表し、元従軍「慰安婦」、サハリン残留朝鮮人の永住帰国、台湾の確定債務などの問題の解決に取り組む決意を示す総理談話を発表した。9月 には与党3党(地味、社会、さきがけ)は戦後50年問題プロジェクトチーム(座長・上原康助)を発足させ、未決の諸問題の解決に向けて動き出した。村山内閣は、1958年以来40年近く懸案となっていたサハリン残留朝鮮人の韓国への永住帰国の予算を計上し、台湾の確定債務問題もほぼ解決した。

  こうして戦後責任にかかわる問題の解決をめざすなかで、政府と与党内には政府と国民がともに参加する補償基金の考えがあり、その具体的なかたちが論議され ていた。1994年8月の村山総理談話は、「幅広い国民参加の道を探る」というかたちでこうした考えを示唆した。被害者への補償のための基金については、 などの政治家や知識人、NGOのあいだにも、いくつかのアイディアがあった。

①金学順
植村隆・元記者の大誤報1991年「初めて慰安婦名乗り出る」
挺身隊と慰安婦を混同、慰安婦の強制連行を印象付け、義父にキーセン(芸妓)として売られていたことを書かずに事実をゆがめた
(´・ω・`)これはこれでまた大問題

②社会党の清水澄子議員
河野談話の立役者 清水澄子

引用部分を読むと
やはり朝日新聞の報道がきっかけでと書かれている
右ではなく左の人ですらこう書いているわけで
これが偶然なんてことがあろうかと(´・ω・`)状況的には限りなく黒い

そしてやはり村山内閣が色々やらかしたことがあらためてよく分かりますね
村山富市のしでかしたこと

村山談話がだましうちのような形で出されたことを知ってますか?
【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】 真実ゆがめる朝日報道

未来永劫こんな談話にとらわれてていいはずがない 

金丸訪朝団(産経) 
金丸訪朝団(朝日) 
金丸訪朝団唯一の成果といえる第18富士山丸事件

ヘビのように賢くあってほしい 第18富士山丸事件① 続き

【北朝鮮抑留84カ月 紅粉元船長18年目の証言】下・平壌の刑務所
紅粉勇第18富士丸雑居房


過酷な生活 持病も悪化/“ボス交渉”でようやく釈放
 鉛筆を手にした紅粉(べにこ)勇さん(78)は、記者のノートにさらさらと平面図を描き始めた。

密告係が常駐
  第18富士山丸の船長だった紅粉さんと、機関長だった栗浦好雄さん(77)は一九八八年四月、抑留されていた北朝鮮で「十五年の重労働刑」を言い渡され た。収容された平壌の刑務所は木造平屋。雑居房の寝台や窓、暖房のパイプの位置まで、紅粉さんは、はっきりと覚えている。

 当時、監視兵に隠れて作った手製のカレンダーへの書き込みをもとに、紅粉さんは刑務所生活を振り返った。

 畳十五枚ほどの雑居房には、二人のほかに、日本語のできる初老の男性受刑者がいた。二人の言動を監視する「密告係」だった。

 早速、「じいさん」とあだ名を付けた。じいさんは自分のことを一切語らなかったが、白く薄い手のひらは、労働者の手ではなかった。

 起床は毎朝五時。労働は農作業だった。食事はご飯にキャベツの塩漬け。腐った魚や炭じん入りのみそ汁が出たこともある。

 冬は氷点下二〇度まで下がったが、暖房はなかった。耐えかねて監視兵に話を付け、調理場のパイプを雑居房まで自分たちで延ばし、ささやかな暖をとった。

 二人は、他の受刑者と隔離されていた。ただ、時折、人を殴る音がした。「アイゴー、アイゴー」。悲痛な声だけが聞こえた。

 炭鉱が近くにあるのか、風向きによって、服が真っ黒になるほど炭じんが降ってきた。

 紅粉さんは過酷な刑務所生活で、持病の高血圧が悪化した。病院に連れて行かれても、血圧を測るだけで薬を出さない。「この地で天に召されるのか。神様、助けてください」。紅粉さんは祈り、聖歌を口ずさんだ。

 「人生の海の嵐にもまれ来しこの身も…救い主イエスの手にある身はいとも安し」

 八八年六月。紅粉さんは、神戸で待つ妻の峰子さん(84)に手紙を書いている。

 「四月二十六日、第二別荘に移りました。当地は環境が良く、皆も良くしてくれます。医師は責任を持って看病すると言ってくれ、心強いです」

 「もう会えないかもしれない」と思いながら、丁寧に書いた手紙。刑務所を「別荘」と言い換え、峰子さんを安心させることだけを考えた。

支える会発足
 日本では、紅粉さんが刑務所に収容された八八年四月に住所地の神戸で「紅粉夫人を支える会」が、同年九月に出身地の函館で「紅粉さんの家族を支援する会」が発足。早期釈放を求める署名や日本政府への要請活動が活発化した。

 朝鮮労働党とパイプのある社会党(当時)による交渉も続いた。田辺誠・元委員長は八五、八七、八九年と訪朝を重ね、労働党幹部に二人の釈放を求めた。

 八七年の接触で、当時の「自民党のドン」金丸信・元副総裁(故人)の訪朝が議題に上ったが、交渉は一進一退を繰り返した。

 事態が動いたのは八九年十一月、北京で行われた社会党と労働党の非公式協議だったと、田辺氏は言う。

 場所は北京中心部の北朝鮮大使館。「私と金丸の訪朝という案を受け入れないなら、私は日朝交渉から一切身を引く」。田辺氏が語気を強めると、北朝鮮側は休憩を要求した。

 休憩後、「あなた抜きで交渉は進まない」と、北朝鮮側から回答があった。平壌と連絡を取った様子だった。

 当時の北朝鮮は社会主義陣営の崩壊の危機に直面し、孤立感を深めていた。

 「窮状打開を望んだ北朝鮮が、日本の実力者の金丸氏と、金日成主席(故人)の“ボス交渉”で、日本との国交正常化に決着をつけようとした」。慶大法学部の小此木政夫教授(北東アジア国際政治)は、金丸訪朝団の実現をこう位置づける。

 一方の日本側にも、冷戦終結という地殻変動を機に、歴史的合意を図る狙いがあった。田辺氏は「戦後に区切りをつけるため、日朝国交回復をやりとげるべきだと考えた」。

訪朝団の実現
 九〇年九月、自民、社会両党による「金丸訪朝団」が実現した。訪朝団は朝鮮労働党と、日朝国交樹立に向けた三党共同宣言に調印。紅粉さんと栗浦さんの釈放でも合意した。

 二人は、日朝交渉について一切知らされていなかった。しかし、九月十八日、刑務所から招待所に突然移される。「どこかで何かが動き始めている」。紅粉さんは直感した。

 十月十一日午前七時半。招待所に北朝鮮政府の幹部三人が現れ、釈放通知を読み上げる。「両名は罪を犯したが、金日成閣下の寛大なるご配慮により釈放する」。この時点では、解放の喜びより、犯罪者扱いされる不快感が先に立った。

 さらに「北朝鮮でのできごとを日本でしゃべったら、家族に影響を及ぼす」と脅された。

 招待所の入り口にベンツが止まり、二人は平壌空港へ。全日空機のタラップの前に立ってやっと、安堵(あんど)の涙が流れた。北朝鮮の土を靴底から丁寧にすり落とし、紅粉さんは飛行機に乗り込んだ。

 抑留から七年、重労働刑を受けてから二年半。二人の帰国で富士山丸事件は解決を見た。しかし、戦前の植民地支配だけでなく、戦後四十五年間の対北朝鮮政策への償いまで盛った九〇年の三党共同宣言は「土下座外交」と、国内世論の激しい非難を浴び、続いて明らかになった北朝鮮の核開発で空文化する。

 紅粉さんたちの帰還以外、金丸訪朝団の成果はいま見あたらない。二人の帰国が実現したこの時期あたりから、北朝鮮は、核開発を背景にした「瀬戸際外交」に軸足を移していく。

 北方領土問題と並ぶ「最後の戦後処理」とされる日朝国交回復は二〇〇二年の小泉純一郎首相の訪朝も実を結ばず、現在まで果たされていない。

 忘れたい記憶である抑留生活を話した紅粉さんには、一つの思いがある。「北朝鮮がどういう国か、身をもって体験した者が証言しないと分からない。そうしないと拉致被害者も帰って来られない」

 紅粉さんは新約聖書の言葉「ヘビのように賢く、ハトのように素直であれ」を引用し、手記の末尾にこう記した。

 日本の政治家は、したたかな北朝鮮の指導者にだまされてはならない。ヘビのように賢くあってほしい-。

    ◇

 紅粉さんの手記「人生の嵐を越えて」(ベラカ出版)はB6判、二百三十一ページ。札幌市中央区南一西三のCLC札幌店(電)011・261・9551などで販売されている。
※聖歌の歌詞は(C)中田羽後(教文館)
北海道新聞2008.5.14
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/kawaraban/23409.html

朝鮮半島、とくに北朝鮮が絡むと
正しいことが正しいこととして通らず理不尽なことばかり・・・ 

金丸訪朝団(産経) 
金丸訪朝団(朝日) 
金丸訪朝団唯一の成果といえる第18富士山丸事件

続き→ヘビのように賢くあってほしい 第18富士山丸事件②

【北朝鮮抑留84カ月 紅粉元船長18年目の証言】上・偽りの調書
紅粉勇第18富士丸
紅粉勇第18富士丸の航路


 北朝鮮に七年、八十四カ月にわたり抑留された第18富士山丸の元船長紅粉(べにこ)勇さん(78)=函館出身=が、一九九〇年十月に解放されてから十八年。帰国直後、抑留について多くを語らなかった紅粉さんが、手記を自費出版した。題して「人生の嵐を越えて」。手記を手に、神戸市で暮らす紅粉さんを訪ねた。(佐藤千歳)

「署名すれば帰国」信じ/国際情勢緊迫 厳しい取り調べ
 六甲山系の西端に広がる神戸市の住宅街。おでんの土鍋を囲む食卓で、クリスチャンの紅粉さんは食前の祈りをささげた。

 「事件を昔のこととして話せることを神様に感謝します。(北朝鮮に)拉致されている方とご家族の健康と、一日も早い解放をお祈りします」

 紅粉さんはつらかった抑留の記憶を、言葉を選びながら話し始めた。

 貨物船・第18富士山丸は八三年十月三十一日、北朝鮮西部の南浦(ナムポ)港でハマグリを積み、日本に向け出港した。

 十一月三日夜、対馬沖。「密航者がいる」。機関長の栗浦好雄さん(77)が、すすと油で真っ黒になった若者を船長の紅粉さんの前に突き出した。北朝鮮軍の閔洪九(ミンホング)・元兵士=当時(20)=だった。

 同船は下関沖の六連(むつれ)島検疫錨地(びょうち)に入った。「密航者の送還は乗ってきた船舶または運送業者の責任で」との入国管理法を示す福岡入国管理局の職員に従い、紅粉さんは送還義務を果たす趣旨の誓約書を提出した。閔元兵士は門司海保が逮捕した。

 船を所有する富士汽船(大阪)は「カラ船では出せない」と、ハマグリを北朝鮮で積むよう手配する。

 十日に閔元兵士を引き取るため、入管へ出向くと、取り調べ中で渡せないと言う。出港目的の一つはなくなった。だが、積み荷は手配済み。「この後、別船でも送還できる」という入管の言葉を信じ、紅粉さんは十一日、北朝鮮へ再出港した。

再出港で暗転
 今にしてみれば、再出港は理解しにくい行為だ。紅粉さんが誓約書を書いた十一月四日は、韓国の閣僚ら二十一人が爆弾テロで死亡したラングーン事件(八三年十月九日)が、北朝鮮の犯行と断定された日に当たる。

 ソウル五輪を五年後に控えた韓国の政治・経済的な存在感は増す一方だった。焦りを覚えた北朝鮮は、対抗手段として国家テロへの依存を深めた。富士山丸事件は、その流れの中で起きた。

 ただ、当時の紅粉さんにそこまでの認識はなく、「捕まるなんて考えもしなかった」。解放後、紅粉さんらは再出港を制止しなかった国の不作為の責任を問う国家賠償請求訴訟を起こしたが、認められなかった。

 十一月十五日、南浦港に到着すると、北朝鮮の警備兵に「国際法違反」容疑で取り調べを受けた。五人の乗組員のうち、紅粉さんと栗浦さんは外国船員向け施設に連行され、逮捕された。

 軍服の取調官の聴取が始まった。名乗らないから、顔つきで「カマキリ」とあだ名を付けた。通訳を介した取り調べは連日二-五時間。それ以外は部屋に一人で監禁された。

 十一月末、取り調べ中に、紅粉さんは気を失った。持病の高血圧が悪化していた。栗浦さんは厳しい取り調べに耐え切れず、自殺を図った。紅粉さんは決心する。「とにかく、一日も早く帰国しよう」

スパイ扱いに
 取調官は紅粉さんらをスパイに仕立てようとしていた。「陸にいる朝鮮人を船から手招きして拉致したんだろ?」「港の調査をするため連れてったんだろ?」。どれほど荒唐無稽(むけい)でも「帰国のため」と思い、その通りに陳述書を書いた。

 「早く書いて日本に帰りなさい」。取調官も紅粉さんに言った。

 「スパイ行為を続け、公安調査庁の人間である富士汽船社長に報告した。泳いでいた人民を船に引き入れ、日本政府に引き渡した」。最終的な陳述書はこうなった。まるで芝居の台本だった。

 明けて二月、二人を除く乗組員三人が帰国を許された。

 水面下では、日朝の接触が続いていた。八四年春、社会党(当時)訪朝団の訪問を受けた後は、三十分の散歩が認められるようになった。

 八四年夏、二人は平壌市内の招待所に移される。世話係として五十代の男性と、食事係の若い女性が付いた。

 たまに船の手入れを理由に、南浦港行きが許されると、不当逮捕を告発する手紙を隠し持ち、寄港した日本人船員に渡そうとした。帰るため、あらゆる手段を講じた。

 しかし、国際情勢は逆の方向に進んだ。

 八七年一月、北朝鮮の鉄鋼船ズ・ダン号の乗組員十一人が福井県に漂着し、韓国へ亡命を求める。北朝鮮は送還を求めたが、日本政府は亡命を認めた。北朝鮮は「富士山丸船長の処理に影を落とさざるを得ない」と声明を出す。

 日本政府は同年十一月、北朝鮮が送還を求めていた閔元兵士を送還せず、日本国内で仮放免した。

 その直後、大韓航空機爆破事件が起きる。日本政府は制裁措置を発表。北朝鮮は、富士山丸事件に関する非公式折衝を断絶すると通告した。二人は政治ゲームのコマにされた。

 八八年三月、カマキリが調書にあらためて署名するよう求めてきた。「署名すれば帰れる」。そう言われて母印を付いた。

 四月に入ると、カマキリが言い出した。「帰る船が決まった。おみやげは何がいい?」

 四月二十八日朝九時、二人は車に乗せられた。平壌の路地裏の二階建ての建物に入る。通訳を含めた三人が紅粉さんと栗浦さんの前に立った。

15年の労働刑
 「両名は朝鮮沿岸を観察し、公安調査庁に報告した。わが国人民を船に引き入れ、日本政府に引き渡した。両名を十五年の重労働刑に処す」。紅粉さんは手錠を掛けられた。

 「なんだ、これは!」。紅粉さんが両手を挙げて叫ぶ声がむなしく響いた。二人は車に放り込まれた。カーテンの間から橋のない川や雑木林が見えた。

 「私たちを日本に帰すのに、こういう手順を踏むんだ」。自分に言い聞かせ、紅粉さんは手錠の痛みをこらえた。

 だまされたとは、信じたくなかった。
北海道新聞2008.5.13
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/kawaraban/23408.html

ラングーン事件
→ なでしこ優勝の陰の功労者、在日企業家・文弘宣氏

朝日新聞第三者委員会の報告書が出た
→慰安婦報道検証 第三者委員会
http://www.asahi.com/shimbun/3rd/3rd.html

この中の
第三者委員会報告書・別紙資料1(取り消した記事)
http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122203.pdf

気になる名前が目に留まったので書き起こし

1986.7.9
アジアの戦争犠牲者を追悼
8月15日、タイと大阪で集会

元捕虜・通訳ら参加
体験語り、平和誓い合う

  第二次大戦で犠牲になったアジアの人たちを追悼する集会が、終戦記念日の8月15日、「死の鉄道」で名高い泰緬(たいめん)鉄道の要所、タイ・カンチャナ ブリと大阪で同時に開かれる。タイでは、鉄道建設で死んだ連合軍捕虜や現地労働者を慰霊するため、元陸軍省通訳が建てたタイ式寺院い、「ロームシャ」と呼 ばれた当時の労働者やその遺族らが集まる。大阪ではタイ、韓国、シンガポールなどからの参加者が戦争体験を語り、日本人とともにアジアの平和を誓い合う。

集まりは「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳(は)せ、心に刻む集会」。

  大阪集会は、8月15日午前10時から大阪市東区森ノ宮中央2丁目のピロティホールで。タイ・カンチャナブリの戦争博物館長ティーパンヤ・スティー師、韓 国原爆被害者協会の辛泳洙会長、祖父が日本軍に捕まったまま行方不明となったシンガポールの新聞「南洋・星洲聯合早報」東京特派員の陸塩春氏らが日本軍の 侵略行為と被害者の感情を証言する。日本側からは、戦争中「山口県労務報国会下関支部」動員部長として、従軍慰安婦を含む朝鮮人の強制連行の指揮に当たっ た吉田清治さん(72)=千葉県我孫子市=が体験を話す。

 タイ会場は、映画「戦場にかける橋」で知られるクワイ河鉄橋のすぐそば。通訳として泰緬鉄道建設にかかわった岡山県倉敷市大島、英語塾経営永瀬隆さん(68)が、私費とタイ人の協力で今年2月に完成させた「クワイ河平和寺院」に、新たにできる日本式庭園の完成式を兼ねた集会。

 現地で今も日本語で残っている「ロームシャ」として鉄道建設に加わったマレーシア人のトム・ユーさん(57)とその家族、元連合国軍捕虜、タイ在住華僑、僧りょらが出席する。日本から永瀬さんと一般募集の約10人が加わる。

 今回の催しは昨秋、関西大非常勤講師(日本史)の上杉聰さん(38)が、朝日新聞紙上で「アジアの戦没者遺族を招き、合同慰霊祭を」と呼びかけたのが、きっかけ。上杉さんが中心になって準備を重ね、宇都宮徳馬参院議員、随筆家の岡部伊都子さん、作家の瀬戸内寂聴さんら31人が呼びかけ人になった。

  上杉さんは「政府主導の全国戦没者追悼式で弔われるのは軍人、軍属と、原爆、空襲による日本人だけ。二千万人を超すといわれるアジアの犠牲者は、一度もま とまって追悼されていない。靖国神社公式参拝などアジアの人を逆なでする動きが強まり、外国人に指摘されないと反省しない」と話している。

 タイ集会への参加費用は約25万円。申し込みは集会事務局(06-562-7740)へ。

アジアの戦争犠牲者の追悼集会が開かれるタイ・カンチャナブリの「クワイ河平和寺院」

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「アジアへの加害責任」を告白する自称加害者
検証もせず喧伝するメディア
その裏にいたと思われるうちの一人宇都宮徳馬氏だが
こんなところで名前を見つけるとは

「東アジア共同体」と斎藤まさし
東京都日中友好協会・宇都宮徳一郎会長 
金大中と宇都宮徳馬 

ということはこの「死の鉄道」泰緬鉄道とやらも色々疑わしい・・・

【wiki】永瀬隆
永瀬 隆(ながせ たかし、1918年 - 2011年6月21日)は、陸軍通訳であり、泰緬鉄道建設の現場に関わった証言者。

略歴
岡 山県倉敷市生まれ。1941年青山学院文学部英語科を卒業。同年12月、英語通訳として陸軍省に入省する。1943年、タイに赴き、泰緬鉄道の建設にあた り、『建設作戦要員』として通訳に従事する。40万人のうち12万人が死んだといわれる捕虜虐待の現場に出くわす。後に、このことについて証言する。 1945年9月、イギリス軍の墓地捜索隊の通訳となる。

1946年7月、日本に帰国。千葉県立佐原女子高等学校などに勤務後、帰郷して1955年から倉敷市で英語塾『青山英語学院』を経営する。

1964 年より、毎年タイを訪問し、泰緬鉄道建設に駆り出されて病死などで死亡した連合国兵士およびアジア人兵士労働者を慰霊する。1986年には、タイにて『ク ワイ河平和寺院』を建立する。同年、タイの青少年に奨学金を授与する目的で、『クワイ河平和基金』を設立し、代表となる。同年に、岩波ブックレット「『戦 場にかける橋』のウソと真実」を、著書として出す。1995年から横浜市でイギリス連邦軍戦死者の追悼礼拝を開催。2002年、イギリス政府より特別感謝 状を受けた。2005年、読売国際協力賞を受賞する。

JEATH泰緬鉄道
【wiki】JEATH War Museum
JEATH戦争博物館

追記2014.12.24
徳留絹枝氏のサイトで発見
やっぱりね
泰緬鉄道永瀬隆POW
http://www.us-japandialogueonpows.org/news-J.htm

参考
【wiki】クウェー川鉄橋

『第12回(2005年度)読売国際協力賞 永瀬隆 タイ国財団法人 クワイ河平和基金代表』
http://info.yomiuri.co.jp/yri/k-prize/kp2005.htm
http://www.peeep.us/2b448757

真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史さん
『真実史観戦場に架ける橋帰省者や病死を虐待犠牲者17万と捏造軍罵倒売国奴永瀬隆通訳』
http://sinzitusikan.blog.fc2.com/blog-entry-50.html

吉田清治の正体は? 
吉田清治の正体は?2 週刊新潮・吉田清治長男の述懐

http://www.peeep.us/1ab244a2 宇都宮徳馬

駒崎弘樹氏が「落としちゃダメよ~」と書いた議員
駒崎弘樹が押す議員=当選は「ダメよ~ダメダメよ~」 
こちらも参考
動物が掘り下げるさん
『駒崎弘樹さん、こんな恣意的なリスト、公開してちゃ「ダメよ?、ダメダメ」な衆院選候補者リスト』
http://blog.livedoor.jp/kumafight/archives/1015611759.html

ここに名前の上がっている人が大体「休眠口座議連」の議員だということは分かったが
椎名つよし(維新の党/神奈川9区:川崎市多摩区・麻生区)氏についてはなぜここに名前が上がっているのか分からなかった



おそらくこれだろう
『特別養子縁組促進キャンペーン』

特別養子縁組キャンペーン参加者

特別養子縁組キャンペーン塩崎恭久椎名毅安藤哲也大葉ナナコ
特別養子縁組推進月間スタート (写真14枚)
次世代社会研究機構企画で日本財団とともに開催した「特別養子縁組推進月間記念企画」には塩崎恭久議員、椎名毅議員、宮台真司先生、小西行郎先生、林恵子さん、安藤哲也さん、大葉ナナコさん、後藤絵里さん矢満田篤ニさんをお迎えし西田陽光コーディネーターで、本質に触れる鋭い議論が飛び交うゲストからの発言、会場には各界のすごいキーパーソンが集まり熱気あふれる一夜であった。
https://www.facebook.com/events/694578077231800/

この中にあった朝日新聞の記事

10
特別養子縁組を支援 日本財団、民間団体に助成金
  何らかの事情で生みの親と暮らせない子どもたちを、主に血縁関係のない夫婦がひきとり、法的にも親子となる「特別養子縁組」の普及を目指し、日本財団は 10日午後、支援策を発表する。先駆的な取り組みをする民間あっせん団体に最大1千万円の助成金を出すことが柱だ。6月から団体の申請を受け付ける。

  子どもはできるだけ家庭的な環境で育てるのが国際的な流れだ。だが、生みの親が育てられず、施設で暮らす子どもは2歳未満だけでも国内に約3千人いる。財 団は支援により、国内の特別養子縁組を現在の年400件程度から増やす狙い。育て親への研修や望まぬ妊娠に悩む女性の相談窓口も開く。

 特別養子は民法で定められ、原則6歳未満の子どもが対象だ。一般的な養子(普通養子)は生みの親との法的関係は残り、相続権や扶養義務が生じるが、特別養子では生みの親との法的関係は解消される。戸籍には「養子」「養女」でなく「長男」「長女」などと記される

 現在、縁組のあっせんに必要な第2種福祉事業の届け出は約20団体あるが、こうした団体への公的な助成はない。(後藤絵里)
http://www.asahi.com/articles/ASG485FF2G48ULZU00C.html


塩崎恭久議員は休眠口座議連の会長だし
安藤哲也氏は9万人のクリック参加者
9万人のクリック参加者
http://article.go2senkyo.com/2014/06/27/5846.html

大葉ナナコ氏といえば・・・
青木大和氏のお母様・青木千景氏

青木千景プロフィール

「子育て中に(現在、高校1年生男子・中学1年生男子・小学校5年生)、「誕生学」・日本誕生学協会代表大葉ナナコに出会い、深く感銘を覚え資格を取得。」
http://vesta-aroma.com/aokichikage/

そして9万人のクリック集会には新居日南恵氏も参加していたと・・・・
→ 小4詐称サイト騒動3 塩村都議やじ騒動とメンツかぶりすぎ 

ハフィントンポスト
『赤ちゃんの命を救う特別養子縁組』 2013.9.20

特別養子縁組駒崎弘樹ハフィントンポスト
政府は支援をしないどころか、全く逆向きの方向性に進んでいます。野田聖子氏を始めとする一部の国会議員が、「養子縁組あっせん試案」(http://p.tl/y7vW)を作成。ここでは出産後3ヶ月の特別養子縁組を禁じることに。もしこの法案が通れば、民間の特別養子縁組団体は、出産後すぐのマッチングが不可能となります。
http://www.huffingtonpost.jp/hiroki-komazaki/post_5253_b_3632963.html

「養子縁組あっせん試案」の後のリンクを見て絶句
養子縁組あっせん遠山清彦野田聖子
著者:奥田安弘、高倉正樹、遠山清彦、鈴木博人、野田聖子

また遠山清彦議員(公明党)か
10政府に依存する非政府組織 ピースウィンズ・ジャパン

駒崎弘樹鳩山総理とお会いしました
http://komazaki.seesaa.net/article/134977378.html
(よく見るとTOKYO-ZEROの佐藤大吾氏もここに写ってたか・・・ヤレヤレ)

駒崎弘樹氏はフランスの事実婚制度をミナラエーと言ってることもあり
塩村文夏都議やじ騒動7 女性支援=パソナかよ!
日本的な「家族」を壊したいんだろうなあと思う次第でございます

【まとめ】
▼駒崎弘樹氏が「落としちゃダメよ~」と書いた椎名つよし元議員(維新の党)
 特別養子縁組問題に取り組んでいる
▼特別養子縁組促進キャンペーンに参加した人
 塩崎恭久議員(自民党)←休眠口座議連会長
 大葉ナナコ氏←小4詐称サイト騒動の青木大和氏の母青木千景氏が所属している誕生学協会の会長
 安藤哲也氏←9万人のクリック集会に参加
   青木大和氏と同じAO入試&僕らの一歩が日本を変える・新居日南恵氏も参加
▼駒崎弘樹氏の特別養子縁組に関する記事中のリンク
 著者に遠山清彦議員(公明党)
 遠山清彦議員はピースウィンズ・ジャパン&ピースワンコ・ジャパンの大西健丞氏と繋がりアリ    

(´・ω・`)今日は基本中の基本

北星学園大、元朝日新聞記者の講師契約を継続
北星学園大田村信一学長大山綱夫理事長

 慰安婦問題の記事を書いた元朝日新聞記者、植村隆氏(56)が勤める北星学園大(札幌市厚別区)は17日、植村氏との非常勤講師の契約を来年度も継続することを発表した。植村氏はすでに更新を打診され、受け入れる意向だという。

  北星学園大には3月以降、植村氏が朝日新聞記者時代に書いた慰安婦問題をめぐる記事は捏造(ねつぞう)などとする電話やメールが相次いだ。5月と7月には 植村氏の退職を要求し、応じなければ学生を傷つけるとする脅迫文も届いた。10月には、大学に脅迫電話をかけたとして60代の男が威力業務妨害容疑で逮捕 された。

 この日、記者会見に臨んだ田村信一学長は「我々だけが先頭に立って戦い続けるのは限界があるとの認識だったが、行政を含めた 様々な社会の支援が出てきたことから雇用継続を決めた」と述べた。最終的な判断は、会見に同席した大学を運営する学校法人「北星学園」の大山綱夫理事長と 話し合って決めたという。

 田村学長は10月末、学生の安全確保のための警備強化で財政負担が増えることや、抗議電話などの対応で教職員 が疲弊していることなどを理由に、個人的な考えとして、植村氏との契約を更新しない意向を示していた。しかし、その後の学内での議論では学長の方針に反対 する意見が相次いだ。中島岳志・北海道大准教授や、作家の池澤夏樹さんら千人以上が呼びかけ人や賛同者に名を連ねた「負けるな北星!の会」が発足するな ど、学外でも大学や植村氏を支援する輪が広がりをみせた。

 田村学長は当初の考えとは違った結論になったことについて、「380人の弁護士が脅迫文が届いた事件について刑事告発したり、文部科学大臣が大学を後押しするような発言をしてくれたりしたことが大きかった」と話した。

 一方で、田村学長は「支援の輪は大きくなりつつあるが、まだ現場の教職員も不安を抱えている。それでもキリスト教による建学の理念に立ち返って前に進もうと決めた」と苦しい胸の内を明かし、文科省や道警、弁護士らと連携して大学の安全管理などを一層強化するとした。

 大山理事長は「脅しに屈すれば良心に反するし、社会の信託を裏切ることになると思った」と述べ、植村氏との契約更新に賛成の立場だったことを明かした。

 植村氏は2012年度から北星学園大に非常勤講師として勤務。留学生向けに日本の文化や芸術を教えたり、新聞を使って世界情勢を解説したりしている。

  契約が継続されることになった植村氏は「これからも学生たちと授業ができることを何よりもうれしく感じています。大学も被害者で、学長はじめ関係の方々は 心身ともに疲弊しました。つらい状況を乗り越えて脅迫に屈せず、今回の決断をされたことに心から敬意と感謝を表します」とのコメントを出した。(関根和 弘)

     ◇

 《「負けるな北星!の会」の呼びかけ人で精神科医の香山リカさんの話》 「学問の自由」は憲法にもう たわれ、長い歴史を持つ重要な問題です。この間、事件そのものより元記者や朝日新聞社の責任を問い、間接的に脅迫を肯定するかのような議論が、ネットを中 心に一部で見られたのは大変残念だった。万一、また学問の自由や大学の自治を侵害する卑劣な行為が起きた場合、大学内部で対処せず、今回のように情報公開 し、外部の支援者がスクラムを組んで大学を守る方法が有効ではないか。その意味でよい先例になったと思う。
朝日新聞2014.12.18
http://www.asahi.com/articles/ASGDK5J69GDKIIPE03N.html


小野寺まさるツイートマケルナ会北星問題
https://twitter.com/onoderamasaru/status/545425706096685056

植村隆氏をかばう北星学園大学

日本キリスト教団北海教区北星学園大学
http://www.hokkai-net.jp/link.html

毎度おなじみ日本キリスト教団=西早稲田2-3-18なんですけどね

この中の冨坂キリスト教センターは
移住連=移住労働者と連帯する全国ネットワークなんですよ
移住連富坂キリスト教センター
http://www.meijigakuin.ac.jp/~prime/?p=1228

つい最近だと
NHK大越アナウンサーが「在日は強制連行されてきた」とトンデモ発言した時に
在日記者・金倫衣氏が移住連ボランティアをしていたと分かったり
NHK大越在日金倫衣移住連
拙ブログではおなじみジェイク・エーデルスタイン氏が共同で会見してたり
吉松育美さん騒動4 シナリオを描いたのは誰

西早稲田2-3-18ウリスト教が慰安婦問題の発信元だからかばうのは当然のなりゆき
北星学園大学も同罪ってことで

ちなみにマケルナ会とやらの北海道新聞・長谷川綾記者
北海道新聞長谷川綾
http://mediapatroler.seesaa.net/article/227689969.html

zakzak『麻生首相をマジギレさせた女性番記者の“口撃術”とは』2008.10.23
http://www.zakzak.co.jp/top/200810/t2008102311_all.html
http://www.peeep.us/62359403
北海道新聞といえば朝日新聞特報部の青木美希記者がいたところですね
「手抜き除染」報道に自作自演疑惑 補足資料

参考
北星学園大学で行われる洗脳教育 
週刊新潮・庭で週刊新潮を読んでいた植村隆元記者を直撃! 
太平洋戦争犠牲者遺族会

関連記事はこちらから→アンブロークン the unbelievable BROKEN story

日本を貶めようとする悪意3 アンジェリーナ・ジョリー『unbroken』

何かと話題のアンブロークン

中央日報
『歌手MIYAVI、映画『アンブロークン』出演で日本ネットユーザー「出て行け」』2014.12.17
http://japanese.joins.com/article/165/194165.html

出ていけって誰も知らんがなこんな人(´・ω・`)初耳
父親が元在日の帰化人であるらしいが

【wiki】MIYAVI
1981年9月14日、日本人の母親と日本に帰化した元在日韓国人二世の父親の間に大阪市此花区西九条で生まれる。

the guardian
"The ‘samurai guitarist’ headhunted by Angelina Jolie for Unbroken"2014.12.18
http://www.theguardian.com/film/2014/dec/18/miyavi-angelina-jolie-unbroken-samurai-guitarist?CMP=share_btn_tw
という記事があったので

なにがサムライじゃ(怒
サウラビの間違いであろう
サウラビ
などとツイートしておったところこんな動画発見

脱原発世界会議MIYAVIロックの会

 https://www.youtube.com/watch?v=29zksSyys7s

脱原発世界会議
後ろのスクリーンに
ロックの会
松田美由紀 岩上安身 マエキタミヤコ 坂本美雨

ロックの会
ロックの会(69NOKAI)
http://69nokai.com/top.html

小林武史
(→吉松育美さん騒動12 ベトナム反戦運動とピースボート
この人もピースボートだし

脱原発世界会議
脱原発世界会議MIYAVI&ピースボート川崎哲
 http://npfree.jp/message.html

更にツイッターで教えてくれた人が

MIYAVI山本太郎飯田哲也津田大介
https://twitter.com/AKIHIRONAMBA/status/390695936277508096

               
追記2015.5.8
nomorefuckingnukesMIYAVIhttp://natalie.mu/music/news/101945
http://megalodon.jp/2015-0507-2230-18/natalie.mu/music/news/101945

山本太郎
(→しばき隊→横川圭希→山本太郎→斎藤まさし
飯田哲也
(→原発ムラを叩いたら脱原発ムラが出来たでござる
津田大介
(→カエルの子はカエル

エェーーーーー( ゚Д゚)( ゚Д゚)( ゚Д゚)( ゚Д゚)ーーーーーーーーー

いちいち説明するのがめんどくさくなるくらい芋蔓に芋が

 _人人 人人_
 >  芋祭り  <
  ̄Y^Y^Y^Y ̄

誰かMIYAVI氏のサウラビギタリストのコラ作ってくれんかのう・・・(´・ω・`)
MIYAVI
https://twitter.com/MIYAVI_OFFICIAL/status/79296929892278272
香ばしすぎて笑えないデス

MIYAVI 刺青
サウラビギタリストはハングルにして下さいな
(何かに似てると思ったら寿司屋の湯呑みだった)
MIYAVI寿司屋の湯呑み


どのへんからMIYAVI氏に話が行ったかよく分かった
今後もこういう人が送り出されていくのだろう

追記2015.4.19
MIYAVI坂本美雨
 キモイキモイ

追記2015.5.2
MIYAVI独自の奏法(は
「ピックを使わず全て指で弾く独自の”スラップ奏法”」
 ほうほう独自の奏法ねぇ


【youtube】Keziah Jones - Afronewave (Official Video)
あるぇ~? 
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