2015年7月23日木曜日

反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。

スクープ!中国人の「産業スパイ」被害に遭った社長が実名告白
「我が社はこうして機密を盗まれた」


華麗な経歴で家柄も人柄もよく、仕事もできる。いい中国人の人材を採用したと喜んでいたら、それはスパイだった—被害を受ける日本企業が急増している。彼らはどんな手口で入り込んでくるのか。

一橋大出身の才女
中国でビジネスを始めるに当たってそれなりに勉強して臨んだつもりだったのですが、やられてしまいました。

何年もかけて開発した製造技術を、自社の中国人社員に丸ごと盗まれてしまったんです。そして、知らないうちに中国国内でコピー工場が作られていた。そこの製品が我が社より安価で販売されていて、一時は顧客も奪われてしまいました。

バ イオジェニック株式会社の渡部政博社長(56歳)はこう語る。同社は、健康食品などの原料の生産・販売を行うバイオ企業。東京と中国に拠点を構え、従業員 は50名。現在は年商約6億円で、健康食品の需要増加と共に業績を伸ばしている。今回、中国人の「産業スパイ」に機密情報を盗まれた経緯をすべて明かして くれた。

最初のきっかけは、'03年、一人の中国人女性A(当時36歳)を採用し たことでした。弊社が扱う製品の一つ、アスタキサンチンの世界市場が拡大する見込みが立ったので、中国に工場を作ろうとしていたのです。ちなみにアスタキ サンチンとは、エビやカニ、鮭などに含まれる赤橙色の色素です。強い抗酸化作用があり、アンチエイジングのための化粧品や健康食品の原料として使われてい ます。

中国進出は初めてだったので、地元に広い人脈があって日本語も堪能な人を探していました。そんなとき、古くからの知人(日本人)か ら紹介されたのがAでした。Aは一橋大学出身で、当時、東京の証券会社で働いていた。「もっとやりがいのある仕事がしたい」と、転職先を探していたそうで す。ハキハキとしていて、面接の印象は良かったですね。

経歴だけでなく、出自も申し分なかった。Aの父親は元サッカー選手で、国会議員として30年近く活躍していた人物。母親も、中国の有名なバレーボール選手でした。

両親がそんな有力者ですから、彼女にはスポーツ界だけでなく中国の政財界に幅広い人脈があるんです。中国で工場を立ち上げるときには、Aは大車輪の活躍でしたよ。おかげで国有企業が持っていた遊休地を借りることができましたし、すべて順調に進みました。

そして、中国・雲南省の昆明に工場を設立し、Aを現地法人の取締役副社長に抜擢。'05年に操業を開始しました。そのとき、Aの紹介で現地採用したのがBという男性です。四川大学の生物科学科を卒業し、当時23歳。その翌年、Bの紹介で同級生の男性Cも入社します。二人とも人あたりがよく非常に仕事熱心だったので、信頼していました。とくにBは、中国の工場長に育てようと考えて教育していたんです。

彼らの直属の上司として、現地の工場で仕事を共にしていた同社研究開発部部長の長瀬俊哉氏は、Bの印象をこう話す。

「真 面目に仕事に取り組み、人柄もいい男でしたね。細かいところまで自分がきちんと理解するまで質問に来るし、夜遅くまで残って実験をすることもしょっちゅう でした。そのため非常に可愛がっていて、自分が知っていることはすべて教えました。いま思えば、バカでしたね……。でも当時は、不信感を抱くことは一切あ りませんでした。月に1度はBの自宅に招かれて食事をごちそうになったり、家族ぐるみの付き合いをするほどの仲だったんです」

それから数年が経過し、工場が軌道に乗ってきた'09年。Aから、突然「会社を辞めたい」と言われました。 理由を聞くと、「会社の将来に不安を感じる」と。引き留めましたが、辞めていきました。4ヵ月後、今度は中国工場で働くBも、転職すると言い出した。部長 の長瀬と必死で止めたのですが、給料の折り合いがつかなかった。転職先は、うちより1万元(約19万円)ほどいいと言っていた。結局、最後は盛大な送別会 をして快く送り出しました。

裁判当日に裏切られた
その翌年、同じ業界の知人から衝撃的な話を聞きました。昆明の郊外に、うちの会社と同じような工場が操業していて、アスタキサンチンを製造しているというんです。しかも、その製品を日本の企業に販売している、と。

すぐに調査に行くと、たしかにそのコピー工場は存在しました。外観は、うちの工場と瓜二つ。企業のホームページには、アスタキサンチンの製造技術で4件の実用新案を申請していると記されていました。内容を調べると、うちが開発した技術そのもの。発明者には、辞めていったBの名前が入っていました。

驚 くべきは、出願した日が、Bが辞める3ヵ月前だったことです。Bは在籍中に情報を盗み、実用新案を申請していたわけです。うちの中国工場のパソコンを調べ ると、新工場を立ち上げるための企画書などが大量に出てきました。残業していると思っていたら、こうした資料を社内で夜ごと作っていたようです。

さらに、コピー工場で作られたアスタキサンチンを日本で販売しているD社(中国企業の日本法人)は、Aが社長を務めていたんです。我が社の得意先にも、うちより安く製品を卸していました。向こうは研究開発費がかかっていないのですから、どう頑張っても価格では勝てるわけがありません。AとBはグルになっていたのです。愕然としました。

アスタキサンチンの培養技術について、我が社はあえて実用新案の申請をしていませんでした。なぜなら中国では、特許や実用新案を取得すると、その技術は誰でも閲覧できるWeb上に公開されてしまうんです。申請者が権利を持っていても、中国では無断で真似されるのがオチですから、技術は秘匿しておこうと判断しました。もちろん、AやBが入社する際には秘密保持契約を結んでいましたが、まったく意味はなかった。

我々 は弁護士に相談して、裁判を起こすことにしました。訴えは、昆明市の中級人民法院(地裁)に受理されましたが、正直、勝てる自信はありませんでした。人治 国家の中国では正義が勝つとは限りませんから。しかも、コピー工場のある昆明市近郊の石林という地域は観光以外に産業がなく、工場が地元の雇用創出に一役 買っていた。石林当局も工場は無くしたくないと思うはずです。

その時期、Bの紹介で入社したCはまだ弊社に在籍していました。裁判に備えて、法律事務所でCの調書も取っていて、Bが新工場の設立を計画していたことなどを証言しています。それは正式な証拠として裁判所に採用されていた。

と ころが、裁判の当日に裏切られました。朝8時に私が宿泊していたホテルに車で迎えに来るように、Cに指示していたのですが、何分待っても来ない。仕方なく 自分で裁判所まで行くと、なんとCは被告人らと一緒にやって来たんです。前日の夜にBから言いくるめられたようでした。Cをその日に解雇しました。

日本人とは感覚が全く違う
日本人には理解できない行動だらけですが、彼らは自分たちが悪いことをやっていると思っていないんです。騙されるほうが悪い、という感覚。先方を告訴すると決めたとき、Bから「自分たちの工場に出資してほしい、儲かるから一緒にやろう」という呼びかけがあったほどです。

裁 判の直前、Bは我々のところへ来て、「ごめんなさい!」とつたない日本語で必死に謝ってきました。ですが、法廷が開かれると手のひらを返したように言いた い放題。閉廷後、裁判官がいなくなってからまた寄ってきて、「ごめんなさい」と頭を下げる。こいつらは裁判の意味が分かってるのか!?と血管がキレそうで したよ。

結局、裁判は我々が勝利しました。申請した実用新案の権利は我が社に帰属し、案件受理費用の1000元(約1万9000円)は被 告側が負担するように、と判決が出た。被告らは控訴しましたが、高級人民法院(高裁)でも判決は覆りませんでした。裁判官は正当な判決を下してくれたと思 います。ただ、日本に有利な判決をしたことで、かなり叩かれたようですが……。

裁判には勝ちましたが、申請された技術は、情報がすでに公 開されてしまっています。その結果、また新たなコピー工場が別の者の手によって作られ、稼働しているんです。それはもう止められません。Aも、相変わらず 日本でD社の社長をしていて、アスタキサンチンの販売をしています。我が社の被害額は、総額にすれば十数億円になるのではないでしょうか。

今回の事件は、Aが首謀者となりBやCに指示していたようですが、いま思えば、Aにはちょっとおかしい点が数々ありました。

た とえば'08年頃、うちの会社の事業の一部を中国企業に売却するという話が持ち上がったときのこと。中国語での契約書をAに作らせたのですが、相手の中国 企業に有利な条件に勝手に書き換えていたんです。結局、売却の話はなくなりました。Aは、その企業と裏で何か取引をしていたのかもしれません。

よく私はAから「社長は騙されやすいから気をつけてください」と言われていたんです。でも、まさかその本人から騙されるとは思ってもいませんでした。

で も、彼女らが最初から技術を盗むつもりで入社してきたのではなかったと思いたいですね。アスタキサンチンの需要が伸びて、「これは儲かる」と思ったから、 商売欲が出たのではないでしょうか。私は、中国人が嫌いなわけではありません。被害に遭った我々を応援してくれる中国人もたくさんいました。ただ、日本人 とは感覚が全く違うということを知っておくべきでした。

じつは日本の数々の大企業が、中国でこうした被害に遭っているのですが、ほとんど公にはされていません。技術を盗まれ、特許を取られたなどと言えば、会社の恥になりますから。でも、情報を隠せば痛い目に遭う企業は増える一方です。私たちの事例が他の企業に通用するかはわかりませんが、少しでも参考になればいいと思っています。
「週刊現代」2015年2月14日号より
現代ビジネス2015.2.15
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42097

( `ハ´ )(´;ω;`)( `ハ´ )  

日本人装い旅券取得 容疑の暴力団ら3人逮捕=埼玉 
2000.10.17 東京朝刊

 外国人が日本人になりすまして行うパスポート不正取得事件を 捜査していた県警国際捜査課と大宮署は、16日までに、川口市芝、暴力団幹部で自動車販売業大和田雅美(32)、同組員の同竹村英貴(29)の両容疑者 と、蕨市塚越7、韓国籍の無職尹宗福被告(起訴済み)(29)を有印私文書偽造・同行使と旅券不実記載の疑いで逮捕した。同課などは、事件には仲介役とし て韓国人の男性ブローカーも関与しているとみて、このブローカーの行方を追っている。

 調べによると在留期間が切れていた尹被告は今年6 月、大宮市の県パスポートセンターで、一般旅券発給申請書などに、大和田容疑者らを通じて名義を借りた日本人男性の名前や本籍などを記入、自分の顔写真を 添付して提出した疑い。提出時の身分証明には、名義を借りた日本人男性の健康保険証などを使っていた。

 申請時に不審に感じた同センター の通報を受け、大宮署は7月13日、同7月13日、同センターにパスポートの受給に訪れた尹被告を、入管難民法違反(旅券不携帯)の現行犯で逮捕、尹被告 がブローカーを通じて大和田、竹村両容疑者から日本人男性の名義などを取得していたことがわかった。尹被告は手数料の前金として、約20万円を大和田容疑 者に支払ったという。


東松山の会社事務所乗っ取り容疑 組幹部ら3人逮捕=埼玉
2000.10.24 東京朝刊
 県警捜査四課と東松山署は23日、経営者の失踪した会社事務所を不正に乗っ取ったとして、暴力団幹部ら3人を公正証書原本不実記載・同行使などの疑いで逮捕し、東松山市内の会社事務所などを捜索した。

 逮捕されたのは熊谷市佐谷田、韓国籍の暴力団幹部で金融業河寿永夫被告(53)(別の恐喝罪で公判中)と妻沼町西野、産廃処理会社社長中村誠一容疑者(34)、桶川市寿一、不動産業富田英夫容疑者(57)の計3人。

 調べによると河被告らは今年1月、経営者が失踪して倒産した東松山市内の会社事務所を乗っ取ろうと、同事務所を河被告が経営する建設会社が建築したように装い、浦和地方法務局東松山支局に虚偽の建物登記をした疑い。

大麻所持で暴力団組長と女性逮捕=埼玉
2001.05.16 東京朝刊
 大宮署は15日、蕨市塚越5、ホステス横倉美智子容疑者(24)を大麻取締法違反の現行犯で逮捕し、川口市並木2、暴力団組長で無職、韓国籍の松本義秀こと章ヘイ庸容疑者(52)を逮捕した。

 捜査四課と同署が、同日早朝に章容疑者の自宅、事務所など10か所を捜索したところ、横倉容疑者の自宅から乾燥大麻2袋(風袋込み約50グラム)が見つかった。横倉容疑者の供述から知人の章容疑者と大麻を共同所有していることがわかった。

韓国エステ冒頭陳述 共謀の元警察官「組員から捜査情報」=秋田
2001.6.26 東京朝刊
 秋田市で韓国エステ店を違法に経営していたとして、風営法違反(無届け、禁止場所での営業)などの罪に問われている韓国籍、秋田市八橋大沼町、風俗店経営イム・ギョンテ被告(58)の初公判が25日、秋田地裁(穴沢成巳裁判官)であった。

 冒頭陳述で検察側は、イム被告と共謀した大館市中神明町、元県警警察官で風俗店経営大黒屋久道被告(55)(同罪で起訴済み)が、別のエステ店が摘発される際、暴力団員を通じて県警の捜査情報を入手していたことを明らかにした。

 冒頭陳述によると、イム、大黒屋両被告のほか、韓国籍、東京都台東区、風俗店経営、コン・ビョンジェ(34)の3人で韓国エステ店を経営。イム被告が経理、大黒屋被告が韓国エステ摘発い関する警察の情報収集をそれぞれ担当していた。

  大黒屋被告は、店のみかじめ料を支払っていた県内の暴力団員から、昨年11月中旬ごろに秋田市内の別のエステ店に秋田臨港署と県警本部の合同で捜査が着手 されるという情報を入手。実際に、この店は同月16日に摘発された。検察側は、「大黒屋被告が入手した情報の一つ」としている。

 秋田地検によると、大黒屋被告は秋田署の調べに対し、捜査情報を入手していたことを認める供述をしているという。

 県警生活安全企画課の菊池芳弘課長は「当時の捜査員や地検から話を聞いて、事実関係を調べたい」と話している。


17東京朝刊
24東京朝刊16東京朝刊
26東京朝刊



http://ozcircle.net/_uploader/182880410

http://ozcircle.net/_uploader/185040762(上と同じため省略)
http://ozcircle.net/_uploader/185050565
http://ozcircle.net/_uploader/185060170
http://ozcircle.net/_uploader/185080022(七弾前半)

読売新聞が謝罪した英字紙「性奴隷」表現 ジャパンタイムズなど他紙でも頻繁に使われていた

 読売新聞は英字紙で慰安婦を「性奴隷」などとする不適切な表現があったと謝罪したが、ほかの英字紙や海外紙でも、この表現が頻繁に使われていた。こうしたことを通じて、慰安婦=性奴隷という認識が海外で広まった、という見方もある。

 「本社英字紙で不適切な表現 慰安婦報道でおわび」。こんな見出しの記事が、2014年11月28日付の読売新聞朝刊に載った。都心部の版では、社会面右下の隅に2段見出しで出されていた。

97本の全記事に、表現が不適切だったと付記
  読売新聞は、現在はジャパン・ニューズと名前が変わった英字紙「デイリー・ヨミウリ」を出していた。その1992年2月から2013年1月まで計97本も の記事で、性奴隷を指す「sex slave」「servitude」といった表現が使われていたことが社内調査で分かったというのだ。

  うち「性奴隷」にあたる単語を使っていたのが85本、「日本軍によって売春を強要された女性たち」などと表現したものは12本あった。こうした表現を使っ た理由については、「慰安婦(comfort women)」という表現が外国人には分かりづらかったため、外国の通信社の記事を参考にして、誤った認識の下で本紙にはない説明をしてしまったと言って いる。

 1993年発表の河野談話についても、「軍当局による強制連行を認めた」と単純化してしまったこともあったとした。

 そのうえで、記事データベースで97本の全記事に、表現が不適切だったと付記することを明らかにした。また、ジャパン・ニューズにも28日付でおわびを出し、その公式サイトで記事リストを公表したとしている。

  読売のおわびについて、ネット上では、「反省、修正記事を出したことは評価する」といった声はあった。しかし、「これまでの他社追求の経緯を考えると,自 分のミスを『おわび』だけとかあり得ない」「世界に性奴隷を積極的に発信したんだから、世界で取り消して回れよ」などと厳しい指摘も出ている。

米ニューヨーク・タイムズも「sex slaves」などの表現
 実は、慰安婦を「性奴隷」などとする表現は、読売だけでなく、ほかの英字紙でも使われていた。

  例えば、ジャパンタイムズでは、2013年5月16日に「橋下氏、性奴隷の件で譲歩せず」とする見出しの記事を出した。橋下徹大阪市長が、戦時中などにお ける慰安婦の必要性についてのコメントを取り下げることを拒否したという内容の記事だ。慰安婦について、「comfort woman」との表現を使いながらも、要所で「sex slaves」「Wartime forced prostitution」などと書いていた。

 ジャパンタイムズのサイトで、「sex slave」と入れて検索すると、なんと5000件以上もの記事がヒットした。それらがすべて慰安婦関連かどうかは分からないが、この表現は常習的に使われていたようだ。さらに、読売で使われていた「servitude」で検索すると、200件以上の結果が出た。

 海外紙でも、「性奴隷」などとする表現は、定着しているらしい。

  米ニューヨーク・タイムズ紙では、2007年3月8日に「安倍首相による河野談話の否定が性奴隷の傷を深める」という見出しで報じている。ここでも 「sex slaves」などの表現が見られ、著名なブロガーの池田信夫さんは、14年8月30日のブログ記事で、性奴隷報道を謝罪すべきだと訴えている。ニュー ヨーク・タイムズは、13年1月2日の社説でも、この表現を使って安倍首相が歴史を否定しようとしていると批判していた。

追記:ジャパンタイムズでは、J-CASTニュースの取材に対し、性奴隷などとする表現を使っていたことについて、12月3日になって次のようにコメントした。
「sex slaveという記述は、さまざまな犯罪報道の中にも使用されているため、本件に関連して今まで何回使用したかということについては、すぐにお答えするこ とが困難です。ただし、1992年ごろから弊紙で使用していたということは確認しております。今後とも弊紙が行っている英文報道において、適切な表現を用 いるよう心がけてまいります」(コーポレート・コミュニケーション部)
jcastニュース2014.11.28
http://www.j-cast.com/2014/11/28222064.html?p=all


水間政憲氏がこの間ch桜の討論で気になることを言っていた
以下水間氏のブログから引用
【水間条項ー国益最前線ジャーナリスト水間政憲のブログです。】
2010.9.16
緊急拡散《尖閣を如何にして守るか、日本の世論の動向を見ている中国人民解放軍!》

●尖閣を日本人が自ら守らなければ、日米安全保障条約も機能しないことを自覚しなくてはいけません。

中国をここまでつけあがらせた一番の原因は、政治家に責任があることは明らかです。しかし、それらだらしない政治家を許して来たのは国民です。

その構図は、現在、なにも変わっておりません。

小生が「中国人の狡猾さ!」を教わったのは、「天安門大虐殺」から日本に退避してきた多数の中国人からでした。彼らは、中国の民主化を心から望んでいました。

日 本政府は、中国から歴史認識を持ち出されると「土下座」を繰り返し、尖閣海域を侵犯されても甘い対応に終始するだけでなく、「泥棒に追い銭」の如くODA を手当てして中国のご機嫌を伺っていたことが、中国をここまで増長させた原因です。それに関しては、自民党国会議員の責任は重い。

菅首相再任記者会見の質疑応答で、売国メディアの『JapanTimes』の記者が、「中国に強硬姿勢の前原外務大臣で日中友好を計れるか!」かなどのトンチンカンな質問をしていたが、「強硬姿勢」をとることで友好が計れることは、友人の中国人達が繰り返し言っていたことなのです。

まさに『JapanTimes』の記者が心配していたことは、中国政府が心配していることと捉えると分かりやすいでしょう。

そして、一言付け加えておくと、小生が発掘したGHQが占領下に実施していたNHKの洗脳放送「真相箱」の放送用台本は、コズモ出版社から出版されていた『真相箱』だったのですが、それを発掘したとき国立国会図書館にもNHK放送研究所にも、同書は所蔵されておりませんでした。

その事実を明らかにしたのは、2002年4月号『正論』の「NHKラジオ『真相箱」に洗脳された戦後」の中ですが、その放送用台本の作成に加担した日本のメディアは、朝日新聞と「ニッポンタイムス」です。「ニッポンタイムス」は、現JapanTimesの前身なのですが、その事実を以てすれば「売国メディア」の称号がピッタリなのです。

因みに『真相箱』は、小生が企画して小学館文庫より、櫻井よしこ氏が解説して『GHQ作成の情報操作書「真相箱』の呪縛を解く』とのタイトルで、2002年8月に完全復刻版として出版されています。

そのJapanTimesが、前原外務大臣では日中友好を計れるかと苦言を呈したことは、日本の国益には前原外務大臣が相応しいと言っていることと同義語なのです。

中国との情報戦の最前線に身をおくものとして、遠慮なく言わせていただくが、だらしない自民党国会議員を野放しにし甘やかして来たのは、なりすまし保守言論人と、それらの提灯を持つことが保守活動と錯覚し、自己満足している国民にも責任の一端はあります。

なりすまし保守言論人の中には、現在も代々木と繋がっているものもおり、著名な保守言論人の周辺には中国の工作員がうようよいます。また、それを見抜けないようなものは、保守言論人の資格はありません。

中 国出身で言論活動をしている方で、真に中国に「痛い!」言論を張っているのは『中国人民解放軍の正体』を上梓した鳴霞氏一人と言っても過言ではないので す。鳴霞氏は24時間、日本の公安警察から保護されている状況にあり、パソコンを全世界の数千人の中国人から集中的に攻撃され破壊されたこともありまし た。

現在、 真に中国と現実的に闘っている保守言論人は極少数です。また、日本の国難を国民に知らしめるには、西尾幹二先生曰わく「真の言論人とは講演料を50万円以 上貰ってはいけない!」との見解は、非常に説得力があります。それは、50万円以上になると言論が商売になってしまい、啓蒙活動でなくなってしまうとの危 惧からのようでした。

この緊迫した尖閣問題は、在日本:中国大使館公安部員や中国人民解放軍情報部が、しゃかりきになって情報を収集している状況ですが、日本政府及び前原外務大臣の動向如何によっては、一気呵成に尖閣諸島に上陸する可能性があります。

現 在、中国政府は尖閣領有を正当化するため、世界中の日本大使館や領事館にデモンストレーションを仕掛けていますが、それを逆手にとって宣伝できる強力な武 器は、前原外務大臣が「中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりしたビデオの公開を考えている」と、示唆した通りに実施していただくことなのです。それが 出来れば、凶悪な共産主義国家の危険な実態が一目瞭然になります。

その為には、国内外の覚醒しているインターネットユーザーの皆様が一丸となって、前原外務大臣に要請する必要があります。

こと領土問題は、国家主権の根本ですので、いままで要請をしたことのない方々も参加していただく必要があります。
(現在前原議員は外務大臣ではないのでメールアドレスなどは割愛:筆者)
http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-139.html

菅官房長官会見でいつも火病って醜態を晒しているジャパンタイムズだが
真相箱にまで関わってたんですね・・・( 一一)ヤレヤレ

追記2015.2.21
『アンブロークン』原作にも引用されている田中利幸氏の著作『知られざる戦争犯罪』だが
timesofindia田中利幸japantimes1997年にジャパンタイムズが最初に彼の発見を取り上げた
慰安婦強制連行がバレたから次は人食い日本兵ですか

(´・ω・`)・・・・
慰安婦も人食い日本兵もジャパンタイムズが英語圏への発信元ってことですな

追記2015.5.5
『真相はかうだ』 もそうだったんですね
真相はかうだ奥付日本タイムズ
近代デジタルライブラリ http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1042022

参考
侮日新聞ジャパンタイムズ ニフコ会長10億円申告漏れ 海外転々
週刊新潮・ジャパンタイムズ会長の愛とケチケチ

「イスラム国」:交換目前で交渉決裂か 後藤さんと死刑囚
後藤健二さんの足取り

 イスラム過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)による人質事件で、フリージャーナリストの後藤健二さん(47)救出に向けた動きの一端が関係者への取材で明らかになり始めた。ISが釈放を要求していた前身組織のメンバーでヨルダンに収監中だったサジダ・リシャウィ死刑囚との交換交渉が1月28日ごろに成立目前だった可能性が浮上。後藤さんの妻に対する身代金要求メールを受けたIS側との交渉には、英国の危機管理コンサルタント会社が関与していた。秘匿されている事件のプロセスが判明した。

 「日本人の人質がトルコとの境界付近に連れて行かれたが、その後(シリア北部の)ラッカの拘束場所に戻されたと聞いた」

  ISの支配地域に通じるトルコ南部アクチャカレ検問所近くで、ISの動向に詳しいラッカ在住の貿易商がそう打ち明けた。検問所の東方約5キロにはイラク系 有力部族ドレイミ族の支配するシャッダーダ村がある。ドレイミ族はISのバグダディ指導者の妻の出身部族でISと関係が深い。後藤さんはいったん、この村 に連れてこられた可能性があるという。

 検問所を挟んだIS支配地域側で28日、この情報を裏付けるような異様な動きがあった。「正午ご ろにIS側に入った時、知り合いの(ISの)警備担当幹部に『通るなら早くしろ、忙しくなる』と言われた」「(午後には)いつも通るラッカへの道が一時的 に(ISにより)封鎖されていた」。この検問所付近で密貿易に携わり、日常的にIS側との間を往復する複数のシリア人が明かした。

 ヨル ダン国内でも交渉進展の動きがあった。治安関係者にパイプを持つヨルダンのアモン通信のアルファイズ記者は「交換の可能性は本当にあったようだ」と話す。 リシャウィ死刑囚は28日にアンマン南部のジュワイデン刑務所から情報機関が運営する刑務所に移送されたという。しかし最終的にはIS内部の意見対立が影 響し、交換は頓挫したとみられる。

 前日の27日、ISは昨年12月に身柄を拘束したヨルダン軍のパイロット、カサスベ中尉の名前を出し、リシャウィ死刑囚を釈放すれば後藤さんを解放し、中尉は殺害しないとの条件を提示。29日の声明では同日日没までに死刑囚をトルコ境界まで連れてくるよう要求していた。

◇英コンサルも関与
 複数の関係者によれば、後藤さんの妻は昨年12月、ISとみられるグループから届いた1500万ユーロ(約20億円)の身代金要求メールを開封後、英国に本部を置く危機管理コンサルタント会社に依頼し、救出に向けた交渉が始まっていた

  後藤さんを巡っては、国連がテロ目的の渡航者に対する各国の処罰義務付けなどの決議を採択した昨年9月以降、中東を活動領域としていた仕事からIS支配地 域に入る可能性があるとみて公安当局が動静を追っていた。身代金要求メールについて、政府は「返信していない」と説明しているが、妻やコンサルはメールな どでやり取りをしていたとみられ、その内容や経過は外務省も把握していた。

     ◇

 昨年8月に湯川遥菜(はるな)さん(42)が、同10月下旬に後藤さんがISに拘束されて以降、日本政府は解放交渉を模索してきた。しかし、2人を殺害したとみられる映像が相次いで公開される最悪の結果となった。
毎日新聞2015.2.8
http://mainichi.jp/select/news/20150208k0000e030124000c.html


「後藤さん殺害」:英支援団体「活動できる環境整備必要」
後藤健二妻英コンサルローリー・ペック財団

【ロンドン坂井隆之】イスラム過激派組織「イスラム国」(IS)に殺害された後藤健二さん(47)の妻を支援してきた英国のジャーナリスト支援団体「ローリー・ペック財団」(本部・ロンドン)のティナ・カー代表は毎日新聞の取材に応じ「独立したフリージャーナリストの存在は、民主主義社会の基礎だ。彼らが安心して活動できる環境の整備が必要だ」と述べ、支援の必要性を訴えた。

 同財団はフリージャーナリストを対象に紛争地取材の研修や情報提供などを行っており、後藤さんも事務所をたびたび訪れていた。昨年10月下旬に後藤さんが消息を絶った後は、後藤さんの妻に電話やインターネットを通じて精神的な支援を行ってきたほか、妻の声明公表も仲介した。

  カー代表は「ケンジは経験豊富でよく訓練された記者だった。常に『世界を今より良くしたい』という思いで仕事をしていた」と評価。政府の警告を振り切って 危険地域に入ったとされる点については「伝えたい事を自らの責任で報道するのがフリージャーナリスト。向こう見ずと批判するのではなく、彼の仕事に敬意を 払うべきだ」と語った。

 また、ジャーナリストを取り巻く環境について「ネットの発達で誰でも情報発信が可能になり、ISのような組織に とってジャーナリストの価値が無くなった。身代金も払えないフリージャーナリストは一段と危険な状況にある」と指摘。テレビ局など派遣する側が、家族を含 めたフリージャーナリストの保護を徹底することや保険の充実などを求めた。
毎日新聞2015.2.10
http://mainichi.jp/select/news/20150211k0000m030008000c.html


後藤さんを支援、「ローリー・ペック」とは?
紛争地を取材するフリーランスの一大拠点
小林 恭子 :ジャーナリスト
ローリーペックHP後藤健二

 イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」が2月1日、拘束中のジャーナリスト後藤健二さんを殺害したとする動画をネット公開した。同日、後藤さんの妻は、夫が設立した「インデペンデント・プレス」社のウェブサイトと、英国の「ローリー・ペック・トラスト」のウェブサイトに声明文を発表している。1月29日にも、トラストのウェブサイトにメッセージを寄せ、健二さんと同様にイスラム国に拘束されているヨルダン人の飛行士の解放を求めた。
https://rorypecktrust.org/rpt-live/January-2015/Urgent-plea-from-wife-of-Kenji-Goto

 一般にはあまり知られていない団体であり、日本の各種報道でも、ローリー・ペック・トラストについての詳細な解説はほとんど行われていない。いったい、どのような活動を行っているのだろうか。また、どのような経緯でできたのだろうか。
 1995年設立の慈善団体 ローリー・ペック・トラスト(以下、「トラスト」)は1995年に設置された慈善団体で、フリーランスで報道に携わる人々(ジャーナリスト、カメラマン、ビデオジャーナリストなど)とその家族を支援することを目的としている。
  ウェブサイトによると、トラストはフリーランサーたちを「どこの組織にも属さず、独立の立場から現場で取材し、紙メディア、オンライン、放送メディアを通 じてニュースを発信する人たち」と定義する。世界の紛争地や独裁政治の国などで「しばしば圧力を受けながらも」犯罪、汚職、人権じゅうりんなどをレポート する人たちだ。
 組織に所属しているジャーナリストやカメラマンでさえも、紛争地での取材は危険度が高い。フリーランスの場合、さらにその危険性は増す。頼るような組織や保険など「守ってくれる存在がないか、ほとんどない状態で」取材するのが実態だからだ。
 そこで、頼りにできる存在として創設されたのがこのトラストだ。
 
活動の柱の1つは、「フリーランス支援プログラム」。危険な状況下で報道を続けるジャーナリストたちに財政支援を提供する。取材中にジャーナリストが命を落とした場合、遺族へのさまざまな支援を行う。

 危険な場所に向かう前に、現地情報や取材のアドバイスを受ける研修も行っている。
 ウェブサイトにはフリーランスで働く人に役に立つような資料が掲載されており、例えば現地での費用計算表、予算表、請求書のひな形などが無料でダウンロードできるようになっている。
 取材前の保険加入についてのページもある。紛争地での報道を支援するワークショップ、募金集めのためのイベントも定期的に行っている。
 アワードのスポンサーは英国ソニーもう1つの柱が年に一度、優れたニュース報道を行ったカメラマン、カメラウーマンに贈る「ローリー・ペック・トラスト・アワード」の運営だ。英国ソニーが賞のスポンサーとなっている。
 2014年のアワード(11月19日発表)では、中央アフリカ共和国の政情を扱った番組を撮影したパコム・パバンジ氏がニュース部門の最優秀賞を受賞している。
 トラストは世界中のジャーナリズム関連組織40余りとパートナー関係を結ぶ。活動資金はメディア組織や企業、個人からの募金が大きな位置を占める。主な募金者の名前を見ると、英テレビ局BBC,BスカイB,チャンネル4、米CNN,NBC、AP、ロイター、ソニー、国連民主基金など。年間収入は2013年12月31日時点で約65万1000ポンド(約1億1400万円)である。
  トラストの名称はジャーナリスト、ローリー・ペック氏に由来する。ペック氏は1956年12月、米国で生まれた。アイルランド共和国の首都ダブリンで育 ち、米国や父方の出身地である英スコットランドを行き来しながら複数の仕事をした後で、ジャーナリズムを職として選ぶようになった。
カメラを担ぎ、第1次湾岸戦争(1990~91年)を取材した後、ボスニアやアフガニスタンなど次々と紛争地で取材を行った。その映像はBBCやARD(ドイツ公共放送連盟)を含む世界中のテレビ局の番組で放送された。

  2度目の結婚で妻となったジュリエットさんと子供たちとで一緒にモスクワに住むようになったペック氏は、ソ連が崩壊する様子をカメラで記録した。1993 年10月、「モスクワ騒乱」が発生した。ソ連崩壊後、エリツィン大統領と反エリツィン派との対立が深まり、反勢力が最高会議ビルに立て籠もった事件であ る。

 オスタンキノ・タワー(テレビ塔)の外で行われていた戦闘の模様を撮影していたペック氏は、砲火を浴びて命を落とした。享年36。エリツィン大統領はペック氏の死後に個人の勇気を称える勲章を授けている。
  トラストのウェブサイトに掲載されている、ペック氏の妻ジュリエットさんの説明によると、ペック氏とジュリエットさんの一家は家族で紛争地を転転とする生 活を過ごした。ペック氏のジャーナリズムを家族全員で支えていた。このため、1993年にペック氏が亡くなると、家族は一切の収入の道を閉ざされた格好と なった。
 ペック氏の業績に敬意を表したBBCは、モスクワに住んでいた一家が英国に引き上げる費用や手間の面倒 は見てくれたという。しかし、「その後、財政的支援をする法的な理由がなかった」ため、フォローアップは途絶えた。ドイツのARDもペック氏が亡くなった 日の午後に現場を撮影してくれたが、それ以上の支援をするようにはなっていなかった。
 BBCやARDは一家に保険を提供しておらず、ペック氏が紛争地で働いていたために自分たちで保険の手配をし、支払いを行うことは「不可能だった」。
  ペック氏が亡くなってまもなく、ジュリエットさんはガンにかかっていることを知る。働くことができず、手持ちの資金も減少する一方の中で、ジュリエットさ んは心機一転。友人、知人に声をかけ、フリーランスのカメラマンたちを支援する組織立ち上げのための財政サポートを呼びかけた。何とか資金を集め、トラス トが形となったのが1995年だった。その後、ジュリエットさんは2007年に亡くなったが、トラストはフリーランスたちとその家族を助けるための組織と して生き続けている。
 ロンドンにある、ジャーナリストのクラブ「フロントライン・クラブ」は、もともとはペック 氏などの数人がフリーのカメラマンの集団として結成した「フロントライン・テレビジョン・ニュース」であった。フロントライン・クラブはネットを使った告 発サイト「ウィキリークス」のジュリアン・アサンジ代表が一時宿泊していた場所としても知られている。
 「ケンジ・ゴトウを思い出す」トラストのウェブサイトには、後藤さんの妻のメッセージとともに、同じく1日付でトラストのディレクター、ティナ・カー氏のメッセージも掲載されている。
「ケンジ・ゴトウを思い出す」と題された、このメッセージの後半にこんな文章がある。「ケンジはトラストではよく知られていました。友人であり、私たちの 仕事の支援者であり、ローリー・ペック・アワードの常連の候補者でした。彼の死は、彼を知るすべての人にとって大きな損失です。ご家族が今経験しているこ とは想像ができないほど大変なことでしょう。すべての方がご家族のプライバシーを尊重することを望んでいます」
東洋経済ONLINE2015.2.3
http://toyokeizai.net/articles/-/59672

(´・ω・`) イギリスの団体なのね

参考
ISIS人質署名 西早稲田からアンブロークンまで
週刊文春・「10分300万円」に命を賭けた 後藤健二さん書かれざる数奇な人生 

朝鮮総連ビルをマルナカHDから44億円で購入、元都銀マンの会社が「総連の大家」に
伊藤 博敏
朝鮮総連

朝鮮総連中央本部ビル(東京都千代田区)の売買が成立。所有権は、1月28日、香川県の不動産会社・マルナカホールディングス(マルナカHD)から山形県の倉庫業・グリーンフォーリスト(グ社)に、売却価格約44億円で移転し、同日付で朝鮮総連系企業の白山出版会館管理会が、50億円の根抵当権を設定した。

事実上買い戻した朝鮮総連白山出版会館管理会は、総連関連の団体などが入居する朝鮮出版会館を管理する。そして同会館は、総連ビル売却に先立つ1月23日、大阪市の不動産会社に約17億円で売却されており、入居団体などは総連ビルへの移転を決めている。

もめ続けていた総連ビル問題は、結局、グ社という第三者を挟みつつ、朝鮮出版会館売却などで得た資金をもとに、総連が事実上、買い戻した形となった。

総連ビルは、在日朝鮮系信用組合の破綻に絡み、東京地裁に約627億円の支払いを命じられた総連が、それに応じることが出来ず、競売にかけられたもの。

税 金が投じられた不良債権処理なのに、債務書(ママ:筆者)が立ち退かず、入居し続けることへの反発は大きい。そこには、横田めぐみさんらを日本から拉致し た北朝鮮という国家への潜在的恨みに加え、朝鮮系信組の破綻処理に、国が1兆4000億円もの公的資金を投じたという心情的な“反発”もある。

だが、現実問題として総連ビルの処理は、マルナカHDと総連と総理官邸という三者の意向を満たすものでなくてはならず、解決は容易ではなかった。

三者の思惑がどう調整され、決着に至ったのかを振り返ってみよう。

三者の仲介をした衆院議員
競売で総連ビルを落札したマルナカHDの意向はシンプルだった。

四 国から中国地方にまたがる地域に持っていたスーパーマーケットチェーンを流通大手のイオンに売却したマルナカHDは、潤沢な資産を保有し、それを全国の有 力物件に投資した。総連ビルもその一環で純投資。約22億円の落札価格は安く、それを高値売却することでリターンを得たかった。

「継続使用は認めません。総連には退去してもらい、売却するか有効活用を考えます」

14年3月の購入決定(総連が高裁や最高裁に不服申し立てを繰り返したために、所有権が移転したのは同年11月21日)以降、マルナカHDサイドの代理人弁護士は、こう繰り返してきた。

一方、総連は、継続使用にこだわり、それは北朝鮮政府の意向でもあった。昨年10月末、拉致被害者らの安否情報に関する日朝協議が開かれたが、その直前、北朝鮮を訪れた総連トップの許宗萬議長は、金正恩第一書記から「総連ビルを死守せよ」という手書きの「指示書」を受け取ったという。

両 者の交渉を見守る立場の官邸は、表向き“中立”を保ち、菅義偉官房長官は、「裁判所で手続きが行われており、司法に政治は介入できない」と、繰り返した。 だが、日朝協議などを踏まえ、北朝鮮を刺激したくないと、“本音”は継続使用を望み、総連と情報を共有、間接的にサポートした。

この三者の意向を満足させたのが、仲介業者の山内不動産である。代表の山内俊夫氏は、香川県議を2期務め、98年に自民党公認で参院選に出馬して初当選。10年7月まで2期務め、文部科学副大臣などを歴任した。

その政界活動のなか、拉致問題に向き合ったことがあり、マルナカHDの中山芳彦会長には県議時代から支援を受けていた。しかも、許議長とも面識があった。

総連の「大家」になった元銀行マンの会社
昨年5月、マルナカHDに売却が決まったものの、同社と総連の思惑がバラバラで、右翼などの攻撃も予想され容易に買い手が現れそうにない時、山内氏は手を挙げた。

「総連ビルは、拉致問題を含めた日朝外交交渉における『喉に刺さったトゲ』のようなもの。それを抜き、一日でも早く交渉が進展するよう協力したいと思いました」(山内氏)

だが、買い手探しは難航した。火中の栗を拾うようなもの。買ったはいいが何が飛び出すか分からないし、右翼サイドの妨害も予想された。グ社が名乗りを挙げたのは、代表のI氏が、対中国、対北朝鮮貿易を、もともと手掛けていた人だからである。

I氏の知人経営者がいう。

「現在70歳。50代まで都銀に勤務していただけに堅実です。酒田に会社があるのは、現役時代からつきあいのあった大手流通業者と組んで倉庫業を始めたため。山形の農協などとのつきあいもあります」

ただ、ビジネスの主体は東京で、元中国大使館員の在日中国人と組んで輸出入やコンサルタント業務などの会社を経営。そうした人脈のなかから総連にパイプをつくり、許議長とも親しくなり、レセプションに招待されるような関係になったという。

「北朝鮮ビジネスは、実体の定かでないブローカー話が多くて、今のところ結実していないようです。ただ、総連ビルの“大家”となったことで、将来のビジネス展開を考えているようです。事業を継承する息子さんもいることですし」(前出の知人)

資金手当てについて、グ社は、「ファンドからの調達」と、山内氏に説明していた。だが、不動産登記簿謄本が閲覧可能になった2月3日、総連系企業からの50億円の根抵当権が確認された。グ社も総連も取材に応じないので、両者の契約関係は不明だが、グ社は総連の「ダミー」といって差し支えない

そういう意味では不透明な取引となった。

結局、最高裁のマルナカHDへの売却決定や継続使用を願う官邸の思惑も含め、今回、日本の配慮で、総連の継続使用が決まったといっていい。今度は、北朝鮮(総連)が、拉致被害者などの帰国問題で、最大限の配慮をする番だ。
現代ビジネス2015.2.5 
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41959


グ社は総連の「ダミー」といって差し支えないというグリーンフォーリストはこんなところ( ゚Д゚)
グリーンフォーリスト1グリーンフォーリスト2
【youtube】【朝鮮総連の謀略工作?】転売先企業の資金調達の謎、グリーンフォーリストの実態は?[桜H27/2/9]

【朝鮮総連本部転売】
北朝鮮人脈「看板」に“乗っ取り”…権利保持会社役員は、通信社元社長や元人民会議代議員
朝鮮総連マルナカ

  落札元から転売された在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部の土地・建物に極度額50億円の根抵当権を設定した会社の役員が、北朝鮮系通信社の元社長 や元最高人民会議代議員ら、朝鮮総連の元中枢人脈で固められていたことが9日、分かった。表向き関連がないとしながら、本国や朝鮮総連の意向を反映できる 関連会社を“隠れみの”に「本部奪還」を確実にした構図が浮かぶ。
 不動産登記簿によると、1月末に総連関連団体が入居する朝鮮出版会館を管理する「白山出版会館管理会」を権利者、落札者の高松市の業者から約44億円で本部を再購入した山形県の不動産会社「グリーンフォーリスト」を債務者とする根抵当権が設定された。
  同時期に、管理会の役員が改編された。朝鮮総連関係者らによると、新たに就任した代表理事は、朝鮮通信社の元社長。同通信は北朝鮮国営メディアの報道を日 本に配信する北朝鮮の“宣伝窓口”で、代表理事は金正恩(キム・ジョンウン)氏の第1書記就任時の訪朝団に加わるなど、本国と密接な関係にある。
理事の1人の女性は平成13年に朝鮮総連傘下の女性団体トップを務め、15年に北朝鮮の国会議員に当たる最高人民会議代議員に選出され、訪朝もした。代議員職は昨年まで日本の制裁対象だった。その他の理事らも朝鮮総連の元地方組織トップらで固めている。

 朝鮮総連は「出版会館は無関係だ」と主張し、差し押さえを免れた経緯がある。だが、「本国の許可なしに中枢幹部らの人事を動かせない」(公安関係者)とされ、今回の動きには北朝鮮の意向も垣間見える。

 グ社への本部転売前には、朝鮮総連の許宗萬(ホ・ジョンマン)議長らが資金調達する動きが伝えられていた。競売では総連が直接落札できないが、所有者が民間に移ったことで、カネの出所を隠す形で、転売に朝鮮総連側の資金が流れた可能性が高い。
 一方で、管理会名義で根抵当権を設定することで、融資の利子などとして資金を還流させたり、状況次第で、本部を差し押さえたりする権利を確保した形だ。
 管理会は産経新聞の取材に「責任者がいないので対応できない」としている。
  ◇  
【用語解説】朝鮮総連中央本部の転売問題
在日朝鮮人系信用組合の破綻に端を発した朝鮮総連中央本部の土地・建物の競売は、平成25年に約45億円で落札した宗教法人が資金調達できず断念。次いで モンゴル企業が約50億円で落札したが、資格を失い、最終的に次点の高松市の不動産業「マルナカホールディングス」が約22億円で落札した。今年1月に は、山形県のグリーンフォーリストに転売された。関連団体が入居する東京都文京区の「朝鮮出版会館」についても1月、約17億円で大阪市の業者に売却する 取引がなされた。
産経ニュース2015.2.10
http://www.sankei.com/affairs/news/150210/afr1502100002-n1.html
 

政治的過激主義としての韓国の反日主義

アンドレイ・石井(米国)

 数多くの主権国にも当てはまる事実だろうが、アメリカ合衆国は多民族、多思想国家ゆえ極右系、極左系を問わず多くの政治的過激団体が存在する。

  白人至上主義団体「クー・クラックス・クラン(KKK)」や「アーリアン・ネイションズ」、アストラン・チカーノ(チカーナ)全国学生運動「メチャ (MEChA)」、黒人民族主義政治団体「ブラック・パンサーズ」など有名な団体はもちろんだが、その他の団体も数多く存在している。もちろん、特権を狙 う支援・監視団体によってその存在感は誇張されるケースが多いのだが、違法活動やテロも行なったことのある組織も多く、アメリカ合衆国の暗部のひとつであ るのは事実である。

ファーガソン事件後の建物

  2014年8月、アメリカ合衆国のミズーリ州ファーガソン市で18歳の黒人青年マイケル・ブラウンが白人警官ダレル・ウィルソンによって射殺された事件が 起きた。11月24日に大陪審が警官の不起訴が決定され、全米の主要都市で大規模な抗議運動が起きた事件は記憶に新しい。ファーガソン市でも暴動とも形容 できるような大規模な抗議運動も起きた。そこにはアメリカ社会の矛盾に対するもっともな不満がそこにあるのは事実であるだろうが、この一連の抗議運動を隠 れ蓑として利用して精力的に活動をする極左系団体があるのも事実である。

 「シカゴ革命クラブ」も「共産進歩的労働党」 もその存在がファーガソン市やニューヨーク市の抗議で確認されており、ファーガソン市での暴動行為はそれらの組織が中核となって行なわれたと報告されてい る(『クリスチャン・サイエンス・モニター』2014年8月19日付)。8月13日の平和的抗議運動で警官を狙いモロトフ・カクテル(火炎瓶)を投げつけ 挑発したのはその種の組織員だったのだ。

 この件に代表されるように、過激主義団体には社会改善の裏に隠れて私的な目的を果たそうと画策 する組織が多くある。異民族同士で癒しと理解を広め、法律を守りながら社会を公平にしようと活動する正当な「人道的反人種主義」の他に私的な目標達成する には手段を選ばない「イデオロギー的反人種主義」を貫く組織が存在する。

 アメリカ合衆国でこの分野の発展に大きな功績をもたらした専門家のひとりに「レイヤード・ウィルコックス」 がいる。若い頃から社会の中で虐げられている人に対して同情を持っており、17歳に「全米黒人地位向上協会(NAACP)」に入会し、カンサス大学での学 生時代に公民権運動にも参加し「アメリカ自由人権協会(ACLU)」の支部長としても活動。「国際アムネスティ」の一員としても活動した経緯を持っている 専門家である。

 しかし、彼はやがて「人道的反人種主義」の崇高な意図は私的な政治経済イデオロギーを持つ諸団体に巧みに利用されていると気付き、 付きあっていた組織の多くから距離を置く決断に至った。それらの団体は「反人種主義」の性格ゆえ操作されやすいのである。全てを説明でき、殆ど何の過激的 なイデオロギー行動でさえ正当化できるという使い道が豊富な媒体なのだという認識に彼は至ったのである。ウィルコックスは「反人種主義」の思想自体を批判 しているわけではないのだが、彼は次のように語る:

「ア メリカ合衆国内では反人種主義的“産業”が充満しており、それらは自己認識や生活が特定の種類の被害者意識に依存しており、虐めや道徳的な話を蒔く過激主 義者たちを引き付けている。ある点においては反人種主義運動は大規模な恐喝商売になっている(中略)これは公民権運動の初期の意図から大きく外れている」
(The Watchdogs: A close look at Anti-Racist “Watchdog” Groups)


  いずれにせよ、極右極左を問わず過激主義運動を研究してきたウィルコックスは1965年、米国カンサス大学所属の「ケネス・スペンサー図書館」に『現代政 治運動のウィルコックス全集』を創設。1986年から89年にかけてアメリカ連邦政府(教育省)の支援のもとで目録作業された経緯がある莫大な資料集であ る。

 「H・L・メンケン賞」も受賞した経緯があるウィルコックスは研究の成果のひとつとして政治的過激主義には普遍的な特徴を持ってい ると分析しリストを書き上げたのだが、このリストを最初に読んだとき、ウィルコックスが掲げる特徴のほぼすべてが韓国の反日活動も網羅していることに筆者 は驚きを隠せなかった。

 これからそれらの特徴を見て行きたいと思う。特徴とその説明はウィルコックスの述べたものをほぼそのまま載せた。

レイヤード・ウィルコックスの「政治的過激主義」の特徴

(1)誹謗 : 過激主義者はよく相手・批判者が提出する事実と問題を論点を論争するよりも批判者の性格を攻撃する傾向にある。連中は彼らの動機、資格、過去の団体関連、価値論、性格、精神健康を疑問視し、これらを巧みに利用し問題から目を逸らそうとする。

韓国の反日活動例:
「野蛮な日帝」「戦犯国」「日本の36年強制占領」「日本の右翼傾向」などの主張のオンパレード。

(2)侮辱とレッテル貼り:過激主義者は侮蔑の言葉を発し、レッテルを貼り、相手を非難。これは相手の論点から目を逸らし、他人を論者の言うことに耳を傾けさせないためである。

韓国の反日活動例:
 韓国側の主張を批判する者を「極右」「国粋主義者」「歴史修正主義者」「否定論者」、または「日本人=猿」などのレッテルを貼り、第三者を思考停止させ事実の検証を脱線させようと試みる。

(3)無責任で大ざっぱな概括:過 激主義者は証拠が少ない、あるいは皆無であるにもかかわらず、大ざっぱな主張や判断を下す傾向がある。彼らは類似性と同一性を混同する傾向がある。もしふ たつ(あるいはそれ以上)のものが類似しているのなら、すべての点で同じであると決めてかかるという傾向を持っている。

韓国の反日活動例:
  証言が変わり事実が定かではない一握りの元慰安婦の証言によってあたかも何万人もの全慰安婦が「性奴隷」だったかのように主張される(これを「早まった一 般化の誤謬」という)。また、「大日本帝国はナチス・ドイツと同盟を組んでいたことから両国は同質であった」という主張も同じ特徴の類で、それと共に旭日 旗に関するプロパガンダが流されている昨今だ。また、感情をベースにした容赦ない「独島」キャンペーンを世界中で繰り広げるのに、事実と論理を必要とする 国際法事裁判所に行くのを拒否するのもこの特徴に含むことができる。

(4)主張に不十分な証拠:過 激主義者は彼らの主張の証拠として構成要素とするものはかなり曖昧である。それに加え、彼らは論証の際に誤謬を利用する傾向がある(たとえば「前後即因果 の誤謬」など)。彼らは「希望されている」結論を投影し、過激主義者らの偏見を確証すると見られる情報の重要性は誇張され、彼らの主張に矛盾する情報は損 じられたり無視されたりされる。

韓国の反日活動例:
  特徴3と同じく慰安婦の問題などでは顕著であるが朝鮮併合時代の主張にも見受けられる(強制労働、ハングル禁止など)。カリフォルニア大学バークレー校の 心理学教授ダッカー・ケルトナーは人間はイデオロギー的に反対している者の考えを大きく誇張して主張する傾向があると述べている。

(5)ダブルスタンダードの唱道:過 激主義者は自分たちは気前の良い「意図」で正当性判断するが、相手は「行動」をもとに判断する傾向がある。過激主義者は彼らの主張を鵜呑みにしてもらいた いが、相手からは証拠を要求する。また彼らは特権、過去の迫害、あるいはこんにちの不利な立場を利用し、自分たちのグループのために手前勝手な主義や特権 を主張する傾向がある。

韓国の反日活動例:
 日本関係の慰安婦問題は問題にするがベトナム戦争時代の韓国軍による現地での蛮行は「戦争だった」と屁理屈を発したり、中国の朝貢国として女性を送っていた事実は問題視しない。

(6)過激派は相手や批判者を本質的に悪であると見なす傾向がある:過激派の主張によると彼らの批判者たちが彼らに反対する意見をもつのは批判者たちは悪人であり、不道徳であるというもので単に他の観点から問題を見て違う意見を持っているという考えは通じない。

韓国の反日活動例:
  小中華思想において「日本は韓国の下のランクにあり、韓国の教示と指導、懲らしめを受ける立場にある」という主張がこれに近い。呉善花女史はこの事件で産 経の加藤記者が置かれた立場について「したがって加藤氏については、彼ほどの知韓派知識人ならば我が国(身内)に見方すべきなのに、我が国の恥をこともあ ろうに日本に向けて発信した、そんな敵対的な行為は絶対に許せないという気持ちになるのである」と分析している(『月刊正論』2014年12月号)。また 大韓民国憲法で抗日思想が国是として取り入られているとも呉善花女史は著作で述べている。これが「われわれ」対「彼ら」のメンタリティーを形成し、日本は 韓国の「善」に対する「悪」であるという考えを生み出しているのかもしれない。

(7)二元論的世界論:過激主義者は世界を絶対的な善と悪に分けて見る傾向があり、その間のグレーゾーンは存在しない。

韓国の反日活動例:
  特徴6と同じく、韓国には中華主義から外れた日本を批判と侮蔑の対象に置く伝統があるのみならず、「正しい歴史」を認識しない日本は悪の権化である。ま た、韓国は中国の「易姓革命」の思想を継承し、現政権は以前の政権を批判し断罪する伝統があり、現政権の正当性は前政権の「悪」にあるという思想がある。 これも「善と悪」に分ける傾向に当てはまるという考えが出来なくもない。この前政権の政策や功績の否定も日韓関係に影響を及ぼす。

(8)過激派は常にある程度の検閲と彼らの相手や批判者を抑制するよう唱道する:メ ディアに流される情報を規制したり、ブラックリスティング、反体制者の隔離、「禁断」な情報拡散を食い止める抑圧的な法律制定のためのロビー活動など。過 激主義者らは特定の書物、資料を書店や図書館などから締め出そうと試みたり、報復の威嚇を通して広告を牽制したり、電波から都合の悪い意見を持つスポーク スマンをブロックしたり新聞のコラムニストを締め出そうとする。

韓国の反日活動例:
 韓国の親日的な著者(たとえば呉善花女史)などがブラックリストに載せられ、売国奴として迫害を受ける。欧米の図書館の資料・地図の「日本海」に「東海」のシールを張る。また産経新聞の加藤達也記者の起訴や親日派の末裔に対する後事法的な特別法の制定などもあげられる。

(9)過激派はその敵との関係で自己を認識する:過激主義者らは彼らの憎む対象、そして誰に憎まれているかを通して自分の存在意義を確認し、敵に感情的に縛ってしまうこともしばしば。敵である存在も模範にするケースもある。

韓国の反日活動例:
 反日的な行動を国を挙げて実行しているにもかかわらず、日本文化や産業品をパクる。自国を日本と比較して国際社会での立場を確認するという行動も見られる。日本を貶める行為をしているにもかかわらず、奇妙な共生関係にあるのだ。

(10)威嚇を利用しその主張を通そうとする:過 激主義者は彼らの前提と結論を受け止めてくれるように威嚇を利用して主張をまとめる傾向がある。彼らに異論を提示することはあたかも敵に慰めを与えること になると見なされる。これには論争の範囲を定め、主張の都合の悪い部分を切り捨て、相手を守勢の立場に置き続ける意図がある。

韓国の反日活動例:
 日本を弁護、あるいは日本に同情する親日系の韓国の社会人は社会抹殺の対象にある傾向にある。

(11)スローガンや思考停止を狙う決まり文句の利用:簡素なスローガンを複雑な抽象概念の代わりに用いり、都合の悪い事実や反論を牽制しようとする。

韓国の反日活動例:
 スポーツの会場で掲げられる「歴史を忘れる民族は未来が無い」というスローガンの件がある。

(12)終末論的な考え:過激主義者は特定の行動方針を果たさなければ破局的な結果が出るという考えを持つ傾向を持つ。

韓国の反日活動例:
  慰安婦像を「平和の像」と呼び、「慰安婦像を建てるのは平和的な目的だ。日本がまた未曾有の戦争を起さないようにするためであり、世界人民に対する奉仕で ある。」という言い訳がある。ウィルコックスによると過激主義者は私的で個人的な恨みや特権の追求の理論的根拠を「公共のための福祉」の美名の下で実行し ようと試みる傾向があるとも述べている。

(13)常に他グループに対する道徳的、または他の面での優越性を主張する:最も顕著なのは民族優越主義であるが、宗教的、哲学的な優越性の主張もある。しかし、比較的に明らかではないという種類の優越性では、被害者であるという申し立ての主張、神の選民意識などもあり、批判者がそれらの主張の事実性を論じようと試みると「鈍感だ」と非難される。

韓国の反日活動例:
  もちろん北朝鮮と共有する朝鮮民族優越主義であり、小中華思想などがこれに当てはまる。また「被害者である」というところでは朝鮮併合時代の「過酷な時 代」の主張がこれにあたる。また1960年代後半以降の経済活発化(いわゆる「ハンガンの奇跡」)により韓国は神の選民国であるという主張もある。

(14)「良い」大義のためには悪事を行なっても大丈夫、という考えを持つ傾向がある:過激主義者たちは故意的に嘘をついたり、事実を捻じ曲げたり、不正確的に引用したり、批判者たちを名誉毀損したりする。願う結果を得られるのなら正当化され、批判者を打倒するのが優先され、他の価値論は全てそれに従属される。

韓国の反日活動例:
  悪事といえば、最近の例では「対馬仏像盗難事件」がある。また、日本を侮辱するために設置された韓国の日本大使館のそばにある慰安婦像は外交の基本である 「ウィーン条約」に反した行いであると水間政憲氏は指摘している。国内、日本に問わず韓国の歴史的事実の歪曲もこれに当たるだろう。まさに目的を達成する ならば不正をやっても良いという考えだ。

(15)過激派は感情的な反応に大きな価値を置く傾向がある:ま さにプロパガンダ主義であり、教育とも意識高揚ともいわれる。結果的に彼らは大義を愛国心の御旗、正義、または被害者意識に絡める。彼らの批判者に対する 活動で感情的な反応を生み出す象徴を利用し、無批判に他人の同情を得ようとする傾向があり、これを通して彼らの提示する前提と結論の検証を食い止めようと 画策する。プロパガンダと教育の違いは前者は「何を考えるか」であり、後者は「どう考えるか」である。

韓国の反日活動例:
  「旭日旗はナチス党旗と同じ」という主張。また、欧米で「慰安婦像」を建てて「(性)奴隷」という感情的な反応を狙うプロパガンダ工作もこれに当たる。小 学生時代から徹底的に叩き込まれる侮日・反日教育(歴史教育のみならず、音楽などのアーツなどにも反日思想が反映されると指摘されている)。

(16)過激主義者には超自然的、神秘的、あるいは神的な理論的根拠を主張することがある:過激主義者には何らかの宗教運動、または団体に属するケースもあり、彼らの活動は天的な存在のお墨付きであると主張する者もあり、信教の自由のもとで批判から防御しようと試みる。

韓国の反日活動例:
 儒教は絶対神の存在を説く思想ではないが、儒教に浸っている韓国社会は中華主義の国際ヒエラルキーに浸っており、基礎的な思想から侮日の伝統を持っている。伝統的な思想が侮日・反日主義のセメントとして機能しているといえるのではないか。

(17)曖昧さと不確定さへの不寛容性:過激主義者たちは不確定な世界において確定性を見出そうとする傾向があり、これが個人的、政治的に操作的な行動に動かす要素となる。

韓国の反日活動例:
  ケースは思い浮かばないが日本人は曖昧さには比較的寛容的であるが、韓国人は断言するのが好きだという指摘がある。呉善花女史も「何事につけても、こうあ るべきだ、こうあることが正しいという理念が第一になって、そこから現実の物事をみていこうとする傾向が強いということである」と述べている(『反日・愛 国の由来 韓国人から見た北朝鮮』参照)。これも反日キャンペーンの凄まじさに影響を及ぼしている可能性は否定できない。

(18)集団思考への傾向:過 激主義者は内向きの集団思考に動く傾向があり、団結と一致を守るために事実を捻じ曲げたり、矛盾する証拠を伏せたり、共有している憶説に疑問を投げかけて しまう観察を抑えつける。これによって共有している正義の幻想や道徳の優越性、迫害などが維持されそれらの考えを挑戦する者は懐疑と敵意を持って応じられ る。

韓国の反日活動例:
 日本の前で韓国批判をする韓国人ジャーナリストは叱責、批判され、時には売国奴として扱われる傾向がある。

(19)敵意の個人的化:過激主義者は“敵”に個人的な不幸を望み、不幸が起こった際には祝う傾向にある。

韓国の反日活動例:
 2011年の東日本大震災の惨事に日本が見舞われたときに韓国スポーツ競技ではそれを「祝う」垂れ幕が飾られた件や2005年、韓国の仁川市の地下鉄駅で子供たちが描いた日本に不幸・災難を願うポスターが展示された件などが挙げられる。

(20)「勝たなければ社会はダメだ」という思想を持つ:例で言えばもし過激主義者が選挙で落選したら不正が行なわれたと主張し、もし世論が彼らを批判をし始めると民衆は洗脳されたと主張する。政治・社会システムの善悪は自分たちへのインパクトで判断される。

韓国の反日活動例:
  韓国の「敗北を認めたがらない文化」の影響もあるだろう。もし第三国の政府が日韓問題をめぐり親日的な処置を執行すると証拠も無いのに「日本がロビー活動 した」と噂される。韓国反日主義において自国において都合の悪い事件や状況は「日帝36年強占支配」の悪影響として主張、誇張されるケースがある。


慰安婦デモ

  いかがだろうか。もちろんこれは韓国社会における傾向、トラジェクトリーの分析であり、韓国の国民のひとりひとりがこれに当てはまるというわけではない。 提示した反日の例は一握りのサンプルであるが、読者はこれらに当てはまるさらに数多くの適切なケースを思い浮かべるかもしれない。

 述べ るまでもなく、韓国の反日傾向は幾多もの角度から分析されている。文化的、政治的、歴史的、そして経済的な分析などがある。何百年にわたって徹底された儒 教の影響がいまだに濃いのでそれに起因しているのも大きい理由だろう。しかし、結果としてウィルコックスがいう「過激主義者に見られる特徴」のほぼすべて に韓国反日主義の特徴が当てはまるというのは一体、何を物語っているのだろうか。

 民族が違えば文化も違うのも当たり前だが、この現象もシンプルに「文化の違い」で済まされるものなのだろうか。朱子学という儒教思想は「過激的」な文化を生み出してしまうものなのか。問題は複雑である。

 また、ウィルコックスが掲げる点の要素のすべてが韓国の反日主義に何らかの形で見つけることが出来ても、侮日・反日主義の実行者ら自らが「過激主義者」であると認識して実行しているとは考えることは殆ど無いと思う。

  彼らの立場から見れば正義のために戦っているから、それが「過激」とは思いもしないだろう。韓国ではそれが当然であり、文化的に正しい行為と見られている のは幾多の研究者に指摘されてきた。しかしウィルコックスは過激主義は必然的に「主張の内容(Content)」ではなく「やりかた(Style)」であ るとも述べている:

「過激主義者の振る舞いは内容を超越する“やりかた”によって特徴付けられる。たとえ正しい大義であっても、激しく不寛容的で復讐的な唱道によって危うくされる可能性もある。(中略)『鼠を捕まえるために小屋を焼き払う』という古い格言がこの問題に当てはまる」
(The Watchdogs: A close look at Anti-Racist “Watchdog” Groups)


  自国の利権、国際的な信頼をも危うくしてまで侮日・反日を繰り返す韓国。この視点からも見れば、やはり韓国の反日主義はある意味、立派な「過激主義」であ るという見方も可能なのではないのか。上記の特徴が社会内の特定の過激主義組織だけではなく、主権国家自体に当てはまるとは実に恐ろしい現象だといえるだ ろう。

 2015年は第二次世界大戦の終焉の70年にあたる年である。また「日韓基本条約」締結の50年にあたる年でもある。第一次世界 大戦勃発100年記念に踵を接する今年には世界中で多くの行事が行なわれ、書籍が出版され、ドキュメンタリー番組が制作されるだろう。この歴史的な年に当 たって韓国を含む「東アジア反日3兄弟」は日本に対して心理的に露骨な宣伝工作と情報戦を繰り出す意図でいるのは明らかだ。

 日本はウィルコックスの分析も参考に、歴史的事実としっかりとした論理を手に首尾一貫した戦略を練ったらどうだろう。エリ・コーヘン前駐日イスラエル大使が2014年春に助言したように、日本人は総力を挙げて戦うべきだ。

  ウィルコックスは歴史家でもある哲学者アーサー・ケストラーの次のことばを引用している。「神話中毒者との対話のほとんど全ては失敗に帰する。論争は最初 から客観性から離れ、主張は長所によってではなく思想体系に適するか否かで考慮される」。もしそうなら、日本は反日に染まった韓国をダイレクトに相手にす るよりも、精力的に事実を世界各国に発信するという戦略をとったほうが実を結ぶことができるのかもしれない。まさに情報の総力戦だ。

 いずれにせよ感情を煽り歴史を歪曲する相手の戦略に対抗し、日本の命運と未来のために立ち上がり、戦うべき年。それが2015年なのである。
iRONNA
http://ironna.jp/article/832

(´・ω・`)韓国=反日カルト国家ってことかな
過激団体はどこにでもあるけど国まるごとってのがすごいね
アカヒ(-@∀@)とか9条カルトなんかもこの類っぽいね

追記2015.2.26
ネットの書き込みに

反日過激派国家「李スラム国」だな。

とあってこれだ!と思った(´・ω・`) よってタイトルも変更
(http://www.wara2ch.com/archives/8073399.htmlコメント9)

参考
9条教
http://wiki.chakuriki.net/index.php/9%E6%9D%A1%E6%95%99 

脱北者が朝鮮総連に対して北朝鮮帰還事業の責任を問う裁判を起こしている
「地上の楽園」と「凍土の地獄」
そのうち日本に対して訴訟を起こすのではないかと以前から感じていたのだが

既にその布石は打たれているようだ


【youtube】3/3【討論!】朝日新聞的世界観の溶解とその行方[桜H27/2/7]
13:47~
水間政憲氏「姜尚中ってあのどっかの学長なったのいるじゃないですか。(注:聖学院大学:筆者)主催のシンポジウムでね、拉致問題を相殺するようなシンポジウム。何かって言ったら、政府の帰国事業は集団拉致だったって。日本政府による。すごいですよ。」

馬渕睦夫氏「ああ朝日がやったやつね(笑)」

水間政憲氏「あれは日本政府による集団拉致だったんだってそういうシンポジウムやってるような人間が、NHK重宝してしょっちゅう出してるでしょ。」


北朝鮮帰還事業で新資料 政府や日赤の積極関与明らかに

 在日朝鮮人9万人余が北朝鮮に渡った帰還事業(59~84年)に先立ち、日本政府や有力政治家、日本赤十字が55年から赤十字国際委(本部・ジュネーブ)に積極的に働きかけていたことを示す秘密文書が、オーストラリア国立大学のテッサ・モーリス・スズキ教授(日本史)の調査で明らかになった。大量帰還をめざして日本の政治・行政が早い段階から主体的に関与していたことが、文書で裏付けられた。

 帰還事業は、帰った人が行方不明になったり「脱北」したりした実態が後にわかり、実施の経緯について議論がある。

  文書は、赤十字国際委が秘密扱いを解き今年公開した。帰還事業は一般に、58年の在日関係者の運動や北朝鮮政府の呼びかけなどで機運が高まり、それを受け て59年2月に日本政府が実施を閣議了解したと説明される。公開された文書は56年7月に国際委が帰還実現へのあっせんを提案する以前のもので、この時期 に日本の政治・行政が積極的に行動したことを示す資料はほとんど知られていない。

 55年12月の国際委への書簡で島津忠承・日赤社長は 「帰還が韓国との間に問題を起こさないなら、そしてそれが北朝鮮の赤十字でなく国際委の手で遂行されるなら、日本側は全く異論はなく、むしろ期待を寄せる ものである」と述べ、国際委の関与による大量帰還の実現を要望した。追伸には「この書簡は日本の外務省と法務省の有力当局者の完全な了承を得ている」と書 いていた。

 56年1月の国際委への書簡で日赤の井上益太郎外事部長は、与党に帰還支援を始める兆しがあり、「芦田均元首相や岡崎勝男元外相が(略)在日朝鮮人の帰還を支援する政策を具体化すると、非公式に私たちに伝えてきた」と記し、国際委の協力決断を促していた。

 56年春に国際委が日本に送った特使のメモには、重光葵外相が「とりわけ日本で悲惨な生活を送る女性や子供たちが早く自分の国へ帰るよう希望する」と特使に述べたと記されていた。

 また、島津社長は57年2月の書簡で、同封の文書が政府の同意を得ている事実は公表しないでほしいと要望していた。背景には、韓国を刺激したくないという政府の意向などがあったと見られる。

 モーリス・スズキ教授は「日本政府が早くから大量帰還政策を秘密裏に進め、日赤がその『国益』を代行した構図が見えてきた。北朝鮮政府や朝鮮総連だけでなく日本政府や日赤にも、帰還事業について説明責任がある」と語っている。
asahi.com2004.9.16
記事期限切れのため引用はこちらから
http://www.asyura2.com/0406/war59/msg/1350.html

よくもまぁ帰還事業を煽っておいて今度は日本政府に責任を問うような記事を書けるものだ
脱北者は朝日新聞を訴えるといいと思うよ
 IamnotAsahi
ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ @Д@)ノゲシッ

朝鮮半島唯一の合法政府として認めて日韓基本条約を結んだので
在日朝鮮人問題の責任は第一に韓国政府にある
ここは絶対に避けて通れないはずだ
日韓基本条約を覆すなら彼らはリビジョニスト=歴史修正主義者である

テロリストまで送り込んで北朝鮮帰還事業を阻止しておきながら
同胞引き取りを拒否するとはどういうことだ
北送阻止隊 
在日台湾人はあまり問題はないが在日朝鮮人は悪質な犯罪ばかり起こすと吉田茂も言ってるわけで
これも日本政府のせいなのか?
吉田茂=マッカーサー往復書簡

そしてこのテッサ・モリス=スズキ氏
【wiki】テッサ・モリス=スズキ 
テッサモリス鈴木
http://fukuoka-prize.org/laureate/prize/acd/tesmorris.php

テッサ・モリス=スズキ(Tessa Morris-Suzuki、1951年 - ) はオーストラリア国籍の歴史学者。専門は日本近代史。オーストラリア国立大学教授。テッサ・モーリス=スズキの表記も使用。
夫は、作家の森巣博。Morrisは自分の旧姓。Suzukiは夫の本名の姓。

人物
1951年イギリスで外交官の父のもと、4姉妹の末妹として生まれる。ブリストル大学でロシアの歴史及びロシアの政治を専攻し、学士号を取得。バース大学で日本の経済史を専攻し、博士号取得。日本での生活を経て、1981年にオーストラリアに移住。
ニュー イングランド大学経済史上級講師、同准教授、同教授を経て、オーストラリア国立大学アジア太平洋学群文化歴史言語学部日本史教授、元学部長、元一橋大学客 員教授。オーストラリア学士院人文系会員、元豪州アジア学会会長、元オーストラリア連邦政府外交問題評議会委員、アジア市民権ネットワーク共同代表。
慰安婦問題などをはじめとする大日本帝国の戦争犯罪に積極的に発言している。アメリカ合衆国下院121号決議に関しては、日本の慰安婦問題を厳しく批判した。[1]
2013年第24回福岡アジア文化賞、学術研究賞を受賞。[2] 

脚注の[1]にリンクしてあったのが
http://www.japanfocus.org/-tessa-morris_suzuki/2373
また乗松聡子氏ですか(想定内
→ カナダの反日拠点 バンクーバー9条の会乗松聡子 

参考
北朝鮮帰国事業 北朝鮮帰国問題の背景1 帰国運動の目的 
北朝鮮帰国問題の背景2 「人質」になった帰国者 
北朝鮮帰国問題の背景3 「帰国事業」に日本はどう関わったか 
嫌な予感的中!脱北者の経歴が嘘だった?

週刊文春2015.2.5号
p22~25
「10分300万円」に命を賭けた
後藤健二さん書かれざる数奇な人生


「後 藤さんはなぜ一人でイスラム国に入ったのか。知人の湯川さんを救出するためだったとされてい ますが、どうしても納得できないのです。昨年10月、シリアに出発する二目前に彼と電話で話しましたが、湯川さん日付の話はまったくしておらず、後藤さん は『まだどのテレビ局に映像を出すかは決めていない』などと、仕事の話をしていたのです」
 こう語るのは、後藤健二さん(47)と親交があるジャーナリストだ。
  1月24日午後11時過ぎ、動画サイト「ユーチューブ」に一本の動画が投稿された。 そこには湯川遥菜さん(42)と見られる” 遺体写真” を持つ後藤さんが映っていた。そして3日後には「残された時間は24時間しかない」という” 最後のメッセージ” がアップされた。
 昨年一月に 民間軍事会社を立ち上げた湯川さんに、後藤さんが初めてあったのは昨年四月のことだった。湯川さんは当時、イスラム国とは別のシリア反体制派組織に拘束さ れ、入国目的などを聞かれていた。 そこで組織幹部とつながりのある後藤さんが通訳を務めたのが出会いだった。
 湯川さんは自身のブログで<やったあ♪ 僕が日本で会いたかった人の一人> と後藤さんに会えた 喜びを綴っており、湯川さんの父親・正一さん(74)も、二人の関係をこう語っている。
「息子は後藤さんを大変慕っておりまして、兄貴のようだと盛んに語っておりました」 その湯川さんが昨年八月にイスラム国に拘束されて以降、後藤さんは湯川さんの身を案じていた。
 後藤さんと面識のあるフリージャーナリストが言う。 「心配していたのは間違いないですが、救出のためにシリアに渡ったとは考えにくい。 後藤さんは10月24日にシリアに入国しているが、29日には帰国する予定でいた。数日で湯川さんを探しだしてイスラム国と交渉することは不可能。 事前に向こうから『ユカワを引き渡すから迎えに来い』という話があったのいれならわかりますが・・・・・・。
 後藤さんは昨年六月頃の段階では、『イスラム国なんてどうでもいい』と言っていた。 ただ、その後、イスラム国が大きなニュースになっていくのを見て、『でかいネタになる』と考えたのかも知れない。 もし救出できれば世界的なニュースですし、映像が番組で流されれば、10分間で200万円から300万円 ほどのギャラをもらえますから」
  命の危険も伴う取材だけに、それは相応な対価だろう。 実際、後藤さんはイスラム国に入る直前、「 何が起こっても責任は私自身にあります」という動画のメッセージをガイドに託している。 だが結果として、その決断は人質交換交渉にヨルダン政府も巻き込む外交問題に発展してしまった。

日立子会社を3カ月で退職
 果たして、後藤さんにはどれほどの覚悟があったのだろうか。ジャーナリストとして名を成すまでの後藤さんの歩みを振り返る。
 1967年生まれの後藤さんは2歳までを仙台市で過ごし、その後、東京都世田谷区に転居した。
 実家近くの住民が語る。
「お父さんは日立製作所の社員で、お母さんは自宅近くで塾経営をしていたようです。お兄さんとお姉さんがいる3人きょうだいの末っ子で、健二君は勉強が出来て、いつも友達の輪の中心にいました」
 後藤さんの母親、石堂順子さん(78)が、1月23日に日本外国特派員協会で会見を開いて注目を集めた。石堂姓は順子さんの旧姓だという。後藤さんの実兄(55)はこう説明する。
「はっきりとした時期は覚えていませんが、両親が離婚したのは20年程前です。母はそれより前、健二が高校生くらいの時に世田谷の家から引っ越しています。健二も母とはかなり長い間、連絡を取っていなかったと思います」
 母親が家を出て以降、健二さんは父親と暮らしていたという。法政大学の付属高校に進学した後藤さんは、1986年法政大学社会学部に進学する。
 長年の知人が語る。
「高 校時代からアメフト部に所属し、本人は大学でもアメフトをやっていたと言っていました。大学卒業後は、父親の縁なのか、日立製作所の子会社に就職した。と ころがサラリーマンがいやだったのか、三カ月で退社。その後は、恵比寿のボディビルジムでコーチとして働き始めたのです」
 そのジムのオーナーはこう振り返る。
「うちに就職したのは92年7月でした。明るく人当たりも良かったので、恵比寿店の運営を任せることにしたのです」
 オーナーの信頼を得た後藤さんだったが、金銭トラブルを起してしまう。
「1 年くらい経った頃、会員の入会金と月謝、合わせて500万円もの額が、帳簿と合わないことが判明したのです。本来お店に入っているはずのお金がなく、1日 で30万円も勘定が違うこともありました。彼を問い詰めましたが、無言を貫くばかり。結局、それが原因でジムを辞めてもらうことになりました」(同前)
 後藤さんはジム勤務の傍らで、意外なビジネスにも手を出していたという。
「彼は風俗店をやっていたのです。家賃20数万円の南麻布の高級マンションを借りていて、近隣住民から不動産屋に苦情がきたと聞きました。彼の周囲に聞いてみると、うちのジムでも女性をスカウトしていたんです」(同前)
 当時のジムの同僚が語る。
「確 かに後藤さんは羽振りが良かった。2万円もするランチを食べたり、プジョーを乗り回していました。退職後の93年12月に手紙が届き、『いまは職探しの途 中だけど、就職できたらまた会おう』と。その後、会うことはなかったけど、百貨店系列のスポーツジムに就職したようです」

紛争地帯の一般民衆に寄り添う
 ジャーナリズムの門を叩いたのは20代中盤の頃だった。TBS系列の番組制作会社に所属して経験を積み、96年には自身が代表を務める映像通信会社「インデペンデント・プレス」を設立した。この頃から、後藤さんが撮影した映像がテレビで流れ始める。当時、NHK「ETV2000」の編集長を務めていた永田浩三武蔵大学教授が語る。
「彼のデビュー作と言えるのは、西アフリカのシエラレオネの内戦を取材したもので、2000年7月に放映しました。地味なネタでしたが、紛争地帯の一般民衆に着目するという視点に魅力を感じて、約45分の番組を作りました」
 フォトジャーナリストの橋本昇氏も、駆け出し時代の後藤さんを知る一人だ。
「01 年、イスラマバードの取材が初対面で、本格的な戦場取材は初めてのような話をしていましたね。『タリバンの取材をしたい』と言っていて、取材の仕方などを 教えてあげました。『こんな仕事を続けていると、いつか酷い目に遭うんじゃないですかね』と漏らしていたことが、印象的でした」
 これ以前に後藤さんは、一度目の結婚をしている。
「ロイター通信など外国メディアで翻訳の仕事をしていた女性で、現在は大学の非常勤講師をしています。彼女との間には現在中3の子供がいます」(前出・知人)
 ジャーナリストとしての活動も軌道に乗り身を固めた後藤さんだが、結婚生活は長くは続かなかった。
「最初の奥さんとは10年以上前に離婚しています。後藤さんがイラクの取材に行こうとしていた時に、奥さんから反対されたことが理由のようです」(同前)
 2003年に起きたイラク戦争中の取材について、前出の永田氏が語る。
「大手メディアは、フセイン政権が倒れたことを喜ぶ一般市民という構図で取材をしていました。一方、後藤さんは戦場で亡くなった方のお墓を訪ねたり、武器を持った兵士におびえる人たちに寄り添うという取材を心がけていました」
 この頃から映像だけでなく執筆活動にも力を入れ始める。06年には「ダイヤモンドより平和がほしい」 (汐文社)で産経児童出版文化賞を受賞し、ジャーナリストとしての地歩を固めていく。彼の仕事ぶりについて、前出のジャーナリストが語る。
「とにかく仕事にシビアな人でした。彼の映像を観ると、最前線には行かず周辺の地域の映像を多く撮っています。テレビ番組として成立することを考えると、後方の市民を取材することも大切。いわゆる”画になる”映像をきちんと計算して撮っているので、ジャーナリスト仲間では『テレビ屋さん』と呼ぶ人もいます」
 現地では、ふんだんに取材費を使っていたという。
「通 常はガイドに支払うギャラは1日50ドルくらいですが、彼は倍以上払っていた。テレビ局は提供した映像を二次使用で勝手に使ってしまうこともあるのです が、彼はきっちりと二次使用のギャラも要求していました。その几帳面さがあったから、他のジャーナリストに比べて余裕があったのでしょう。12年頃からシ リア取材をするようになり、さらに仕事が軌道に乗った印象です」(前出・フリージャーナリスト)
 紛争地の取材を続けながら着実に実績を積み上げてきた後藤さんが、現在の奥さんと結婚したのは3年程前だった。
「奥 さんは世田谷の進学校から東大に進み、大学院で都市工学を学んだ才媛です。卒業後は国際協力機構(JICA)に就職。OECDに出向してパリに住んでいた こともあって、二人は海外で出会ったようです。結婚後、後藤さんは奥さんの籍に入っていると聞いています。2歳と昨年生まれた赤ちゃんの2人の娘がいま す」(同前)
 後藤さんの現在の自宅は赤坂の一等地にある。
「自宅は赤坂サカスにほど近いマンション。後藤さんの会社のオフィスも近くにあり、生活は裕福だった印象があります」(同前)
 記者会見で母親の順子さんが、「奥さんと名乗る方と初めて電話で交信いたしました」と明かしたことも話題となった。

「健二に代わってお詫びします」
「お 母さんは、昨年赤ちゃんが生まれたことも知らなかったと言いましたが、健二さんが再婚したことも知らなかったのです。3年ほど前のお母さんの誕生日に後藤 さんと一緒に食事をした時の写真も公開しましたが、それも何年ぶりなのか分からないほどだったそうで、疎遠な状態が続いていたのです」(前出・知人)
 順子さんの記者会見では、健二さんとは関係のない話題も飛び出した。
「会 見や自宅での囲み取材で、何度も『原発は反対です』とか『日本は戦争をしないと、憲法9条に誓った国です』などと語り、報道陣を唖然とさせていました。取 材に立ち会った夫の石堂行夫さんからも、『原子力はそれとして、早く本題を・・・』と促されるほどでした」(会見に参加した記者)
 順子さんの会見をセッティングした「社会新報」の田中稔編集次長が語る。
「彼女とはジャーナリストの会合を通じて10数年のお付き合いで、会見を勧めました。反原発は東日本大震災以来のお母さんの持論ですから、興奮して出てしまったのでしょう。ただ、健二さんの実のお父さんは、『会見をやるべきではない』と伝えていたようです」
 実兄もこう語る。
「母とは20年以上音信不通でしたから、突然の記者会見に驚きました。まだ事態自体は流動的でわからないことが多かったですから。健二の無事を祈るからこそ、会見の朝、外国特派員協会に『会見をやめてほしい』とお願いしたのですが・・・・。
 会見当日、奥さんが会見場に現れるという情報も流れていたようですが、彼女は一切、会見に出る意思はなかったようです」
 1月24日の映像で、後藤さんとされる声は妻の名を呼び、『これが私の人生の最後の数時間になるかもしれない。これをあなたが聞く最後の言葉にしないでほしい』と語りかけた。
 後藤さんの安否が不明な今、親族は不安な日々を過ごしている。実兄が言う。
「健 二とは普段からメールや電話のやり取りをしていただけに、11月に行方不明と聞いた時は衝撃を受けました。すぐに安否確認のメールを健二に出しましたが、 返信はなかった。1月20日の報道後、警察の方が来られて確認を求められたので、調書に『弟に間違いない』と書きました・・・・」
 そして沈痛な表情で、こう語る。
「政府や国民の皆さんにご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございません。健二に代わってお詫びします。日本国民だけではなく、世界中で健二のことを応援してくれている人に感謝しています。今は、無事に帰ってきてほしいと願うばかりです」
 後藤さんの一刻も早い救出が待たれる。

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5後藤健二25



http://ameblo.jp/yoshiko-kawashima/entry-11885904000.html

(この機材・・カメラ持って乗り込んだフリージャーナリストというイメージと全然違った)
 湯川遥菜シリア中継
https://www.youtube.com/watch?v=lZ3Rv9hmw88

湯川遥菜氏が軍関係の仕事をしているとかエージェントだとかずっと変だと思っていたが
テレビ局の請負と考えると全て辻褄が合う

報道ステーション2015.2.3
3小池晃
共産党・小池晃議員「日本人が拘束されているというもとで慎重な物言いが必要だったのではー」

FBを教えたアムネスティ日本・石田城孝氏、
画像をRTした有田芳生議員がまず責められるべきでは
彼らの行動は慎重だったんですかね?
ネトウヨなんて殺されちまえby人権派 

3古賀茂明IamnotAbe
報道ステーションに責任はないの?

追記2015.2.9
NewsPostseven『古舘伊知郎が『報道ステーション』以外に出演しない理由とは』2013.4.10
newspostseven古館報道ステーション
http://www.news-postseven.com/archives/20130410_181446.html

事務所が丸々『報ステ』の制作を請け負っている。これは、事務所にとっては大きい。
 所属事務所の『古舘プロジェクト』は、構成作家など制作陣も抱えていますからね。1回の放送で3000万~4000万円、事務所に入っているのではないでしょうか。一説には、6000万円という声もあります。ロケからニュース原稿作りまでほとんど事務所所属スタッフを使っていますからね。

追記2015.2.14
著書を出版している「汐文社」 
汐文社はだしのゲン
http://www.choubunsha.com/products/hadashi-no-gen.html
はだしのゲン閉架騒動で儲けたというあのw

参考
ISIS人質署名 西早稲田からアンブロークンまで

別件でコメント欄で教えてもらった本なのだが
これはどうしても書き起こししておきたい



p48~53
昭和46年9月25日号(1971)

『朝日』のエース
本多勝一記者のやっていること


  本多勝一さん(38)、朝日新聞の花形記者。エスキモーからニューギニア高地人、アメリカの黒人、さらに戦争かのベトナムと走り回っては独特の連載記事を 書き、”冒険記者”として名をはせた。その本多さんが、今度は中国へ行って来た。そして今、朝日夕刊に連載しているのが、中国における日本軍の”残虐行 為” の記録。これが始まったころから、『だいぶハナにつく』「中国に迎合し過ぎる」といった批評が、新聞社の内外で聞えだした。”スター記者”の宿命なのかも 知れないが・・・・。

 本多記者の『中国の旅』連載予定は、50回と伝えられる長編だ。

 まだ始まったばかりだが、ほと んどノッケから、日本軍による血なまぐさい残虐行為、大量殺戮の場面が繰り広げられる。1932年、撫順炭鉱の近くの村で3000余人の中国人が殺された という「平頂山事件」を、当時の生き証人によって語らせている。その有り様は、ーー本多記者もそう断っているがーー伝えられるベトナムにおけるソンミ事件と酷似しており、それを読む日本人にとっては、むろん受け取り方はさまざまだろうが、とにかく、無念の重くなる話であることだけは間違いがない。

 日本兵が村人たちを一カ所にかり集め、法衣して機関銃の一斉射撃を浴びせるシーンの描写ーー。
「・・・・ 言葉に表しようのない地獄絵になった。即死する者や重傷者はもちろん倒れたが、生きている者も本能的に伏せた。ぎっしり重なった使者も生存者も血にまみ れ、その間にとびだした内臓もまぜこぜになった。・・・・上向きの人、下向きの人、割れた頭、けいれんした足などが、血だらけになっている。死にきれない 重傷者たちの、うめく声がたくさんきこえた・・・・」

 こういう虐殺物語が、全五部に分けて繰り返し語られるらしい。流行の残酷ものの劇 画を連想する、といっては不謹慎かも知れない。ただ、これまで、『カナダ・エスキモー』や『アラビア遊牧民』など、国名で、どこかユーモラスな筆致のルポ ルタージュを読んできた読者には、「本多さん、だいぶ変ったな」という印象を与えたようである。

 京大の高坂正堯教授は、
「あの記者は、昔はいいもの書いてたんですがね。今度のは驚いてます。奇妙な趣味やな、と。私にはサディズムとかマゾヒズムの傾向はありませんから、最初だけ読んで、あとはもう読むの、やめました。
  今、日本は中国に対して、マゾヒズムになり過ぎている。マゾヒズムとう趣味が、贖罪意識のようなものにスリ替えられて、正当づけられていますが、いくら正 当づけようと、趣味の分野からは一歩も出ないですよ。・・・・戦争の残虐行為を書き始めたら、第二次大戦だけでも、何百冊もの本にしても間に合わないで しょう。戦争とはそういうものです。
 中国に謝ることは必要でえす。それには、あの戦争がなぜ起こったかということを追及することは必要で、それ が理解された時に、初めて、心から謝るということになるんじゃないですか。それを、起った戦争の中身の部分を拡大してみせて、それを贖罪に結びつけるの は、無理があります。
 いろいろ理屈をつけても、結局は書く人、読む人の趣味の問題に帰着します。あの種の記事を、興味を持って読む人が多いとしたら、これは問題です」
 
 と”拒絶反応”を示した。が、むろん、賛同者もいる。社会党の若手代議士、横路孝弘氏(30)は、「戦争を知らない世代」の一人として、
「いいタイミングだと思います。今、中国との国交回復がいわれていますが、財界や自民党は、中国を単なる市場として見ているに過ぎません。実際、あの記事で扱っているような歴史的事実をふまえて考えない限り、国交回復なんて成り立たないとも思います。
 日本では、戦争の話といえば、原爆を落とされたこと、大空襲のこと、沖縄がひどかったことなど、被害を受けたことが中心になってましたし、それらが、社会党やそのほかの団体の平和運動の軸になっていました。
 つまり、加害者でもあったことを忘れてきたわけです。新聞社が、ああいう形でやるのは、一つの見識として評価していいと思う」

登山記者から文明批評家へ
 朝日新聞社内にも、賛否両論があるようだ。
「当然書かなくてはならないものだ」という指示派と、「どうも日本人のサディスト性をバクロされているようで」ウンザリする組と・・・・。

 そして、この企画自体は、朝日新聞社自体の発案というよりは、本多記者ご当人が熱心に関係各方面に運動して実現した取材らしい。彼をよく知る某記者がいう。
「本多君自身、もう4年ぐらい前から、中国い行きたいといっていた。中国い対する日本の侵略、残虐行為について、日本人は、一度ハッキリと懺悔すべきだという考えを持っていて、ああいう記録を書いておきたい、とよく飲屋でいってましたよ。
 もちろん、うちの社としても、やる価値があると判断したから取材を認めたんでしょうが・・・・」

 この本多氏の”独走”ぶりについて、ある先輩記者はこう説明する。
「本多君は帰って来て、会議の席でアイサツして、”200回ほど連載したい”といったんです。
 わずか一カ月余の取材で200回連載とは大きく出たものですが、さすがに編集局長も”200回は長いじゃないか”というと、彼は憮然としておったそうですよ。この憮然とするところが、彼らしいところなんですが・・・・。
 社内には連載のテーマそのものには批判はないけれど、彼の体質というか、やり方にはかなり反発があるようですよ。結局、連載は50回ぐらいということで落着したようですけれども・・・・。
 本多君は、34年入社ですけど、その前、京都大学にいたころにヒマラヤに登ったり、山登りのほうでは有名だったようで、なかなかバイタリティーのある記者として高く評価されていた。
  エスキモーといっしょに暮したルポを書いたり、山についての評論を署名入りで書いたりしていた。これはなかなかよかったと思う。ところが、最近はスッカリ 大記者になってしまい、思い上がりがあるような気がする。最近では、きらいな記者の一人になってしまいました。今度の連載でも、気取ったイヤミな文章を書 くな、と思っていました。社内では、”テング記者”という人もいますよ。
 かれは、体質的に大へんしつこいんじゃないかと思いますね。信州人(注=長野県出身)特有のガンコさもあり、これがよく出ればネバリ強さになる。それが、未開地で生活したり、黒人社会にはいりこんだりするエネルギーになるんだろうが・・・・。
 そういう体質に加えて、最近では・・・・、例のベトナムへ行って『戦場の村』を書いたあたりから、なんというか、思想的なガンコさとか、文明批評家臭さみたいなものが出てきて、それが、かつてあった彼の文章のさわやかさをそこなっているのかも知れませんね」

 思想的なガンコさといえば、本多記者は”差別”ということに大へん敏感なようである。アメリカで黒人問題を取材したせいもあろうが、その”差別”問題で、ちょっとしたトラブルを起したこともある。

 東大のドイツ文学教授、西義之さんとの間の話だ。
「前 にこういうことがあったんです。本多さんが”アメリカが日本に原爆を落し、ドイツに落さなかったのは、人種差別のためだ”といわれたので、それに対して私 が、読売新聞のコラムに、”ドイツ降伏の時には、まだアメリカは原爆を完成していなかったのだから、その論はヘンじゃないか”という意味のことを書いたん です。そうしたら、彼の”代理の人”から私の家に電話があって、住所を確かめて何か送りたいものがある、というんです。
 しばらくして、組合の小さな雑誌を送って来ましたけれど、その中には、私への悪口がゴッソリ書いてあるんですよ。”トルーマンを喜ばすものだ”とかね。それで、この人ちょっとおかしいんじゃないか、と感じました。
 人のいったことを曲解するようなところがあるんですよ。でもあの人は、新聞という場を持っているでしょう。何か反論すれば、すぐたたかれそうでコワイです。それで今度も、もうあの人の書いたものは、読むのがイヤになって敬遠しました」

「天皇は国外追放にせよ」
 本多記者は、個性の強い人である。彼が、長年にわたって、NHKの料金不払いの個人キャンペーンをやっていることは、一部で知られていた。ところが、それを、中国に出かけても公言し、かつ、そのことを『週刊朝日』(9月17日号)に得々として書いている。
「NHK の受信料を私が支払い拒否してからもう7年ほどになるが、NHKは私のように”うるさい奴”のところからは受信料をとらず、黙っている人やあきらめている 人からばかり強引に集金している。・・・・ベトナム戦争に対する態度をはじめとして、NHKがいかに基本的に反・解放戦線的かつ親・米侵略軍的であったか は、ここに詳述するまでもない」

 この記事を読んで、NHKの一放送記者は怒った。
「よその国に行ってまで、仮にも同じマスコミ 業の一員じゃないか、同業の悪口をいうのは、ちょっと、いわゆる”仁義”にはずれてるんじゃないのか。では、本多氏に問いたい。朝日新聞は完全に”解放戦 線的かつ反・米侵略軍的”か、と。本多氏自体、朝日をそんなに信頼していないでしょう。そういう発言を彼はしているんです」
 と、『週刊・朝日ゼミナール』という雑誌に掲載された、本多記者の講演記録を示す。

 聴衆に、「記事のチェックを受けるのか」と問われた本多氏が答えている。
「(ルポの場合はそういうことはないが)意見の場合だと、そういうことはときにはあります。しかし、それは別に新聞に幻想を抱いてはいけないんで、どうせブル新ですから、そういうことは、あたりまえなわけです。こちらも、割切っております。
  私と朝日新聞社との関係は契約関係にあるわけで(笑い)、私も朝日を利用し、朝日も私を利用する。・・・・もし朝日の編集方針とか、経営者が、これはまず いとうことがあれば、削るのが当然であって、ぼくとしては別に削ったからけしからん、といって怒るほど朝日新聞に期待していないわけです(笑い)」

 ドライな割切りぶりが、公然と披露されているわけだ。

 しかし、「この高姿勢も、やはり営業的な裏付けがあってはじめてできることだ」と説明する記者もいる。彼の書いたルポが本になると、ほとんどベストセラーにはいるからだという。
『カナダ・エスキモー』12万部、『ニューギニア高地人』8万部、『アメリカ合衆国』5万部、『殺される側の論理』5万部・・・・といった調子で、朝日から出した本だけで合計51万部も売れている。

 特に若い層に人気があるようで、「現代の最もカッコイイ記者の本」として読まれているらしい。出版局業務次長、広橋敏栄氏もいう。
「本多さんの本はどれもロングセラーですから、今や出版局のドル箱の一つになっています。ですから、彼が何かコトを起してやめてしまうと、せっかくの金のタマゴを産むニワトリが逃げてしまうわけで、そういう意味からも、あまり物議をかもしてもらいたくないですね」

  というわけで、「朝日じゃ、本多さんほどいいたいことをいってる人間も珍しい。ただ、彼自身、履行なんだな。決定的に自分が危なくなるようなことは、いっ てないんじゃないの・・・・」という記者もいるが、あるいは物議をかもすかも知れないのが、彼が最近アンケートに答えて発言した「天皇」の問題である。

 エール出版が出した『我々にとって天皇とは何か』という問いに「北京から」回答して、「こういうもの(注=天皇)を、未だに平然と飼っている日本人を、心底から恥じさせてくれる存在」と規定し、天皇の政治責任については、「利用された気の毒な人なのだから、死刑にしなくてもよいが、国外追放にして今後また利用されないようにする。南米あたりに移住してもらって、あそこの”勝ち組”の日系人たちに飼ってもらったら?」と、いってのけたのだ。

「迎合したってけっこう」 
『中国の旅』にかえろう。
「なぜ、今ああいうものを書いたかといいますとね、結論からいえば、今だからこそ書いたんです。終戦直後でもない、十年前でもない、まさに今だからことなんです」
 と、本多勝一記者自身が説明する。

「今、 ああいうものを読めば、イヤな感じを受け、もうウンザリだという人がいるでしょうね。ぼくはそういう人に読んでもらおうと思って書いたんですよ。日本人 は、大ざっぱにいって侵略民族です。アメリカもそうですね。侵略民族というのは、侵略される側のことはまったく理解できないんです。だから、読んでもウン ザリするだけなんでしょう。
 日本では、ナチスのユダヤ人殺しがどのように行われたか、そういう風景を描いたものがたくさん翻訳されている。とこ ろが、日本人自身がやったことは触れたがらない。私が今回、具体的にそれを描いているのは、どういう殺され方をしたかを知らせることです。概念的に、何千 万人殺された、じゃ説得力がない。風景として、どのように殺されたのかを知ることで、それは意味が違ってくるんです。
 日本の報道機関は、ソンミ 事件やニューヨーク・タイムズのベトナム秘密報告のスッパ抜きがあると、”さすがはアメリカだ”とほめるんですね。ほめるぐらいなら、自分でやればいい じゃないかといいたいんです。うん、まあ、そのやればいいことを、今回、私はやったんですがね。朝日新聞を含めて、ジャーナリズムも、こういうことを書く ことをサボってきた。今書くのは時流に迎合しているという人もいるかも知れないが、仮に迎合したっていいじゃないですか。私はかまわないと思う。もっと大 きな意味があればね」
”大記者”、ますます、意気軒昂のようである。


ありし日の本多勝一記者
今は・・・・→ 次は「南京大虐殺」だ!本多勝一がキャプション誤用を認める  

舵取りを右から左に 金大中政権のやらかしたこと 続き 

再びこちらの本から

(〓 王へんに行)

p68~72
〇拉致事件まで日本で何をしていたのか
(簡単にまとめ)
日本、アメリカで「反朴正煕」団体と連携

1971.4    朴正煕大統領3選 金大中候補落選
1972.10.10 金大中、非常戒厳令宣布一週間前に国外脱出(政権と裏取引があった?)

              

日本で:朝鮮総聯と民団内の反主流派など反朴政権勢力と連合
1973.2.18 長野県白樺湖畔 韓青第九回冬季講習会
1973.3.21 箱根 在日反朴六団体(民統協、自主守護委員会、民団東京、民団神奈川、韓青、婦人会東京)の全国幹部研修会

アメリカで:現地の反韓・反朴勢力を取り込み、韓民統アメリカ本部を組織する準備を進める
1973.7 アメリカから帰国
新宿に「韓国民主制度・統一問題研究所」を設立(事務所:総連系帰化人原田)

              

1973.8.8  東京九段 グランドパレスで拉致 5日後にソウル自宅で解放

(韓青 1974.8 朴大統領夫人・陸英修夫人を殺害した文世光はこの組織の一員
 →韓国の保守派は日本が日米韓同盟を裏切ったと思っている


〇宇都宮徳馬議員が運んだ金日成の密書
金大中を支持したメディア人
『毎日新聞』 古野喜政 前田康博
『朝日新聞』 小栗敬太郎 猪狩明
岩波書店『世界』 「韓国からの通信」TK生=池明観教授(2003年朝鮮日報などで明らかに)
      安江良介
(安江良介→ニダヤ東郷和彦

p77~80
 一出版社とそれを取り巻くいわゆる文化人が金日成と金大中のあいだをとりもつだけの力があったとは思えない。

 例外的なのが宇都宮徳馬で ある。宇都宮は、父親の宇都宮太郎大将が大正時代に朝鮮軍司令官をつとめており、そんな関係で韓半島に特別な思い入れがあった。また自民党のAA研究会の 代表をつとめるリベラルな政治家として、日韓関係の正常化、さらには統一問題で主導的な役割をはたして歴史的業績を残したかったのであろう。じっさい、宇都宮は1964年いらい足繁く北朝鮮を訪問し、金日成とも4回会談している

 金大中は日本に滞在中、宇都宮と頻繁に会っていた。宇都宮は金日成と親しかったことから、南北両金の意思疎通役を買って出たとみるのが自然であろう。また宇都宮ならば、それができる立場にあった。

 1975年から76年にかけて、私は『朝鮮日報』の外信部次長であったが、慶応大学新聞研究書に留学する機会を得た。この間、宇都宮が慶応大学で内外政治関係の特別講義をしたことがあり、それを聴講したさいに知己を得て、東京・五反田の私邸をなんどか訪れたことがある。

 宇都宮は、しばしば北朝鮮を訪問して金日成と会談し、彼を讃える会見記を新聞に発表していた。現職の新聞記者であった私は、宇都宮が北で何を見、何を考えたのかを知りたかったので、宇都宮と彼の秘書、記憶では村上という名前だったが、二人に数回会って話を聞いた。

  何回目の面談だったか記録していないが、宇都宮はふとこんな話をした。彼は1973年4月に平壌を訪れたが、そのおりに預かってきた「文書」を、その年の 7月初旬に金大中に手渡したというのである。拉致される4カ月前に預かった文書ということになる。どのような脈絡で出た話かはっきり記憶していないのだ が、「平壌に行きましてね・・・・文書の入った封筒を預かり・・・・金大中さんに渡しました」といった軽い調子だった。

  新聞記者として当然のことながら、私は「中身は何でしたか」と聞いたが、宇都宮と村上秘書の態度がにわかに改まって、「それには答えられない」「知らな い」の一点張りで、答えてもらうことはできなかった。自分から口にした話、しかも気楽な面談なのに、急に態度をこわばらせたことに驚いた。

  いらい、私の心の隅に、宇都宮が語った文書とは何だったのだろうという疑問が澱のようにたまっていた。メッセンジャーに現職の与党国会議員という大物を使 うとなれば、金日成が金大中に宛てた書簡もしくは文書でないはずがない。使者にたいして内容の言及がないというのも不自然だったし、それを問われて態度を こわばらせるというのも不可解だった。
(略)

〇闇の南北資金ルート
 宇都宮との面談では、この文書のほかにも、金大中に渡すようことづかったものがあったことを知った。秘書の村上がほのめかしたのだが、1970年代初頭に金日成からまとまった金を預かり、金大中に渡したというのである。同席していた宇都宮は、もちろん肯定はしなかったが、否定もしなかった。

  まさかそんなことがあるのかと思って調べてみると、在日韓国人の社会ではもっぱらの噂となっていた。金額は2億ドル、20億円、2千万ドルとまちまちだっ たが、なぜか単位が2で共通していた。また、北朝鮮から直接現金を持ってきたのか、朝総聯系の在日金融機関を経由して渡されたのかについても諸説があっ た。それでもなお、ありえない噂だと思っていたが、1980年代になって、私は南北のあいだに資金ルートがあることを知った

 ソウル・オリンピック(9月17日開会)の直前、1988年8月18日から20日にかけて、徐敬元議員がひそかに平壌を訪れて金日成に会い、許錟(ホタム:当時、祖国平和統一委員会委員長、対南工作責任者)から、ソウルの金壽煥枢機卿の北朝鮮訪問を実現させるよう指示を受け、5万ドルを受領して帰国した。このとき金大中は、そのうちの1万ドルを受け取り、しかも、その事実を当局へ申告しなかった。

  この事実が徐敬元にたいする検察の取り調べで発覚し、国家保安法上の不告知罪と外為法違反容疑で立件された。告訴された金大中は、1万ドルの授受を曖昧に 否定しつつ、彼自身の造語である「公安政局」(国家保安法を利用した政敵弾圧の意味)、あるいは「陰謀」「謀略」であるとしてメディアにアピールした。新 聞は喜んでこれに飛びつき、政治面を大きく割いて彼の主張を掲載した。その結果、民主化コンプレックスを抱く盧泰愚政権は、彼にたいする国家保安法違反の 追及をやめた。

 翌1989年3月13日の夜、当時、平民等の総裁だった金大中と文東煥副総裁は、ソウル・オリンピアホテルの和食レストランで反体制活動家の文益煥牧師①と会った。文牧師は「平壌へおもむいて金日成主席と会い、郷里も訪れたい」と述べた。金大中は即座に賛同し、「せっかくだからささやかなお土産でも」といって、額面300万ウォンの小切手を手交した。

 帰国した文牧師は、国家保安法違反で逮捕さ れた。この年の5月3日、国家安全企画部がこの事件の捜査結果を公表した。金大中にも不告知罪が適用されるはずだったが、彼は再び「公安政局」の連発を もって世論にアピールした。金大中の言論操作の巧みさには定評があるが、このときもメディアは彼に翻弄され、踊らされた。その結果、彼は自身にたいする法 律上の嫌疑を霧散させたのである。

宇都宮徳馬はあの市民の党斎藤まさしこと酒井剛が尊敬する政治家であり
北朝鮮の数々の工作と中共とを結ぶ人物ではないかと目されているが
「東アジア共同体」と斎藤まさし 
金日成・金大中の接点が宇都宮徳馬であったと

①文益煥牧師【wiki】民主救国宣言 

追記2015.4.22
朝鮮総督府・封印された証言
趙甲済(チョ・カプチエ)
洋泉社
2010-09-24

p85
  朝鮮軍司令官のもう一人の息子は、三・一運動のとき、7000人以上の朝鮮人を無慈悲に虐殺した宇都宮太郎の長男で親北朝鮮の衆議院議員として知られる宇 都宮徳馬だ。彼は京都帝大経済学部時代から共産主義に傾倒し、一年の監獄生活を経て転向、その後企業人に転身した。敗戦後は『読売新聞』の論説委員として 経済関係を担当した。国会に進出してからは、中国・北朝鮮通を自任して異端的な路線を歩んだが、金大中元大統領に近いことでも知られた。1975年には、 三木武夫首相の親書を持って金日成を秘密訪問したこともある。1984年当時、自民党を離党していたこの80歳の老人は、父を弁明する文章を雑誌に寄稿し たこともある。父子二代にわたり、韓国と奇妙な縁を結んでいる家柄だといえる。

(´・ω・`)7000人以上を虐殺はいくら何でも嘘だと思うけど

参考
金大中の赤い妻
異教徒との戦い7 ちょっと待てその牧師って・・・
東京都日中友好協会・宇都宮徳一郎会長
タイでもやらかしてた吉田清治。そして宇都宮徳馬
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