2015年8月6日木曜日

資料
朝日新聞 夕刊 1985年(昭和60年)6月28日 金曜日
 

日本人ら致、身代わりスパイ

宮崎から北朝鮮に

韓国発表 工作員ら3人拘束

【ソウル二十八日=小林(慶)特派員】韓国の国家安全企画部は二十八日、大阪の中華料理店に勤務していた日本人コック を朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にら致し、本人になりすまして日本に住み、スパイ網をつくって活動を続けていた北朝 鮮スパイ、辛光洙(五六)=朝鮮労働党所属=と、辛に抱き込まれスパイ活動を行っていた金吉旭(五七)=大阪市、衣類小 売商=、方元正(五〇)=東京都、ニューコリアン酒屋経営=の三人を国家保安法違反、スパイ罪などの容疑でソウル地検に 身柄とともに送検したと発表した。日本人になりすましてスパイ活動をした例は過去にもあるが、そのため日本人を北朝鮮に ら致したケースは今回が初めてといわれる。
 同部の発表によると、主犯の辛は北朝鮮の最高首脳から「日本人をら致し、本人になりすまして在日工作を続けよ」との指 令を受け、八〇年四月、李三俊・在日朝鮮人大阪府商工会元理事長らと計画を練り、李氏が経営する中国料理店「宝海楼」= 大阪市天王寺区下味原=に勤める日本人コック原敕晃(ただあき)さん(四九)が独身で身寄りの少ないことに目をつけた。 八〇年六月、原さんを「良い職場を世話する」とだまして宮崎県青島にある李吉炳・在日朝鮮人大阪府商工会長所有の別荘に 連れ込んだ。さらに青島海水浴場の児童公園に誘い出したうえ、ここで待ち構えていた北朝鮮工作員四人と力ずくで口をふさ ぎ、手足をしばった後、袋に入れて八人乗りゴムボートで五百メートル沖に待機していた北朝鮮の工作船に移し、辛が同行し て北朝鮮へ連れ去ったという。このあと辛は、原さんの経歴、家族の構成、過去の生活から中国料理法までマスター、完全に 本人になりすまして、八〇年十一月、日本に不法入国し、原さん名義の旅券、運転免許証、国民保険証などの発給を受け、韓 国へ来るなどしてスパイ活動を続けていたという。
 辛は、日本で在日僑胞十二人のスパイ網を作り上げる一方、朝鮮総連系の在日僑胞を在日韓国居留民団(韓国系)に偽装転 向させ、その友人である李成洙氏(四七)=会社副社長=らを巻き込んで韓国の国家機密を集めていたという。去る二月二十 四日、辛は組織点検のためソウルを訪れたが、李副社長が自首したためスパイと分かり同月二十六日逮捕された。  同部は主犯、辛が日本人になりすました際使っていた戸籍などの各種文書、北朝鮮の指令受信装置、暗号書、抱き込み対象 者名簿など多数を押収し発表している。
 さらに同部によると、原さんは本籍が島根県松江市天神町四五ノ九で、長崎市鍛冶屋町七二で生まれ、長崎で中学校を卒業 したあと、長崎市立商業学校を三年で中退、五八年から大阪市の中華料理店を転々としながらコックを務めていたという。原 さんは身寄りが少なく、母親の違う兄、原康二さん=長崎市浜町在住といわれる=がいるが、この二十年間接触がなかったと いう。
 辛の自供によるとら致された原さんは北朝鮮で「元気でいる」という。

     ◇
 長崎市立長崎商業高校の話では昭和三十一年五月末に同校を病気中退した生徒に「原勅晃(ただあき)」という人がいた。 昭和十二年八月二日生まれで、当時長崎市東浜町(現浜町)に住み、両親が亡くなっていたらしく兄の耕一さん(五八)が保 護者になっていた。耕一さんは現在、浜町の商店街で万年筆店を経営している。

「寝耳に水…何のことか」商工会幹部ら

李三俊・元理事長は朝鮮籍の在日二世。在日朝鮮人大阪府商工会の役員などを歴任し、約六年前に「宝海楼」を始めた。韓 国政府発表のスパイ事件を報道関係者から聞き、「寝耳に水で驚いている。私には何のことかわからない。原という人物は確 かに数年前まで店で働いていた。しかし、『体がもたない。やめたい』と言い出したので、仕事ぶりもまじめでなかったので やめてもらった」と話している。
 また、同商工会の李吉炳会長(七〇)は二八日、朝鮮総連中央本部で「びっくりしている。宮崎へは終戦直後に一度だけ行 ったことがあるが、別荘など持っていない。原という日本人も、もちろん知らない。南北の対話ムードに水をさすひどいでっ ち上げで許せない」と話した。
 李吉炳会長は、済州島出身の在日一世。戦前から日本に住んでおり、同商工会の副会長を経て、三年前から会長。

 〈注〉在日朝鮮人大阪府商工会 大阪府下の在日朝鮮人商工業者の権益を守るため、終戦直後につくられた組織で、会員約 五千二百人。在阪の朝鮮人の商工業者の団体では最大で、大阪市北区中崎に本部、大阪府下二十四カ所に地域の商工会がある。

過去にも ら致事件?

警察庁、情報入手を急ぐ

 日本人になりすました「北朝鮮スパイ」が韓国で逮捕された事件について警察庁は二十八日、過去にも日本人がスパイにら 致された疑いのある事件が起きているため事態を重視、大阪、宮崎両府県警に対し、原さんが行方不明になった前後の行動の 確認など実態の解明をするように指示した。また、外務省を通じ、逮捕された北朝鮮スパイの供述などの情報入手を急いでい る。
 警察庁によると、北朝鮮スパイが日本で検挙されたケースは今年三月までに四十三件ある。これらのスパイは、治安当局に よると(1)密入国して北朝鮮に家族や親類などがいる在日北朝鮮人に協力を求め、この在日北朝鮮人になりすます(2)日本人と 偽装結婚する(3)身寄りがなかったり、家族から隠れて生活している蒸発人間になりすます、などして旅券を入手していた。
 ところが、今回の事件をきっかけに日本の治安当局がスパイによるら致事件の疑いを改めて強めているのは、五十三年七- 八月に賭けて北陸を中心に日本海側で相次いで起きた四件の蒸発、ら致未遂事件。同年八月五日夕、富山県高岡市の海岸を散 歩していた会社員(二八)と婚約者の各種学生(二一)=いずれも当時=が、四人の男に襲われ布袋を頭からかぶせられたり して連れ去られそうになったが、未遂に終わった。このとき、会社員が後ろ手にかけられた手錠や二人がはめられたゴム製の さるぐつわが日本製でないことなどから、背後関係が注目された。
 警察庁の指示で全国の警察が行方不明や蒸発事件を洗い直した結果、この年の夏、福井県小浜市(七月七日)、新潟県柏崎 市(七月三十一日)、鹿児島県日置郡吹上町(八月十二日)で挙式直前の婚約者同士や帰省中の東京の大学生、電電公社員が、 それぞれ女友達と海岸を散歩中に行方不明になっており、いずれも蒸発の原因などがまったくないことや、それぞれ近くに乗 ってきた車や自転車などをキーをつけたまま駐車していたことなどから、地元警察で現在も「何らかの事件に巻き込まれた疑 いがある」として捜査を続けていた。
 警察庁などはこれら一連のら致、未遂事件の解明を急ぐ一方、各警察本部に警戒を指示している。


朝日新聞 1985年(昭和60年)6月28日 金曜日  夕刊
 

毎日新聞 夕刊 1985年(昭和60年)6月28日 金曜日
 

身代わりスパイ逮捕


旅券入手目的 北朝鮮に日本人ら致
韓国発表


 【ソウル二十八日重村特派員】韓国の国家安全企画部は二十八日、日本人になりすまし、日本の旅券で韓国に入国した朝鮮
民主主義人民共和国(北朝鮮)のスパイと、在日韓国人ら三人を逮捕したと発表した。この北朝鮮スパイは日本の旅券を入手
するため、日本人を北朝鮮にら致した事実も自供したという。
 北朝鮮のスパイ容疑で逮捕されたのは、主犯の辛光洙(五六)と、大阪市東成区小橋三の三の二三、衣類販売、金吉旭(五
七)▽東京豊島区要町二の三〇、自営業、方元正(五〇)の三人。
 安全企画部の発表によると、辛は大阪市生野区鶴橋にある中華料理店「宝海楼」で働いていた日本人、原敕晃さん(四九)
を北朝鮮にら致し、辛が原さんに入れ代わることを計算した。この計画に基づいて辛らは八〇年六月中頃、原さんを宮崎県青
島海岸に連れ出し、待ち合わせていた北朝鮮工作船に原さんを乗せ、ら致した。
 辛はその後、北朝鮮で原さんに入れ代わる訓練を受け、八〇年十一月に再び日本へ密入国した。辛は原さんになりすまし、
住民登録を済ませ、原さん名義の旅券と運転免許証などを入手した。辛はこの旅券を使って八二年以来六回にわたり東京と欧
州、平壌の間を往復した。
 辛は韓国内でのスパイ組織づくりのため、今年二月二十四日に方元正とともにソウル入りした。辛は方の親戚にあたる退役
将校を仲間に加えようとしたが、この退役将校が当局に訴えたため、二月二十六日にソウル市内のホテルで逮捕された。金吉
旭は辛らの逮捕を知らずに韓国に入り逮捕された。
 原さんのその後の消息について、辛は「北朝鮮に帰ったときに当局者に聞いてみたが、元気でいるとだけ教えられた」と自
供しているという。

毎日新聞 1985年(昭和60年)6月28日 金曜日 夕刊

警察庁事実調査を指示


北朝鮮スパイ事件 日本人コックら致で

 日本人になりすましていた「北朝鮮スパイ」が韓国で逮捕された事件で、警察庁は二十八日、日本人コックの原敕晃さん (四九)が北朝鮮にら致されたとすれば略取の疑いがあるとして、大阪府警や宮崎県警など関係府県警に事実関係の調査をす るよう指示した。韓国の国家安全企画部は、原さんのら致について日本国内にまだ共犯者がいることを指摘しており、警察庁 では犯罪事実が裏づけられれば韓国側から捜査資料の送付を受けて、独自捜査に着手する方針。
 韓国で摘発された辛光洙(五六)=朝鮮労働党所属=ら三人は、国家保安法違反、スパイ罪などを適用されて逮捕された。 日本にはこれに見合う法律はなく、違法性を追求できないが、韓国国家安全企画部では「辛らが八〇年六月中頃に原さんを宮 崎県青島海岸に連れ出し、北朝鮮工作船に無理矢理乗せてら致した」としており、同庁は略取の疑いが強いとして原さんが行 方不明となった前後の行動など事実の解明を急いでいる。

毎日新聞 1985年(昭和60年)6月29日 土曜日 朝刊
 




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