2015年12月17日木曜日

反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。

隠れ捕鯨大国韓国SSなぜ矛先向けぬ 関連

ちょっと前の記事だけども

偶然網にかかったらそれは捕鯨ではない! 韓国の人々の鯨ライフ(1)

捕鯨&食鯨を世界の国々から、鬼の首を取ったかのように責められている日本。しかし、お隣の韓国でも堂々と鯨を食べていた! そこで現地に飛び、韓国の捕鯨事情を聞いてみた

 韓国の南部に位置する港町、蔚山(ウルサン)。世界最大の原子力発電所や自動車工場、そして韓国一の鯨肉消費を誇る街だ。記者が取材に訪れた日、街は三十数年ぶりに現れた”オバケ鯨”の話題で盛り上がっていた。

 最初に話を聞いたのは、蔚山文化放送局のプロデューサー、イ・ヨンフン氏。オバケ鯨の番組を数々制作してきた専門家だ。

「オ バケ鯨は、素早く動き回り、現れたかと思うとすぐに消え、なかなか姿が掴めないのでその名がついたといわれています。以前は蔚山の海にたくさんいました が、今ではほぼ見られない貴重な種。今回の発見騒動も残念ながら見間違いでしょう。オバケ鯨がまた戻ってきてくれれば、本当に嬉しいんですが……」

 オバケ鯨を探求してやまないイ氏も、食べるとなると話は別で、「鯨肉は好きですよ」と言う。

 なお韓国では、スケトウダラの漁域を守るため、銛を打ち込んで捕獲する積極的な捕鯨を’86年に禁止した。現在流通し食されているのは、韓国政府いわく”潜在的な捕鯨”、つまり偶然網にかかって死んだ、もしくは浜に打ち上げられて死んだ鯨だけ。その他の方法で捕られた鯨はすべて不法なものと見なされる。しかし、蔚山、釜山などの東海(日本海)に面する都市のほか、ソウルにも鯨肉を提供する専門料理店があり、多くの鯨肉が食されている。

  捕鯨禁止以前、蔚山は捕鯨基地として大いに栄えていた。日韓併合時は日本が、日本が去った後は現地の人々が捕鯨会社を運営し、多くの鯨を水揚げしていたの だ。そのため、蔚山に住む40代以上の人にとって鯨を食べるのはごく当然の行為。街行く人に聞けば、ほぼ全員が「鯨を食べたことがある」と答える。一方、 「値段が高くて食べられない」ともこぼす。事実、”盛り合わせ”と呼ばれるユッケと蒸し肉の鯨料理は、一皿6万~7万ウォン(約4300~5000円)。 現地で真鯛の刺し身が大皿一つで2万ウォン(約1450円)前後なのと比べるとかなり高額だ。そのため、蔚山の一般市民の間でも年々、鯨肉離れが起こって いる。

 そんな現状を食い止めるべく、また蔚山の鯨文化普及を目指して毎年行われているのが 「蔚山鯨祭り」だ。自らを「類まれなる鯨肉好き」と言う推進委員会事務局長のチェ・ナグン氏によると、祭りでは「鯨肉の試食会が大人気」なのだそうだ。

「蔚山は多くの鯨がやってくる街であると同時に、鯨を食べる街。鯨を大切にして、かつおいしく食べる、これぞ蔚山ならではの正しい鯨との付き合い方です」

 不法捕鯨についてどう考えるかと聞くと「私の立場では、何とも言えない」と言葉を濁す。

 反対に「不法捕鯨はある」と断言するのは、捕鯨禁止以降、韓国内の鯨の解体を一手に担ってきたチュ・テハ氏。網に偶然かかったり浜に上がって死んだ鯨は、海洋警察に申告し、認定を受けた後に競売される。そこで落札された鯨を解体するのが彼の仕事だ。

「合法の鯨はいつ現れるかわからないし、認定から解体までに時間がかかるから、長い間冷蔵せざるを得ない。でもね、鯨料理店で『新鮮なのある?』って客たちは当然のように聞くんだよ。つまり、不法な捕鯨が行われていることはみんな知っているんだ」

 取材の最後にチュ氏が見せてくれたのが、鯨の体内で見つけたという胎児のホルマリン漬け。あれっ、これってイルカでは……? 

「韓国じゃイルカも鯨と見なす。みんな食べてるよ」
韓国捕鯨1

日刊SPA!2010.7.28
http://nikkan-spa.jp/2226


偶然網にかかったらそれは捕鯨ではない! 韓国の人々の鯨ライフ(2)

「太地町の人々とも仲良くやってる」

 蔚山には、映画『ザ・コーヴ』ルイ・シホヨス監督が「世界で唯一無二」という表現で批判した、長生浦(チャンセンポ)という場所がある。ここはかつての捕鯨基地であり、現在もわずか1・5㎞の区間に29もの鯨料理店がズラリと並ぶ

 生まれも育ちも長生浦、「誰よりも鯨を愛する男」として料理店主らの信頼を集めているのが、長生浦で鯨の土産物店を営むコ・ジョング氏だ。蔚山鯨文化保存会の事務局長でもある彼はこう語る。

「長 生浦の住民はイヌイットなどの先住民と同じ存在。生きるために、愛するがゆえに鯨を食べてきたのです。しかし韓国政府は我々を犠牲にし、一方的に捕鯨の権 利を奪った。これは絶対に許されない。とはいえ、蒸し肉とユッケぐらいの料理法しかなく、鯨肉の味の普及をしなかった我々も悪い。鯨肉のおいしさを多くの 韓国民に知ってもらっていれば、捕鯨にも理解が得られたでしょうから」

 そんな後悔からか、コ氏が積極的に推し進めているのが新しい鯨料理の開発だ。鯨肉を使ったバーガーやジャーキーなどなど。もちろんイルカの肉も含む。

「グリーンピースをはじめ環境保護団体から批判はありますが、祭りの前後にひと悶着あるぐらいで、年中行事のようなものです」

 イルカ漁をする和歌山県太地町の人々とも親しく、鯨祭りに招待しては鯨・イルカ料理を披露し合っているというコ氏は「我々にも調査捕鯨の許可が欲しい。日本にも協力してほしい」と話す。

 捕鯨禁止はやはり、鯨食の普及の足かせとなっているようだ。そんななかで国立水産科学院鯨研究所のムン・テヨン所長は「今年、すでに16件の不法捕鯨が報告されています」と指摘する。

「不 法捕鯨を行うのは特別な人たちではありません。イカやサバ漁に出た漁師が、夜に偶然鯨を見つけて捕るケースが多いようです。鯨を捕獲すると、すぐに他の船 を海上に呼び出してそこで解体。肉はアナゴ漁などに使われる小船に積まれて、漁港へ。そこには冷蔵トラックが待機していてすぐさま搬出する。見つかれば 3000万ウォン(約217万円)以下の罰金が科されますが、鯨の値段は高騰している(一頭当2500万ウォン:約180万円前後)ので、捕らずにはいら れないようです」

 以前は大型捕鯨船が停泊していた長生浦の漁港には、現在、9tほどの中型漁船や、ボートに毛が生えたくらいのアナゴ漁の漁船しかいない。これらの船が、一夜にして不法捕鯨の船となることもあるのだ。一方、偶然網にかかって死んだ鯨などの数は?

「鯨は90頭、イルカは600頭。確かに蔚山の海には鯨やイルカがたくさんいるので、偶然網にかかってしまうことも多い。まあ、普通の置き網ではなく、鯨やイルカの体に絡みついて動けなくする網も仕掛けられていますがね」

 この”特製網”は、海底からワカメのように仕掛けられ、鯨を絡め取るという。しかも年々バージョンアップしているという説も……。

 ともかく、韓国でも鯨やイルカがモリモリ食べられているようだ。取材の帰り道、タクシーの運転手にも鯨肉を食べるかと聞いてみた。すると「食べるけど、ウマくない。絶対に豚肉や牛肉のほうがウマいと誰もが思ってる」と、食鯨への認識度は、日本と大差ないようだ。

 ただ、記者としては鯨をはじめ水産食文化を共有する同士、頑張ろうではないかと思うのであった。
日刊SPA!2010.7.28
http://nikkan-spa.jp/2224


映画『ザ・コーヴ』ルイ・シホヨス監督が「世界で唯一無二」という表現で批判した、長生浦(チャンセンポ)という場所がある」

その割に韓国の日本大使館前で抗議パフォーマンスやってるんだよなぁ
捕鯨中断を求めるシホヨス監督(中央)
シーシェパードの裏にいるのは

保存推奨
『蔚山クジラ祭り』
http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/festivals_detail.jsp?cid=1826709 

別なことを書こうと思ってサイトに行ってたまたま目に入った記事
どこかで見たぞこの構図!

香山リカのアイヌ問題「反論」は無意味な駄文【小林よしのり氏寄稿】

 文中、敬称を略する。

 香山リカが3月21日付の「日刊SPA!」にて「『アイヌ否定問題』で小林よしのり氏に反論」(http://nikkan-spa.jp/819659)と題する文章を発表している。

 まず、タイトルがおかしい。

 わしは「アイヌ否定」などしていない。北海道島を中心に過去「アイヌ」と呼ばれる文化集団が存在したことも、その子孫が現在も存在していることも否定していない。

 ただし、アイヌが歴史的に一民族を形成したこともなく、現在の日本に「アイヌ民族」と呼べる民族が存在しているわけでもないと言っているのだ。

  アイヌは古くから和人との混血が進み、純血のアイヌはとうに存在せず、アイヌの血は薄まる一方である。さらに、アイヌ語やアイヌ式の葬祭など、日常生活に アイヌ文化を継承している人も一人もいない。だから、アイヌの血をいくらか引く「アイヌ系日本人」はいても、「アイヌ民族」はいないと主張しているのだ。

 香山が今回、最も重視した論点は「私はアイヌ協会の回し者ではない」である。もっと大事な論点があるだろうと、呆れてしまう。

 それに、香山は「アイヌ民族」であるか否かの認定について、アイヌ協会が定款に基づく「客観的審査」をしていると書いているし、「創」3月号の対談でもそれを強調していたではないか(P105~106)。

  さらに香山は「国連でのスピーチなどでも、先住民族と承認を得ることが日本からの独立、日本の分断といった動きにつながることはない、と当事者が繰り返し 主張している」と書いているが、国連でそのスピーチをした「当事者」とは、アイヌ協会理事長(当時)の故・野村義一である!

 アイヌ協会が「日本の分断にはつながらない」と言っただけで、なぜそれを信じられる? それは、安倍晋三が「集団的自衛権行使で戦争に巻き込まれることは断じてない」と言っているから信じようと言っているのと何も変わらない
(出た~サヨクのダブスタ)

 しかも、現アイヌ協会理事長の加藤忠は「奪われた土地や資産の補償などの問題もあります」と発言したことがある(北海道新聞2008年7月28日夕刊)。これでは「国家の分断」に繋がることを危惧しても当然と言えよう。

 香山の発言はアイヌ協会の代弁に等しく、「アイヌ協会の回し者」と疑われても文句は言えない。それなのに「この発言にもっとも傷ついた」「最大にガッカリした」「それはないよ、小林先生……」と大げさに嘆くのだから、つくづく客観性のない人である。

 そのアイヌ協会による「アイヌ民族」の認定方法だが、簡単に言うと「本人の自認」と「戸籍などで確認できる血筋」である。そして、たとえ戸籍などでアイヌの血を引いていると明確に認められる人でも、本人が否定すれば「アイヌ民族」とは認定されないという。

 つまり「アイヌ民族」は、本人の意思次第でやめられるのだ。そんな「民族」なんて、あるのか!?

 香山は、わしやスタッフの時浦のブログが膨大にあるからとても反論しきれないなどと言っているが、わしは香山に対する論点を「3つの質問と1つの要望」に絞ってすでに提示している。

質問1 アイヌの血が1%、和人の血が99%になっても「アイヌ民族」なのか?

質問2 アイヌ語も話せず、アイヌ文化を一切継承していなくても「アイヌ民族」なのか?

質問3 自分の意思でやめられるようなものを「民族」と言えるのか?

要望 「アイヌ利権問題」について、わしよりずっと詳しく追及しているアイヌ系日本人の工芸家・砂澤陣と対談せよ。

 香山は先日の「反論」において、この「3つの質問と1つの要望」に一切答えていない。

 代わりに言うことといえば、「国際社会で決まっているのだ。もう議論の余地はないのだ」と、こればっかりである。この話にならない感じ、どこかで見たことがあるような気がしていたが、思い出した。バカボンのパパだ。「国会で、青島幸男が決めたのだ。これでいいのだ」と言っているのと同じである。

 香山リカは国際社会が決めたから捕鯨反対か? 国際社会の決定だって間違いはいくらでもあるのだから、「これでいいのだ」で思考停止するわけにはいかない。その足掛かりとしての3つの質問なのだが、香山は決して答えられない。無駄な文章を長々書いてごまかすしかないのだ。あれは全く「反論」の体を成していない、無意味な駄文である。
文/小林よしのり
日刊SPA!2015.3.27
http://nikkan-spa.jp/824201

小林よしのり氏の文を引用したのはアイヌ問題を論じるためではなく
香山リカ氏の思考や言動パターンに大変既視感があるからですが

「国際社会で決まっているのだ。もう議論の余地はないのだ」と、こればっかりである。この話にならない感じ、どこかで見たことがあるような気がしていたが、思い出した。バカボンのパパだ。「国会で、青島幸男が決めたのだ。これでいいのだ」と言っているのと同じである。

あーこれは正に池田信夫氏が書いていた
池田信夫blog『国連の誤解を逆輸入する「人権派」弁護士』
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51909476.html
のことではないかwww

バカボンのパパ

小林よしのり氏が論点を絞って「3つの質問と1つの要望」を提示する一方
主観論と「これでいいのだ」に終始する香山リカ氏は
解決させない ための論を展開している
(参考→朝鮮論法とは
「これでいいのだ」と話合いを強制終了しちゃうわけですね

声闘の極意
論より大声
国連持ち出して相手を黙らせたら勝ち!

だけど
ブーア・ブキッキオ氏による援助交際13%発言撤回や
ろくな資料検証もせず審議プロセスすら未公開なまま南京大虐殺資料が登録されたことで
「国連」という価値のメッキは剥がれ落ちたし
NGOが国連にご注進して勧告が出されているというマッチポンプ構造も分かった
(→NGOの声が国連経由で「国際社会からの批判」に化けてるだけ!

もう「国連」=「国際社会」っていう論は通用しないんでヨロシク(´・ω・`)

参考
未だWGIPにとらわれ続ける人達 
世界を知る「コスモポリタン」という自己特権化
 

コメントで教えてもらったこちらの本から

この国を脅かす権力の正体 (一般書)
菅沼 光弘
徳間書店
2013-10-28


先日、産経新聞が朴槿恵大統領を閔妃に例えたら韓国が炎上しとりましたが
(何で炎上するのかちっともワカラン・・)
『産経新聞社説の妄言、朴大統領を「暗殺された閔妃」と比喩』中央日報2015.9.1
http://japanese.joins.com/article/107/205107.html
こちらの本にも書かれている
やっぱり似てるからしょうがない(゚∀゚)

p69~71
閔妃を思い起こさせる朴槿恵大統領の行動

  朴槿恵さんの父・朴正煕大統領は満州国の軍官学校予科で学んで日本の陸軍士官学校を卒業、満州国軍中尉として終戦を迎えました。日本の陸軍士官学校もそう ですが、軍人になるための学校に入るのは家庭の貧しい連中が多く、朴正煕もそうです。そういう意味からすると、彼は軍人としてのあり方や教養をすべて日本 から学んだといっていい人です。大統領になってからも、政治的にはかなり強引なところもありましたが、韓国では極めて稀な清廉潔白を貫いた大統領でした。

 母親の陸英修さんは 国民から「国母」といわれるほど尊敬を集めた人で、大統領夫人として、政治、外交、歴史、英語などを学び、福祉や教育の分野でみずから戦闘に立って、 ファーストレディの役割を積極的に果たしました。夫の大統領に対してもはっきりものを言ったことから「青瓦台(大統領官邸)の野党」と称されたりもしまし たが、朴正煕は終生彼女を、妻以上の存在として尊敬していたということです。不幸にして朴正煕を狙った暗殺事件の巻き添えで死去し、朴正煕もまた後に暗殺 されてしまいますが、朴槿恵さんはそういう両親の娘ですから、それなりに相当な資質の持ち主とはいえるでしょう。
(韓国は夫婦別姓とあらためて思うわけで)

  先に朴槿恵大統領の訪中は華夷秩序の朝鮮使節団のようだと言いましたが、同時に彼女の行動を見ていると、李朝末期の高宗の妃・閔妃を思い起こさせるところ があります。それは朴槿恵さんの思想信条がということではなく、彼女の物腰振る舞いを見ているとということですが、閔妃は無能な国王高宗にかわって政治を 掌握し、高宗の実父大院君と終生権力争いをした女傑でした。自分の権力欲を満たすためには物事の見境がつかなくなるような愚かな王妃だったと言われていま す。しかし実際は「四書五経」をよく読み、孫子の兵法なども知る教養人でした。その閔妃が日清戦争の後、勢力を盛り返した大院君はに対抗するためにロシアに接近して、ロシア軍の後ろ盾で権力を奪還します。このとき閔妃はなぜロシアに接近したのかということです。

 李朝王宮のある漢城府(現ソウル)には日本の公使館もありました。しかし日本の公使館員たちは、全権大使の三浦悟楼をはじめ、明治維新で成り上がった下級武士ばかりでした。ところがロシア公使館にいたのは全員が貴族だった。閔妃としてはがさつな日本の下級武士を相手にするより、教養豊かなロシアの貴族のほうがよほど気分がいい。 日本の公使がどこかの大名だったら状況は違ったかもしれません。それは下級武士でも、松下村塾などへ行って学問をしたでしょう。しかし伊藤博文にしても西 郷隆盛にしても所詮は下級武士の出で、貴族的な教養など持っていない。下剋上の動乱からのし上がってきた連中です。閔妃が住んでいる世界とは到底肌が合わ ない。それで閔妃はロシアを選んだ。

 これは案外に重要なことで、中国の政治家というのは毛沢東にしえも周恩来にしても詩が書けるし、書も巧みです。とくに毛沢東は第一級の詩人として評価されていて、中国のあちこちに詩碑があります。中国では政治家にもそういう文化的な素養が必要とされていたのです。

(´・ω・`)あーやっと高宗がロシア公使館に引きこもった理由が分かったような気がする・・
ガサツだからとか、教養がイマイチってことより、要するに日本公使館員の階層が低い(彼らの基準で)のが問題だったんだね・・・

【wiki】露館播遷 
露 館播遷(ろかんはせん、1896年2月11日 - 1897年2月20日)とは、李氏朝鮮の第26代王・高宗がロシア公使館に移り朝鮮王朝の執政をとったことを言う。韓国でも古くは日本語での表記と同じよ うに「露館播遷」と呼ばれたが、最近では俄館播遷と呼ばれることが多い。俄館露遷との記述もある。

高宗がロシア公使館で政務を執り行った結果、ロシアは年表に示す利権を獲得し、他の欧米列強も同等の利権を獲得することになった。 また、これは国としての自主性を放棄するのに等しい行為であり、後に日露戦争時に中立を宣言したが日露両国から無視されるような結果となった。

(´・ω・`)こんなん「日本としては朝鮮いい加減にしろ併合やむなし」になるでしょ
だけど彼らとしては自分が階層の高い者として扱われることが国家主権より大事なのね

誰もが韓国はレッドチームになってしまったんだなぁとしみじみ思ったあの中国軍事パレード
抗日戦争記念習近平朴槿恵プーチン江沢民

韓国民は「朴槿恵は外交はうまくやってるようだ」と支持率まで上げたのが心から謎だったんだけど
実利に立った独自外交の一歩を踏み出したニダ(はい? 

韓国民にとっては習近平の隣の隣、プーチンの隣という扱いが国家主権より大事だったと

(´・ω・`)あー・・・・(←言葉を失う

参考
異様に階層というか序列というか席次というか・・・にこだわる韓国人の例
【韓国の反応】みずきの女子知韓宣言(´∀`*) さん
『【韓国の反応】「オバマの横に安倍夫婦がいる…パククネは二つも離れた場所に…」~韓国人の「席次」への異常なこだわりっぷりが気持ち悪い件』
http://oboega-01.blog.jp/archives/1045505947.html

Korea  だとアルファベット順で Japan より後になるから Corea にしようとか言ってるのもそれかな
ホント(´・ω・`)ついていけない

言論弾圧と騒がないサヨクと火病る韓国 

米占領軍の日本洗脳工作「WGIP」文書、ついに発掘 
WGIP文書発掘の関野通夫氏のブックレットより



2014年7月、関野氏は<慰安婦の真実国民運動>の一員としてジュネーブでの国連「人権委員会」を傍聴。
その際傍聴しようとしたチームメンバーが「発言の予定がない」という理由で突然会議場から閉め出された。
ところが会議には発言しなかった人たちも多数会場にいたため日本のNGOの差し金では・・?と疑うことに。

p18~20
ジュネーブの”4ナイ”反日人士
 日本内外での、反日の人たちの言動をみるにつけ、その結論の良し悪しではなく、結論を出す姿勢を私は”4ナイ”と、ひそかに評してきました。

 ”4 ナイ”の反日人士は、日本を貶めることなら何でも良いとばかり、国連に一方的な見解を吹き込み、また”4ナイ”である人権委員会の委員に、彼らの意見を代 弁させていたのです。冒頭に述べた、WGIPの毒にもっとも汚染された人たちであり、それが、彼らの言動に現れているものとしか思えません。

 日本と諸外国の歴史や実情を比較考量もせず、”あらまほしき”理想国家という幻影を念頭に、母国をひたすら貶める人たち。その情報の真偽の検証もしない人権委の委員たちの知的怠慢。私にとり、ジュネーブ滞在は唖然茫然の連続でした。

 ジュネーブから帰国後に作成した私の報告文書から、一部を抜粋し、WGIPに洗脳された人たちをご紹介します。

日本の左翼・反日組織(NGO)が、国連人権委員会に及ぼしている影響は、深刻なほど大きく、それが国連はじめ世界の世論におよぼしている影響は大である。
 これは、人権員会が発行する報告書を観れた、彼らが独力では到底知りえない、日本の反日NGOなどのインプットによるとしか思えない情報に言及していることから窺える。われわれの滞在中に起こった、いくつかの妨害行動も、それを裏付けている。
(例・ブキッキオ氏が「エンジョコウサイ」「着エロ」等の言葉を知るハズがなく、誰かが吹き込んだわけですね)
 国連人権委員会は、日本の反日NGOの代弁者といっても過言ではない。反日派の意見は日本の国内では多数意見になりえない状況なので、国連に自分たちの意見を吹き込み、国連の意見として発表させる。その後で、日本政府に”国連が言っているではないか”と圧力をかけ、彼らの意見を国政にも反映させようという戦略なのだ。これは、まさにマッチポンプである。
(外圧を使う=民主主義否定)
 国連人権委員会は、日本政府に市民団体やNGOの意見を聞け、などと言っているが、反日NGOに支配された発言であることに、日本人は危機感を抱くべきである。

国連人権委員会や、日本の左翼・反日派などには共通した欠陥があるが、彼らの姿勢を、私は”4ナイ”と名づけた。
・結論を導くのに使った情報(証拠)の検証を行わナイ
・類似案件についての比較考証を行わナイ
・反証についての考究を行わナイ
・法(条約を含む)についての基本的知識を持たナイ、あるいは無視して認めようとしナイ
 の4つである。

”4ナイ”日本人を、ここまで熱心に駆りたてるエネルギーの源泉は、何なのか?
資本主義の撲滅を狙ったコミンテルン運動が、いまだ力を維持しているのか?
”4ナイ”日本人は、なぜ科学的精神と作法に欠けているのか?

関野氏はこのような反日NGOの有り様を見て、WGIP文書を発掘しようと思い立ったそうだ
結局文書は発掘されこうして出版もされているのだが
相も変わらずWGIP丸出しなヘリクツが幅を利かせている・・・・
老害田原総一朗 カビの生えたGHQプレスコードは捨てろ

NGO法人資格の厳格化を求めたい。だって公益性ないもん。
更に言うと国連(にぶら下がってる委員会)勧告に従う法的根拠もないしね。
従わなかったら何なの?経済制裁でもすんの?

参考
言論の自由ガーと言う割に妨害工作を行うNGO
言論の自由を奪ってるのは誰ですか?

NGOの声が国連経由で「国際社会からの批判」に化けてるだけ!

日本軍ガー国際法違反ガーとばかり言われていますが
じゃぁ中国軍はどんなだったのかというと
西尾幹二氏の紙芝居風の話が面白いので動画見てもらえばいいんだけども
(´・ω・`)もぅびっくりよ


【youtube】 GHQ焚書図書開封 第29回 

中国兵記録1(昭和13年=1938年)
教え子の中国人青年が中国に帰国ししばらく後に「どうか出版してほしい」とどさっと原稿を送ってきた
それは青年の従軍記だった

(´・ω・`)戦争中にも留学生が行き来してたんですね
だから本当は(国vs国の)「戦争」って呼ぶべきじゃない

▼徴集5:42~
徴兵官が町に姿を現し人狩りをはじめたと聞いて隠れたのがいけなかった。誰か密告した者があったのだ。ある日兵隊が一人の将校に連れられてどやどやっと店先に踏み込んできた。
「陳子明(主人公。実名とは変えている)か。日本から帰っているはずだ。どこへ隠したのだ。早く出せ。」
八方に分かれて家宅捜索を始めた。彼らがいくら探しても無駄だった。祖父母たちがこの家を作った時に、匪賊に備えて外部の者に分からないように秘密の地下室を作っておいてそこに隠れていたのだから。
探しあぐねに兵士たちは店先に縛られている両親をまた責めだした。
「お前たちがいつまでも自分の息子をかばうというならこっちにも考えがある。群衆に命じて略奪もさせよう。群衆は承知の通り屋根の瓦から床下まではがして持って行くだろう。無論お前たちは国家の統制を見だすものとして銃殺だ。どうだ。それでもまだかばうつもりか。」
老人夫婦は震えるばかりで口もきけなかった。その時店先にたかっていた野次馬の中から
「その家には地下室があるんだ。そこに隠れているに違いない」
と声があった。誰か事情を知っている近所の者らしかった。
陳子明は二人の妹と隠れているところを引きずり出されてしまった。妹は乱暴な兵士たちの目に触れたらどんな目にあわされるか、父母が気をきかせて隠したものだった。妹たちを小突きながら連れて行く兵士たちは鼻をふんと鳴らしながらニヤニヤしていた。
「いずれ沙汰があるだろう。それまで勝手な行動は許さんぞ。」
と陳子明を引き立てて行った。

(´・ω・`)いやーこれ強制連行でしょ。
戸籍がないから赤紙が郵送されてくることはないんですね。

陳子明は徴兵忌避者として銃殺されるところを、偶然にも日本での知り合いだった士官に助けられ兵役につくことに。

▼斥候13:51~
 (5、6人の兵士が組んで偵察に行く)
2 時間ほどして意気揚々と帰ってきた彼らを見て、新兵たちはなにゆえ彼らが斥候を志願するかが分かった。彼らは実に種々雑多な戦利品をぶら下げているのであ る。主に時計とか指輪とか耳飾りといったような、小さくて金目のものだが、中にはポケットを銀貨で膨らませてくる者がある。

略奪ですね。中国軍が中国の土地で中国人の家から略奪している。

ある兵が持っていた耳飾りのごとき、たった今まで女の耳にあったものを引きちぎってきたからだろう、血痕がにじんでさえおった。にやりにやりとした兵のしきりに分厚い唇をなめずりしている様子を見るに何か悲惨なことが行われたのでないかという気がするのだった。

「おい、おまえたったそれだけか」とポケットを銀貨で膨らませている男が言った。
「うん。これだけだ。でもな、良かったぞ」
唇の厚い男は舌をなめずりなめずりみだりがましい笑いを黄色く濁った眼に浮かべながら大きな手のひらの上でヒスイの耳飾りをいじり回している。
「貴様、相変わらず女一方なんだなぁ。」
銀貨の男は相手を軽蔑しながらも、唇の厚い男の自由にした女に気を引かれているらしい。
「え、その女は良かったかい。いくつくらいなんだい」
「はたちくらいかなぁ。そりゃいい女よ。」
「うーん。そんな女が今時分こんなところにまごまごしておるかなぁ。で、そりゃどの家だい」
「そこの橋渡ってよ、そこのクリークに沿った・・」
と言いかけて急に警戒しだした。
「でもな、その女はもういないよ。南京に行くと言っていたから」
銀貨の男はそういう唇の厚い男の顔をじーっとみつめていたがやがてはっとしたように
「おめぇ、まさかやっちまいやしめえな」
と言ってぎゅっと銃剣で何か突き刺す真似をした。

やっちまえというのは性行為をしたという意味じゃないですよ。それはとうに済んでるわけですから、殺したんじゃあるまいなって意味ですよ。

「うーん勿体ねぇ。そんなバカなことするもんか。俺はただこの耳飾りをもらってきただけよ。」
「それならいいけど。それで家はどこだい。何か商売しているか」
「そんなこと覚えちゃいねぇ。滅茶苦茶に飛び込んだ家だからなぁ。その女、年寄りの婆さんと縮こまって地下室に閉じこもっていたのよ。婆さん足が悪くて歩けねぇらしいんだ。」
そう言ってなかなか女のいる家を教えなかった。何か自分の所有物を他人の目からかばうような態度だった。
「ふうん。まぁ俺は女なんかどうだっていいんだ」
と銀貨をざくざく鳴らしながら去っていった。

陳子明は全てを見た。そして知った。彼は戦争なるもの、または軍隊なるものの本質を知ったように思った。戦争とはすなわち一つの略奪商売であり、軍隊なるものは最もよく訓練された匪賊であるということである。しかし今はそんなことはどうでもいい。国家という大きな権力の下に自分がその匪賊の一人に仲間入りしたことである。自分一人は純潔のつもりでいても濁水の中に混じった清水は結局濁水である。

中 国はずーっとこういう軍隊だったんですよ。 これ、日本に媚びて書いてるんじゃありませんよ。日本人が書いてんじゃないですよ。中国人が自国体験を書いてる。彼は知識人ですから、そういうことなかな か出来ない。それでじっと忍耐してると。こういう姿を書いてるわけですね。

(´・ω・`)なにこの吉田清治本そっくりなのは?!
こんな中国に一体何謝罪せにゃならんの・・・何で自国民略奪すんだよ・・・

続く(かもしれない
ここまでで大体動画の半分くらい
動画に続きアリ→GHQ焚書図書開封 第30回

(´・ω・`)これを読んでも「なぜ」なのかまだよく分かんないと思うけども


p205~212
 どうしてアメリカの宣教師が中華民国の宣伝に関わったのでしょうか。

  1900(明治33)年に北京で起きた義和団事件までさかのぼらなくてはなりません。この事件で中国は各国に賠償金を支払うことになりましたが、その金を アメリカは中国の教育に使うことに決めます。それがきっかけとなり、中国での布教活動がアメリカで急速に高まります。中国には数多くのミッション系学校が 創設され、医療施設が儲けられ、孤児院が設立されました。アメリカ国内では募金活動が広がり、多くの宣教師が中国に渡り、やがてアメリカにとって金と人に 関して中国は最大の宣教の国となるのです。

 1927(昭和2)年、反共主義の蒋介石が中華民国の実権を握り、キリスト教信者の宋美齢と結婚して改宗するや、宣教師の多くが蒋介石の支援者となりました。

 その典型をヘンリー・ルースに見ることができます。

 ヘンリー・ルースは、北京で布教活動に従事していた医師の子供として山東省に生まれました。父親は燕京大学をはじめミッション系大学の設立に貢献しました。ヘンリー・ルースは成長してアメリカに戻ると、ニュース週刊誌『タイム』を1923(大正112)年に創刊して成功させ、1936(昭和11)年には写真週刊誌『ライフ』も創刊します。

  日本と違いアメリカの報道人は政治的な立場を明確にさせます。ヘンリー・ルースは『タイム』の表紙に蒋介石を使い、『ライフ』には日本軍の爆撃に遭った赤 ん坊のやらせ写真を載せました。蒋介石を支援し、中国への同情を集めるためで、支那事変が進むと、ニュース映画『マーチ・オブ・タイム』を製作して、野蛮 な日本と戦うけなげな中国人の宣伝をします。

 このようなヘンリー・ルースを世間は、国民党の駐米大使の役割を果たしたとも、客の欲しがっていない料理(蒋介石)をすすめる料理人とも、言いました。
(『タイム』も『ライフ』もそもそも偏っていたわけですね。今更だけど)

 南京にいた宣教師もヘンリー・ルースと似たりよったりでした。

 ジョージ・フィッチYMCA書記は宣教師の子として蘇州に生まれ、ロバート・ウィルソン医師はやはり宣教師の子として南京に生まれ、ともにアメリカより中国での生活が長いのです。マイナー・ベイツ金陵大学教授は23歳で中国に渡り、ジョン・マギー牧師は24歳で、ルイス・スマイス金陵大学教授は27歳で中国に渡りました。ヘンリー・ルースのように中華民国を応援するのにやぶさかでない環境にいたのです。

 宣教師が中華民国の宣伝に協力するのには、次のような事情もありました。

 中国での布教には莫大な金が費やされて、多くの宣教師が送り込まれましたが、信者は増えませんでした。やがて募金打ち切りや宣教師の引揚が検討されるようになります。宣教師たちは本国の関心を中国へむけさせなければなりませんでした。

 戦禍に苦しむ哀れな中国人。それは薄れつつある中国への関心を取り戻す絶好の機会となりました。

 マギー牧師は戦禍に遭った南京市民を撮影し、フィッチ書記がそのフィルムをアメリカに持っていき、政府関係者や新聞記者に見せ、哀れな中国人という感情を喚起させようとしました。

 ベイツ教授は、戦争の恐ろしさを世間に知らせたいというティンパーリィ記者の企画を聞くと、それに応えるとともに、日本の外交官に提出していた文書を外交官や新聞記者へ見せるよう、上海にいる宣教師ボイントンに要請しました。

 スマイス教授は、やはりティンパーリィ記者から南京の戦争被害記録をまとめたらどうかという要請を受け取ると、それに応え、まえがきを書いたベイツ教授が、数値は過大だ、と見なすほどのものを作成したのです。

  支那事変から3カ月経った1937(昭和12)年10月5日、アメリカのルーズベルト大統領は、世界に疫病が広まりつつあり、その蔓延を防ぐため患者を隔 離しなければならない、と日本を疫病患者に見立てて非難しました。日米の関係は悪くなっていきます。南京攻略の崔ちゅう、日本の爆撃機がアメリカの砲艦パ ネー号を誤爆したため関係はさらに悪化しました。南京にいた宣教師たちの活動は、そのような情勢のなかですんなり受け入れられるとともに、日米の悪化に いっそう寄与したのです。

 宣教師としてそれなりの理由があり、実行に移したのですが、それは中華民国の宣伝に合致していたのです。

 それだけにとどまりません。フィッチ書記は国民党の顧問、ベイツ教授は中華民国政府の顧問にまでなりました。宣教師という立場を超えていたのです。

 マギー牧師は東京裁判の証言台に立ったとき、次のような証言をしていました。

「まず最初に日本軍の兵隊が個々別々にあらゆる方法によって中国人を殺したのでありますが、その後になりまして30名もしくは40名の日本軍が一段となってその殺戮行為を組織的にやっていったのであります」
「強姦は至るところにおいて行われ、多数の婦人および子供が頃漁れたのであります。もし夫人が拒絶するとかあるいは犯行する場合には、それは突き殺されたのであります」
「外人の財産に対するアメリカの大使館の通告に対しても、なんら考慮を払うことはありませんでした」

 こういった証言を2日にわたって行ったあと、弁護士が反対尋問し、次のようなやり取りが行われました。

 弁護人「マギー証人、それではただいまお話しになった不法行為もしくは殺人行為というものの現行犯を、あなた自身いくらくらいご覧になりましたか」
 マギー「私は自分の証言のなかではっきりと申してあると思いますが、ただわずか一人の事件だけは自分で目撃いたしました」
 弁護人「強姦の現行犯をご覧になったこおがありますか。もしあるとすれば、それはいくつくらいでありますか」
 マギー「私は証言のなかに申しておきましたが、一人の男が実際にその行為をしておったということ、それからもう一つは、二人の兵士が15歳になる女の子をベッドに連れていっておったということも証言で申しておきました」
 弁護人「それはあなたのおっしゃるのは、二つの現行犯であるのか、その中の一つが現行犯で、片方は未遂犯なのでありますか」
 マギー「私が見ましたのは、ひとりの男が実際に強姦行為をしておったのであります。もう一つの二人の男というのは、女の子と寝台に横たわっておったのでありますが、その父親の言うには、私がそのところに行きますよりすでに前に強姦しておったということであります」
 弁護人「あなたご自身が、強盗であると思われ、もしくはあなたご自身が強盗されたという事件を、あなたはどのくらいの数をご自身でご経験、あるいは見ましたか」
 マギー「私は実際に先ほど申しましたように、アイスボックスを盗んでおったのを見ましたことは覚えております」

 それまでマギーは日本軍の殺戮、強姦、略奪を延々と証言していたのですが、それらはすべて風聞や根拠のないことで、あたかも見たように証言していたのです。踏みとどまるべき線を越えて証言していたのです。

 法廷に提出されたエスピー報告は、南京に残った宣教師たちが語ったことをまとめたものですが、人間はこれほど悪口雑言を口にできるものなのだろうか、と思うほどのものです。その多くが判決に取り入れられましたが、見た通り事実に反したものばかりです。

 当時、上海派遣軍報道部にいた馬淵逸雄中佐は、このように指摘しています。
「それ(南京の外人記者)にもまして悪影響の種をまいたのは、米国宣教師たちの悪質デマ通信であった。あたかも入城した日本軍が鬼畜の行動をしたかのごとく通信使、世界の対日感情を悪化させた(中略)

 首都南京の占領も、この二つの事件(パネー号事件およびレディバード号事件)と宣教師のデマ宣伝とによって、その対外的価値を半減した」

 宣教師たちの行動は当時から見破られていました。

 南京虐殺は、中華民国の戦時宣伝であり、それにアメリカの宣教師と英米の新聞記者が協力して作り上げたものなのです。

参考
【wiki】Henry Luce 

「百人斬り」と野田毅少尉 続き

野田毅「少尉」と表記してよかったのか迷う
東京日日新聞に載った時は少尉だったが最終階級は少佐

【wiki】野田毅 (陸軍軍人)

略歴
鹿児島県南大隅郡田代村(現・肝属郡錦江町)出身。野田伊勢熊の4人兄妹の長男。鹿児島県立第一鹿児島中学校(現・鹿児島県立鶴丸高等学校)卒業、陸軍士官学校第49期。

1937 年に起こった日中戦争には、第16師団第9連隊第3大隊の副官として参加(階級は陸軍少尉)。南京への進軍中に歩兵砲小隊長・向井敏明少尉との間で行われ た「百人斬り競争」が『東京日日新聞』に報道される。その後、歩兵科から航空科に転科し、広東作戦に参加。この時の模様は、火野葦平『海と兵隊』『広東進 軍抄』に描写されている。

1939年5月19日、『東京日日新聞』によって向井中尉は戦死した野田中尉との約束である五百人斬りの約束を実行していると報道された。この時、野田は生存しており日本にいた。

太平洋戦争が始まると、ビルマ(現ミャンマー)独立のための特務機関である南機関に配属となる。後にビルマ国軍の顧問になる。敗戦時は浜松の航空基地にいたが、熊本第6師団決起の情報を基に九州へ向かうものの、飛行場が閉鎖されたため着陸できず、唐津海岸に不時着した。

1947 年夏、南京への進軍中の百人斬り競争の報道をきっかけに、戦争犯罪の容疑者としてGHQに逮捕される。鹿児島県の警察署に拘留された後、巣鴨拘置所へ、さ らに中国・南京戦犯拘留所に移送される。12月4日、住民捕虜虐殺としての「百人斬り競争」の容疑者として起訴。

12月18日、南京軍事法廷において最初の公判が行われ、東京日日新聞の記事と写真、後に国民党宣伝工作員となったハロルド・J・ティンパーリが その記事を殺人競争という章で紹介した英文書籍等が証拠とされ、証人尋問は行われなかった。向井と野田は無実を証明する書類の到着を待つために公判の延 期、また問題の記事を書いた記者と当時の直属の上官の証人召喚を求めていたが認められなかった。その時に、記事は新聞記者による創作であると弁明した。死 刑判決後にも記者と当時の向井の上司からの証明書などにより再審を求めたがこれも認められなかった。
1948年1月28日、南京の雨花台において銃殺刑が執行された。享年35。野田の名は東京日日新聞の記事が間違った通りに「野田巌」として裁判が進められ、刑も執行された。

wikiの中ではたった一行なんだけど
ビルマ独立義勇軍設立に貢献してビルマ独立に大きな役割を果たしたわけですね
ビルマ独立義勇軍にはアウンサン将軍がいたわけで言わずと知れたアウンサン・スーチーさんのお父さん
【wiki】 南機関 


【youtube】GHQ焚書図書開封 第97回

16:46頃~ビルマの話

日本軍がなぜビルマ進攻したかというと
「援蒋ルートの遮断」のため(蒋介石重慶政府を英米が支援していた)
泰緬鉄道東條英機
東條英機の声明
西尾幹二氏「アジア解放は後付の理屈という説は全くの嘘なんですね」

泰緬鉄道ビルマ野田大尉調査範囲(2カ月
泰緬鉄道は415kmに渡る国際鉄道
白い楕円は野田毅大尉の調査したクワイ河流域

泰緬鉄道1実際の泰緬鉄道の橋は日本の設計
ところが映画『戦場に架ける橋』ではイギリスのフォース橋をモデルにイギリス軍が架けたことになっている

溝口郁夫氏「イギリスにもプライドがあるんでしょう」
日本軍の橋っていうことにはしたくないってことですね
泰緬鉄道3戦場をかける橋のモデル(事実に反する
泰緬鉄道2戦場をかける橋
GHQ焚書図書うちビルマ関連は21点
泰緬鉄道建設で日本が捕虜虐待したとやけに喧伝されてる理由がなんとなく分かるような
タイでもやらかしてた吉田清治。そして宇都宮徳馬

スーチーさん両親
スーチーさんの御両親

再びwikiから
【wiki】野田毅 (陸軍軍人)
遺文
1947年12月28日 (死刑宣告後)
一 日本国民に告ぐ
私は嘗て新聞紙上に向井敏明と百人斬競争をやったと云われる野田毅であります。自らの恥を申上げて面目ありませんが冗談話をして虚報の武勇伝を以って世の中をお髄がし申し上げた事につき衷心よりお詫び申上げます。『馬鹿野郎』と罵倒嘲笑されても甘受致します。
只、今般中国の裁判に於いて俘虜住民を虐殺し南京屠殺に関係ありと判定されましたことに就いては私は断乎無実を叫ぶものであります。
再言します。私は南京において百人斬の屠殺をやったことはありません。此の点日本国民はどうか私を信じて頂きます。
たとい私は死刑を執行されてもかまいません。微々たる野田毅の生命一個位い日本にとっては問題でありません。然し問題が一つ残ります。日本国民が胸中に怨みを残すことです。それは断じていけません。私の死を以って今後中日間に怨みやアダや仇を絶対に止めて頂きたいのです。
東洋の隣国がお互いに血を以って血を洗うが様なばかげたことのいけないことは常識を以ってしても解ります。
今後は恩讐を越えて誠心を以って中国と手を取り、東洋平和否世界平和に邁進して頂きたいのです。
中国人も人間であり東洋人です。我々日本人が至誠を以ってするなら中国人にも解らない筈はありません。
至誠神に通ずると申します。同じ東洋人たる日本人の血の叫びは必ず通じます。
西郷さんは『敬天愛人』と申しました。何卒中国を愛して頂きます。
愛と至誠には国境はありません。中国より死刑を宣告された私自身が身を捨てて中国提携の楔となり東洋平和の人柱となり、何等中国に対して恨みを抱かないと云う大愛の心境に達し得た事を以って日本国民之を諒とせられ、私の死を意義あらしめる様にして頂きたいのです。
猜疑あるところに必ず戦争を誘発致します。幸い日本は武器を捨てました。武器は平和の道具でなかった事は日本に敗戦を以って神が教示されたのです。
日本は世界平和の大道を進まんとするなら武器による戦争以外の道を自ら発見し求めねばなりません。此れこそ今後日本に残された重大なる課題であります。それは何でしょうか。根本精神は『愛』と『至誠』です。
此の二つの言葉を日本国民への花むけとしてお贈りいたしまして私のお詫びとお別れの言葉と致します。
桜の愛、富士山の至誠、日本よ覚醒せよ。さらば日本国民よ。日本男児の血の叫びを聞け。

いつまで血の叫びに耳をふさぎ続ける気だろう?


【youtube】 GHQ焚書図書開封 第97回 

野田毅少尉が「百人斬り」で東京裁判で処刑されたことについて
名誉回復裁判で敗訴ということだけが伝わっているが

地裁では「百人斬りは当時の近代戦においてはあり得ない」ということを言っている

【wiki】百人斬り競争
名誉毀損裁判

戦闘による百人斬りは実際に行われたか

裁判所の判断 - 南京攻略戦当時の戦闘の実態や両少尉の軍隊における任務、一本の日本刀の剛性ないし近代戦争における戦闘武器としての有用性等に照らしても、本件日日記事にある「百人斬り競争」の実体及びその殺傷数について、同記事の内容を信じることはできないのであって、同記事の「百人斬り」の戦闘戦果ははなはだ疑わしいものと考えるのが合理的である。
(日日記事=東京日日新聞)

戦犯裁判戦後の1947年、向井敏明と野田毅は南京軍事法廷に起訴された。同年12月18日にが行われた最初の公判で石美瑜裁判長によって「連続して捕虜及び非戦闘員を虐殺した」罪で即日死刑判決を受け、中華民国によって1948年1月28日に南京郊外(雨花台)で処刑された。

北村稔は、ティンパリーによる脚色や『戦争とは何か』の中国語訳版における事実の書き換えが影響し、死刑判決が下ったとしている。

その他
中華人民共和国南京市にある南京大虐殺紀念館では、この東京日日新聞の記事を「虐殺の証拠」として等身大パネルを作成して展示をしている。

台北国軍歴史文物館ティンパーリ百人斬り
田伯烈=ティンパーリ →国際宣伝処の顧問だったティンパーリ 

動画10:48~
西尾幹二氏
(溝口郁夫氏の著書を読み上げて)
平成元年東京日日新聞の後身である毎日新聞社は自社発行の『昭和史全記録Chronicle1926~1989』において、「戦後は南京大虐殺を象徴するものとして非難された。ところがこの記事の百人斬りは事実無根だった」と記事の虚構を明らかにしております。





野田少尉遺書のコピー昭和22年12月から翌1月28日までの野田少尉の日記のコピー

野田少尉遺書のコピー3
野田少尉遺書のコピー4

「私のビルマ時代の活躍の秘史はもう秘める必要はありません。ビルマは既に独立したのですから。刻々迫り来る死期ではありますが、忠臣蔵を読んだり、遺書を書いたり、煙草吸ったり、糞をたれたり、飯はドンブリに相変らず二杯食ったりです。呵々

 小生、南京屠殺事件にひっかけられて、死刑宣告。無実の罪だが、日本が敗れたから仕方がない。私の潔白は知る人ぞ知る。「死して護国の鬼となる。さらば。」。ビルマの諸兄によろしく。」

つい最近
「日本は一度たりとも殺し殺されることはありませんでした」とか言った人がいたが
→ 「日本は一度たりとも殺し殺されることはありませんでした」 この嘘つき! 

実際には 戦闘終了=平和 じゃないですね
戦闘が終わって帰国したら突然戦犯に問われ無実の罪で処刑された人がいるわけですね

戦闘が終わっても戦争は今でも続いている
「過去の戦争の反省」というのは大東亜だけでいいの?
その後の情報戦に負け続けている反省はしなくていいの?

泰緬鉄道のこと書こうとしたらスペースがなくなったので続く。 

ちょっと前の笑える記事
ステマのサンプルだよね

韓国ポテトチップ狂騒曲…「日本のパクリ」「竹島陰謀論」浮上
ハニーバターチップ

 【劇場型半島】

  韓国で「ハニーバターチップ」というポテトチップが爆発的ブームを呼んでいる。極端な品薄状態から陰謀説や詐欺まで巻き起こった。日本の製菓会社との合弁 工場で生産されていることから「日本製のコピーだ」との声に加え、売り上げは、竹島を「日本の領土にする運動資金に充てられる」といった根も葉もない噂ま で流れた。日本でも「元祖」といえる製品が売り出されており、わざわざ日本で買いあさる韓国人も現れ始めた。(桜井紀雄)

■1カ月待ち、暴利販売に振り込め詐欺まで
 「ハニーバターチップを手にするのは、天の星を取るほど難しい。最近は、食べたという人を目にできず、買えなかったという声だけが聞こえてくる。こんな品薄現象はこれまで見たことがない」

 大手韓国紙、東亜日報の論説委員は昨年12月、ハニーバターチップのブームについてコラムでこう記した。

 複数の韓国メディアによると、スーパーでは、開店前から行列ができ、一瞬で売れ切れになる。コンビニエンスストアを何軒回っても購入できず、店舗によっては「購入待ち名簿」に記載し、1カ月近く待たされるケースがあるという。

 韓国大手菓子メーカーのヘテ製菓が昨年8月に発売したが、元KARAのニコルやRAINといった芸能人らが「その甘さにハマッた」などとSNS(交流サイト)上に書き込んだことも相まって人気が加速した。

 月間売り上げが10億ウォン(約1億円)を超えると、ヒットといわれる韓国菓子市場にあって、昨年11月の売り上げは約78億ウォンを記録。昨年末までに200億ウォンを突破する空前のヒットとなった。

 入手したハニーバターチップの写真を“戦利品”としてSNSにアップすることが流行し、ある女性は「食べたかったというより、手に入れたことを自慢したかった」とメディアに答えた。手に入らない“レアさ”がブームに拍車を掛けているのだ。

  60グラム入り1500ウォン(約160円)、120グラム入り2500ウォン程度だが、あまりの人気にインターネットオークションでは、3、4倍の高値 で売られ、ニュース専門チャンネルのYTNによれば、他の菓子と抱き合わせ販売し、配送料込みで1万6000ウォンの暴利をむさぼる店もある。

 配送途中での窃盗事件に加え、ネット上で「まとめ売りします」と書き込み、代金を振り込ませたまま、連絡を絶つ“振り込め詐欺”まで横行しているという。

■ロゴが呼んだトンデモ説 韓国にパクリでない菓子は?
 ヘテ製菓側は「24時間3交代制で工場をフル回転させ、生産に当たっている」と釈明する。それでも、あまりの手に入らなさへの不満を反映するかのように、ネット上では、根拠のないさまざまな噂が飛び交った。

 「製造工場が火災になり、生産がストップした」「話題作りのために、販売元が故意に生産量を制限している」といった噂から、病み付きにさせるために「隠し味に麻薬を使っている」「政府が数十年かけて開発した製法を授けた」といったトンデモ説まで登場した。

 極め付きは、「ハニーバターチップを食べることは、独島(トクト=竹島の韓国名)を日本に譲り渡す行為だ」といった突拍子もない非難だ。

 ハニーバターチップは、ヘテ製菓と日本の菓子大手カルビーの合弁工場で生産されている。パッケージにも「ヘテ」と並んで「カルビー」のロゴが大きく表示されている。

 この提携関係から「収益の一部が独島を日本の領土に編入しようとする日本の極右派の運動資金に使われる」という主張だ。

 ここまで極論でなくとも、ネット上には、「日本の製品を丸々コピーしただけじゃないか」や「韓国に日本の菓子をパクっていないものがあるか」といった冷ややかな声が書き込まれた。

ハニーバターチップのヒットを受け、ヘテ製菓関係者が「マイチュウ以来、10年ぶりのヒット製品だ」と韓国紙に語っているが、このマイチュウからして、日本のソフトキャンディー「ハイチュウ」を模したものだ。

 その他、韓国の国民的菓子といわれる「セウカン」は日本のスナック、かっぱえびせんと丸々同じ。チョコスナック、ポッキーに似たペペロなど、日本製と酷似した菓子は枚挙にいとまがない。元祖が日本製でない菓子の方が珍しいといえば、言い過ぎだろうか。

■ハニーバター難民が行き着く先は「本家の国」日本
 ともかく、企業イメージに関わる問題であり、ヘテ製菓側は、さまざまな風聞に対して、全て「根も葉もない噂だ」として否定し、火消しに努めた。

  「竹島資金説」に関しては、韓国のスポーツ紙に、合弁工場で生産しており、「収益の一部はカルビー側に渡る」ことを認めながらも、「ハニーバターチップは ヘテが独自に開発した製品であり、ロイヤルティーは支払われず、日本側に渡る収益は大きくない」と説明。竹島資金説を「根拠がない」ときっぱり否定した。

  ヘテ側は、別のメディアに「1年9カ月の研究期間に数多くの試行錯誤を重ねて見いだした韓国的味だ」とオリジナル性を強調もしていた。韓国の経済紙は、人 気の秘訣(ひけつ)について「何より差別化された味だ」とし、しょっぱさ一辺倒だったポテトチップ市場で、ハチミツの甘さで勝負し、「固定観念を覆した」 とまで手放しでたたえた。

 しかし、日本で、提携先のカルビーから昨年12月に冬季限定の「ポテトチップス・しあわせバター」の販売が始まってから、ブームの風向きが微妙に変わり始めた。

韓国メディアは、「わが国では入手できないハニーバターチップが、日本のコンビニに山積にされている」と伝えた。ほぼ同じ味が入手できると、韓国の“ハニーバター難民”たちが、日本のしあわせバターに熱いまなざしを向け始めた。

 韓国紙、ソウル新聞は、東京発の報道で、日本への韓国人旅行客や留学生らがしあわせバターを買い求めようとする一方、日本でも品薄状態が生じているもようを伝えている。

 ハニーバター難民が、日本在住の知人らに、しあわせバターのまとめ買いを依頼したり、日本のオンラインショッピングで大量注文したりする現象も起き、韓国のネット上で高値で転売する猛者もいるという。
(結局日本にお金落としてるけど・・どうしてこうも矛盾した行動するのか)

■オリジナル? いえ「日本がベースです」…悲しき日本隠し
 ハニーバターチップと、しあわせバターを食べ比べた人たちの感想では、双方、ハチミツとバター風味が決め手であり、「日本版」は隠し味にチーズを使っているなど、少しの違いを除いてほぼ同じ味だという。

 それでも、ヘテ側は韓国紙に「全世界の200~300余りのポテトチップ製品を参考にしており、しあわせバターは参考の一つに過ぎず、剽窃(ひょうせつ)ではない」と断固として韓国オリジナルの味だとの姿勢を崩していない。

  しあわせバターは2009年にテスト販売され、11年以降、冬季限定商品として販売されてきた。発売元のカルビー広報部に取材すると、「しあわせバターが 先にあり、ハニーバターチップは、それをベースに開発したもの。ヘテ製菓がシーズニング(調味)をアレンジした」との答えが返ってきた。

 両者を味比べした韓国人らが日本が「元祖」と感じているように、純粋に「韓国オリジナル」と主張するには無理があり、「日本生まれの味」と理解した方が自然なようだ。

パッケージに堂々とカルビーのロゴを入れているのだから、そこまで「オリジナルだ」と意固地にならなくても「日本の会社と協力した新しい味だ」とアピールしてもいいものを…。

 こと、日本絡みになると、バッシング対象ともなり、企業側も自己防衛のために「日本隠し」に回る。これだけのヒット商品の陰でも、韓国社会の悲しい性が垣間見える。

 ハニーバターチップをめぐっては、マレーシアの格安航空会社、エアアジアの会長が昨年12月にこんな発言をしたことが物議を醸した。

 「韓国ではハニーバターチップというお菓子が人気だそうだが、エアアジアでは、機内サービスとして提供したい。ハニーバターチップは袋ごと提供されるので、皿に盛ることはないだろう」

 大韓航空機の前副社長が、機内サービスに出すナッツを皿に盛らずにファーストクラスの乗客に提供したと、責任者を怒鳴り付け、搭乗機を引き返させた上、責任者を降ろさせた、いわゆる「ナッツ・リターン」事件を痛烈に皮肉ったのだ。

 そのエアアジア機が墜落事故を起こした後、韓国メディアは、この会長発言を蒸し返して報道した。

 ナッツ・リターン騒動同様にハニーバターチップをめぐっても、ニュースのタネが尽きることはなく、当分、騒ぎは収まりそうにない。
産経デジタルiza2015.1.14
http://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/150114/wor15011418000001-n1.html

最近見かけたあからさまに怪しい現象

杉原千畝ツイッターステマ
 (ツイッター内を「杉原千畝」で検索したキャプ)

映画『アンブロークン』の時に嫌っていうほど見た
日本で公開されないのはネトウヨの妨害のせい!と言いまくってましたねぇ
アンジェリーナジョリーの新しい映画出てるけど日本で公開されてないよ?これもネトウヨのせい?

ステマ仕掛ける人の「侮り」を感じる・・

昨日見つけた2chスレにあったリンク
【中国】“日本のシンドラー”が“中国のシンドラー”に…「日本軍はユダヤ難民にも残虐行為を行った」とでっち上げ[12/04]
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1449202825/
レス119

それが今日(2015.12.6)になったら
   
   
 google
あれ?記事がない・・・

google検索日本は反ユダヤにあらず毎日新聞
記事自体は存在してたとgoogle先生も言ってるんだけど・・・
消える前にコピペしておいて良かったということかな

社説:視点「アンネの日記」 日本は反ユダヤにあらず

  ユダヤ人の少女アンネ・フランクが隠れ家でつづった「アンネの日記」は、ナチスによるユダヤ人迫害を後世に伝える有名な本である。ところが1月以降、東京 都内や横浜市の図書館を中心に「アンネの日記」や関連本が破られる事件が発覚し、日本の「右傾化」と関連づける海外の論調も出始めた。

  共同電によると、26日付の中国人民解放軍機関紙、解放軍報は「日本のサイトで『アンネの日記は(事実ではなく)小説だ』とする言論が大量に見いだされ る」として歴史否定の動きがあると批判。日記を破いても「記憶を消すことはできない」と指摘した。韓国メディアは、日本にはヒトラーに追随する勢力が少な くないと報じ、在日韓国人などへのヘイトスピーチに象徴される「病的な右傾化現象」との関連に注目している。

  推測は自由だが、犯人像も動機もヤブの中なのに、ここまで言うのはいかがなものか。他国の歴史認識をうんぬんするなら、正確な史実を押さえておくべきであ る。日本は確かにナチスドイツと同盟関係にあったが、ナチスの再三の要求にもかかわらずユダヤ人迫害に同調することはなかったからだ。

 たとえば1938年、首相と陸軍・海軍大臣などで構成する五相会議が決めた猶太(ゆだや)人対策要綱は、ユダヤ人迫害は「日本が多年主張してきた人種平等の精神に合致しない」として公正に扱う方針を打ち出した。その背景にはユダヤ難民を受け入れて対米関係改善を狙う思惑(河豚(ふぐ)計画)や、世界を一つの家と見る「八紘(はっこう)一宇」の思想もあっただろうが、「戦前の日本とナチスは違います」(ヘブライ大のベン・アミー・シロニー名誉教授)というのが常識だ。

 ユダヤ人に「命のビザ」を発給した杉原千畝(ちうね)、そのビザで日本に来たユダヤ人の滞在延長を助けた小辻節三(せつぞう)など、ユダヤ人が恩人と仰ぐ日本人も少なくない。杉原の関連本も破られたそうだが、日本の歴史に反ユダヤ主義を見るのは難しい。仮に今日の日本が「右傾化」し軍国主義が復活しつつあるとの前提に立っても、だから「アンネの日記」を破る者が出るのだという立論は乱暴である。

 他方、大虐殺を体験したユダヤ人には気の毒だ。在日イスラエル大使館は被害にあった図書館に「アンネの日記」などを寄贈した。米国のユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」も強い懸念と怒りを表明した。犯人は日本人なのか、組織的な犯行なのかどうかも不明だが、根の深い事件ではないよう祈りたい。(論説委員・布施広)
毎日新聞2014.2.28
mainichi.jp/opinion/news/20140228k0000m070144000c.html

(´・ω・`)毎日新聞にしては珍しい記事だなぁ・・
ちなみに2chコメント見たら「日本は反ユダヤだった」なんて騙されてる人はいなくてちょっと安心

参考
日本を貶めようとする悪意2 杉原千畝「命のビザ」キャンペーン
上海ユダヤ難民資料館とユネスコとサイモン・ウィーゼンタール・センター
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